飛鳥駅前にはバスも何台か止まっていて、。ウォーキングか歴史探索か旗を持った集団もいる。観光地風景
飛鳥駅から西へ。
岩屋山古墳 墳丘の上の桜の木のヤドリギ
ヤドリギは好きな木。
以前に撮った写真で確認すると、2016年では何も見えなかったものが、2019年の12月には小さいながらはっきりと写っている。
万葉集では「ほよ」の名で詠まれている。
大伴家持が越中国丁で催した新年の宴で詠んだ「あしひきの 山の木末のほよ取りて かざしつらくは 千年寿くとぞ」
ヤドリギは生命力の強い木として神聖視されたらしい。
許世都比古命神社(こせつひこのみことじんじゃ)
「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊(つげ)の小櫛も取らむとも思はず」
見てくれる人がいてこそ美しくいたいと思う気持ち。わかる。
そこにあったのはイヌツゲ。ツゲとは別物で、成長が早く材の質も違う。
途中、遠くに牽牛子塚古墳の真っ白い姿が見えた。
櫛玉命神社 私の好きな狛犬がいる。
飛鳥駅前に戻り、高松塚の方へ。
今日は飛鳥ハーフマラソンが実施されている。
高松塚古墳近く。イノシシの掘り返しが凄い。
夜にはきっと大運動会をしているに違いない。
夜に来て見てみたい・・が、怖い。
遠くに河津桜のピンク。前に見に行った農園か?
「立ちて思ひ居てもそ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を」作者未詳
講師先生が、この万葉歌碑の除幕式の時の思い出を話された。
この歌碑は犬養先生が揮毫された万葉歌碑の全国で104番目の歌碑だとか。
式典に出席されるはずだった犬養先生は、前日の1995年1月17日の阪神大震災で被災され大変な状況だったのを何とか遅れながらも出席されたのだとか。
そんな中序幕された赤裳裾の歌碑。関わられた先生方には忘れられない思い出だったでしょう。
高松塚そばの休憩所でウグイスの声を聴きながらお昼。
マンサクが満開だった。
ここにも落葉した木にヤドリギが目立つ。
高松塚古墳
中尾山古墳から芝生広場へ。
ミツマタ(三枝 さきくさ) つぼみ。
柿本人麻呂の歌「春されば まづ三枝の幸くあらば 後にも逢わむ な恋そ我妹」を紹介された。
三枝はミツマタの説の他、ヤマユリの説もあるそうだ。
扇橋から「さ檜隈 檜隈川の 瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも」の歌碑。
途中の畑はネモフィラ・・ではなく畑一面のオオイヌノフグリ。
カラタチのところではユニークな万葉歌(宴席での戯れ歌だとか)を聞く。
「からたちの 茨刈り除け 倉建てむ 屎遠くまれ 櫛造る刀自」
聖徳中学校の校庭に造られた万葉の小径を見に行く。
創立50周年の記念事業で造られた万葉の小径。
フジ・イチイガシ・タチバナ・コノテガシワ・ユズリハ・アセビ・ツバキなどが植栽され、樹名板や万葉歌が書かれていた。
天武持統陵を回り・・
明日香小学校 初めて入る。
中庭の万葉歌碑
「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」山上憶良
子どもは何より大事な宝だよ。と子供たちに呼びかける歌碑だ。
上の短歌は、子等を思ふ歌「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ・・」の反歌になるそうだ。
今日もたくさんの万葉歌碑を巡り、万葉植物に因む歌を皆で朗唱して、橘寺で解散となる。
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