goo blog サービス終了のお知らせ 

鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉時代の波打ち際 22

2021年11月05日 | 鎌倉時代の波打ち際

下図は「鎌倉時代の波打ち際21」の元画像で、関東震災以前(明治、大正時代)の絵葉書です。

この山の岩崩(いわくえ、崖)ですが、萬葉集の防人に行く男が謳ったモノで

かまくらの みこしのさきの いわくえの きみがくゆべき こころはもたじ

この岩崩(いわくえ)の事で、由比ガ浜から見た時に絵に成る場所で、新田義貞鎌倉攻めで黄金の太刀を投げ込んだ海、潮が引き奇跡を起こし海蝕棚が水面から現れた! その海蝕棚上を歩いて攻め込んだ、、この故事に絡む古跡と成ります。

その様な訳で由比ヶ浜から防塁を写す様な写真は、震災の崩壊の凄さを表した報道写真の時だけが興味の対象で、他には探しても無い!

この写真は、稲村ケ崎に続く霊仙山を写した写真の脇にタマタマ写った物です。

場所が判れば、写りは悪くても判別が付けられると考えたのが 下の写真です。

更にもう一枚

以上の防塁が崩壊前の写真となります。
崩壊しても基部はシッカリ残って居るハズですから、、発掘したら痕跡が在るハズです。
現在、鎌倉石は風化に弱く、震災の被害もあり 現代風に他所の石を使って作り直されてる。
元寇防塁のハズが、住宅の波浪避け、高潮除けの必需品と成って生活に溶け込んで現在に至ります。

浜辺より一段高い石垣を組んだ景色は 明治時代では珍しく、観光用鳥観図に描かれた事から、書き手の興味を引いた様子が窺えます。

更に、現状の報告も有りますね、、、

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする