遅い朝食を摂り、コーヒーを淹れて、飲み終わったら11時55分。
今朝は血圧が高かった。140台後半。脈も65と些か早め。
確か昨朝もだったと思うが喉が異常に乾いて気持ち悪かった。
「これはいよいよ糖尿病?」、と、続けて二、三度日記に書いた筈なのだが、いくら見返しても見つからない。
散歩に行ったことだって、歩数まで書いた筈なのに要した時間しか書いてない。
これが「ボケた」ということなのかもしれない。
書いたと思うけど自信がない。自信がないから何度もチェックし直す。鍵をかけては不安になって直ぐ開け、確認して鍵をかけ直し、また不安になって鍵を開け・・・・、ということを延々と繰り返す。
逆に「絶対間違いない!鍵はかけた!!」と自信たっぷりで断言し、でも実はかけてない、というのとでは、どちらがマシなのだろうか。不安になるほうがまだマシ、か。
程度からすれば「根拠のない自信」のほうが怖い。下手すりゃ大怪我をする。高速道で「おれは間違ってない」と逆走する。店に突っ込んどいて「アクセルとブレーキ、踏み間違えるなんて、あり得ない!車が壊れてたんだ」と言い張る。アメリカでトヨタの車が槍玉にあげられ、確か大変な賠償金払った筈だ。
先日は「事故を起こさないような車の開発を望んでいる」と、人を撥ねといて他人事のように言い放った上級国民殿もいた。
「鍵をかけては、また開けて~」を延々繰り返していたら日が暮れる。
でも根拠のない自信で行動していたら事故を起こす。運転免許返納して歩いてたって事故を起こす。「遭う」んじゃなくって「起こす」。
赤信号で「でも、歩行者が優先だから」、「歩き出したら車は止まるのが当たり前だろう」、と自分の行動に絶大な自信をもって行動してしまう。「そんな危ないやつ、家から出すなよ」と言ったってその時は家の中で事故を起こすんだから。
「三つ子の魂、百まで」で、小さなときに体で覚えこんでしまった社会通念はどんなにボケても根本は残っている。だから戦前の社会通念を体で覚えこんでいない昭和20年以降に生まれた人間ばかりになると、日本はすっかり変質してしまっていることになる。
・・・・・あと20年ほどか・・・・。