CubとSRと

ただの日記

「あしひきの」

2019年12月27日 | 神社
 神道(しんとう)の、いや、もっと前の「あの世」の話です。

 例によって以前に書いた日記から、です。

 「地獄」「極楽」という佛教の「方便(たとえ)」。
 一般に「方便品(ほうべんぼん)」と言われる仏典(経品、お経です)に見られるたとえ話の世界では、地獄、極楽も、実は「あの世」ではない。
 あれらは、あくまでも心の在り方を六道(重層する六つの世界)で説明しているだけです。

 死後の世界、というのを「あちら側(彼岸)」と「こちら側(此岸)」という風に分け、普段は往来ができないもの、程度に観念(分別)して、そんなことより、「それを忌避するより、あるがままを認めなさい」というのが佛教で、でも、認めなさいと言われたって、はい、そうですか、とならないのが人の心。腑に落ちるまでに時間がかかるし、それなりの考え方の変革をしなければならない。
 佛教だって、やっぱり「仏も押し退けつつ抱きしめる」のです。
 (物の考え方を身に着けることで、世界を新たに捉え直すことをする。聖書の「神は押し退けつつ抱きしめる」、「これまでのすべてを排除しながら貴方の全てを受け入れる」、というのと同じ論理)

 ほら、また脱線した。
 日本の「死後の世界」、です。
 だから、地獄、極楽の対立が死後の世界、ではない。三途の川があって、向こうが彼岸(ひがん)、こっちが此岸(しがん)。六道銭を渡し賃として持って行かなきゃ、渡してさえくれない。あの世に行けない。「地獄の沙汰も金次第」は、この六道銭の話もあるんでしょう。
 「六道」、から、「あ、これは佛教の方便(たとえ)だよ」、とわかります。

 真田の旗印が六文銭なのは、六道銭なのでしょう、「死ぬ覚悟はできている」と。
 三途の川も、だから、日本の「死後の世界」ではない。

 では、ということで、お待ちかね(?)「黄泉(よみ)の国」、なんですが。
 これ、黄泉津比良坂(よもつひらさか)という坂が、この世とあの世をつないでいて、イザナギの命が、失ったイザナミの命を連れ戻しに黄泉の国へ行き、「待っているように」、という約束を破って、様子を見に戻ったため、黄泉津醜女(よもつしこめ)に追い掛けられ、必死で逃げ帰った坂である、と。

 黄泉の国、黄泉津醜女、黄泉津比良坂、などから、「黄泉の国があった」となるわけですが、どうも、これ、もう一つピンときません。
 ただ、何となく、イザナミの命が支配する死後の世界、というのは墳墓の中の話、みたいな感じがします。
 玄室と羨道の間の話を、人気漫画の一つの戦いみたいに延々と描く。

 実際、神道で「あの世」というのはこれだけで、どうも重苦しく、陰気な気分が拭えない。
 それだけでなく、あまりに中身がおどろおどろしく、そのくせ、内容に乏しく貧相だ。どうも、神道では「死後の世界」は、現世と表裏といった風ではないみたいです。

 古事記から(八百万の神々のことが書かれているのですから)死後の世界をさがすと、こうなってしまい、黄泉の国で行き止まりです。
 対して、「死」に対する心だけ読むならば、こんなのがあります。
 古事記の中に我が子を失った二柱の夫婦神が、その子の友達だった神が弔意をあらわしに来たのに、我が子が生き返ったと、抱きつかんばかりに狂喜したものだから、その神が大変に怒り狂い、祭壇も何もかもぶち壊して引き上げた、という話。

 死。不浄なものを、怒り狂うことによって祓った、ということになります。勿論、これは「死生観」で、死を忌むべきもの、穢れたもの、と見ていたことは分かるものの、「死後の世界」そのもの、ではありません。

 こうなるともうお手上げなんですが、実は古事記よりまだ古いかもしれない資料がある。
 
 それが万葉集です。
 天皇の命によって編まれた世界最古の歌集は、その時に詠まれた歌のみならず、過去の歌も入るわけですから、その歌の中に、物の見方、文化、も見える。
 そうした中から、死後の世界を考えることができるもの。
 
 それが枕詞の一つ、「あしひきの」という言葉です。「の」を取ってしまえば、「あしひき」。
 「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む」
 「あしひきの山のしづくに妹待つと我が立ち濡れし山のしづくに」

