箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

過保護にご注意

2018年08月18日 10時18分02秒 | 教育・子育てあれこれ



子育てにおいて、いわゆる「過保護」かどうかは気になるところです。

お子さんが中学生の場合、親が子どもをかまい過ぎると、自立しにくくなります。

次にあげる項目は、中学生への子育てが過保護かどうかを判断する一応の目安になります。

小学生の場合なら、項目のほとんどが当てはまっても、過保護だとはいえません。

でも、中学生なら、親は子どもへの手のかけ方を変えなければなりません。

🔹子どもは、我慢ができない子である。

👉子どもか思い通りにならないことに耐えられないということは、親が手をかけすぎているということです。

🔹子どもは、ものを大切にしない。

👉これは、親が常に子どもに必要なものを買い与えているからです。持ち物がどこかにいっても、親が揃えてきたから、となります。

🔹子どものケータイを、親がいつもチェックしている。

👉子どもが了解しているのなら問題はありませんが、了解していないなら、親には隠しておきたいことを書いているかもしれません。
大人に隠しごとをするのも、中学生なら成長に必要な場合もあります。

🔹子どもがこれからしようと考えていることは、たいてい予想がつく。

👉親の期待通りに子どもが考えたり、行動することが常になっています。

🔹子どもの持ち物が、一つでも増えたり、減ったりすると、気がつく。

👉親が子どもの行動を管理しすぎです。また、子どもへの関心が高すぎるのです。

🔹子どもが生まれてから、ずっと自分の欲しいものを我慢している。

👉倹約は悪いことではないですが、ずっと子どもに我慢させ、それが本人の負担になっているなら、これも保護しすぎと考えられます。


過保護かどうかを判断するのに、もちろん、これだけの基準で十分ということはありません。

また、上の基準に一つでもあてはまれば、過保護だといえるものでもありません。

しかし、かなりたくさんあてはまるなら、中学生であるわが子への接し方を変えていくことも必要になります。

反抗期はトレーニングの時期

2018年08月17日 15時10分36秒 | 教育・子育てあれこれ


中学生になると、行動する範囲か広まります。人間関係も、広がります。

様々な面で、親を超えることもあります。

野球は、お父さんよりうまくなる。

小さな頃からピアノの発表会についていったお母さんよりうまく弾けるようになる、

体格や身長も親と同じくらいになる。

口がたつようになり、子どもの主張に親が言い返せなくなることもある。

ファッションも、自分の着たいものを着るようになる。

これらに伴って、自主性か育ってきます。

そのとき、おとなや親に反対されると反抗することがあります。

自主性とは、自分は一人でできる。だから自由が許されるという感覚に基づいています。

それは、今まで自分を認めてもらったという体験と実感から生まれています。

だから、自主性の芽生えは、子どもが順調に育ってきているからこそ起こると言えます。

思春期の子育ては、この自主性を大切にしながらも、中学生という年齢にふさわしい程度に収めていくことが必要になります。



「親だから許してくれる」という、ある意味の甘えを抱きながらも、「いつも親が正しいとは限らない」とも思います。

人間関係の広がりとともに、さまざまなおとなに出会い、ちがう価値観に触れ、自分のなかに取り込んでいきます。

そんなとき、自己主張は、親の意思に反する場合でも、自立のためには必要です。

自分が正しいと思うことを主張できることは、社会に出てからでも必要です。

それでうまくいかなければ、修正して折り合いをつけていくのです。

この考えに立ったとき、反抗期というのは、親を相手に社会へ出るトレーニングをしている時期であると言えます。

反抗期は、すぐに「はい」と言わない、扱いにくい時期ではありますが、子どもの自立のためには、どうしてもくぐらなければならない時期でもあります。

