鎌倉街道 を探そう! 古代東海道痕跡to鎌倉城と    

古代東海道は、鎌倉城を作る為に頼朝に封印された! 地図、写真で紹介。

鎌倉の味わい方!

2022年02月26日 | Weblog

小学生の頃、藤沢駅前から自転車に乗って鎌倉を探索して走ったのが始まりで1950年代の話です。
当時は、江の島の華やかな賑わいとは違い、鎌倉は異質で静かで落ち着いた別世界でした。 単なる山道では無く人手が加わり、行く先々に意外性がある景観の山道でした。
鎌倉は、深緑の細い土道で、薬研堀の道や切通の道を好奇な目で楽しめました。
今思えば、その道は、崖=切岸 坂道 切通し等の造形の変化が面白さの一部で在ったし、思いがけない場所のお寺で在った訳です。今でもその山道の風情は色濃く残って居ます。


 鎌倉市街は 新田義貞の鎌倉幕攻めで、焦土と成り 残った建築は円覚寺の舎利殿のみで、鎌倉時代を偲ぶ建物は消えました。
それ程に、鎌倉時代を偲ぶ建築物は消え、明治初頭の市街は大半が畑でした。

絵図の如く、鎌倉市街は八幡様の参道、長谷、極楽寺下の坂ノ下辺りに観光客目当ての家が建つ状況が示され他は畑と成ります。
新田義貞の鎌倉幕攻め以降 その時代を示すオリジナルなモノは、市街を囲む山の切岸を含めた鎌倉城の痕跡ダケと言う結果です。

鎌倉に思いを寄せて訪れる方は、観光ガイドを片手に小町通りの飲食店やお寺巡りをして頼朝を偲ぶのでしょうが、、  私は、、街並みや商店街が楽しくて行く事も多い。 お食事のお勧めは、駅前小町通りの角の「不二家」がお勧めで、マニアックな方なら、「樹」や「エレッジ・カフェ」がお勧めです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする