2013.11/10 (Sun)
こちらに戻ってきたら社報「靖國」11月号(七百号)が届いていました。
今朝になってやっとそれを見たところ、これは私の日記なんかより(当たり前ですか)大事なお知らせが書かれているんだから、となって、急遽部分転載をしようという気になりました。
初めは巻頭言の「靖濤」を、と思ったのですが、重複している部分も多くあったので、寄稿されている中條高徳(なかじょうたかのり)氏の文章の方を転載します。
(氏は英霊にこたえる会会長)
文章は三段に分かれていますが、今回は初段のみ、転載します。
二段目以降は次回に。
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社報「靖國」創刊七百号を祝して
昭和二十六年四月に呱々の声をあげた社報『靖國』が、この号で七百号になると云う。
最近の若い人達には全く理解できないことであろうが、戦い敗れ、GHQ(連合国総司令部)の三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタートと知るだけでも身のひきしまる緊張感に襲われる。朝日新聞や時事通信も発刊停止命令を受けた。
マッカーサーは、靖國神社を焼き払いドッグレース場にしようとビッテル神父に相談したら「戦争犠牲者を祀る所にそのような処置をする事は、米国の永久の恥辱となるであろう」との進言で計画を取りやめたという噂も流れていた頃である。
日本の敗戦を期に韓民族(朝鮮半島)は、三十八度線を境に南北に別れた。昭和二十五年北朝鮮が突如韓国に侵攻し、釜山にまで迫った。世に言う「朝鮮動乱」である。
国連軍総司令官でもあったマッカーサー元帥は連戦連勝、北朝鮮軍を鴨緑江まで追いあげ、北朝鮮を支援のために鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったし、アメリカによる永久占領の懸念すらあったのに、我が日本列島がこの動乱発生によってモスクワを中心とする赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた瞬間であった。
こちらに戻ってきたら社報「靖國」11月号(七百号)が届いていました。
今朝になってやっとそれを見たところ、これは私の日記なんかより(当たり前ですか)大事なお知らせが書かれているんだから、となって、急遽部分転載をしようという気になりました。
初めは巻頭言の「靖濤」を、と思ったのですが、重複している部分も多くあったので、寄稿されている中條高徳(なかじょうたかのり)氏の文章の方を転載します。
(氏は英霊にこたえる会会長)
文章は三段に分かれていますが、今回は初段のみ、転載します。
二段目以降は次回に。
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社報「靖國」創刊七百号を祝して
昭和二十六年四月に呱々の声をあげた社報『靖國』が、この号で七百号になると云う。
最近の若い人達には全く理解できないことであろうが、戦い敗れ、GHQ(連合国総司令部)の三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタートと知るだけでも身のひきしまる緊張感に襲われる。朝日新聞や時事通信も発刊停止命令を受けた。
マッカーサーは、靖國神社を焼き払いドッグレース場にしようとビッテル神父に相談したら「戦争犠牲者を祀る所にそのような処置をする事は、米国の永久の恥辱となるであろう」との進言で計画を取りやめたという噂も流れていた頃である。
日本の敗戦を期に韓民族(朝鮮半島)は、三十八度線を境に南北に別れた。昭和二十五年北朝鮮が突如韓国に侵攻し、釜山にまで迫った。世に言う「朝鮮動乱」である。
国連軍総司令官でもあったマッカーサー元帥は連戦連勝、北朝鮮軍を鴨緑江まで追いあげ、北朝鮮を支援のために鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったし、アメリカによる永久占領の懸念すらあったのに、我が日本列島がこの動乱発生によってモスクワを中心とする赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた瞬間であった。
占領軍は数年前、ポツダム宣言によってわが軍を無条件降伏させたのに、この動乱発生と同時に軍隊の編成を命じてきたのである。
時の総理吉田茂は、我が国はとてもその要請に応ずる体力にあらずと警察予備隊を発足させた。これが現在の自衛隊である。
分かり易く云えば、我が国が永久にアメリカの対抗勢力にならないように進められてきた占領政策を放棄して、アメリカのリードする自由主義陣営の防波堤に変わった瞬間であった。考えられないような神風の到来であった。
時の総理吉田茂は、我が国はとてもその要請に応ずる体力にあらずと警察予備隊を発足させた。これが現在の自衛隊である。
分かり易く云えば、我が国が永久にアメリカの対抗勢力にならないように進められてきた占領政策を放棄して、アメリカのリードする自由主義陣営の防波堤に変わった瞬間であった。考えられないような神風の到来であった。
朝鮮動乱の経済的効果を説く学者も多くいるが、我が国が掴んだ国家利益はそのような経済的利得どころではなく占領下で虫ばまれつヽあった自虐史観一掃のチャンスであり、その役割を果たすべく、あのきつい言論統制の占領下に社報『靖國』を発刊しえたのは英霊の加護と見たい。
それだけに今後の社報『靖國』への期待も大きい。
それだけに今後の社報『靖國』への期待も大きい。
(転載ここまで)
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例によって、「あ、これ知ってる」、とサラッと読み流してしまいそうなことの中に多くの着眼すべき点があります。