扱いにくい面もありますが、自主性が芽生えた中学生は、自分で考え、「こうするよ」と決めて行動します。

そのたくましさは、中学校の教師なら実感する機会がしばしばあります。

むしろ、おとなに反抗せず、何でもおとなの言う通りにする中学生の方が、将来を考えたとき、心配になります。

感情を動かす対価

2018年08月16日 18時12分51秒 | 教育・子育てあれこれ



人の感情を大きく動かす人は、仕事としての対価で多額の報酬を得ます。

プロのスポーツ選手は、その代表です。

今回のサッカーワールドカップの、観客の興奮を考えてみましょう。

叫んで絶叫する人がいました。

泣きだす人がいました。

見ず知らずの人どうしが、抱き合っていました。

怒涛のごとき、歓喜と感動のウエーブが、競技場を覆い、スタジオに渦巻きました。

あれほど観る人の感情を動かし、大きな喜びを与えるからこそ、プロなのです。

そして、多額の報酬を得るのです。

プロスポーツの選手の現役期間は短いので、大きな年俸を手にするというだけではないのです。

スポーツ選手だけではありません。

音楽家、アーティスト、俳優などは、多くの人々の感情を動かして、感動をもたらすので、その対価として莫大な報酬を得るのかもしれません。

学校の教師も、人の感情を動かすことがあります。

私など、生徒に話すとき、その話の内容によっては、胸がいっぱいなり、涙声になることもあります。

話によっては、生徒の感情を動かすときもあるようです。

でも、莫大な報酬をもらうわけではありません。

それでも、かまいません。

一人でも「校長の話グッときたわ」という三中の子がいれば、報酬よりも無限大のモチベーションを得られるからです。

(続)人と自然の共生

2018年08月15日 11時05分02秒 | 教育・子育てあれこれ



昨日に続き、人と自然の共生について、書きます。

日本でいちばん最初に世界自然遺産に登録されたのは、白神山地と屋久島です。

白神山地には、東アジア最大の原生ブナ林が広がります。
屋久島は、古くから人々が海や山の恩恵を受けながら、自然と共生してきた島です。

1993年に制定された「屋久島憲章」には、次のように謳われています。

「屋久杉を象徴する森厳な大自然に抱かれ、神々に頭をたれ、流れに身を浄め大海の恵みに日々を委ねて人々が生きてきた島。
近世森林の保全と活用で人々が苦しみ葛藤した島。
物質文明の荒波をようように免れた島である。
したがって、歴史と伝統を大切にし、自然資源と環境の恵みを活かし、その価値を損なうことのない、永続できる島づくりを進める」


樹齢数千年と言われる屋久杉を見に、多くの観光客が訪れますが、屋久島では、この憲章の理念を尊重して、さまざまな配慮や工夫がなされています。

人々の生活を維持して開発することと、自然保護の調和が、いまの時代、強く求められています。


人と自然の共生

2018年08月14日 11時26分27秒 | 教育・子育てあれこれ




今までは、めったに人里では見かけなかった動物を、「ふつう」に見るようになり、久しくなりました。

私の家の周りでは、夜になると家のすぐ横をイノシシが出歩いています。

野菜を食い荒らします。

朝には、鹿が出てきます。

鹿は、人里に生えている木の柔らかい葉を好んで食べます。

日本全国に似たような現象が見られます。

このように、動物が人里に現れるようになった理由は、いろいろと言われています。

一つは、山中に食べ物がなくなったから。

二つめには、人の活動範囲が拡大して、住処を失ったから。

三つめには、個体数が増えたから。

ほかにも、理由が言われていて、説得力のある説明は、山と里の区別がなくなったからという考えです。

今までは里に荒地はなく、きれいに草や樹木が刈られており、山と人里の区別がはっきりしていました。

ですから、山から出てきた動物も「ここから先は入ったらダメ」という「仁義」がありました。

しかし、いまや、日本全国で過疎化、農家の高齢化が進み、荒地が増え、動物もどこまでが山で、どこからが人里かの区別がつかなくなりました。だから、人里に動物が出没します。

