みどりの野原

野原の便り

10月11日 巻向~田原本 村屋神社イチイガシ ヒメミソハギ ホソバヒメミソハギ

2015年10月11日 | Weblog
JR巻向駅から近鉄田原本駅へ。大和国中の田園地帯を横切るような道

途中村屋坐弥富都比命神社や初瀬川展望公園などを通る。

 
     アオツヅラフジについていたガの幼虫 ヒメエグリバらしい。

 
ヒメミズワラビ ミズワラビと言われていたもの。     コイヌガラシ 久しぶりで見た。

 
       ゴウシュウアリタソウ        アメリカキンゴジカ田の畔に群生

 
      村屋坐弥富都比命神社        狛犬は天保11年の銘があった。      


村屋坐弥富都比命神社の社叢
奈良盆地の植生の極生相 イチイガシが残る。奈良県天然記念物

 
        ヒメミソハギ(在来種)      ホソバヒメミソハギ(外来種)の見事な紅葉


田原本 浄照寺 先日の高田 専称寺と共に大和五か所御坊のひとつ。
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10月10日 サクラタデ ミゾソバ イモ掘り  最後に芋虫

2015年10月10日 | Weblog
午前中は野原を歩き、午後からはイモ掘り。


稲刈り真っ最中 収穫風景 いですねえ。

 
ここは3年ぐらい作っておられない休耕田  サクラタデ群落   ミゾソバ群落

山手を回って

キチジョウソウがもう咲いていた。

メンバーの方の畑、
 
    イモを一畦掘らせていただいてみんなで分けた。
ネギやピーマンもいただいてうれしい。


畝のマルチを外したら出てきた芋虫。 エビガラスズメ 芋の害虫らしい。頭をしっかり隠している。    
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10月9日 知らなかった高田 近代建築など 

2015年10月09日 | Weblog
20年近く仕事に通っていたし、手話サークルも大和高田に属していたり、大和高田は縁のある町ではあるがあまり知らなくて、今日案内してもらって、町屋 近代建築など多く残り、改めて深い町だなあと感じた。 (順不同です)

先ず、近鉄大和高田駅

開業は大正14年だが、h13年 現駅ビルが完成。 
通勤で利用していた時、駅業務をストップしないで、出口や通路を変えながら、だんだん変わって行くのを驚きながら見ていたものだ。 桜の植わった旧駅が懐かしいが、新駅は第3回近畿の駅100選に選ばれているという。


映画棺(旧高田キネマ)だったところは今、大衆演劇場の弁天坐になっている。
かつては大和高田に6か所もあった映画館はみんな廃業になっている。

 
いつも店の前で信号待ちしていた辻井履物屋さん 昔ながらの下駄なども扱っておられ、弁天坐の役者さんへのプレゼントにもなるらしい。 草履や高下駄や1本歯の下駄など珍しいものが並んでいる。


大正4年築の国際理容院 営業中

 
高田川 両岸には2キロに渡り1000盆の桜が植えられ、花時は見事だ。
今中央道路と言われている県道が旧高田川の跡。
  右)休耕田を利用した綿畑 ここにはコスモスやケナフなどが植えられていたこともある。
大和高田はかつて繊維産業が盛んだった。 
この綿畑は、原点を見つめ直しながら新しい挑戦を。との思いがあるらしい。

商工会議所が近くにあるが、商工会よりも幅広く国際的な活動もされるとのこと。
県内の商工会議所は5か所のみだそうだ。

 
   岡本歯科医院 築100年           右)中川印刷所 1855年(安政2年)築 
元は木綿を商っていたが、印刷業を開始、月間文芸雑誌「敷島」を創刊。ここは文化の拠点であった。

  
専立寺 浄土真宗本願寺派のお寺。ここを中心に寺内町が構成された。 太鼓楼はシンボル的存在
高田御坊とも言われ「大和5ヶ所御坊」のひとつ。築地塀の5本線が格式を表している。
創建は1600年(慶長5年)創建当時境内は1町四方あったと言われる。本堂は消失して再建


