江の島の波蝕棚写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/d2/a483259f724608b76be66af393face79.jpg)
「日本第四紀学会」や「江 ノ 島 の海蝕地形につい て」の記述では、
現代より6,000年間の海面変化は、、数mの海面変化であると書かれています。
その反論をWebより探すと、、
◆諸磯の隆起海岸(神奈川県三浦市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E7%A3%AF%E3%81%AE%E9%9A%86%E8%B5%B7%E6%B5%B7%E5%B2%B8
〉三浦半島の地層は上位から相模層群・三浦層群・葉山層
〉群で構成されている。三浦層群は岩相の違いから地域ごと
〉に三崎層・初声層・逗子層・池子層と呼ばれており、諸磯
〉の隆起海岸周辺は三崎層が多く分布している。三崎層は約
〉1200万年前から450万年前までの間に、水深2000メートル
〉から3000メートルの深海に堆積した地層のことである。こ
〉の層は主に泥岩層と凝灰質砂岩層、凝灰岩層からなる。
〉地震の証拠[編集]
〉諸磯の隆起海岸に存在する地震の証拠として、穿孔貝(せ
〉んこうがい)による無数の小穴が挙げられる。穿孔貝は波
〉打ち際の地面や岩石に穴をあけて生息する二枚貝で、
〉諸磯の隆起海岸にはこの小穴により4段の層が形成され、
〉過去に4回の地震が起きたことが推測できる。
〉地震学者の今村明恒によると過去3回までの地震は、それ
〉ぞれ大正12年(1923年)の関東大震災、元禄16年(1703年)の
〉大地震、弘仁9年(818年)の大地震であることが判明した。
〉過去に4回の地震が起きたことが推測できる。
〉地震学者の今村明恒によると過去3回までの地震は、それ
〉ぞれ大正12年(1923年)の関東大震災、元禄16年(1703年)の
〉大地震、弘仁9年(818年)の大地震であることが判明した。
〉隆起の原因となった最古の地震を今村は西暦33年に起きた
〉と解釈しているが、日本地震学会が確認している日本最古
〉の地震は允恭天皇5年7月14日[1](416年8月23日)に遠飛鳥
〉宮付近で起きたものである。
〉
〉現在確認されている、諸磯の隆起海岸を形成したとされる
〉地震は以下の通りである。
〉年月日 元号 震央 M
〉818年 弘仁9年関東諸国7.5
〉1703/12元禄16年伊豆東方沖7.9-8.2
〉1923/9大正12年関東大震災7.9
以上の様な記述ですが、、
>隆起海岸にはこの小穴により4段の層が形成され、
>過去に4回の地震が起きたことが推測できる。
この記述で「関東大震災」が4段の層の一つに含まれている箇所に問題があります。
諸磯の隆起海岸の岩壁の基部は標高4.8m地点にの場所に在る。
更にその上に穿孔貝による4段の層が有る訳です。
相模湾の6,000年間安定した海面とは違う天変地異が存在したのか???
その件を述べる以前に、 標高4.8m地点に在る事の釈明が必要でです。
何故なら、、、「関東大震災」の調査結果は、この処の隆起は 1.50mとされているのです。
依って、「諸磯の隆起海岸」論文の記述に重大な誤りがあると考えます。
その件を述べる以前に、 標高4.8m地点に在る事の釈明が必要でです。
何故なら、、、「関東大震災」の調査結果は、この処の隆起は 1.50mとされているのです。
依って、「諸磯の隆起海岸」論文の記述に重大な誤りがあると考えます。
「関東大震災」の調査結果は推測ではなく、科学的に計測されたモノで十分に信頼できます。
◆参考文献◆
大正関東地震の際の海底地殻変動
http://www.onken.odawara.kanagawa.jp/files/PDF/houkoku/44/houkoku44-p17-28.pdf
〉三浦半島に入ると隆起量は再び増加し、南に
〉いくにつれて大きくなった。すなわち葉山から
〉小田和湾までの間は 99cm、長井 1.38m、小
〉網代及び三崎は 1.50m
上記の研究資料から導き出した反論です。
その他にも、反論が存在します。