チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2024.05.28 幼馴染が、コロナになった。
小学校以来の幼馴染がいる。
彼女は,毎日の様に我が家に遊びに来ていた。
我が家は引き上げ家族で、戦後、貧乏だったので、おやつなど、ほとんどなかったが、
父が船乗りだった為、外国製の酸っぱい粉末ジュースがあった。
空きっ腹に、酸っぱい液体だけで、辛い思いをしながら、遊んでいた。
ごめんね、ひもじかったでしょう?と今でも思い出す。
彼女は、地元の人で、貧しくはなかったが、父親が働かない人だったので、それなりに
苦労をしたと思う。
でも彼女の一族は大地主で、叔母さんは、我が家の隣に大きな葡萄園を持っていた。
父が一度、そこの葡萄を買ってきて、葡萄酒を作ったことがあった。
とても良い匂いで、甘くて美味しかった。
その後、閉園したが、後まで語り草になる程美味しい葡萄であった。
彼女は、「この地は田舎の漁村だったので、何の文化もなかった。敗戦後、焼け出された
都会の人の為の市営住宅ができたことで、(そして、我が家の様な外地引き上げ者の
おかげで)、初めて、都会の文化が持ち込まれた。とても感謝している」と言っていた。
村の人は、ジュースどころか、紅茶も知らなかったようである。
彼女は、レコードも我が家で初めて聞いた。(我が家の兄が就職して、趣味として集め
始めていた。)
もちろん、蓄音機も初めて見た。
その頃聞いたレコードの曲、シャンソン類(「パリの屋根の下セーヌは流れる」「人の
気も知らないで」など、他に「会議は踊る」など)、頭の良い彼女は,曲の名前を全て
覚えていて、今でも、スラスラと言う。
我が家が転居した後も、彼女はこの地に住み続けたが、彼女にとって、我が家の小さな
借家は、思い出の原点らしく、「何か悲しいことがあると、あなたの住んでいた家の
裏山に行って泣いていたのよ。」と後で聞いた。
我が家は,山の中腹にあったが、その裏山で、二人で歌を歌ったりしてよく遊んだ。
そんな彼女は、お便り大好きで、今回の私の手術を心配して、メッセージが来るわ、
その日の夕方には電話をくれるわ、おまけに、翌朝にはマンションの郵便受けにハガキ
が入っているわという状態。
それで、私も、手持ちの絵葉書でその対応をすると、彼女は大喜び!
「私は,お便りをもらうのも大好きなのよ。」とのこと。
先日、そんな彼女からの電話が、コロナにかかったとのことだった。
今頃、コロナに罹る人が意外に多いことに驚いた。
心配して電話すると、「今、入院してるのよ」とのこと。
彼女の家の近くに、病院が多いなというのが、私の印象だったが、今、その一つに入院
しているらしい。良い病院があって良かった。
電話すると、しんどそうな声であった。
早く元気になってほしい。
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