午後からのミニハイクに参加。
参加理由は、以前から不明のまま現在に至っているあることを調べて教えてもらうことになっていたから。
昨日は雪がチラチラして、家のあたりもうっすらと雪が積もった。
飛鳥駅周辺はお昼過ぎまだ雪が残っていた。
屋根からは雪解けの水がポタポタ垂れていた。
野外サークルのメンバーさんたちとは欽明天皇陵あたりで合流できた。
欽明天皇檜隈坂相陵のお濠にはマガモがいた。
そこから下ると169号線そばの「耳なおし地蔵」に出た。
時々通るところでもあり、私が聞こえの悪いせいもあり、親しみを感じる。
耳なおし地蔵
朝、一足早く来たので、格子のすき間からお地蔵さまを撮影。
お地蔵さまには耳がない。
『昔は耳があったが、ある日、朝風峠におられる朝風地蔵(あさかじじぞう)と喧嘩になり、耳を切られたそうだ。
(朝風地蔵も肩や鼻を割られたので、喧嘩両成敗となったそう)
耳を切られたお地蔵さまは、自分は仏だから聞こえなくても人間や動物の心がわかるが、人や動物は聞こえないと困るだろう。助けてやろうと思われたとか』(資料抜粋)
お堂の両脇には大小の錐が奉納されている。
お参りする人はその錐を耳に当てお願いすると願いを聞いてくださるという。
そして、治れば新しい錐をお供えするそうだ。
耳なおし地蔵の入口に建つ石柱
これは元、旧阪合小学校の校門だった。
3村合併で小学校が統合された際、ここに移されたという。
石柱の右側がひどく欠けているのは、戦争中1945(昭和20年)7月
米軍の戦闘機に襲われた時の弾痕の跡だという。
その時、学校に残っておられた校長先生が犠牲になられたそうだ。
平和そうな田舎の飛鳥にもこんな戦跡があったということを地元のサークル員さんからお話を聞いた。
昨日も「機雷」の話を聞いたばかりだ。
お話を聞くとわかるが、通りかかっただけでは気付かず、見ても何のことやらわからない。
是非、説明板がほしいところだ。
耳なおし地蔵の道路を挟んだすぐそばにある建物。
これは何の建物かを知りたい。
こんな建物が気になったのは・・
私は時々当てもなく歩く。そして面白いもの不思議なものに出会う。
子供と歩いていた時に、似たような建物をあちこちで見つけた。
以下の写真は2018年から2021年ぐらいの間に明日香の上平田 阿部山 栗原?あたりで見たもの。
何の建物だろう。ネットで調べてもわからず・・・
いろいろ考えて・・
うちの家族の間ではミカンを保存する「ミカン蔵」ではないかとのことで落ち着いたが、正解はわからないままで、地元サークル員さんに教えてほしかった。
小屋根が3つ
赤瓦の屋根 小屋根が4つ
小屋根が続く 小屋根が2つ
草に覆われている 煙突もそうだろうか?
ハシゴがあった 低い二重屋根も同じではないかな?
いろんな形があるが、どれもしっかりした建物。
そして・・
調べてもらった結果、やはりミカンを保存する倉庫「ミカン小屋(倉庫)」でよかったようだ。 長年の疑問が解けてスッキリ。
『昭和30年代末ごろからミカン栽培が大変盛んになり、上平田や栗原でミカンをつくっていた。
ミカンは儲かるものとして平田や栗原でも山を切り開いて作り始めた。
11月末~12月に収穫。1月末~4月初めまで出荷。
小屋根がついたミカン小屋は風通しがよく、保存に適していた。
3年もすると家が建つというぐらい儲かったそうだ』
その頃、収穫したミカンを出荷まで保存した倉庫がこれらの建物だった。
今は倉庫は使っていないそうだ。保存や出荷方法が変わってきたのかな。
教えてくださってありがとうございました。
長くなるので②に続けます。
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