CubとSRと

ただの日記

《社報「靖國」創刊七百号を祝して》~より

2020年03月08日 | 心の持ち様
2013.11/10 (Sun)

 こちらに戻ってきたら社報「靖國」11月号(七百号)が届いていました。
 今朝になってやっとそれを見たところ、これは私の日記なんかより(当たり前ですか)大事なお知らせが書かれているんだから、となって、急遽部分転載をしようという気になりました。

 初めは巻頭言の「靖濤」を、と思ったのですが、重複している部分も多くあったので、寄稿されている中條高徳(なかじょうたかのり)氏の文章の方を転載します。
 (氏は英霊にこたえる会会長)
 文章は三段に分かれていますが、今回は初段のみ、転載します。
 二段目以降は次回に。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 社報「靖國」創刊七百号を祝して

 昭和二十六年四月に呱々の声をあげた社報『靖國』が、この号で七百号になると云う。
 最近の若い人達には全く理解できないことであろうが、戦い敗れ、GHQ(連合国総司令部)の三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタートと知るだけでも身のひきしまる緊張感に襲われる。朝日新聞や時事通信も発刊停止命令を受けた。
 マッカーサーは、靖國神社を焼き払いドッグレース場にしようとビッテル神父に相談したら「戦争犠牲者を祀る所にそのような処置をする事は、米国の永久の恥辱となるであろう」との進言で計画を取りやめたという噂も流れていた頃である。

 日本の敗戦を期に韓民族(朝鮮半島)は、三十八度線を境に南北に別れた。昭和二十五年北朝鮮が突如韓国に侵攻し、釜山にまで迫った。世に言う「朝鮮動乱」である。
 国連軍総司令官でもあったマッカーサー元帥は連戦連勝、北朝鮮軍を鴨緑江まで追いあげ、北朝鮮を支援のために鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったし、アメリカによる永久占領の懸念すらあったのに、我が日本列島がこの動乱発生によってモスクワを中心とする赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた瞬間であった。

 占領軍は数年前、ポツダム宣言によってわが軍を無条件降伏させたのに、この動乱発生と同時に軍隊の編成を命じてきたのである。
 時の総理吉田茂は、我が国はとてもその要請に応ずる体力にあらずと警察予備隊を発足させた。これが現在の自衛隊である。
 分かり易く云えば、我が国が永久にアメリカの対抗勢力にならないように進められてきた占領政策を放棄して、アメリカのリードする自由主義陣営の防波堤に変わった瞬間であった。考えられないような神風の到来であった。

 朝鮮動乱の経済的効果を説く学者も多くいるが、我が国が掴んだ国家利益はそのような経済的利得どころではなく占領下で虫ばまれつヽあった自虐史観一掃のチャンスであり、その役割を果たすべく、あのきつい言論統制の占領下に社報『靖國』を発刊しえたのは英霊の加護と見たい。
 それだけに今後の社報『靖國』への期待も大きい。
  (転載ここまで)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~

 例によって、「あ、これ知ってる」、とサラッと読み流してしまいそうなことの中に多くの着眼すべき点があります。
 この文章は、単に「社報七百号発刊記念おめでとう」という風に読み流してしまうにはあまりにも惜しい大きな事件が書かれています。

 一つ目は「三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタート」である、という事です。
 朝日も、時事通信も、戦時下から百八十度編集方針を変えて、(それまでの社是を全否定して)発刊にこぎつけたのに対し、社報「靖國」はそうではないという事です。
 つまり、いつ発刊停止命令を出されてもおかしくないものを、英霊を祀るという編集方針を以て刊行し続けたこと。
 おそらく、マッカーサーが「ドッグレース場に」、といったのは半分以上本気だったでしょう。それを「「そんなことをしたらアメリカ末代までの恥となる」と神父がやんわりと諭したのも本当のことでしょう。いかにもアメリカ人の発想であり、いかにもアメリカ人の誇りからの断念、という話です。
 そして、そこに靖國神社は言うまでもなく、当時の政府、議員の心持ちまでが投影されているように思います。
 「何があっても英霊は祀る」
 その必死の気迫が、占領下と雖もマッカーサーに伝わっていったのではないでしょうか。「日本を護ろう」と努めたのは、一人白洲次郎だけではないと思います。名もない草莽の士、神官、占領下の議員の気迫などがなければどうなっていたか分かりません。

 二つ目は「鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ」、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったこと。
 「永久占領の懸念すらあったのに、赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた」こと。
 マッカーサーはGHQが赤色陣営の物となっていることを軽視していたけれど、「朝鮮動乱」で日本に対する認識を変え、永久占領ではなく重要な国と見直すようになったことがここで明らかにされています。

