みどりの野原

野原の便り

10月4日 奈良 マレーシアの反省会 奈良町 工場跡

2014年10月04日 | Weblog
マレーシアの反省会?お世話になったお礼会?
子供たちとの都合で今頃になった。
反省会というものの運転手としてもう一人も参加

奈良のレストランでバイキング ヘルシーとはいうもののお腹いっぱい。

この後どうする? 何も考えていません。
工場跡でお茶しよう。 ええ~っ。お腹いぱいやんか。
腹ごなしに町を散策がてら歩いて行くことになった。

 
あっ 古い工場の屋根「昔ユニチカの工場もこんなんやったね。覚えてるわ」と子供たち  右)煙突が見えた。風呂屋好きの娘 正面へ回ってみる。木の下駄箱・傘箱が見えた。

 
ならまち格子の家 初めて入った。 ものが置いてないので広々とした2階

 
私が気に入ったのは 明りとりの高い窓 下からロープで採光と開閉ができる。
  右)大戸 入口を大きく開けたい時は上げてひっかけられるようになっている。
箱階段 煙抜き 中庭 格子 格子 格子 町屋の創意工夫がいっぱいで楽しい。
「ここは上ツ道やで」と街道マニアの子供が教えてくれる。

 
        元興寺 塔跡         右)元興寺本堂跡 
所々に元興寺の”跡”が残りいかに規模の大きい寺院だったかがわかる。戦火で焼けた後、人が住み着き町になったという。

飛鳥寺が平城遷都とともに奈良市に移され元興寺となったが、飛鳥寺ともいい、この辺りも飛鳥と呼ばれ、飛鳥川・飛鳥小学校などの名の元になった。
 
猿沢池へ出るあたりに川の中に「石の船に乗ったお地蔵様」があった。
この川は春日原始林から始まる率川で、ネットによると、このお地蔵さま達は『幕末のころの河川工事の際に見つかった』らしい。
橋を支える石柱に「明和七庚寅八?五月二十日」と刻んだ字が見えた。


桜井から始まった上ツ道はここで終わり。

 
興福寺の南円堂や五重塔を見ながら通り抜け・・

  
「工場跡 事務室」に到着 何のこと? 元は乳酸菌飲料の工場だったところ。
建物は『1925(大正14年)に奈良の宮大工によって立てられた』という。
20年以上もそのままになっていたのを利用して事務室をカフェにされている。
工場跡の雰囲気を残した空間で、部屋も特別飾り立ててはいない。近代建築マニアの娘のお勧めカフェ お茶を飲みながらまたおしゃべり。(金土日祝のみ営業)

 
川の中にシカ 呼んだら近づいてきたが・・ごめんなにもないわ。
               右)道路にシカマーク  奈良らしい。

帰りも歩いてもいいと思ったが「駐車場所の近くまでバスに乗る」という娘達の希望でバスにのった。

駐車場所に着いた頃にはだいぶ暗くなってきた。 
夕焼け空をカラスが2羽ねぐらへ帰る。
コメント
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