先日(2月25日)の日本書紀ウォークで「今日は行きません」と言われた十二神社
行かないと言われればどんなんかな?と気になって・・今日行ってきた。
寒い日。昼頃の雨はみぞれ混じり。あられも降り、終日風が冷たかった。
出発は「十二柱神社」
先日のおさらいを。
十二柱神社 野見宿禰塚から移された五輪塔
「12神が祀られる」
神代7代(国常尊・・伊弉諾尊 伊弉冉尊) 地神5代(天照大神・・瓊瓊杵尊・・)
「武烈天皇 泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)伝承地」
日本書紀に記載されている武烈天皇による異常行為は古事記には記載がないそうだ。
「野見宿禰塚にあった5輪塔」
明治12年 野見宿禰の塚が取り壊された時、ここに移された。奈良で3番目に大きい五輪塔らしい。
「4人の力士が支える 狛犬」
珍しい。相撲発祥の地といわれる土地柄か。
1人1人 姿の違う4人の力士に支えられた狛犬が2体
台座にも模様が彫られ、文字の刻みも深く、立派な狛犬 文久の銘があった。
う~ん。見る方も力が入る。
出発。
野見宿禰塚跡を右に見て登っていく。「山の中腹にあります」と聞いている。
十二神社があるという上岩坂を目指してどんどん登っていく。だいぶ登ってきた。
のどかな景色が続く。
植林地の道
こんな山の中に「岩坂延命地蔵菩薩」の旗が。
右)階段を登っていくと、苔むした五輪塔や地蔵尊などが並ぶところに出た。
ガン封じにご利益があるという。書いてあった唱え言葉を唱えてお祈りをした。
向こうに見えるのが上岩坂集落か? ずいぶん高い所まで登ってきた。
右)フキノトウを採り、ツクシを採り・・
上岩坂集落の一番高い所に「十二神社」はあった。(十二柱神社と名前が紛らわしい)
先日、プリントした写真を見せてくださったが、思ったよりも立派な神社だ。
「雄略天皇 泊瀬朝倉の宮 伝承地」の看板。
右)写真にあった本殿前の大杉?は切り株になっていた。
銀名水の井戸があったらしいが、見逃した。
雄略天皇 泊瀬朝倉の宮の伝承地は複数あり、先日も行った「白山神社」にも伝承地の碑があった。
今は、近年発掘調査があり建物遺構も出土している「脇本遺跡」(春日神社のあたり)が朝倉宮の有力な候補地とされているようだ。
初瀬川の氾濫を考慮しても、上岩坂は高所すぎるともいわれるそうだ。
う~ん。宮跡、よくわかりませ~ん。
境内下のお堂の中には仏像が数体収められていた。
十二神社を出て、狛集落へ向かう。
少し上り下りして山を回り込む。 下の方に集落が見える。
この道は、巻向~ダンノダイラ~出雲~狛峠~宇陀への古道らしい。
宇陀への分岐もあり、狛峠も近いのかもしれない。
下りになり、狛集落に入る。
お城のような石垣が見え、行ってみた。
右)石垣の上にケヤキ大木 幹の上部はなくなっていた。イチョウの大木もあった。
狛稲荷神社というらしい。平成6年に全面改築したとの表示があった。
右)神座石という平石 ありがたい石なのでしょう。
ずっと下って大和川 カルガモ ずっと昔からいたのでしょうか?
十二柱神社に近い「地福寺」本尊は阿弥陀如来
右)境内の石仏群の中には室町時代の地蔵もあるらしい。
十二柱神社に戻ってきた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます