CubとSRと

ただの日記

神道のこと(仏教が伝わらなければ②)

2019年12月29日 | 神社
 先回、 
 「仏教が伝来していなければ、成立していた神道は今頃跡形もなく消え去っていたかもしれません。そして、キリスト教、もしかしたらイスラム教の国になっていたかもしれません。」
 などと些か刺激的な書き方で終わってしまいました。
 でも、何故、そんなことが言えるのか。
 そのことを書いて、今回の一連の日記を終わるつもりです。

 いつだったか、正確には覚えていないのですが、場所もこれまた同じで、タイだったかカンボジアだったのか、はたまた大陸の南部、少数民族の土地だったのか。ともかく、辺鄙な地域での話です。
 その土地に行くと、それぞれの村々の入り口に門がある。
 門と言うよりも、柱を二本立てて、その上に同じような丸太が渡してある。そうです、ちょうど鳥居のような形になっている。
 そして、ご丁寧なことに、その、横に渡された丸太の上には木彫りの鶏が載せてある。それこそ正真正銘の「鳥居」になっている。

 その名を「鳥居」・・・・・とは、まさか言わないんでしょうが、やっぱり村の入り口というのは「そこから世界が違う」という印としてそうやっていたらしい。
 「守り」とか「見張り」のための櫓ではない。ただ、「鳥」がいるから、「見張り」のまじないにはなっていたかもしれません。でも、別に門扉があるわけではないんだそうですよ。

 その話を知った時、数十年前、学生だった頃に聞いた(と思う)ことを思い出しました。
 日本の神道というのは、世界中にある(又は、あった)自然崇拝の形でありながら、自然崇拝ではない。かと言って偶像崇拝の側面を持ちながらも偶像崇拝でもない。
 原始的な宗教のように見えるけれども、原始的なりの「教義」のようなものもない。
 敢えて言えば、「清明正直」、「清く、明(あか)く、直き」心持ちで毎日を生きよ、と言うだけ。

 そんな不思議な宗教(当時は宗教と思っていた)が、何故「日本にだけ」あるんだろう。
 そんなことが疑問だった時に、こう教えられたんです。
 「神社は支那にも朝鮮にもあった」
 、と。
 もっと言えば、アジアには神社があった。
 別に大東亜共栄圏を提唱して、それで神社をアジア中につくらせた、というんじゃない。神社があったのは数千年昔の話ですから。
 それがみんな滅びて、神社は日本だけに残った。

 この話を、鳥居の村の話を知った時に思い出した。

 こんな風に書けば、神社って絶滅危惧種みたいですが、まず、「神社」と言う言葉の意味をもう一度書きます。
 神社とは建造物のことではなく、「場」のことです。「神々が集う場」。それが神社です。
 神様は、本来は建物に鎮座されるのではなく、「磐座(いわくら)」などの神の「依り代(よりしろ)」に坐(いま)すもの。
 そういう場所、どこにでもあるでしょう。「聖地」という名で。
 アボリジニーの聖地として有名なのがエアーズロックですが、最近なら「パワースポット」と言われるところがあるでしょう。あれです。あの「場」が神社です。

 それが、日本以外は全てなくなってしまった。どうしてか。

 大陸も半島も、そこに新しい考え方(宗教)が入って来る(或いは新しい考え方が生まれる)と、既存の考え方(原始宗教と言っても良いでしょう)と衝突します。
 そして、既存の考え方は為す術もなく打ち破られていきます。
 そこに残された神社(パワースポット)は、新しい考え方(宗教)の流布のための拠点となる。早い話が神社が敗れ、その「聖地」に「寺」が造られるわけです。

 その時、「宗教論争」が行われたのか。いや、そんな立派なものはなかったでしょう。でも、「新しい神様の方が立派だ」という意見が勝ち、論争では既存の宗教が簡単にやり込められたのは確かです。
 そして既存の宗教は、新しくやって来た神様のきらびやかさ、賢さの軍門に降るしかなかった。

 勿論、この新しい神様とは「仏」のことです。
 仏教はこうやって、土着の宗教(原始宗教)を次々と打ち破り、その「考え方(宗教)」を大陸全土に広めていきます。半島も同じことです。
 そのため、「聖地」を奪われた半島の人々は、新天地を求めて、或いは部族の全滅を回避するため、この原始宗教である祖先神を奉じて海を渡った。
 目指すは東方の海に浮かぶ蓬莱島。(日本、のことですね)