事実、滋賀県のある地域で、荒地の草刈り、伸び放題になった樹木の伐採をして、整地をしたら動物が出なくなったという報告があります。

そういえば、私の家の周りも、地主さんが農地を放置しています。

生まれてずっと田舎に住んでいる私としては、最近の環境の変化に、危機感をもっています。

人と自然が適度に折り合いをつけて生活し、資源や自然の恵みをわかちうという国や自治体の展望がなければならないと考えます。

その実現の担い手となるのは、やはり人です。

三中生のなかにも、将来は、地球規模で自然との共生を志向して、田舎で生きる人材になる人が必要ですし、そういった活動に従事する人が出るかもしれません。

あるいは、田舎に住まなくとも、緑や生物の役割を意識して、都市特有の生態系への理解を深め、住みよいまちづくりに取り組む人が出るかもしれません。

自然と共に生きためには、まずは自然の理(ことわり)を理解して、自然を愛して、自然を正しく畏れることが大切です。

また、自然の恵みは、自分一人のものではなく、人と人の関係の中で、恩恵を受けるものです。

自然は、いくら科学が発達しても、人工知能が優れていても、人間の思いどおりにコントロールすることはできません。

私たちは、大自然の力の大きさを、東北地震にしてもしかり、今年の大阪北部地震にしてもしかり、台風による水害にしても、今夏の異常ともいる暑さを通して思い知らされています。

