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ただの日記

神道の始まり(渡来した神もある)

2019年12月28日 | 神社
 実はみんな薄々は気づいているんだけど、口には出さない、似たような言い方で「暗黙の了解」、みたいなこと、結構身の回りにありますよね。
 で、そういうことって「暗黙の了解」なんだから、みんな知ってるんだ(知ってる筈だ)、と思って話をしている。知らなかったりしたら「ええ~?信じられな~い」なんて言われるから、知ってるふりをしている場合だってある。
 それが実は大問題。特に日本のような島国では。

 というわけで、「外国から来てる神様だってあるんだから」という話を。

 私の生まれ育った島根県は「四十七番目に有名な県」で、「鳥取の左側」で、「それで、島根県って、出雲のどの辺にあるの?」、なんて言われる、およそ脚光を浴びる事など考えられない県です。
 
 だが!
 県名より有名な「出雲大社」は、間違いなく島根県「の中」にあります。
 なのに「地味なこと、この上ない」と言われる・・・・。
 更に中国地方ながら、「山陽」ではなく、「山陰」と言われる。
 これまたいかにも地味です。
 でも、言っときますけど、「山陰」だってちゃんと陽は射してるんです。
 だから、昼間は明るいんです。

 これ、はっきり言いましょう。
  地味だとか、四十七番目だとか、暗い、だとか思ってる人!!それはあなたが物知らずなだけですぞ。
 「島根県」という県名は、「出雲県」でも「石見県(いしみ、ではありません。いわみ、です)」でもありません。これは「大和島根」という語から来てるんです。

 「大和」は天孫族が入って、日本を創めた地。肇国(ちょうこく)の地。
 「島根」は根の国の支配者大国主神と、子の事代主神を祀る地。
 「天と地」、「初めと終わり」は、この二国で支えている。
 加えて、大国主の子の建御名方神は、諏訪の地で日本の背骨を守る。

 この島根県には「韓神(韓国)新羅神社」という神社があります。スサノヲ神や、五十猛(いそたけ)神が新羅から戻って来られた時、しばらくこの地に居られたので、そう言うのだそうですが、確実に言えることは、この親子二柱の神様は半島と日本の間を往来しておられた、ということです。
 つまり、朝鮮半島と日本には神代の昔から往来があったということになります。
 また、大国主神も韓より戻って来られた時、島根中央部の(現在の大田市)仁摩町大国の大国主神社(八千矛神社)に居られたといいます。
 同じ仁摩町宅野(たくの)にはスサノヲ神を祀る韓島神社もあります。
 ついでに、出雲大社では大国主神は半島の方を向いて(神殿内で左向き)鎮座されています。

 日本全国に新羅神社はいくつもあります。
 社名は漢字を当てているだけですから、全国の白石神社や、白髭神社の元を辿ると、それぞれにつながりはないようでも、韓・新羅の古史が垣間見えます。

 兵庫県の北部、但馬国に出石(いずし)という土地があります。
 皿蕎麦とお家騒動(仙石騒動)が有名ですが、但馬国の一宮である出石神社の祭神天日矛(あめのひぼこ)は、新羅の王子だったのが家来を連れて渡来し、出石を拓いた、とされています。当然、産土神となります。

 韓や新羅等、渡来の神々は結構あって、当然のように神々が引き連れて来た人々は、日本に住み着き土地を拓いて「日本人」となっています。
 神戸市の北部一帯には、百済からやって来たという伝承を持つ人々があり、中には今でも百済姓を名乗る人もいます。
 勿論最近の帰化ではなく、遅くとも平安期以前には居住していたようです。

 それらの人々を端から否定したり、拒絶したりするのではなく、彼らが元々の日本人と共に、日本をつくる力となったこと、又、それを従来の日本人は快く受け入れ、「悪いことはすぐ習ってしまう」筈のところを、努力で良いものばかりにしていったという事をこそ、見るべきではないかと思います。


 補)
 ここに書いた韓・新羅の人々は、現在の南北朝鮮人と同一の民族ではないそうです。 


2012.05/03
コメント
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