右)山門前に野口雨情の歌碑 「高田御坊の櫓の太鼓 叩きゃぼんと鳴り ぼんと響く」高田小唄

住職さんのお話を聞き、すばらしい襖絵や書院などを見せていただいた。
お寺は地域の活動にも開放され、住職さんは文化や福祉の活動も長くしておられる。
実は私と高校の同級生。「歳がバレましたね」と参加者に言われてしまった。

 
境内の庭は白い砂が映える枯山水  凝灰岩の小さい石室がある。
寺建設の際土を持ってきて造成されたが、築山古墳の端の古墳を含んでいたらしくそこから出た石室だという。
        
「門前町」と「寺内町」同じように思っていたが、門前町は主に寺院を中心に形成され、地割りがされ、水路や土塁を巡らせた自治集落 都市国家で、商業施設だけではなく学校もある。

本堂は火災で消失して再建されたもの。 
門のそばにインドボダイジュが植えられていた。大きく育つといいですね。

 
旧高田産業銀行 昭和2年築 鉄筋 2階建て 後南都銀行本町支店として営業(現 森川商店) 
 右)宮城医院 昭和元年完成 木造  隣タケウチ宝石時計店はヤマハ創業者ゆかり

 
旧吉野銀行高田支店 昭和8年築(現モリモトデンキ)
奈良女子大の佐保会館や畝傍高校を設計した岩崎平太郎の設計。国の登録文化財 
                右)日本聖公会高田基督協会 築140年 明治初めの建物


不動院(大日堂)は高田唯一の重文 聖徳太子の建立と言われている。
三町四方の境内に七堂伽藍の並び立つ立派なお寺だったようだ。


  高砂湯 娘たちと入ったことがある。高田の風呂屋さんは今残っているのは3軒だけとか。
あと二つ、機会があれば入りに行こう。

吉村邸 當麻邸 など江戸時代の町屋もあり、全く知らないところもたくさんあった。
近代建築がこんなに多く残っているのも知らなかった。
ちょっと懐かしいところもあった。 


解散してから、今日知り合った2人の方と一緒に、コーヒーショップへ。
駅前のそのお店の店主さんは88歳。とてもそんなお歳には見えず生き生きと働いておられる。
応援のつもりで入ったが、お話をしたり、触らせてもらったり・・と、こちらが元気をもらった。
これからもお元気で~。
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10月8日 馬見丘陵公園 フラワーフェスティバル

2015年10月08日 | Weblog
フラワーフェスティバル開催中の馬見丘陵公園


中央エリア 竹飾りがすてき

北エリアは「花の苑」

 
      サルビア 色数の多いこと              花の丘

 
       珍しい黄色いサルビア           チョコレートの香りのコスモス


メインのダリア園 広すぎて空から出ないと全体は撮れません。ドローンがほしい。

 
時にうす色が咲くという「うわきごころ」(これじゃなかったかな?) 日本的な「麦秋」
ダリアの色や咲き方 いろいろです。

 
グラデーションを考えて植えられた花壇。             コルチカム

 
ボランティアさんのブ―ス イネ科の白い穂は「ギンギツネ」というのだとか。
                   木工細工を入れたメルヘンちっくな花壇
さすがに大勢の人が鑑賞に訪れていた。
午後からは北エリアも回った。
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10月6日 音羽山観音寺 オハツキイチョウ

2015年10月06日 | Weblog
音羽山観音寺へ。ビジターで参加

いつもは途中まで車で行くが、今日はバスで、下居(おりい)から歩く。


箸のそばの道標 右)たむのミネ 左)おとはさん(かんじまじりで)と読み取れた。

 
        サンショウ             ヌルデの若い果実が高いところに。

途中の民家も過ぎて、いよいよの登り。
ずいぶん前に初めて登った時は山道は
狭く急ですごくしんどかった思い出。
先代?住職さんのおもてなしを受けて、その頃置いてあったノートにも貴重。
結婚前に2度ほど登った。いい思い出である。