人と自然がどう共生していくか、私たち一人ひとりに対して、自然がつきつける課題であると、私は最近、強く思うのです。

美しい言葉をつかう

2018年08月13日 09時14分25秒 | 教育・子育てあれこれ




授業をするとき、私は「〜です」とていねいな言葉を使うように心がけて、実践してきました。

友だちに使うような言葉は、授業で使うには望ましくないです。また、きたない言葉を生徒に使うのもよくありません。


ところで、人は、加齢とともに、その美貌は劣化していくのが普通です。

しかし、60歳近くになっても、美貌を維持している女性がいました。

「美しさを保つために、ふだんから心がけていることは何ですか?」と問われ、その女性は答えました。

「そうね・・・。できるだけ美しい言葉しか、口にしないようにしているわ」


ありがとう。
素敵ですね。
素晴らしいわ。
がんばってね。

このような言葉が、美しい言葉です。


また、彼女は、次の言葉も残しています。

「忘れないでください。
歳をとったら、自分には『二つの手』があるのです。
一つは自分を助ける手。もう一つは他人を助ける手です」

自分のためだけでなく、誰かのために生きている人は、優しさと強さを持っています。

この女性とは、オードリー・ヘップバーンです。

教員というのは、ある意味で、他人を助ける機会が多い仕事です。

教員こそは、美しい言葉をつかう方がいいというのが、私の考えです。

生徒から意欲をもらうのが教師

2018年08月12日 11時16分23秒 | 教育・子育てあれこれ


仕事に意欲やモチベーションは、大切です。

教職も同じです。

教職員が、イキイキとしている学校は、生徒にとってぜったいに必要です。

ですから、意欲のある教職員が多い三中にしたいと、私は思っています。

では、教職員の意欲やモチベーションはどのように生まれるのでしょうか。

校長が、教育活動の質を高め、効果的に行われるように、教職員に命令したり指示をしたりすることは、もちろんあります。

でも、ただ一つ言えること。それは教職員の意欲やモチベーションは、校長の命令や指示で生み出せるものではないということです。

組織で働いている以上、上司の役割は大きいものです。

しかし、命令や指示のないところにこそ、やりがいは潜んでいるものです。

とくに、生徒と日々向き合う仕事は、生徒の屈託のない笑顔や中学生のひたむきさに触れると、一気にボルテージが上がり、意欲が高まります。

私は、先般7月に1年生のいくつかのクラスに行き、教卓のところで、話をしました。

全員が顔をあげ、目と目があいます。

大勢の生徒たちと向き合うと、子どもの活気やエネルギーを自分が吸い込み、みるみるうちに自分の中に蓄えられていくことを、いつものことながら自覚しました。

これが教職の醍醐味です。教職の場合、生徒から意欲をもらい、モチベーションを高めるのが教師が教師たる所以です。

対話はスタートしている

2018年08月11日 15時46分34秒 | 教育・子育てあれこれ



校長室で仕事をしていると、「校長先生、少しいいですか・・・」と、教職員が相談にきます。

そのとき、私はやっている作業をすぐに止め、たとえば、パソコンから手を離し、その人と対面して、話を聞くようにしています。

私が教員だったころ、同じように話しかけたとき、顔もあわせず、何か書き物をしていた校長がいました。

「感じわるー」と思いました。

だから、教職員が離しかけてきたら、私はすぐに顔をあげるようにしています。


ある親子の風景です。

学校から帰ってきた小学1年生の息子。

いつものように、学校であった話をお母さんに報告し始めました。

しかし、お母さんはパソコンに向かったまま、気のない返事を繰り返していました。

すると・・・。

お母さんのそんなつれない態度に怒った息子が突然、お母さんにいいます。

「いまボクが、世界でいちばん大事なこと、しゃべってるかもしれへんで!」