この文章は、単に「社報七百号発刊記念おめでとう」という風に読み流してしまうにはあまりにも惜しい大きな事件が書かれています。
一つ目は「三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタート」である、という事です。
朝日も、時事通信も、戦時下から百八十度編集方針を変えて、(それまでの社是を全否定して)発刊にこぎつけたのに対し、社報「靖國」はそうではないという事です。
つまり、いつ発刊停止命令を出されてもおかしくないものを、英霊を祀るという編集方針を以て刊行し続けたこと。
おそらく、マッカーサーが「ドッグレース場に」、といったのは半分以上本気だったでしょう。それを「「そんなことをしたらアメリカ末代までの恥となる」と神父がやんわりと諭したのも本当のことでしょう。いかにもアメリカ人の発想であり、いかにもアメリカ人の誇りからの断念、という話です。
そして、そこに靖國神社は言うまでもなく、当時の政府、議員の心持ちまでが投影されているように思います。
「何があっても英霊は祀る」
その必死の気迫が、占領下と雖もマッカーサーに伝わっていったのではないでしょうか。「日本を護ろう」と努めたのは、一人白洲次郎だけではないと思います。名もない草莽の士、神官、占領下の議員の気迫などがなければどうなっていたか分かりません。
二つ目は「鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ」、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったこと。
「永久占領の懸念すらあったのに、赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた」こと。
マッカーサーはGHQが赤色陣営の物となっていることを軽視していたけれど、「朝鮮動乱」で日本に対する認識を変え、永久占領ではなく重要な国と見直すようになったことがここで明らかにされています。
そして三つ目。
「我が国が掴んだ国家利益は朝鮮の動乱による済的利得どころではなく占領下で虫ばまれつヽあった自虐史観一掃のチャンスであったこと。」
確かに朝鮮戦争による経済的効果は大きかったでしょうが、中條氏の説かれる通り、「永久占領」地になる筈の、「決して立ち直ってはならない」筈の日本が、この朝鮮動乱によりマッカーサーの認識を改めさせ、アジアの最重要な国として、敗戦から僅か五年余りで、また世界の表舞台に躍り出ることになった、ということを我々はあまりにも軽視しているのではないかと思います。
派手なことを言うのではない。大言壮語はしない。けれど、黙々と、着実に歩を進める。実直なのが日本です。その実直さを、世界は時に懼れ、時に畏敬の念を以て見ます。
その際に、我々が謙虚と思い遣りを以て対すれば・・・・。
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例によって、「あ、これ知ってる」、とサラッと読み流してしまいそうなことの中に多くの着眼すべき点があります。
この文章は、単に「社報七百号発刊記念おめでとう」という風に読み流してしまうにはあまりにも惜しい大きな事件が書かれています。
一つ目は「三十項目の厳しい言論統制を厳命されていた占領下のスタート」である、という事です。
朝日も、時事通信も、戦時下から百八十度編集方針を変えて、(それまでの社是を全否定して)発刊にこぎつけたのに対し、社報「靖國」はそうではないという事です。
つまり、いつ発刊停止命令を出されてもおかしくないものを、英霊を祀るという編集方針を以て刊行し続けたこと。
おそらく、マッカーサーが「ドッグレース場に」、といったのは半分以上本気だったでしょう。それを「「そんなことをしたらアメリカ末代までの恥となる」と神父がやんわりと諭したのも本当のことでしょう。いかにもアメリカ人の発想であり、いかにもアメリカ人の誇りからの断念、という話です。
そして、そこに靖國神社は言うまでもなく、当時の政府、議員の心持ちまでが投影されているように思います。
「何があっても英霊は祀る」
その必死の気迫が、占領下と雖もマッカーサーに伝わっていったのではないでしょうか。「日本を護ろう」と努めたのは、一人白洲次郎だけではないと思います。名もない草莽の士、神官、占領下の議員の気迫などがなければどうなっていたか分かりません。
二つ目は「鴨緑江を渡ってくるソ連と中国の実態に接したればこそ」、「日本が戦った戦争は自衛のための戦争であった」と上院の重要発言につながったこと。
「永久占領の懸念すらあったのに、赤色陣営に対する自由主義陣営の最前線の砦に化けた」こと。
マッカーサーはGHQが赤色陣営の物となっていることを軽視していたけれど、「朝鮮動乱」で日本に対する認識を変え、永久占領ではなく重要な国と見直すようになったことがここで明らかにされています。
そして三つ目。
「我が国が掴んだ国家利益は朝鮮の動乱による済的利得どころではなく占領下で虫ばまれつヽあった自虐史観一掃のチャンスであったこと。」
確かに朝鮮戦争による経済的効果は大きかったでしょうが、中條氏の説かれる通り、「永久占領」地になる筈の、「決して立ち直ってはならない」筈の日本が、この朝鮮動乱によりマッカーサーの認識を改めさせ、アジアの最重要な国として、敗戦から僅か五年余りで、また世界の表舞台に躍り出ることになった、ということを我々はあまりにも軽視しているのではないかと思います。
派手なことを言うのではない。大言壮語はしない。けれど、黙々と、着実に歩を進める。実直なのが日本です。その実直さを、世界は時に懼れ、時に畏敬の念を以て見ます。
その際に、我々が謙虚と思い遣りを以て対すれば・・・・。