 何故「山」という言葉の枕詞として、「あしひき」という言葉が用いられるのか。
 「足引きの」、です。「足を引っ張る」。
 つまり、こうです。山は足を引っ張られるところ。足を引っ張られて迷ってしまうところ。迷ってしまうと帰れない。

 死んだ人は、みんな山の中に居て、現世に帰って来られずさまよっている。
 だから、人を見ると、人恋しくて、足を引っ張って戻れないようにする。
 一人で山に入ると、そういうことになるから、決して山には入らないように、ということになるのですが、初めの段階、というのは、そうやって、何となくうすぼんやりと、死後の世界を思う。

 なんだか怖い、という気持ちはあるものの、随分と、淋しく、切ない思いがします。
 これが、一番古い、日本人の心象です。何とも純朴で穢れのない思いではあります。
 しかしここには、虐殺の恐怖に怯えて暮らした歴史は、存在しないのが、直感されます。

 「山」は、そういった場所。神聖でもあるし、おそろしくもある場所。
 でも、見方を変えれば、死者が住む場所を変えたわけだから、そこは尊重して踏み入らない。

 日本の神は基本としては山にあって、神社も本来は山そのものが御神体であるから、と、本殿はなく、拝殿だけだった、というのも、この辺りの、「畏敬」の念を感じます。

 初めは「恐れ」だったのでしょうが、「畏れ」に変わる。
 この辺りから、「神」への思いも明らかになってきたのかもしれません。
 
 「敬して見詰める」のと「畏れて頭を上げられない」のとでは、心の発達にも大きな違いが出て来ます。
 信仰も、「畏れる」と「畏敬の念を持つ」、とは違ってくるでしょうね。 
 「敬する」、だけなら「仰」はないから、信仰とは言わないのかも。

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分祀、遥拝所

2019年12月27日 | 神社
 神様の鎮座されているところまで、参拝に行きたいのだけれど、それぞれ日常の生活があるため、参ることが適わない。
 どうしよう。
 
 お金があれば、そのお金を持って神社に参り、何とか我が村へ神様にお出でいただけないか、と神官に頼む。
 神官は他の神官と相談して、神意に適うとなれば「立派な社を造営するように」と返答する。
 神様が「あんな所へは行きたくない」などと言われる筈はないので、立派な社ができた時点で、神様の御魂を分ける。これが分霊、そして分祀、です。
 御魂を分けた宮だから、「分宮」、ということですが、あんまり「分ける」という言葉は遣いません。

 大体、何でも分けたら減るものなんですが、分けても分けても減らないのが御魂です。
 だから「分ける」、でなく「分かつ」、と言うべきでしょうか。
 (ますむらひろしのアニメーション映画「銀河鉄道の夜」の中で、リンゴをいくつにも分ける場面がありましたが、イメージとしては似ているんじゃないでしょうか。キリスト教の、パンをみんなに分け与えたらみんな十分に食べ、満足できたという話がもとになっているんでしょう。御魂を食べちゃいけませんが。)

 そうすることによって御魂はどんどん増えて大きくなっていく。最後には空に満ちてしまう。枕詞で「空に満つ」というのがあります。「大和」の枕詞です。

 「分ける」でなく、「分かつ」と捉えたら、「分宮」を「わけみや」でなく「わかみや」とも読めるでしょう。
 「若宮」というのが、御子神の場合もあれば分祀された神社の場合もあることを知ると、少し見方が変わるかもしれません。

 分祀をというわけにはいかないけれど、参拝はしたい。
 ならば元々の形通りに、富士講なら富士山に向かい、戸隠講なら戸隠の山々の方に、伊勢講なら伊勢の方へ向かって、「遥拝(離れた処から拝する)」すればいいではないか。

 というわけで拝殿だけ作る。それも無理なら「遥拝所」を設置する。その拝殿、或いは遥拝の場に立てば、その遥か彼方にお参りしたい神社がある。

 それが「遥拝所」或いは「遥拝殿」です。
 だから、本来は神様の依り代はありません。
 と言っても、目前に高い山や建物があったりして年中全く遥拝することができない場合は、目印として御幣を、また、鏡を依り代のつもりで奉ずる場合も出て来ます。

 歴史のある事柄はいつでも、こんな風に遠すぎてしまうとぼやけて来る。
 と言って、眼前のことだけを見詰めていると思いもよらぬ見間違いをしてしまいます。



2012.05/02
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