こう息子に言われたお母さんは、ハッとして、自分の態度をおおいに反省したそうです。

じつは、「あの、少しいいですか・・・」や「ちょっと聞いて・・・」から、もう対話はスタートしているのですね。

「危険空域」に入ろうとする中学生

2018年08月10日 11時40分09秒 | 教育・子育てあれこれ




中学生になると、小学生のときとくらべ親から離れ、自分一人で行動する時間、一人でやらなくてはいけないことが一挙に増えます。

宿題は自分一人ですることが基本になります。友だち関係も自分でつくり、仲たがいをしたら仲直りをすることも自分の力でやらなくてはなりません。

しかし、困ったときは、お母さんやお父さんに聞くことができます。親は困ったら助けてくれるし、手伝ってくれます。

楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、腹が立ったことなど、いろいろな話も聞いてくれます。

一方で、中学生になると、自分一人で行動することが増えるぶん、自由を求める気持ちや新たなことにチャレンジしたいという願いも高まってきます。

このとき、何かあれば自分を助けてくれる人がいるからこそ、いざとなればその人のもとへ戻れるからこそ、自由に新たなことにチャレンジしたいと思えるのです。

その意味で、親は子どもにとっては、「空母」のようなものです。

しかし、その空母は、飛び立つ航空機の飛行範囲を無制限に認めているのではありません。

「危険空域」に行ってはいけない、危険な飛行をしてはいけない、空母は飛行エリアを定めてくれます。

そのエリア設定により、航空機は危険にさらされることはないのです。

子どもは、親の言うことを守っていれば安全でいられる、ということを学びます。

小学生の中ほどまでは、「これをやったら、母は、父はどう思うだろうか」ということが、子どもの内的行動基準として定着します。

しかし、思春期の中学生は、親が反対することもあえてやろうとします。これは親が定めたエリアから飛び出すという行動です。

しかし、エリアからははみ出すが、いざ戻ろうとすれば空母に戻ればいい。

それをたよりに、自分で考え、自分で行動する。さらに、自分で責任を負う。これが、自立のために必要なことです。

カバンに詰め込むもの

2018年08月09日 12時31分10秒 | 教育・子育てあれこれ



いまでこそ、三中の通学カバンは自由になり、現在、生徒がいちばんよく使っているのが、いわゆるリュックサック型のものです。

しかし、いまから30年前に、中学校が荒れていた頃は、服装の校則はもっと厳しく、カバンも学校指定のものでした。

そのカバンには、中学校名が書かれていました。

さて、中学生は、この約30年間で、通学カバンの変遷があるのですが、小学生の場合は、最近は少し変わってきたとはいえ、王道はやはりランドセルです。

ランドセルの歴史は、江戸幕末に輸入され、軍隊で使われた布製の背嚢にさかのぼります。

その背嚢がオランダ語で「ランセル」とよばれたことから、「ランドセル」という言葉が生まれたということです。

当初は高級品だったランドセルが、一般にひろがったのは昭和30年代と言われ、色は黒一色から赤色、その他の色もチラホラ出てきました。

私は親から、その当時には珍しい茶色というか、金色に近い茶色のランドセルを買い与えられました。

大きなランドセルで、私以外の小1のクラスメートは、みんな黒か赤でした。

一人だけ違う色でしたので、友だちからいじめられました。

なおかつ、小さい体にはとても重く、教科書をいっぱい入れて、集団下校で急な坂道を下っていると、後ろから重みがかかり、ヨタヨタ、ズデーンと、頭から地面に転び、おでこをすりむきました。

ということで、私自身はランドセルにいい思い出はありません。

ある調査では、いまランドセルが重いと思う小学生は7割ほどいるとか。いちばん荷物の多い日のランドセルの重さは、平均4.45キロ、最高は11キロという結果が出ました。

