快晴。さわやかな1日だった。
今日は昆虫の会なのだったが・・
シロチョウやキタキチョウ・ベニシジミ・テングチョウなどチョウは見かけたが、まだ春浅いせいもあり、あまり私の目につくような昆虫がいない。
ノアザミにいるアカイロノミハムシはちらりと見たが、すぐ隠れてしまって写真は撮れず。
カラスノエンドウにもアブラムシはまだついてないなと思ったが、昆虫メンバーはちゃんと見つけていた。
虫合わせでは名前の同定できていないものも含め30種ぐらいいたようだ。
野道をのんびり歩いてしまった・・
レンゲ
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ(コオニタビラコ)
ここなら春の七草が全部揃う。
カンサイタンポポ
青虫を運ぶアリ。大きい獲物だ。
近くにいくつか巣穴があった。
ハクモクレンが満開(大和民俗公園)
コバノミツバツツジも満開だった。
知り合いの方から情報を得て、行ってみたいと思っていた観音院跡へ。
ついでに近くの長円禅寺と宗泉寺も訪れる。
駐車場に車を停めて、高取城への道を登る。
高取町では町をあげてのお雛祭り開催中。
今日も町中は観光客が多い。
復元 松の門 のあるところ。手前右には「右 吉野 壷阪道」の道標。
左向こうの角に「観音院道」の道標がある。 ↓下の写真
「観音院道 是より十六丁」の丁石 ここから高取城の方へ登っていく。
「十五丁」の丁石
植村家 長屋門
「十一丁」 途中の丁石は失われているものも多い。
「子安地蔵 松嶽山 長圓(円)禅寺」へ寄り道。道標を右へ登る。
長圓(円)禅寺 階段を登る。
ワンちゃんがお出迎え。放し飼いだが吠えず、人懐こい。
本堂にお参り、仏足石を見て下る。
ワンちゃんのお見送りは門のところまで。外まではついてこない。賢いな。
元の道に戻る。
七丁の丁石を見て・・
砂防公園でお弁当。
少し戻った所からいよいよ観音院跡への道。
観音院へ、この林道から登った。
三丁の丁石があった。
林道から分岐道を登り・・
道案内があやふやになってきて・・ちょっと迷う。
イノシシのぬたば。獣臭い。足跡もいっぱいあった。
この道ではないらしい。戻る。
これが正解の道らしい。草地の斜面 これが道?
所々にシカの糞 野生動物の世界にお邪魔する・・。
二丁の丁石があった。この道が元は参道だったようだ。
途中で木の枝を拾いストック代わりにした。
荒れた山道。
ヤブツバキの花にホッとする。チャノキもあり寺跡は近いようだ。
小島山 観音院 やっと到着。階段を登ると・・
ロープが張られ、廃墟となった寺跡があった。
立派な五輪塔の向こうは朽ちかけた建物
ガレキと化した建物跡? 散らばった石材。
由緒は定かではないが、昔は立派なお寺だったのだろうが見る影もない。
「空風火水地」と彫られた石塔も。
寺跡から向こうへ下ると・・宗泉寺だ。
高取城への道に表示があるが、来たことはなかった。
宗泉寺 高取藩主植村氏の菩提寺だそうだ。
本堂と庫裏は1981年(昭和56)再建された。再建記念碑あり。
前の建物に使われていた瓦と思われる。
「新四国 大和88ヵ所巡拝道」があり、石仏を巡る道が山の上の方まで続いていた。
シキミの花が満開だった。
長円禅寺、観音院跡、宗泉寺、初めてのところばかりだった。
山道の途中でシュンラン(蕾) 野生を見るのは久しぶりだ。
ミヤマカタバミも咲いていた。
何桜なのか、満開。春の訪れを告げる。
先日(3月1日)通った時、まだ冬芽だったカツラ。
今日はたぶん咲いているだろうとの予想通り、雄花が咲いているのを見ることが出来た。
カツラは雌雄異株 雄花が咲いていた。
ガクや花弁はなく、苞から雄しべがぶら下がる。
赤いのは葯の色だ
モミジバフウはまだつぼみ。だいぶ膨らんできた。
大きい枝垂桜 枝によっては咲きかけの花が見える。
ヤドリギ
池
もうすぐ桜で華やかになるだろう。
春日神社に立ち寄って帰った。
②曽我神社
少し前まで目を楽しませてくれたロウバイ
花が終わって小さい果実(偽果)ができている。
サンシュユ 満開
トウモクレン だったような つぼみ大きくもうすぐ開花。
ハクモクレンも咲きかけ。
社殿奥のハクモクレンの大木は満開
ツバキ ピンク 白 ヤブツバキもある。
