「鎌倉時代の波打ち際10」の立体写真で写しだされた崖ですが、、
未だ海岸際の国道134号が出来る以前の写真ですから、古来より崖の存在が有った訳です。
滑川河口の西には、由比ヶ浜南遺跡の崖の防塁と考えられる遺構が在り、
滑川河口東の材木座にも崖が存在し、この防塁の延長と考えられる。
元寇対策の防塁となれば、由比ヶ浜を囲むように防塁が存在するはずです。
青い色の4mと水色の6mの境界が極楽寺坂の下の坂の下から稲瀬川河口、滑川河口、材木座迄の由比ガ浜を囲う様なラインが検出できます。
下の坂のラインは、道路の為の段差では無く、坂の下の町の段差で有る訳です。
稲瀬川の周囲は、津波の為にこの段差が流されたと、考えられます。
博多湾の防塁の場合、
長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmの間、海への傾斜面に幅1~1.5m、残高1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していることが判明した。
写真はご覧の通りで、風雨による崩壊した状態です。(福岡市の文化財より)
津波が無くても、この様に風雨で崩壊します。津波で流されても、、仕方が無いのかもしれません。
問題は、稲瀬川より稲村ヶ崎に向けての砂浜は、数度の津波に襲われた場所ですが、高低差とし2m〜6mの範囲で残存するのが確認できます。