ジャンプをしないと背負えない、月曜日は重いので泣きながら帰ったこともあるという声もありました。

最近は、教科書も大判になっていますし、20年前にくらべ、ページ数も増えています。サイズも一回り大きなフラットファイルが入るように大型化されてきました。

中学校の教員からみれば、もう少し軽くしたらと思いますが、じつは中学校のリュックサックはランドセルよりはるかに大型化して重いのです。

子どもは、親の、祖父母のそして周囲の期待を詰め込み、晴れた日も、雨の日も、カバンを毎日背負って学校にやってくるのです。

国は人にあらず

2018年08月08日 13時00分08秒 | 教育・子育てあれこれ




タイタニック号沈没事故は、広く知られており、みなさんご存知です。

私は学生の頃、マンガで読みました。

その後、映画にもなり、ロングランを続けました。


そして、教員になってからは、研修会で、タイタニック号の船長の発言について、興味深い話を聞きました。

船が沈むとなり、船長は乗客に海に飛び込むように言いたい。

どう説得するか。国によって、言い方を変えました。


アメリカ人に対しては、「あなたは飛び込めば英雄(ヒーロー)になれます」

イギリス人に対しては、「紳士なら、飛び込めるはずです」

ドイツ人に対しては、「あなたは飛び込まなければならない。それがルールです」

イタリア人に対しては、「飛び込めば、多くの女性から、あなたは愛されます」

日本人がもしいたら、「ほかの人はみんな飛び込んでいますよ」と言うだろうというジョークです。

このジョークを聞いて、その時は私は、「うまく国民性を表しているな」と思いました。



しかし、いまは少し考えが変わってきました。

三中生にも話したことがあります。


「ブラジル人なら、サッカーができるんでしょう」

「中国から来たのなら、中国語を話してみて」

「韓国人なのに、日本語が上手ですね」

私たちが、ふだんの会話で、無意識のうちに何気なく使う言い方が、相手を傷つけていることがあります。

これを、マイクロアグレッションといいます。

国によって、人をひとくくりにすることは、今の時代にはあいません。

国は人ではありません。人は多様で、一人ひとりちがっています。

まして、グローバル化が進む今日、一つの国にはさまざまな人が住み、移動します。

ブラジル人だからといって、みんながサッカーがうまいのではありません。

中国から来たからといって、みんなが中国語を話すわけではない。

このような、固定的な見方は偏見につながる場合があり、言われた側はときとして傷つくことがあることに、私たちはもっと敏感になりたいものです。

夫婦の共通体験

2018年08月07日 12時22分47秒 | 教育・子育てあれこれ




夫婦は、考えみればもともと他人です。

生まれた場所も、育ちもちがう者どうしが、縁あって二人で暮らすことになったのです。

二人が一緒に暮らしていくためには、極端にいえば、すり合わせか妥協するかのどちらかしかないのだと、私は思います。

命が果てる前に、「あなたと結婚してよかった」とつぶやけるように、すり合わせと妥協を重ね、共同作業に励みます。

「大丈夫?」 「ありがとう」 「悪かったね」という言葉を重ねていき、他人どうしが離れられない関係になっていきます。

くわえて、さらに大切なことは、夫婦が共通の体験をもつことでしょう。

同じ時間、同じ場所、同じ空間で、同じ体験をすることが、二人の結びつきを強くします。

同じところへ行き、同じものを見て、同じものを食べ、「よかったね」「おいしかったな」「きれいだった」と語り合うことを二人で増やしていくのです。

夫婦に子どもがいるなら、そんな両親(夫婦)の仲のよさが、子どもにとっては、最大の安心と安らぎとなります。

脱皮するとは

2018年08月06日 19時22分24秒 | 教育・子育てあれこれ


いまでは、ほとんど見かけなくなりましたが、今の時期、私は家の周りでは、子どものころよく蛇を見かけました。

そして、ときどき、蛇が脱皮して脱ぎ捨てた皮を石垣に見つけました。

その皮をサイフの中に入れておくと、金運がつきお金が貯まるなどと言われていました。私はしたことはありませんが。

さて、蛇の脱け殻の話は、哲学に飛びますが、ニーチェが関係します。

ニーチェは、ドイツの哲学者です。

彼は、言いました。


「脱皮できない蛇は滅びる。
その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。」

The snake which cannot cast its skin has to die.
As well the minds which are prevented from changing their opinions; they cease to be mind
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脱皮するには怖さが伴なうのがふつうです。

新しい自分になるということは、これまで身につけてきた愛着のある「暖かい衣」を捨てることになるからです。

ですから、大多数の人は、脱皮をためらいます。

それでも、人は進化するためには、今までの自分と決別しなければならないのです。

人は現状に満足した時点で成長や進化は止まります。

商売に成功したら、「もっと、もうけたい」と思う。

たくさんお客さんが来るようになっても、「もっとお客さんに来てほしい」と努力する。

学級担任もいまのクラスに満足するのでなく、「もっといいクラスにしたい」と、さらなるクラスづくりに励む。

中学生にしてもしかり。

テストで、いまの点数で満足するのでなく、もっといい点を取りたいと、さらに学習に精を出す。

部活で、ベストプレイヤー賞をもらっても、「もっとうまくなりたい」と願い、練習をする。

それには、本人に「新しい自分になりたい」とかという強い意思が求められます。



本日、剣道の大会に行きました。

個人戦の決勝戦は、圧巻の集中力を中学生が見せていました。

審判の「はじめ!」の合図とともに、猛烈な勢いで「技あり」をとります。

凄まじい集中度でした。「決勝まだ来たのなら、ここで満足はしない。ぜったい優勝する」という強い意志と覚悟を、私は感じました。

脱皮というものは、強い気持ちや決意が必要なのだと、あらためて思いました。




ダブルスでは、一人では出せない力がを出せる

2018年08月05日 16時45分24秒 | 教育・子育てあれこれ




今日は、バドミントン部の池田箕面豊能郡大会が、箕面三中を会場に行われました。

午前中は団体戦、午後からはダブルスとシングルスで対戦しました。

三中体育館ギャラリーは、いっぱいの応援者で埋まっていました。

さすがに、3年生ともなると、ラケットを振る強さは鋭いものです。


さて、昨日は卓球でしたが、今日はバドミントンの話題をとりあげます。

バドミントン選手だった潮田玲子さんは、2012年に現役を引退しています。

彼女は現役時代に、ダブルスについてのインタビューで、次のように語っています。

ダブルスの魅力とは、ペアの呼吸やリズムがぴったり合う心地よさで、それが合うと、自分一人じゃ出せない力が湧いてきます。

潮田さんは小椋さんと組んで初めて、このとに気づいたそうです。

また、次のことも言っています。

「相方がミスをしたときは、責めるよりも『かばえなかった自分が悪い」と思うんですよ。
オグッチがミスしたとき、向こうは申し訳なささそうに謝るんですが、私もまた『カバーできなくてゴメン』って心から思う。
二人だけど一つ、という感覚なんです。」