 そして三つ目。
 「我が国が掴んだ国家利益は朝鮮の動乱による済的利得どころではなく占領下で虫ばまれつヽあった自虐史観一掃のチャンスであったこと。」
 確かに朝鮮戦争による経済的効果は大きかったでしょうが、中條氏の説かれる通り、「永久占領」地になる筈の、「決して立ち直ってはならない」筈の日本が、この朝鮮動乱によりマッカーサーの認識を改めさせ、アジアの最重要な国として、敗戦から僅か五年余りで、また世界の表舞台に躍り出ることになった、ということを我々はあまりにも軽視しているのではないかと思います。

 派手なことを言うのではない。大言壮語はしない。けれど、黙々と、着実に歩を進める。実直なのが日本です。その実直さを、世界は時に懼れ、時に畏敬の念を以て見ます。
 その際に、我々が謙虚と思い遣りを以て対すれば・・・・。

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主席の到達点

2020年03月08日 | 心の持ち様
2015.03/24 (Tue)

 雲一つない上天気なのに、霞がかかったようになっている。
 以前に書いた通り、これは実は霞ではない。大陸からの汚染された空気です。
 「あの」「大気汚染予想図」を見ると、今の時期、大陸からのPM2,5は中国地方は連日「やや多い」となっています。

 「PM2,5は見えないんだから、『空気が濁ってるから汚染されてるんじゃ?』というのは、気のせいだよ」、という人もあるだろうけど、そりゃ確かに「見えない」のはその通り。肉眼には見えないんだから。
 でも、PM2,5が見えなくても、もっと大きい粒子も飛んできているわけですからね、その辺が空気を濁らせて見せている、じゃ、PM2,5もあるだろうと。
 「大きい粒子が飛んでくるのに小さな粒子は飛んでこない」、なんてことは物の道理としてあり得ないでしょう。ということは、
 「空気が濁っているのなら、PM2,5も、ある」。

 「日本の空気清浄技術を無償供与してほしい」なんて言葉が聞こえてきたこともある。「空気の汚染は彼らのせいだ。自分で何とかすればよい。散々勝手なことを言っといて!日本の知ったことか。日本に頼るな!」
 そうなんだけれど、そのせいで日本が結構えらい目にあわされていることを考えれば、複雑な気分です。
 彼らのためにと言う前に我々のために何とかできないか。このままじゃ我々も呼吸疾患をはじめとして様々な病気になってしまう。実際、先日も九州で外出を控えるよう注意報が出たんだとか。

 何しろ半島から冬場に流出するゴミの量は半端じゃない。それがほとんど全部、と言って良いほど西日本の日本海沿岸に漂着する。
 それでも海のゴミにはほとんど朝鮮文字が書かれているんだから、「これを見ろ!」と指したら流石の朝鮮人も口を閉ざすしかないんだけれど、ぼんやりとしか見えない空気の汚れには簡体字が書いてあるわけもない。
 「これを見ろ!」と言ったってあのがめついシナ人が認めるわけもない。下手すると「日本の捏造ダ!難癖ツケルアルカ!」

 海岸の漂着ゴミは日朝の係わり方を再考するきっかけになります。けど、白く澱んだ空気は「過去の歴史云々」とは比べようもないくらいな重大事なんだけれど、日本人、意外に考えようとしない。いや、最近、みんなマスクつけてる、って?
 一昨年あたりは、それでマスクが飛ぶように売れたけど、今売れてるのは、花粉症と、「流行」、でしょう?PM2,5、ニュースでもほとんど採り上げない。

 まあ、「理解し合おう」、というのは無理です。相手にその理解能力が、ない。対して日本の方には説明する能力が、ない。
 「言わなくたって、見りゃ分かるだろ?」というのが日本文化ですから、理解能力のない相手への説明は苦手です。
 更に加えて彼の国には「理解しようとしない能力」がある。
 これは彼らの方が数等上です。例の「避諱(ひき)」、って徳目のことです。

 何が何でも長上、或いは彼らの家族を「守る」ために、または長上、家族の「繁栄」のために「力の限りを尽くす」。そのためには盗みだって詐欺だって、とにかく何をしても良い。いや、何でもしなければならない。「嘘」なんてのはその手段の一つでしかないんですから、吐けない方がおかしい。「嘘もつけないような奴は社会不適合者だ」、ということになる。これ(避諱)が社会の成立に於いて重大な「徳」なんですから、必死です。
 それを単純に「息をするようにウソを吐(つ)く」と言ってしまえば、ただの「人でなし」認定をするだけになってしまって、事の本質、社会の在り方を把握することはできない。

