緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

厳冬の霞が関:最高裁判所と国立劇場、半蔵門周辺の散策 PART2

2014年02月07日 20時00分00秒 | 皇居周辺・城西


「国立劇場」の敷地内を少し散策していきます。国立劇場は独立行政法人日本芸術文化振興会が運営していて、日本の伝統芸能を上演するほか、伝承者の養成や調査研究も行っています。



三宅坂前から撮影した国立劇場の全景です。黒色を基調とした、校倉造を模した外観の建物となっています。




国立劇場は、歌舞伎・日本舞踊・演劇が演じられる「大劇場」、文楽・邦楽・日本舞踊(小規模公演)・雅楽・声明・民俗芸能が演じられる「小劇場」、落語・漫才などが演じられる「演芸場」の3つの建物群で構成されています。




正面に写っている巨大な建物が「大劇場」です。大劇場周辺まで歩いていきます。




国立劇場の正門ロータリー周辺には散策道が整備されていて、まるで緑地帯の中を歩いているようですね。




国立劇場の「大劇場」前にやってきました。正門前にはロータリーや観光バス乗り場が整備されています。国立劇場の設置構想は明治時代から存在していたのですが、実際に造られるのは戦後になってからです。




第二次世界大戦後、文化財保護委員会(文部省の外局)に芸術施設調査研究協議会が設置され、同協議会の答申(1956年)に基づき、国立劇場の計画が具体化しました。




国立劇場の敷地内には、立派な黒松の木々が多く植えられています。奈良の正倉院を思わせる校倉造風の外観の国立劇場の建物は1966年(昭和41年)の10月に竣工しました。




日本全国に国立劇場は、国立能楽堂(東京都渋谷区千駄ヶ谷)、新国立劇場(東京都渋谷区初台の東京オペラシティ)、国立文楽劇場(大阪府大阪市日本橋)、国立劇場おきなわ(沖縄県浦添市)の4か所があります。




国立劇場の敷地内を出て、再び三宅坂を歩いて半蔵門へ向かいます。




国道20号線(甲州街道)を横断して、皇居寄りの歩道へやってきました。歩道からは皇居の緑地帯や、桜田濠の水面を見渡すことが出来ます。




三宅坂の坂下方向をズームで撮影しました。低地に広がっている霞が関の中央省庁街のビル群が広がっています。




しばらく道なりに歩くと、桜田濠の水面の北端部が見えてきました。内堀を分断するように、高さ50メートルくらいの巨大な土堤が見えてきました。




土堤の上に設置されているのが皇居「半蔵門」です。この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされてきました。




現在は吹上御苑と呼ばれ、御所(今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が田植えをする水田などがあります。




半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説があります。この緑地帯の中に、両陛下がお住まいの御所が建っています。




半蔵門前に到着しました。これで厳冬の時期の霞が関や隼町の散策は終わりです。



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厳冬の霞が関:最高裁判所と国立劇場、半蔵門周辺の散策 PART1

2014年02月07日 08時00分00秒 | 皇居周辺・城西


最高裁判所や国立劇場などの施設が密集している隼町(はやぶさちょう)地区を散策していきます。日本において司法権を担当する国の最高機関「最高裁判所」周辺をウロウロしていきます。




三宅坂を見下ろす位置に建っている最高裁判所、地上5階・地下2階建ての鉄筋コンクリート製の建物で、1974年(昭和49年)の3月に竣工しました。三宅坂交差点前には、ちょっとした広場が整備されています。




最高裁判所の敷地は、麹町周辺の住宅密集地の高台から皇居の桜田濠の低地にかけて広がっている緩やかな斜面上に設置されています。最高裁判所前の通りも三宅坂の一部となっています。




最高裁判所の敷地は、江戸時代に三河田原藩の上屋敷があった場所です。河田原藩三宅家の藩士の息子として、寛政5年(1793年)に上屋敷内の長屋で生まれた渡辺崋山は文人画家として、また蘭学者として有名です。




「渡邉崋山生誕の地」の記念碑前から振り返って、三宅坂の坂下方向を撮影しました。




違憲審査制における法令審査権を持ち、法令審査に関する終審裁判所「憲法の番人」とも呼ばれている最高裁判所が設置されたのは日本国憲法が制定された戦後、1947年(昭和22年)のことです。




最高裁判所の敷地内には黒松の木々やケヤキ並木などで覆われていて、敷地外の三宅坂の歩道部分にはソメイヨシノの桜や、イチョウ並木の木々が多く植えられています。




では戦前の日本の裁判制度はどうなっていたかと言うと、明治維新後に終審の司法裁判所として「大審院」という組織が存在し、この大審院の下に、控訴院・地方裁判所・区裁判所が設置されていました。当時の日本の憲法は、大日本帝国憲法です。




最高裁判所の正門前にやってきました。この日は休日だったので正門は閉鎖されていて、常駐している制服警察官の人たちの姿もありませんでした。




日本の行政の中枢は「霞が関」、政治の中枢は「永田町」とその地名が有名になるケースが多いですが、この最高裁判所はその所在地である「隼町(はやぶさちょう)」と呼称されることは少ないですね。




最高裁判所の正門前から振り返って皇居方向を撮影しました。三宅坂の国道20号線(甲州街道)の緩やかな上り坂の奥には、皇居の緑地帯が広がっています。




三宅坂の緩やかな上り坂を歩いて、国立劇場前へ向かいます。この日の三宅坂の交通量は非常に少なかったです。




皇居ランナーの人たちも、三宅坂の緩やかな下り坂を軽快に走っていきました。




最高裁判所の敷地の北側にある「国立劇場」の敷地が見えてきました。「隼町」は江戸時代を通して武家地でした。三宅坂の由来となっている田原藩三宅家上屋敷は渡辺崋山が生まれ住んだ所としても知られています。




「隼町(はやぶさちょう)」の地名の由来は、徳川家康の江戸入府当初、鷹匠屋敷があったことによります。




歌舞伎・日本舞踊・演劇などの日本の伝統芸能の総本山である「国立劇場」です。国立劇場の敷地内をウロウロしていきます。



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