こういうのが、ダブルスを組む、お互いの感覚なんだと思います。


また、アスリートには「ゾーン」という究極の集中状態を体験するときがあると言われていますが、潮田選手もそれを経験したことがあるそうです。

ペア解消が決まって、オグシオとして出る最後の大会のときでした。

決勝の相手はスエマニの二人でした。

第2ゲームで、オグシオペアは、15対19で劣勢でしたが、突然、まわりから音が消えました。

観客席からの歓声も聞こえず、まるで映画のワンシーンみたいな静寂に包まれました。

そして対戦相手の動きがスローモーションのようにゆっくり見えはじめました。

その不思議な感覚のまま、6ポイントを連取して、逆転勝ちをおさめたのでした。

中学生には、まだ「ゾーン」という集中状態に達することはないでしょうが、プロのアスリートのなかには、この領域に達する人がいるのだと、私は思います。

最後に、潮田さんは「勝負とは、逃げずに向き合うものだ」という言葉も残しています。










自分で考え、最良をきめる

2018年08月04日 18時09分34秒 | 教育・子育てあれこれ





本日は、箕面三中でバスケットボー部、箕面一中で卓球部の池田箕面豊能郡大会が開催されました。

両部とも、3年生には引退戦となります。

バスケットボール部男子は、渋谷中学校を相手に、終始リードしながら試合を進めました。

リバウンドをよくとり、こぼれたボールをとり、シュートにつなげるか、攻撃への切り替えがスムーズでした。

また、攻めるときの味方のプレイヤーがよく見えており、確実にパスをつなぎ、シュートまでもっていきました。


さて、今日は卓球の話題を提供します。

卓球の平野美宇選手は今18歳で、2歳ずつ歳の離れた二人の妹がいます。

3人とも卓球をしているという、卓球一家のモットーは、「自分のことは自分でやる」ことです。

幼い頃から、外に出かけるときは、おむつなどを入れたリュックを自分で背負いました。

遠征に行くようになると、一人で荷づくりをしました。

傷んだラバーの張り替えも、3人は自分でやりました。




食卓は、みんなで楽しく囲みます。そこでも、自分でやるといううモットーは変わりません。

夕食のおかずが春巻なら、母は具材の下ごしらえだけして、あとはみんなで皮を巻きます。食卓では、子どもたちが電気フライヤーで揚げ、みんなの分をお皿に配ります。

こうすることで、温度を何度にすれば焦げずにおいしくできあがるか、次の準備をいつすればいいのか、と自ら考える力も、3人に自然と身につきました。

失敗しても、次はこうしようというアイデアを出し合えます。

お母さんが頑張ることも大事ですが、「作る過程を楽しむことは、人生を一緒に楽しむことでないかと思います」と美宇さんの母は言います。

それは、瞬時に判断を求められる卓球のプレイでも、「自分で考えて最良の方法をきめる」力を美宇さんに養わせる結果となりました。

美宇さんは、5歳だった2005年に、卓球で注目を浴びるようになりました。

福原愛選手以来の「天才少女」と言われ、TV番組にもたびたび出演しました。

母には、美宇さんが「てんぐ」にならないかと、心配がありました。

そこで、母は言い聞かせました。

「美宇は卓球が強いから優遇されているんじゃないよ。何でも一生懸命がんばるから、みんなが協力してくれるんだよ」

平野選手が出場する試合は、ほとんど母は応援に駆けつけます。

その間の食事の用意や洗濯は、妹2人が引き受けます。

あるとき、「家族もたいへんだと思うのに、私のことを一生懸命、応援してくれることに感謝している」という美宇さんの言葉がありました。

母は、謙虚でいる美宇さんの言葉がうれしかったということです。


(本文は、『毎日新聞』2018年8月2日号の「くらしナビ ライフスタイル」の「親ありて」の一部を抜粋して掲載しました。)