何気なく掛けられた言葉のひと言に、深い意味を考えることが、時々あります。
昨日のブログにも書きましたが、今日は高島平団地の北地域の催しの日です。
生来の不器用に練習不足も加わり、私のギター演奏は酷いものでした。
バンドリーダーに借りた、フェンダーのエレキギターも、さぞ泣いてることと思います。
しかし、観にこられた人は高齢者が中心で、その寛大さのお陰か徐々に盛り上がり、演奏してる方としては、反省も多々ありますが、楽しいものでした。
やはり、音楽は理屈抜きに楽しいものです。
その言葉を掛けられたのは、演奏が終わって後片付けのために、演奏をした団地の集会室を出た時でした。
集会室の外に独りで立っていた、小柄であまり丈夫そうでない、80過ぎぐらいの男性から、声をかけられたのです。
「ありがとね」のひと言なのですが、小さな声の分だけ、逆に感謝の気持が伝わりました。
これが、「良かったよ」とか、「お疲れ様」の言葉なら、この時の感情にはならなかったと思います。
この方に今日の演奏を、誰よりも喜んで頂けたのかもしれません。
何れにしても、このひと言で地域活動に、改めて意義を感じました。
あるいは、これからの活動にもっと打ち込むよう、この方を使った神様の声でもあったのでしょうか?
『天使のためいき』 - フランス・ギャル
昨日のブログにも書きましたが、今日は高島平団地の北地域の催しの日です。
生来の不器用に練習不足も加わり、私のギター演奏は酷いものでした。
バンドリーダーに借りた、フェンダーのエレキギターも、さぞ泣いてることと思います。
しかし、観にこられた人は高齢者が中心で、その寛大さのお陰か徐々に盛り上がり、演奏してる方としては、反省も多々ありますが、楽しいものでした。
やはり、音楽は理屈抜きに楽しいものです。
その言葉を掛けられたのは、演奏が終わって後片付けのために、演奏をした団地の集会室を出た時でした。
集会室の外に独りで立っていた、小柄であまり丈夫そうでない、80過ぎぐらいの男性から、声をかけられたのです。
「ありがとね」のひと言なのですが、小さな声の分だけ、逆に感謝の気持が伝わりました。
これが、「良かったよ」とか、「お疲れ様」の言葉なら、この時の感情にはならなかったと思います。
この方に今日の演奏を、誰よりも喜んで頂けたのかもしれません。
何れにしても、このひと言で地域活動に、改めて意義を感じました。
あるいは、これからの活動にもっと打ち込むよう、この方を使った神様の声でもあったのでしょうか?
『天使のためいき』 - フランス・ギャル