「今日は地蔵盆なので、耳なおし地蔵さんの扉が開いているよ」と教えてもらったので、日本書紀講座終了後、行ってきた。
何回も見に行っているが、そして、隙間からお地蔵さまを覗いたことはあるが、ちゃんと見たことがない。
飛鳥駅から国道を北へ。道沿いに耳なおし地蔵の道標がある。
その奥にある地蔵堂 左の建物では地蔵盆の準備の品などが置いてある。
地蔵盆準備中の地元の方に声をかけて見せていただくつもりだったが、お昼休みでおられなかったが、地蔵堂の扉は開いていた。
地蔵堂も今日は扉が開かれ、提灯も掲げてあり華やかな雰囲気。
さっそく拝観
立派なお地蔵さま
『昔、この「耳なおし地蔵さま」と朝風峠近くにある「朝風(あさかじ)地蔵さま」が喧嘩になり、その時、朝風地蔵さまは肩と鼻を割られ、耳なおし地蔵さまは耳を取られた・・』という民話が伝わっている。
山の中にある朝風地蔵さまも前に見に行ったことがある。
昔話の通り、肩と鼻が削げていた。
そして、耳を取られた地蔵さまは、自分はともかく、人が耳が聞こえなくては困るだろうと思われ、なおしてあげようと思われたらしい。
今日は扉の陰になっているが、奉納された錐(キリ)が見える。
奉納された大小多数の 錐(キリ)(2018.05.23)
奉納されている「錐」を自分の悪い耳にあてて、治して下さいとお願いし、治った時には、新しい「錐」を奉納する。
霊験あらたからしいが、私の場合ちょっと時期を逸したか・・
ネットを見ると、野菜の作り物などが供えられて賑やかな様子。
見てみたいが夜だろうな。
昔は家の近くでも地蔵盆があり、お菓子などもらえるのが楽しみだったなあ。
そういえば、あのお地蔵さままだあるかなあ。地蔵盆もまだ続いているかなあ。
今日も、おもしろ・むつかし日本書紀講座 天武天皇5年9月~
丁寧にすすめてくださるので、うれしい講座です。
記事は、自分の中の整理のつもりです。間違いお許しを。
教えてくださればうれしいです。
宮中の儀式がいくつか記載されている。
告朔(ついたちもうし こくさく)
毎月朔日、天皇が朝堂で役人が進奏する前月の公文書を見る儀式。
有位の文武宮人が、朝庭に多数集まるらしい。
9月の朔(ついたち)は雨で行われなかったとの記述。
「朔」は月の始まる日、そこから月立となり、ついたちと言うようになった。
8月1日は八朔 果物のハッサクの名の由来(旧暦八朔の頃に食べられる)にもなっているというが、実際には食べごろは年明け。 待ちきれなかったのかな?
新嘗、今はもう絶えているという相嘗、などの祭のことも書かれている。
新嘗(「にいなへ」 と読んでいる)
新嘗祭は、新穀(今年取れた初穂)を神にお供えして、天皇も共にこれを食し、収穫を感謝する宮中の祭事
天武天皇5年9月、その新嘗祭に用いる稲・粟を育てる(神聖な)斎田をどこにするか占った。
その占いを「亀卜」という。(元は鹿の肩甲骨で占ったらしい)
亀の甲羅を 波波迦の木(ウワミズザクラ)で焼いて占うと何となく知っていたが・・
背中の甲羅ではなく、腹甲(腹側の甲羅)を使うのだそうだ。初めて聞いた。
腹甲を薄く削り、(将棋の)駒形の板にし、(8枚?)
それに孔をあけ、筋を付けて・・
燃やした 波波迦の木を押し付けて、ヒビの入り方で吉凶や方角を占う。
(火の中に入れるのかと思っていた)
2019年11月の大嘗祭(天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭)で使う新穀を育てる「斎田」)の都道府県を決める「斎田点定の儀」の亀卜に、天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)の 波波迦の木の枝が献上されたと聞く。
昔から続く神事も身近な天香山神社に関係する。
亀卜の話も聞けて良かった。
今は途絶えている「相嘗祭」は新嘗祭に先立って行われる祭事で、「11月の上の卯の日」に行われていたらしい。
大神神社では1日詣り・15日詣りと共に「卯の日詣り」があり、住吉大社でも「卯の日詣り」あると言う。
「卯」の字は、左右に開いた扉をかたどり、万物が冬の門から飛び出すという意味を持つ。
冬が終わって春を迎える、ということから「卯の日」は、特に、月の最初の「卯の日」は縁起のよい日だったのか? 大分理解が不足してます。