みどりの野原

野原の便り

7月11日 万葉集 遣新羅使人の歌

2021年07月11日 | Weblog

久しぶりの万葉講座

遣新羅使は日本の政権から新羅に派遣された公式の使節
『記録に明らかな使節は571年(欽明天皇32)以降に限ると、882年(元慶6)まで46回を数える』(資料)
もう少し詳しく知りたいと、ネットを検索。
回数はいくつかの説があるらしい。(入唐しなかったり、中止になったり等)

736年 聖武天皇の時の遣新羅使に関わった人々の歌。
万葉集「巻15」に145首が残っているそうだ。
今日は出発前の贈答歌・家を出て、備中までの歌の話を聞く。

地図の資料によると、平城京を4月24日に出発。徒歩で龍田越え。
難波津を6月1日 舟で瀬戸内海沿いに港で宿泊しながら、九州へ。
海路で壱岐~対馬の竹敷9月10日到着 
そこから海路で新羅へ。すんなりと行けたのだろうか?
何日に新羅へ到着したのか書いてない。

正式な記録はないが、万葉集の歌に残された情報によって、これらの行程がある程度わかったのだそうだ。

「摂播(せっぱん)5泊」という言葉を初めて聞いた。
天気も穏やかで、何事もなければ、摂津から播磨まで5泊で行けるという意味。
汐待ちや嵐や突発のことなど、なかなか予定通りにはいかなかっただろうな。

出かける前に夫婦で交わした歌。家を出て故郷や時に妻をしのび・・
往路にはたくさんの歌が残された。
帰途の歌は5首のみという。

どんな舟で? 何人ぐらいの人が乗っていたのか? なぜ記録が残されなかったのか?

コメント
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