上の写真は、平塚に近い青丸の場所で、白い建物は東海大学です。
この切通の西は、東海大学に売り払われたのです。
問題は、見た通りの道の太さに在ります。
この山間僻地に不釣り合いな直線で、太くて傾斜のナダラカな上に、人手を要する大掛かりの切通した道!
更に不自然なのは、この切通の前も後ろも細い道で、この道だけが太い理由は??
山間でこの様な立派な道がこの場所だけにあり、周囲と調和がとれない!!
この不自然さが、古代官路と考える根拠です。
もし、この場所を古代東海道跡では無いと否定するなら、、、
自然に作られた踏み分け路と質が違う この切通の歴史を調べて下さい。
立派な切通を何時の時代に何処の権力者が作ったのか?近世の物ならその謂れが残っているはずです。
近くにお寺も有りますから、伝承が在るなら調べるのは簡単でしょう。
この東光寺は、古代東海道の路上に立っている寺と考えています。
ならば、寺の歴史はこの駅路の廃絶した後に建てられた寺と言う事です。
鎌倉時代の戦乱、戦国時代の戦乱で それ以前の伝承や文献は途絶えたのが現状と想像します。
そんな訳で、現状の地形に語らせる!!
それが、このブログのポリシーです。
上の写真は、秦野に近い青丸の場所で東光寺薬師堂と呼ばれる脇の切通です。
道幅も狭く、民家が立て込んでいます。
オリジナルの切通構造は消えてしまい。現状はこの場所が掘り切り状の坂で有る事しか確認できません。
昭和20年代のUSA空中写真も有りますが、、決定的ではありません。
それにしても、、、六浦から秦野まで一貫して、直線ですが、その西向きは矢倉岳では無い!
「矢倉岳が基準で造られた道では無い!」依って 当初の想定は間違えであった訳です。
では、基準は何処でしょうか??