数年前に山道もコンクリート舗装されたが、今でも上までは車で登ることは出来ない秘地?である。

とはいえ、道が広がったりするうちに だいぶ植物も少なくなってきたように思う。

急な参道を登ると観音寺。

 
          観音寺            お堂の前のツリフネソウが似合う。

花好きの住職さんが植えられた花も満開

 
    キイジョウロウホトトギス満開          セイヨウニンジンボク

 
音羽山観音寺の名物は オハツキイチョウ ギンナンの収穫のためにブルーシートが敷かれていたが、
探すとオハツキイチョウがあった。

下りは北音羽に下った。


マムシグサの仲間の葉に付いたビロードスズメの幼虫 ヘビに似せた模様は人間様でもぎょっとする。







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10月4日 柳本~巻向 よく歩いた。

2015年10月04日 | Weblog
8時40分柳本駅を出発して終わりは巻向駅5時前 よく歩いた。
主なところ。

いきなりお墓へ。

専行院 
ここは織田家の菩提寺だとか。
柳本は織田有楽斉から続く柳本織田藩の領地だったところ。
信長 有楽斉 尚長 生母や奥方など34柱が祭られている。


専行院墓地にあった古い石仏

黒塚古墳と展示館
盗掘もされていたが、これだけ残ったのは地震のお蔭でもあるらしい。


実物大の石棺模型 棺はクワ 石室内はベンガラ 遺体を納めた中央部には高価な水銀朱 と2種類の赤い塗料が塗られている。
33面の三角縁神獣鏡は日本産で造りは雑らしい。枕元には画文帯神獣鏡が1枚。魂を鎮めるごとくに。

 
     道橋に干されたラッカセイ      薄切りの干し柿 や ゴマ


手白香皇女の墓 衾田陵 と言われている西殿塚古墳 ・・が 時代が合わないらしく、、
6世紀初頭に造られた西山塚が手白香皇女の墓で、衾田稜は卑弥呼の後継の台与(とよ)の墓との説も。
 
箸墓が台与の墓説もあり、ああややこしい。

天理市萱生町(かようちょう)は刀根早生柿発祥の地、 
刀根早生柿は刀根淑民氏により発見され、品種登録されていて、今では全国に普及している。
今もご健在だそうだ。 
 
刀根早生柿を作っておられるカキ畑を見学  試食もたくさん準備してくださっておいしいカキをいただいた。
刀根早生柿は渋柿 渋抜きをして出荷するまで6~7日かかるそうだ。
渋柿の平核無柿より1か月ほど早く収穫できるという。
1本の枝に7個実が付くと6個は摘果で落としてしまうと聞いて、ビックリした。


夜都伎神社 この辺では珍しいという萱葺きの拝殿は葺き替えたばかり。
色の違いは萱の産地の違いという。

ワタを栽培しておられるところを見学
 
ワタ摘み体験もさせてもらった。 洋綿と和綿があり、洋綿は上向きに実を付け、繊維は長い。
和綿は洋綿に比べると少し小さくて下向きに実を付ける。 和綿というのは初めて知った。
作るものによって向き不向きがあるのだろう。

他にもあちこち回り、解散は5時前になった。
よく歩いてちょっと疲れた。
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10月1日 二上山山麓 ハクモクレン コブシ ツユクサ 

2015年10月01日 | Weblog
二上山 ふるさと公園周辺

 
 ハクモクレン 果序は上向き コブシに比べて実入りが悪いのはなぜかな?
           コブシ 果序は下向き たくさん実が入っていそう。


      タブノキの冬芽
コブシやモクレンも冬芽が膨らんで、しっかり春の準備をしている。
準備のよさ。見習わないと・・

 
      ツユクサ両性花      白いツユクサ ウス色のツユクサがあちこちにあった。


     雨に濡れたヤブマメ

 
      山裾にはチゴユリの実             ツルアリドオシの実
お弁当を食べて解散
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