九州には大宰府と言う場所があり、元寇で博多湾に元の船が押し寄せた。
一回目の元寇で中国軍船が博多湾に押し寄せた時ですが 妨塁は無く武士は中国軍に押され水城に逃げ込んだと有る。
大宰府には、、城が在るか?
その疑問に「日本城郭大系」にどの様に答えて居るでしょうか??
水城をはじめ、大野城、基肄(きい)城 等の紹介が有ります。
しかし、太宰府羅城の話は無いと思いますが、如何??
鎌倉城でも、、、それが羅城である! なんて言う発想は皆無で、、、
藤沢、鎌倉、横浜、逗子、横須賀等の広域に切岸が在るのに、、、
鎌倉市内ですら目立つ お猿畑を調べて名越切通を城だと紹介した。その無駄に切り立つ切岸に思えるのは、近世の鎌倉石を切り出した場所と判明。
挙句は、
日本城郭大系の「お猿畑の名越切通」が単なる石切り場と証明されたら、
反動で「鎌倉には城が無い!」説を唱え 鎌倉の生涯教育講座で拡散した! 浅慮な話です。
発掘しなければ判らなかった大宰府羅城の城壁とは違い、、、
鎌倉羅城の城壁は切岸であり、調べれば発掘などせずに、、素人でも見て解ります。
切岸は樹々で隠されて判別し難いが、直下で見上げれば十分確認できます。
調べる事もせず城は無い!なんて、、研究解明の思考が 単なる思い付き程度の考えです。
反論を期待する処ですが、、
筑紫文化財研究所
https://blog.goo.ne.jp/yuukodou/e/2755ecf1e35b9c6035a228690581c4a3
下の図は、筑紫文化財研究所掲載の大宰府羅城です。
鎌倉時代以前にレッキトシタ城が存在した訳です。
「日本城郭大系」は誤解し大宰府羅城を認識できず、、水城、大野城、基肄(きい)城を別々な城と解釈した訳です。
更に、 鎌倉城の場合は、広大な羅城の存在は 常識には無かったと解釈できます。
対外国的な戦争の城では、この様に広大な城を必要と考えたのが当時の支配者の考えた事です。
発表されたのは、2017年に第9回西海道古代官衙研究会にて「大宰府羅城と通行施設としての古代土塁について」という演題で在ったそうです。
鎌倉に城が無い! っと主張た人は、白村江の戦いを考えず、大宰府の羅城を無視し、万葉集の防人の事を調べない失態の上で、、、切岸で防御した鎌倉の城を『戦の構造物は無く、単なる鎌倉幕府の住居である! なんて言う考え方を披露した訳です。判断を誤りと言うより、事前調査をしない研究者としての手抜きと、古文書を熟読しない歴史的な考察の欠如等、、要は現代の鎌倉研究本の良いトコ取りをした机上論です。