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「国立劇場」の敷地内を少し散策していきます。国立劇場は独立行政法人日本芸術文化振興会が運営していて、日本の伝統芸能を上演するほか、伝承者の養成や調査研究も行っています。
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三宅坂前から撮影した国立劇場の全景です。黒色を基調とした、校倉造を模した外観の建物となっています。
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国立劇場は、歌舞伎・日本舞踊・演劇が演じられる「大劇場」、文楽・邦楽・日本舞踊(小規模公演)・雅楽・声明・民俗芸能が演じられる「小劇場」、落語・漫才などが演じられる「演芸場」の3つの建物群で構成されています。
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正面に写っている巨大な建物が「大劇場」です。大劇場周辺まで歩いていきます。
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国立劇場の正門ロータリー周辺には散策道が整備されていて、まるで緑地帯の中を歩いているようですね。
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国立劇場の「大劇場」前にやってきました。正門前にはロータリーや観光バス乗り場が整備されています。国立劇場の設置構想は明治時代から存在していたのですが、実際に造られるのは戦後になってからです。
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第二次世界大戦後、文化財保護委員会(文部省の外局)に芸術施設調査研究協議会が設置され、同協議会の答申(1956年)に基づき、国立劇場の計画が具体化しました。
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国立劇場の敷地内には、立派な黒松の木々が多く植えられています。奈良の正倉院を思わせる校倉造風の外観の国立劇場の建物は1966年(昭和41年)の10月に竣工しました。
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日本全国に国立劇場は、国立能楽堂(東京都渋谷区千駄ヶ谷)、新国立劇場(東京都渋谷区初台の東京オペラシティ)、国立文楽劇場(大阪府大阪市日本橋)、国立劇場おきなわ(沖縄県浦添市)の4か所があります。
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国立劇場の敷地内を出て、再び三宅坂を歩いて半蔵門へ向かいます。
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国道20号線(甲州街道)を横断して、皇居寄りの歩道へやってきました。歩道からは皇居の緑地帯や、桜田濠の水面を見渡すことが出来ます。
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三宅坂の坂下方向をズームで撮影しました。低地に広がっている霞が関の中央省庁街のビル群が広がっています。
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しばらく道なりに歩くと、桜田濠の水面の北端部が見えてきました。内堀を分断するように、高さ50メートルくらいの巨大な土堤が見えてきました。
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土堤の上に設置されているのが皇居「半蔵門」です。この門内は、江戸時代には吹上御庭と呼ばれ、隠居した先代将軍や、将軍継嗣などの住居とされてきました。
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現在は吹上御苑と呼ばれ、御所(今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿、生物学御研究所、天皇が田植えをする水田などがあります。
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半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するとする説があります。この緑地帯の中に、両陛下がお住まいの御所が建っています。
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半蔵門前に到着しました。これで厳冬の時期の霞が関や隼町の散策は終わりです。
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