 ただの「嘘つき」なら可愛いものです。ただ馬鹿にして、蔑視していればいい。けどそれが「徳目」として重視され、それで成り立つ社会なんですから、社会そのものが違うということです。
 では、「郷に入らば郷に従え」、とばかりに対抗手段として日本もそうやるのか。日本にそれだけの実力、余力があるから彼らのレベルまで落として付き合う?
 それ、買い被りです。
 「実力はあっても余力なんてない」のが社会というものです。どこの国だって一緒です、みんな必死になって生きてるんですから。低次元の相手に合わせれば「朱に交われば赤くなる」。いつしか彼らの軍門に下り、彼らの「ポチ」になる。

 朝鮮に関しては「ほっときゃいい」、は具体的に「対話のドアは常にオープンにしています」という言葉の成果が段々に出てきていますが、「避諱」を相手にするのは、正直、不可能でしょう。何しろシナ三千年(四千年?)の「避諱」の歴史がある。
 彼ら自身「理解」ではなく皮膚感覚になっているから、共産党と雖もこれをやめさせることはできない。それどころか共産党が率先してやっているんだから、こりゃどうにもならない。人民が粗末な人民服を着ていたとき、党の上層部は絹の人民服です。そして豊かになった今、誰が人民服を着ているでしょう。

 「避諱」を受け入れた時点で(捨て去れなかった時点で)、この共産党は偽物です。家族や長上の繁栄を願う共産主義なんて有り得ない。やっぱり共産主義の皮をかぶった、避諱を奉ずるシナ民族のままです。
 だから一か所だけ急所がある。「一党独裁」がそれです。避諱の対象が共産党だけになっていることです。
 共産党独裁政治であるが故に名誉も権利も権威も、全て共産党が独占する。それは同時に全ての失敗も共産党が引き受けざるを得なくなる、ということです。今はそれを誤魔化して日本をはじめとする他国のせいにしていますが。

 「共産主義だけ。それ以外は認めない」ということで国を成り立たせているのだから、共産主義は絶対で、共産主義・シナ共産党が絶対正しい、で押し通す。
 具体的には主席に全権力が集中することが究極の目的で、それが成れば体制は完成する。しかし、果たしてその状態で、国を治めることができるでしょうか。神経は耐えられるのでしょうか。
 今、シナ共産党は人民の信頼を失い続けています。だから「不正」を取り締まることで信頼(名誉・権利・権威)を取り戻そうと、主席は共産党独裁の究極の形である「主席独裁状態」に向けて歩を進めています。そして独裁体制が完成すれば、次の瞬間、主席は全ての不満を一身に背負うことになる。

 「避諱」を間違っている、というより、人々が「共産主義の中では、本当に『家・家族』を守れるのか。共産主義は『家・家族』を否定しているのではないのか。共産党だけが守られているのではないか」と、共産党に目を向け、「家族を守るべきか。共産党を守るべきか」と考えるようになれば、事態は激変するんでしょうね。

 PM2,5のことを書いていたような気がするんですが・・・・。どこで間違ったのかな??
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井上豊太郎

2020年03月08日 | 心の持ち様
2012.06/15 (Fri)

 岩谷産業創業者岩谷直治。
 ・社会に必要なものは栄える
 ・創業の苦しみは繁栄のための投資である
 ・義務を果たせば権利は必ずついてくる
 特に変わったことを言っているのではない。誰にでも納得できることばかりを立てている。
 「まあ、世界恐慌の真っ只中に創業しようというのは、普通ではない。こんな時に『不況の後には必ず好況が来る』、は道理と言っても、それを貫き通すということはよっぽど腹が据わってないとできないだろう」、と思ったんですが、それだって実直に脇目も振らず一所懸命に取り組んでいる姿勢があれば、「側から見たら腹が据わっているように見える」のではないか、と。
 その姿勢で誰にでも納得できることを言っていたら、あれだけの会社になり、後進も氏の思いを受け継いでいるが故に、あのような意見広告を出すことになったのではないか。更には、記録はないけれども、郷土の偉人の話を聞かされ、育った(育てられた)が故に、そういった姿勢が当たり前となったのではないか。
 ・・・・などと思っているのですが。

 それで、今回は郷土の偉人がらみで、もう一つの不買運動(?)の話を。
 この大田市(おおだし)の出身で、井上豊太郎という医者がいます。
 (と言っても、当時は大田市ではないのですが。)
 まず専門の医師でもない限り、知っている人はないでしょう。
 けれどこの人、「日本医学百年史」という本に出ている「我が国医学界の先覚者30名」の中の一人、なんだそうです。
 トラホーム(トラコーマ)治療をはじめとする眼病治療の第一人者で、日本眼科学会、東京市連合医師会等を設立した。

