箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

教師のゆとりは、子どもに必要

2018年08月03日 21時12分14秒 | 教育・子育てあれこれ





今日の午後には、西南生涯学習センターで、三中校区夏季教職員研修会を開きました。

西南小、南小、三中、せいなん幼稚園、瀬川保育園、桜ヶ丘保育所の教職員が、「学校園所における業務改善」について研修しました。

講師は、WLBC関西(ワークライフバランスコンサルタント関西)の澤田真由美さんを、お呼びしました。

教員の時間外勤務の長さを改善する課題に対しては、今年度、箕面市が重点的に取り組んでいます。

それを受け、今年の三中校区では、夏季研修会で、「はたらき方改革」をテーマにしました。

約80名の教職員が、リニューアルした西南生涯学習センターに集いましたが、多くの人が、初めて入館しました。

教職には、教員が子どもと関わることで、大きな満足感が得られるという、他業種にはない特異性があります。

ただし、仕事のおもしろさで、疲労がたまっていても、その疲労は麻痺してしまいがちになります。

ですから、意識して休む必要があります。

また、「仕事どっぷり先生」は、遅くまで残っていることがよいことだという意識から離れられないという問題も、提起されました。

今回の研修では、「先生のゆとりは子どもの輝きに、結局はつながる」という視点で、はたらき方を変えていくべきである。

教師が多忙だと、子どもをほめる回数が減り、叱る回数が増えます。

また、多忙だと、ていねいにステップを踏んで指導できにくくなるともいえます。

そのために、どう学校の業務を、教職員個人で、また組織として、学校全体でどう変えていくかを研修しました。

川の風景を描く演奏

2018年08月02日 14時53分33秒 | 教育・子育てあれこれ





本日は、豊中市立文化芸術センターで、大阪府吹奏楽コンクールの北摂地区大会がありました。

箕面三中は連作交響詩「わが祖国」より モルダウを演奏しました。


モルダウ(ヴルタヴァ)川(Vltava)は、ボヘミアを南から北に流れるチェコの重要な河川の一つ。

交響詩「モルダウ」では、モルダウ川の源流からプラハ市内へと続く、上流から下流への川の情景を演奏によって、鮮明に描写します。

まず上流の演奏。

山奥深いモルダウ川の水源から雪が溶けて水が集まっていく様子が描かれ、森を抜け、勇壮な狩人が横切ります。

そして、角笛が響き渡り、村の結婚式が行われています。

月明かりの静寂の中では、水辺を妖精が舞い踊ります。

ついで、下流の演奏。

水流が強くなり、プラハ市内へ水が流れ込みます。

やがて、徐々に水の量が増えていき、突然の急流に水しぶきが上がります。

プラハ市内に入ると、勇壮な古城を讃える華やかな演奏が続きます。

そしてモルダウ川はプラハ市内をゆったりと悠然と流れ続けていきます。


これらのモルダウ川の風景を、場面ごとに三中は見事に演奏しました。





夏の思い出

2018年08月01日 18時38分50秒 | 教育・子育てあれこれ



8月に入りました。夏休みに入り、10日以上がたちました。夏休み本番です。

さて、夏休みというと、私は高校生の時、夏休みに友だち3人と四国徳島県の海部(かいふ)という所へ泊まりに行ったことがあります。

その場所は、友だちの田舎でした。

当時は、まだ本州と四国を結ぶ橋がなかった頃です。

和歌山まで電車で行き、和歌山港から船に乗り、徳島へ渡りました。

それから、電車に乗り、徳島県の山奥にまでたどり着きました。

そこで一泊させてもらいました。

家の前には、海部川という川が流れていて、河原が広がっていたのを覚えています。

私は、田舎育ちでしたから、川で泳ぐのは慣れていました。

驚かれるかもしれませんが、私は小学生のとき、学校にはまだプールがなく、町内を流れる川を大人が土嚢袋を積み、堰き止め、たまった水の「プール」で、夏休みには泳いでいました。

ですから、川で泳ぐのは慣れていました。

そんな私が徳島の海部川で遊んでいた時のことです。

その川は、とても深く、おそらく3メートルほどの水深がありました。

川底近くには、大きな魚が泳いでいるのが、水中メガネで見えました。

私が岩の上で休憩していると、友だちが突然溺れ始め、「助けてくれ!」と叫びました。

私は川に飛び込み、友だちのところまで泳ぎつきました。

すると、彼は私の首にしがみつき、私は友だちと一緒に水中に沈み始めました。

この時、私も友だちもバタバタともがきながら、「もうダメだ」と、私は死を覚悟しました。

しかし気がつくと、幸運にも、水の流れが強く、私たちは浅瀬に流されていたのでした。

足が着くことがわかったとき、「助かった」と思いました。

私は油断していました。小さいときから、川で泳ぐのは慣れていたので、海部川も同じと思っていたのでした。

でも、私がふだん泳いでいたのは、もっと浅い川だったのです。

深くて、流れの強い川の怖さを知らなかったのでした。

ことわざにあります。

「泳ぎ上手は川で死ぬ」。

自分の力を過信してはいけません。

このことを思い知った17歳のときの、ちょっとほろ苦い夏の思い出です。