みどりの野原

野原の便り

11月20日 名張から山添 夏見廃寺 毛原廃寺 

2015年10月20日 | Weblog
バスの中で今日の行程に関係のある壬申の乱や聖武天皇の彷徨5年のお話を聞きながら、最初の目的地の夏見廃寺に向かう、

夏見廃寺 名張市夏見にあるので夏見廃寺と呼ばれている。
 
飛鳥時代から奈良時代にかけて存在した寺の跡地で、国の史跡になっている。
「薬師寺縁起」に記載のある「大来の皇女が亡き父天武天皇を偲んで建てた昌福寺」ではないかと考えられているが謎の寺。火災で焼失したらしい。
表向き天武天皇を偲んでとのことだが、本当は非業の死をとげた弟大津の皇子を弔う意味もあったのではとの見方もあるらしい。

斜面に金堂跡や講堂跡 見なかったが塔跡や掘立柄の跡もあったようだ。
ゆっくり見る時間がなかった。
空き地にはメリケンカルカヤが生えさみしい。

そばの夏見廃寺展示館へ

        寺の配置の模型   

 
  金箔の跡の残る出土した専仏から再現した金堂内部の壁。


        金堂 創建瓦 

山添村へ。
 
生涯学習施設となっている旧東豊小学校 お弁当を食べ、地元山添に伝わる狂言を目の前で見て楽しむ。
山添村は町村合併を拒否して村として残った。 文化活動も盛んらしい。
田舎の良さを活かして、外国からのお客様も増えて来ているとか。

次の毛原廃寺に向かう。

毛原廃寺   国の史跡
 
金堂跡、中門跡、南門跡、食堂跡などの礎石が残り、塔が外に配置された唐招提寺様式の寺だったらしい。
礎石はすごく大きく、切れ込みなどの細工がある。
奈良時代前期(説明板には後期と書かれていたが)の寺院跡とのこと。
ここも謎の寺で寺名もわかっていない。焼けたのではないらしい。
毛原廃寺で出土した瓦は、先の夏見廃寺の瓦とともに、後で見た岩屋瓦窯(跡)で焼いたものだそうだ。


道路工事の際に見つかったという岩屋瓦窯跡 説明板があった。 


旧春日小学校 講堂 明治の学校建築として奈良県指定文化財になっている素晴らしい建物だった。
ここは波多野公民館・歴史民俗資料館として利用されている。
山添村は山や水に恵まれ、早くから人が住んでいたという。
珍しい押型紋土器の模型?や日本最古の土器 サヌカイトの石器など縄文遺跡(大川遺跡)の展示もあった。
また山添の木材は水運を使って奈良の都にも運びだされていたという。(杣)

帰りに野菜などを買って帰った。 
コメント
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