 ・・・・なんてことを書いても、まだぴんと来ないでしょう。
 「ロート目薬」を処方した、ロート目薬をつくった医者だ、と言われたら、やっと「へえ~、そうなんだ」、となるんじゃないでしょうか。
 この「ロート目薬」、言うまでもなく現在の「ロート製薬」の前身で、大阪の山田安民という人が、井上豊太郎の処方したこの目薬を、製造・販売する際につけた名前です。
 最初の社名は「山田安民薬房」という名前だったのですが、点眼用の容器を工夫し、薬を販売したところ、このロート目薬が中心となったので、後、「ロート製薬」と、社名を変えた。
 何で「井上目薬」、じゃなかったんでしょうね。「山田目薬」では井上博士に悪いだろうから、普通は「井上目薬」になりそうなものですが。

 実はこの「ロート」、井上博士がドイツのミュンヘン大学に留学していた時の恩師、アウグスト・フォン・ロートムント教授の名前からつけられたんだそうです。井上博士がロートムント教授の処方箋を持って帰り、それを基本として新たに処方したものを、山田安民が製造・販売したというわけです。
 トラホーム治療の研究者として、ロートムントという教授に教えを受けたことをちゃんと伝えようと思い、自分の名前ではなく恩師の名をつけたのであろうことは容易に想像できます。新たに工夫を加えて処方したのだから、自分の名前をつけても良いようなものですが。
 ロケットやステルス戦闘機、新幹線など、「全て自国で開発した!」、と言い張るどこかの国に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいけれど、お医者さんですからね、そんな非衛生的なこと許可してくれないでしょう。

 例によって「三つ子の魂百までも」、です。
 井上豊太郎という人は、現在の大田市になる前の、邇摩(にま)郡仁摩(にま)町宅野(たくの)の出身です。
 代々医術を家業としてきた家柄で、祖父は医者でありながら漢学者でもあり、町内に漢学塾をつくった人ですし、父は「医は仁術」そのままの一生を過ごし、貧しい人からは治療費も取らず、「生き仏」とまで呼ばれていたそうですから、豊太郎も当然「人間、かくあるべし」「井上の名を汚してはならない」、という姿勢を、この祖父・父の姿から学んでいたことでしょう。

 十七歳で小学校教師となり、二十歳の時、島根医学校へ。
 在学中に医師免許を取り、卒業と同時に萩で医師として勤務を始め、僅か三年で医長(副院長)になった。
 けれども、翌年に上京、ドイツ語の勉強をして今度はミュンヘン大学に留学。そして、ミュンヘン大学で博士号を取り、帰国。

 順風満帆のように見えますが、前に書いたように、あの通りの祖父、父、それに地元宅野の人々の大きな期待。小さな町です、おかしなことはできない。いや、おかしなこと、なんて考えもしなかったのではないでしょうか。
 怠け者からすれば、信念を以って生きる人を見ると、「息苦しいんじゃないかな」とか「もっと楽しまなけりゃ」と感想を持ちます(これは私にはよぉ~く分かります!)が、信念を以って生きている人にはそれが当たり前の事で、別に息苦しいことでも何でもないことなんです。何かを夢中になってやった事のある人なら、その感じ、分かるんじゃないでしょうか。博士は、ごく当然のあり方、生き方として、こつこつと実直に医学の勉強を続けただけです。

 井上博士の、医学に関する多岐に渡る仕事の一つが、山田安民に渡した処方箋というわけですから、「ロート製薬」の初めが「ロート目薬」で、それはロートムント教授の名をつけた井上豊太郎という医師がいたからこそ、なんて誰も考えもしない。
 ロート製薬の社員は、この二人の医学者の名前を知っているかもしれませんが、それだけのこと。ホームページで会社の沿革を見ても、ロートムント、井上豊太郎の名前はなかなか見つけられません。
 「岩谷産業の意見広告」は、どういった社風から生まれたのか、「ロート製薬」という社名に、今、社員はどのような思いを持っているのだろう、なんてことをぼんやり思いました。
 
 今、自分のいる場所をしっかりと見詰める。できそうでなかなかできないことです。
 見詰めるためには、せめてどこから来たのか、「来し方」を省みなければならない。来し方を省みて、今の位置が大体分かる。でも、「大体」、です。
 来し方を省みて、未来を望む。そうしたら、きっと今の位置がもっと鮮やかに見える。
 
 「ロート製薬よ、どこへ行く」、ですね。

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