桜のつぼみも膨らんで先が色づいてきた。
去年の12月に見学して、絶対喜ぶと思ったタイル好きの娘とやっと日が合って、旭湯さんに行ってきた。
旭湯は大正14年(1925)創業
昭和30年代に改装
おがくずを燃料に、地下水を使用して営業されていた。
令和2年(2020)釜が破損して修理には莫大な費用がかかるため営業を断念して閉業された。
タイルやベビーベッドなど創業当時のものが数多く残る。
去年の12月にも書いているので簡単に。 去年の記事 参照 ここ
煙突
看板
傘立てに隠されていたタイル絵
男湯 浴室は全面タイル貼り。
床のタイル。床に使われているのは珍しいそうだ。
鏡広告は鏡の裏に文字が書かれている。
男湯のタイル絵
豆タイルを絵に合わせてさらにカットして使われている部分。
浴槽は二つ 深さがある。
男風呂から番台 手前の体重計はお相撲さんでも測れそう。
雰囲気のある木製ロッカー、男性客が多かったのか、もう一方の壁にもたくさんロッカーが並んでいた。
浴室の入口には風呂桶など置いたまま・・今にもお客が来そう。
脱衣室の壁に、大淀町の文学者 花岡大学の童話
女湯
浴室の作りは同じ。
タイル絵は子供向けに? 動物の絵
ドーム型の天井と明かり取り窓
木製のベビーベッド
なつかしいヘアドライアー
ゆっくり見せていただいた後、下市の町を少し散歩。
商店街のアーケードにも残っていた旭湯の案内看板。
三角屋根は酒蔵らしい。
木工所
廃墟と化したアーケードのある商店街 淋しい光景。
戎神社
なまこ壁のある民家
ツクシとセイヨウカラシナを採りたいという娘の希望で、大和川の近くへ。
セイヨウカラシナを摘み、つくしも採る。
セイヨウカラシナについていたナガメ
私に似ず、虫、特にカメムシ嫌いの娘。
こんなにおしゃれな模様なのに。
今日は黄砂と花粉がひどい。
歩き回った運動靴は花粉が積もって黄色っぽい。
そろそろ出ているかと思って行ったら・・
フキはもう伸びて花が咲いているものが多かった。
雌株と雄株 色で何となくわかる。
ツクシもあまり見ていない内に伸び伸びで・・胞子が飛んだものが多い。
袴取りは面倒だが、1回は食べたい。
寒い寒いその後急に暖かくなって、やっと春・・と、のそのそ出てきたが、その間にも季節は進んでいて、季節に置いてけぼりになった感じだ。
今月の会はモニ1000に参加。
奥の谷は久しぶりです。
モニ1000
モニとはモニタリングのこと。環境省生物多様性センターが、生態系の動向把握のために全国的に調査しているもので、奥の谷もそのサイトの1つ。
ここでは植物(木 シダ イネ科 カヤツリグサ科を除く)と、チョウの調査を、それぞれ、毎月1回、約10年間にわたり、会のメンバーが行っている。
過去に何回か参加したことはあるが以後は全く参加していない。
ABCの3コースに分けて、つぼみ・花・実の記録をリストアップしていく細かい作業。
長年続けてきているメンバーは手慣れているので中心になってやってくださる。
今は季節的につぼみ・花・実のある植物が少ないが、細かいのでなかなか骨の折れる作業だ。
今日は調査以外のものを記した。
満開のギンヨウアカシア 滝谷不動駅
今日の拠点までの道 イノシシの皮が掛けてある柵。
効果はあるのだろうか?
水の生き物池 講座生の時、実習で池の周りに竹柵を作った。
以後、何回か作り直されてきれいな柵が池を囲んでいる。
水辺を覗くと・・ヤマアカガエルの卵塊から黒いオタマジャクシが生まれ、卵塊のそばにいっぱい集まっていた。
卵塊はたくさんあり、オタマジャクシもすごい数。
カエルになる頃には自然淘汰されて数は減るのだろう。
ネットによると、5月の初めごろには小さいカエルになって森や草地に旅立っていくらしい。
ガマやカサスゲが生える池。草を刈り取ったり、泥上げなど手入れされている。
調査中にササにとまった地味なチョウ。
コツバメという春の短い間しか見られない珍しい蝶だとか。
チョウの調査をしているメンバーは大喜び。
私も何とか写真が撮れた。一人なら見過ごしそう。
山道にたくさんさいていた シハイスミレ
尾根道にはヒサカキが多い。
花が大きい 雄しべがたくさん見える。雄花のようだ。
上の写真の花よりだいぶ小さい。雄しべが覗いている。これも雄花か?
