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上は 散在ヶ池の延長の切岸と考える今泉不動。
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上は 鎌倉市公園協会作成の散在ガ池森林公園パンフレット
せせらぎの小径とある場所に散在ヶ池の切岸が有る。
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上は 散在ガ池ですが、、、
鎌倉城には、防衛施設が無い! ッと訳知りの方が言われるが、、、
切岸自体が防衛施設です。
絶対に切岸から鎌倉市内に入り込ませないのか? 敵を鎌倉市内に入り込ませる道もある。
それが敵を討ち取る為の罠の道です。
鎌倉城の広大な城の全体を見渡せないと、、、それは理解しにくい話です。
鎌倉城の防衛施設の概要を、 今後 説明しようと思います。
> 鎌倉散歩~切岸を間近で見て (黄色いメガネちゃん)
> 一つの考えに基づいた工作物、城壁としての切岸、ということであれば、これは大きな都> 市計画の一部ですね?
> その時代の人は鎌倉の地形や地質を知り尽くし、計画、工事をしたのでしょうね・・・。
> 切岸に残されている工具で削ったらしき跡を見ながら、
> 途方もなく長い年月と労力、技術が必要だっただろうと思われて少々興奮しました。
> 当然鎌倉の全体を把握していたはずですが、
> 私たちはその全貌を知らない。
> 忘れ去られた鎌倉ですね。
鎌倉散歩~切岸を間近で見て (黄色いメガネちゃん)
ありがとうございます。
小さく調べれば、稲村、極楽寺、大仏、化粧坂、小袋坂、朝比奈切通、名越の切、小坪のライン。
大きく調べれば、腰越、手広、山崎、天神山、台、岩瀬,公田、イタチ川より六浦、逗子駅、より披露山までの大きなラインですが、
余りにも
鎌倉城は広すぎて、私も目先の興味のある一部しか調べていません。
鎌倉歴史講座講師が、チョット調べて鎌倉を解説しても、観光客並みの現地視察では、、
鎌倉を語るには不十分。
鎌倉城は無い派の説に 古文献等の引用が少ない事から、文献の下調べは雑というか、軽く見ている様です。古文献を無視していると考えます。
鎌倉城は無い派の研究方法は「日本城郭大系」と言う現代の研究本が根拠で、、、
その本に書かれた鎌倉城は、、城では無い!
依って鎌倉には城が無い! っと結論を出している。
鎌倉滅亡から、600年以上経ち、当時の文献は消失し、太平記や梅松論に書かれた記述で当時を想像するのが一般的で、
鎌倉城の詳細の記述なぞ他には無い。
問題は、書かれたご自身が現地を調査したり、梅松論、太平記等の古文献の考察が無いのは、、 研究論文としては、余りにも視野が狭すぎませんか?
これらの古典を否定して「鎌倉城が無かった!」と言うなら反論もやり様が有りますが、、、
「もう一段深く見聞きし考察し直して貰いたいものです。」
受講して、何の疑問が沸かなかった方への言葉です。
大半の「鎌倉城は無い派」の方は、鎌倉在住で受講できる時間の余裕がある方と思います。
是非 貴方の周囲から鎌倉城探しをやってください。
半端な鎌倉の知識の講師に言われっぱなし!! なんて鎌倉住人として情けないでしょ?
私は住んでいませんが、、、、
「■日本城郭大系1 記 2015-06-22」当ブログに記載
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古典文献を無視し、この「日本城郭大系」の研究の上げ足を取って、鎌倉城は無い!っと
説明された。 不思議な事に より信頼性のある古典文献の考察は無い。
古典文献は「鎌倉城は無い」と否定するには都合が悪い、故意に触れなかった?