朝比奈を抜け六浦へ古代東海道が有った痕跡が在り、六浦から海路で上総へ渡る経路です。
六浦は鎌倉時代の外国と交易する港でもあります。
元寇が鎌倉に攻め寄せたら当然攻め込む拠点にもなる場所とも考えられます。
恐らく、波の荒い外海の由比ヶ浜や七里ヶ浜は上陸困難で、元寇は六浦側から朝比奈峠へ攻め込んで来ると考え、
鎌倉城東側防衛線を強固にしたのではと考えます。
すると、、、鎌倉城は更に巨大な大きさに修正する必要が考えられます。
青色線は鎌倉市街を守る防衛線ですが、
桃色の線は、六浦を取り囲む様に切岸が作られています。
更に、橙色の 半ば住宅地に破壊された切岸が確認できます。
問題は、六浦港を囲む巨大な防衛線が存在し、更に、、、、
切岸の痕跡を根拠に鎌倉城を考えると、鎌倉城の縄張りはコンナモンじゃない!