これは雌花のようだ。子房と柱頭が見える。
雌雄異株と言われるヒサカキの性表現は複雑らしく、雄・雌以外にもいろんなタイプの花があるとか。
きっちり見ていないので、上の写真はぱっと見で雄花・雌花とした。
コクラン 枯れているがきれいな果実を付けていた。
ここは調査対象区域外だとか。
メンバーのお1人が設置しているミツバチの巣箱
下のすき間からミツバチが出入りしているのが見えた。
個の巣箱は研究用らしい。
甘樫丘観察会 本番。気持ちよく晴れた。
ユズリハとヒメユズリハが並んでいるところがある。
比べるとよくわかる。
ユズリハ 側脈が多い。 裏が白っぽい。葉柄が赤い。
ヒメユズリハ 側脈が少ない 裏が黄緑っぽい 葉柄は赤みが少ない
ヤマネコノメソウ
タマゴケ 丸い朔がかわいい。
ミツマタ これは園芸種で大型。観察はしやすい。
隣に普通のミツマタも植えられている。
ニワトコ 花序の開いたものが1つあった。
アマナ 木の根元につぼみと開きそうなもの。
本番で見られてよかった。
ヤブツバキ
ヤブジラミ・ヤブニンジンの葉もたくさんあった。
「ヤブってどういう意味ですか?」と質問がでた。
う~ん。そういわれれば・・考えたことがなかった。
帰ってそれぞれが調べてみることにした。
私も調べて・・と言っても、ネットぐらいしか思いつかない。
薮・・木や草が生い茂った一角 山野の木陰
ヤブツバキ、山野に自生する 薮に生える 野生の原種であることを強調。
私は「どこにでもその辺にあるありふれたもの」のような気がするが・・
質問が出るのはすごくいい。
ネコヤナギ 雄花序。 最近植えられた。
カシワ 枯れ葉がまだたくさん残る。
柏餅の話になった。
家では父が山から葉を採ってきて、餡を入れた団子を包んだものを作っていた。
今思うと、葉はカシワではなくてナラガシワだったかもしれない。
他の人に尋ねると・・
サルトリイバラ(サンキライ)の葉で作ったという人も。
「サンキライでつくったものも、柏餅と言っていた」
「サンキライの餅は、いげのはまんじゅう と言っていた」
「さんきらまんじゅう と言って、生麩で餡を包んでいた」という珍しい話。
「米の粉と小麦粉を混ぜていた」
「葉柄付きのホウの葉に団子を包んだ でんがらもち(伝統菓子) を作った」
「菱餅を作る型がどの家にもあった」
・・など、出身地も違うので、面白い話で盛り上がった。
よもぎ餅・小麦餅・カキ餅・・親は作ってくれていた季節のもの。
私の代で途切れさせてしまったなあ。
シャシャンボ
子供の頃いつも山で摘んで食べていたという人。
「しゃせび」と言っていたという。
シャシャンボの古名は「佐斯夫(さしぶ)」
「しゃせび」と「さしぶ」古名に近いね。 これも面白い。
ウバユリ 中にまだ種子が残った果実があった。
すぐに種子が飛んでいかないように果実の裂片の間に糸が掛けてあるなど、心憎い構造にはいつも感心する。
午後は別のコースを回る。
甘樫丘にある万葉歌碑 志貴皇子の歌が刻まれている。
「采女の袖吹きかへす明日香風 都を遠み いたづらに吹く」
揮毫は犬飼孝
この歌碑が建ったいきさつなどを担当のお1人が説明された。
明日香村には犬飼孝揮毫の万葉歌碑が15基あり、ここにあるのはその第1号の歌碑。
昭和30年頃、甘樫丘にホテル建設計画が持ち上がり、万葉の景観を残すため、この開発の防波堤として甘樫丘に建立されたもの。
(明日香には他にも多数の万葉歌碑がある)
その後、もうお1人がこの万葉歌を歌ってくださった。
良い雰囲気にうっとり。
甘樫丘を降りて・・
飛鳥川に沿って歩く。ダイサギ・カルガモ・コガモがいた。
園芸業者さんの花園でウメのお花見をして解散した。
久しぶりの平群。
中央公民館がなくなって更地になっていた。
駅前の総合文化センターに入ったのかな?