 前後しますが、大陸では仏教の伝来、その勢力の拡大に対して、在来の原始宗教が「巻き返し」を図ります。不老長生を主とする「道教」です。道教はあのパワースポットを、仏教から取り戻し、そこに道教の「観」と呼ばれる寺院を建てます。あの仙人の修行に必要な仙丹を作り服したり、現在は「気功」と名を変えて共産主義体制下でも認められている、「導引吐納術」などの内丹も、また身体を鍛え上げる外丹も、全て仏教との宗教戦争の手段である、と言えます。


                               (続く)


2012.05/16
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神道のこと(仏教が伝わらなければ)

2019年12月29日 | 神社
 先の回は「渡来した神様もある」ということでした。
 大陸(実際は半島)と往来した神様もある、と書き、スサノヲ神やその子、五十猛(イソタケ、イタケル、イソタケル)命、更には大国主神もそうであったらしい、と書きました。
 これらは神様の力(神威)が、今、我々の考える「國」を越えたものであることを示しています。

 と言っても、最近よく耳にする「グローバル」などといったものではなく、ちょうどギリシャの神々が、人格化された森羅万象の簡単な括りとして人間に把握される(理解される)ようなものでしょう。

 却ってややこしい言い方になりましたが、日本の場合はそれらの森羅万象を畏れ、そして敬い、「畏敬」の念にまで発展させ、「崇敬」という更に一段高い境地にまで進めて、「惟神ゆいしん(神ながら)」という神道の元を創りました。

 ギリシャの神々は、その森羅万象を大まかに纏め上げて「神」とする。
 「完全なるものである神」の子である人間だから、「神」と同じ形をしている。ならば、「神」は人間と同じ形である。
 こういう論法で「神」を見る。
 「太郎君はお母さんにそっくりね」と言うところ、「太郎君のお母さんは太郎君にそっくりなんでしょうね」というような感じでしょうか。

 「神」に対しての、「崇敬」はおろか、「畏敬」の念、なんてない。
 だから、当然、「「惟神」「見てござる」というような、また、「何事にも感謝の心を」なんてのも、ない。
 言い方を換えると、ギリシャの神々は、人間と対等です。だから、神様が人間の娘に手を出したりも、する。

 大脱線しました。
 日本の神々は同じ「森羅万象」を、「畏れる」ところから見詰められる(感じられる、の方がいいでしょうか)ようになったけれども、その見方(感じ方)は、「畏れ」→「敬い」→「畏敬」→「崇敬」と発展していく。
 ギリシャと違って、決して神様と人間は対等にはならない。「なれない」のではなく、「ならない」。
 「神は自然を支配するもの。人間は神を写したもの」とするギリシャの神々と「神は自然の全て。人間はその子」として、飽く迄も「神と人」「カミとシモ」とする日本の神々の見方。

 ここで、初めは同様の出発ながら、その道を辿る際の「心の持ち様」で物事というものは百八十度違ったものになるのだな、ということが感じられます。
 「ギリシャも日本も多神教」、と言う人がいますが、その内容はよほど違ったものになっている。
 古事記を表面的に見ただけなら、ギリシャ神話との類似点はいくらでも見つかるでしょう。
 しかし、結局は物語に終始するギリシャ神話と、国の成り立ちから国の在り方、そして人の「あるべき生き方」までを読み取ることの出来る古事記とは似て非なる物です。

 
 さて、そこに仏教が入って来ます。
 当然に「異国の神」と「日本が生んだ神」との対立が「日本人の中で」起こります。
 それは或る意味では今も続いているけれど、この対立は激しく火花を散らすような形ではなく、前に書いた「惟神(ゆいしん)」の元である、「崇敬」という心での「向かい合い」が主となっています。
 であるからこそ、「神仏習合」とか「本地垂迹」とか「逆本地垂迹」という考え方が生まれて来る。
 原初の「畏敬」の念の創出から「崇敬」の心を、まずは創ってきたからこそ、仏教との対峙によって日本独自の「神道」が成立していくことになります。

 仏教が伝来しなくても神道は成り立っていたでしょう。
 しかし、同時に、仏教が伝来していなければ、成立していた神道は今頃跡形もなく消え去っていたかもしれません。そして、キリスト教、もしかしたらイスラム教の国になっていたかもしれません。

 仏教と向かい合うことにより、神道は世界でも類を見ない高い境地の日本人をつくり、この「日本文明」を発現させたと言えるでしょう。


 次回、仏教の影響力(ちから)について少し書いて、この項はひとまず終わります。(・・・予定ですけどね) 



2012.05/14
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