鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉城破壊の軌跡 その1

2016年07月15日 | 大鎌倉城
鎌倉城の基本的な構成は、
 一、城内の進入を遮断する 切岸!
 二、城内に出入りする道路!
 三、敵と戦う為の砦!
この三部構成に区別できる。

鎌倉城の話は、切岸と、七口で戦闘をした話が多々ありますが、
切岸の存在は知っていても、具体的な配置や規模を語られた事は無い。
鎌倉をどの様に囲っていたのか資料を見た事が無い。



上は、2015年の山の内上水場より北鎌倉女学院の運動場迄の航空写真です。
下は1968年の国土地理院の空中写真です。
この写真の中に、人を寄せ付けない切岸と「ここならば攻め入る事が出来そう!」と言う敵を誘う防衛施設という罠が有ります。
でも、この写真からでは、人工的に作られた城の構造は解りません!
自然保護の為に「管理不行き届き」の放置状態で破壊され始め、史跡としての景観も消える訳です。
この景観には、約50年の経過があります。
人工的に作られた「城」としての景観が破壊され、城が単なる山とされた。
目に見えるのは、草木ばかりで人工的な物が隠されているのです。
では、
何が砦なのでしょうか?
今でも残っているのでしょうか?
大手企業が土地を買い占めている場所ですから、近年に消滅するでしょう。
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