みどりの野原

野原の便り

10月28日 日本書記

2022年10月28日 | Weblog

日本書記講座

先ずは、地名の由来のお話から。
時代と共に変化して、今となっては由来がはっきりわからない地名も多い。
あげられた「例」の中から身近な地名の由来。
・大和=山処 山門から。
・奈良=平らにする、ならす。平らに続く丘陵から。
・大和郡山=添下郡の郡家(郡の役所)の所在地から。
・桜井=「さ」は接頭語 鞍のような地形から
・五条=御霊信仰 御霊神社がある。御霊が訛って五条に。
・橿原=樫の木の生えた原っぱ。橿原遺跡からはイチイガシの巨樹の根が出土したとか。
ネットでは傾斜地「かし」+原っぱ の説もあるらしい。
・甘樫丘=樫ではなく、飛鳥川の瀬が曲がっている「まがせ」が訛った。
・八木=矢部 矢作(やはぎ)矢を作る集団の所在地だったことから。
・多武峰=たわんだ峰
・蘇武=遊部という部民の居住地だった。

地名の由来には、異説が複数あることもあるらしい。
又、元は3文字や、1文字だった地名が、奈良時代「好字2字令」の勅令が出て「なるべく良い意味の字」で「2文字に」変えられた地名もある。
先進国中国の唐に倣ったという。
・上家野・下家野から、上野(こうずけ)と下野(しもつけ)に。
・明日香が飛鳥に。
・泉は和泉に。
中には書き写す際、字を写し間違えて今の地名になっていることも・・

さて、日本書記は天武天皇10年(681年)
10月には、新羅の使者が「国の王(文武王)」の死を伝える。
12月には、多数の臣下に位を授けたり、姓を授けたり・・
 大勢の名前が出てくる。
柿本臣猨(かきのもとのおみさる)の名も出る。
柿本氏は孝明天皇の息子の末裔?
柿本人麻呂との関係は?? よくわからなかった。
柿本人麻呂の生涯はよくわかってなくて、渡来人との説もあるらしい。

天武天皇11年(682年)1月18日、天武天皇の夫人(大刀自)氷上夫人が亡くなり、赤穂に葬られた。
赤穂は添上郡、今の高畑町あたり。赤穂神社があるそうだ。

天武天皇の夫人は氷上夫人と五百重娘がいる。
どちらも藤原鎌足の娘だそうだ。

「我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後」天武天皇
「我が岡の龗(おかみ)に言ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ」藤原夫人
この掛け合いが好きだが、ここに出る藤原夫人は「五百重娘」のことらしい。
古代はややこしいなあ。

3月1日 郡山新木に都を造ろうとして、地形を見に行かせた。
3月13日 新字1部44巻(にいなひともとよそあまりよまき)を造らせた。
 これは古語の正確な表記のために制定した辞書のようなものらしい。
3月28日 親王以下の役人に「位冠(クライカブリ)・襅(マヘモ)・褶(ヒラオビ)・脛裳(ハバキモ)は着用禁止。また、膳夫(カシワデ)や采女(ウネメ)の手繦(タスキ)・肩巾(ヒレ)も着てはいけない。
又、「役人たちに賜った食封を返すように」・・と。
何のためにそういう命令を出されたのか?・・これもよくわからなかった。

・・むつかしい・・。

コメント
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