略)
明らかに結婚の機を逃した独居中年らしき男性は、米や焼酎を積んだ自転車をふらつかせながら、ショッピングモール前の道路から大きな交差点へと至る緩い登り坂を見て、イヤそうな顔をしていた。
あのオジサンもスーパーカブを買えば、こんな苦労などせずに済むのに、と小熊は少し思ったが、逆に考えれば時々の纏め買いの時くらいしか原付バイクが役立つ事が無い。そういう人間には自転車で充分なんだろう。
日常生活にバイクがある事で得られる時間を素晴らしいと思う感性は、世の多くの人たちにとって無縁なもの。
~トネ・コーケン「スーパーカブ7」より~
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え?米や焼酎を積んで走ってるとこ、どこで見られたんだろう??
・・・なんてことはない。私は「独居老年」であって「独居中年」じゃないんだから。
それに、自転車持ってないからね。乗ってるのはカブだからね。
それも小熊と同じ黄色ナンバーの。
無駄口はさておき。
この、ネットで更新されたばかりの文章を、早速許可も得ずに転載したのは、いつも通り、気づかされたから。「プディングの味は食べてみれば分かる」、だ。
食べなきゃわからない。想像はできても核心はつかめない。核心がつかめないんだから、その核心から見えてくる世界は到底わからない。
なのに、世間は「想像せよ」「考えよ」という。そのための触感どころか知識すらないのに、どう考えるのだ。考えるという作業は五感を総動員して行わねばならないのに。
自転車とは違う空気感。自転車とは違う振動。車とは全く違うバランス感覚。
日常生活の中、ただ買い物をする時だって違うだろう。
自転車では買い物袋は重さが負担になる。
バイクでは買い物袋は重さが常に意識の片隅にある。
車では?
買い物袋は帰宅するまでトランクの中で忘れ去られる。
買い物の後、別なところで買い足し、トランクを開けたら入れたはずの買い物袋をそっくりそのまま忘れてきていた本人が言うんだから間違いない。