イヌノフグリ フラサバソウに紛れて花が咲いていた。
果実もできていた。中央下部に落ちてしまった花が写っている。
ヒトツバの胞子葉 裏面一面にソーラスが一ついている。
イヌガシ 雌雄異株 高い所に雄花が見えた。
もう少し近くで見たいな。
白山神社 かつてあった福貴寺の鎮守社 左は弥勒堂
ウメ 満開
尾根道のケイオウザクラはまだつぼみだった。
アオモジはあちこちに咲いていた。
一時のことを思えば拡散も落ち着いてきたような感じがする。
他の花がまだ見られない中、アオモジの黄色だけは目立つ。
手の届く所にあったアオモジの枝 色は薄く 果序もまばらで雌木のようだ。
ネジキの赤い新枝
墓地のあたりからの見晴らし。
サンシュユ ヤブツバキ ケイオウザクラやハクモクレン
もう少しすればそれらの花が咲いて眺めも良くなりそう。
昔、桃源郷と教えてもらったあたりも覗いてみたが・・薮になって荒れていた。
花卉栽培が盛んだった平群。
この辺りにも花木が植栽されていたが、今は小菊やバラに主力が移ったようだ。
ニューサイランやクジャクヒバと教えてもらったものは広く植えられていた。
ニワトコ つぼみ
帰りは・・住宅地を抜けて・・
4等三角点のところも通った。
三角点の位置情報などが記録されたICチップが埋め込まれているそうだ。
(石柱の上の丸いもの)
また山の道へ~どう歩いたのかわからない・・
元山上口駅で解散。
帰ってから、メンバーのお1人が「アオモジの子房」の写真を送ってくださった。
アオモジは雌雄異株。
雄株と雌株は花の咲いている木をみればだいたいわかる。
それに花のつくりがややこしくて、細かい観察はスルーしてきたが・・
メンバーの方に刺激されて、持って帰っていた小枝の花を分解してみることに。
持って帰ったアオモジの小枝 見た所、雌花と思うが・・
ひとつのつぼみの中に柄のついた5つほどの小花がある。
その小花の花弁を取り除いてみる。
花序の中の1個の小花の花弁を取り除いた。矢印は子房
柱頭が茶色く見える。 他の小花も柱頭が見えている。
マイデジカメでは接写もイマイチだが、何とか子房が確認できて雌花の証明ができた。
万葉集 講師の案内で 朝倉~初瀬周辺を歩く。
春はまだ浅いがウメはどこも満開。
万葉歌碑も多い。梅の花や椿の花に因む万葉歌、周辺の山の歌などを朗誦しながら歩いた。
慈恩寺 阿弥陀堂 玉列神社の神宮寺
ケヤキの古木は樹齢900年とか。
お隣の玉列神社
玉列神社は椿大明神とも言われ、たくさんのツバキが植栽されている。
「海石榴市(つばいち)の八十のちまたに立ち平し・・」と「三諸は人の守る山・・・椿花咲く・・」の歌がある。
春日神社
横に回ると立派な本殿がよく見えた。
この辺り(脇本)には伊勢街道の名残が見られる。
また、この辺りは雄略天皇の朝倉遺跡の候補地とされるところが何カ所かある。
白山神社(黒崎) 雄略天皇 朝倉宮伝承地の1つ。
境内に説明板と、雄略天皇の歌碑が建つ。
「籠よ美籠もち ふ串もよ・・」万葉集の巻頭の歌 みんなで朗誦。
向こうの山にある「天の森」と言われるところも泊瀬朝倉の宮伝承地の1つらしい。木の柱が建っているとか。
今日は行かないが、岩坂にある十二神社にも「泊瀬朝倉遺跡の候補地」の説明板あり。
出雲の流れ地蔵
中を覗いてみたら・・赤い前垂れのお地蔵さま
「文化8年の大洪水で泊瀬側上流から流れてきた」と伝わる。
お昼は坂を登った公園で。見晴らしがよい。
ブランコやボルタリングもあり、キャンプ場のようだ。
ここにも雄略天皇の万葉歌碑があった。
今日はあちこちで梅のお花見。
十二柱神社 天神7神と地神5神を祀る。
ここ出雲集落は野見宿禰を祖とする。
十二柱神社の見どころは「力士像を支える狛犬」と「野見宿禰の五輪塔」
武烈天皇泊瀬列城宮伝承地の説明板もある。
十二柱神社の狛犬
狛犬は4人の力士に支えられている。
野見宿禰の五輪塔 高さ2.8m
昔あったという野見宿禰塚から移されたものらしい。
野見宿禰塚跡はここから少し南へ行ったところ。
行く途中、高い斜面の上の近鉄線を特急火の鳥が通った。
田んぼ道を進んだところに「野見宿禰塚跡」の碑
昔ここに大きな塚があり、その上に十二柱神社にあった五輪塔が置かれていたという。
力士などもお参りに来ていたらしいが、明治16年突然取り壊されたそうだ。
その時、塚の中にあった朱を捨てたところ初瀬川が3日3晩赤く染まったとか。
長谷寺駅で解散。
夕飯後、テレビの横の台の布の下の方で何かがバタバタ。
よく見ると・・ジャコウアゲハだ。
去年、何頭かのジャコウアゲハを羽化させたのだが、その内の1頭が部屋の中で行方不明になり・・探し回ったけれど見つからなかったのだ。
どうやらテレビ台のすき間で蛹になって、冬越ししたと思える。
去年の飼育記事 参照 ここ
・・が、狭い所で羽化したので、翅が伸び切らず変形している。
気の毒なことをした。
息子が、夜、川のそばのウマノスズクサの自生地に放しにいった。