「日本城郭大系」には、多数の天守閣(本丸)を持つ城が紹介されている。
当然天守閣の無い山城も載っているのだが、城の象徴的な天守閣に目が行くと思います。
しかし天守閣は城と言う防衛施設の付属物で、本質は別です。
漢字の「城」の意味は[壁]が主体です。
「城」は土偏に成(=戊)を組み合わせた会意文字です。
「戊」は「人」と「戈」との会意で、戈は「武器としてのホコ」又は戦争の意味で防衛活動を指す。
結果は「城」の意味は、土塁を作り人が武器を持って戦う状況を示します。
一般常識の「天守閣がある城!」 と言う概念は城の本質では無い訳です。そうでないと、大宰府羅城や鎌倉城は理解できないし、、「鎌倉には城が無い!」と言う説を鎌倉市の生涯教育講座での講演を非難できないですね!
■■ 広大な羅城 空から実感 大宰府政庁をぐるり防御 ■■ 筑紫野市の市民団体
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/553104/
(2019/10/22 )筑紫野市で3年前に発見された前畑遺跡は現在、ブルーシートが
掛けられるなどしており、上空からでもその場所がはっきりと分かった。
同遺跡は7世紀後半に築かれた水城や大野城と同じ「版築」という工法で作られた土塁。
東側を蛇行する宝満川に沿うように作られたとみられ、未解明だった羅城の「空白地」
を埋める大きな手掛かりとなった。
■■ 未だ謎の古代大宰府「防衛ライン」■■
https://www.sankei.com/article/20200913-FMS7MZRD7VLVXBB6MWGMHNXZCM/
(前略)前畑遺跡での土塁発見から5年。外郭線はあったのか-。 (永尾和夫)
(中略)平成27年10月、筑紫野市筑紫・若江地区にある前畑遺跡の発掘作業を続けていた
同市教委文化財課の小鹿野亮係長らは、丘陵地の尾根に沿って伸びる土塁状遺構の出土に驚いた。
「想像もしていなかった」という。
(後略)
以上のニュースより、大宰府羅城を認識したのは2015年で有った訳です。
日本に羅城が有ったと認識したのは、、、8年前だったのですね!!