CubとSRと

ただの日記

「平和」と「和平」

2020年03月26日 | 心の持ち様
2014.06/04 (Wed)

 以前に、「同文同種」ということについて書いたことがある。
 正しくは「同文同軌」というのであって、同じ文字を使い、同じ度量衡(どりょうこう。はかり。物事の基準。車の「軌」)を使うこと。
 「つまり国が統一される、ということ」、なんだ、と陳舜臣が説明している。

 ついでながら「軌」というのは、道にできる二つの「轍(わだち)」のことだ。
 馬車が通れば土道に二つの轍ができる。この均等な幅の二つの溝は、底が締まって固くなっている。
 で、そこに車輪を落とし込んで走ると安定した走行ができる。
 それ故にこの「軌」の道を「軌道」というようになる。御存知、鉄道などを「~軌道」というのはそこから来ている。
 
 この「軌」、馬車によって間隔が違っていると土の道は轍だらけになって走りにくいこと、この上ない。だから、「同軌」にする。すると、当然道は快適に走行できる、と。

 同じ文字を使い、同じ文章を書く。それは同じ「考えの基本」となる。
 同じ「軌」にする。単位を共通のものにすることで、「生活しやすく」なる。
 だから「同文同軌」とは、「国を纏め上げる」「国を統一する」、ということになる。

 日本人はこれを、「同じ文字」、「同じ基準」と解釈する。それだけだ。
 そこには、「変化」「流動」などの予感・不安はない。勿論期待もない。「捉えて、終わり」、だ。概念として捉え、「同文同軌」という語は、その「形容」と見る。そしてそこからの「自然な発展」は喜ぶけれども、能動的に「展開させる」ということは考えない。

 しかし、シナでは違う。彼の国はこれ(文字や基準)を、「同じ」という形容詞ではなく、「同じくする」という動詞として、捉える。
 概念とか形容ではなく(学者的な、第三者的な立場ではなく)、「同じにする」ということこそが大事なのだ。常にそうしてきた。
 当然だろう、そうしなければ、そうやって常に働き掛けねば、侵攻や内乱で、いつ殺されるか分からないのだから。

 それで、「同じくする」。してしまったら、その現実が永遠に続くことを信じる。
 完成して(完結して)しまったのだから、発展はありえない。
 日本人は書いた通り、その本旨を把握することに全力を注ぐ。
 島国なんだから、入って来る新しい異質なもの、その基にある考えを、とにもかくにも把握しなければならない。それ(把握)に全力で取り組むうちに自国の能力を高め、いつも少し背伸びをする形で、冷静に発展してきた。パニックになって、上を下への大騒ぎ、なんてことは戦国時代だけだった。
 それでも朝廷はちゃんと存在し続けているんだから、世界に見られるパニック現象に比べれば、パニックというのが恥ずかしくなるレベルだ。
 やっぱりその時だって、日本は「奇蹟の国」だったわけだ。

 そんなだから、「同文同軌」を間違えて「同文同種」とやったって、さほど違和感なんてなかったのだろう。それどころか、敢えて間違いに目をつぶったんじゃないか、とさえ思う。
 「同じ文字を使う、同じモンゴロイド。大アジアの民、ではないか!」

 でも、実は根本的に違うところがあるのだ、というのが「同」という文字の捉え方だった。日本は形容把握の、「同じ」、と見るけど、シナは動詞、行動の意味で「同じにする」、と見る。

 「文を同じくし、軌を同じくする」ことで、国を「統一する」。
 だったら「同文同種」は
 「文を同じにし、種(だから、この場合は民族)を同じにする」。
 つまり、本来、日本の国を動かすべき日本人の男を根絶やしにし、純粋な日本民族をなくす、漢民族だけにする、ということになる。民族浄化、というやつです。

 「同じモンゴロイド。大アジアの民!」
 なんてのは、本当に能天気な、日本人だけの妄想です。
 「漢民族をやめて日本民族だけにするのでは?」とか「アジアの民、で白人に対抗する、なんてのは?」というのは絶対にあり得ない。
 何しろ、中華の国なんですよ?蛮族である日本人を人として捉えますか?
 「人というのは我々だけのことである」とシナは思い、「人というのは正統を受け継いでいる我々小中華のことである」と、朝鮮は思う。

 さて。
 日本の学者が意図的にそういった誤用を広めたとは思えない。
 けれども「同じ文字を使う、同じアジアの民」というロマンチシズムは多分にあったろう。今なら「グローバリズム」だけれど、昔なら「大亜細亜主義」、だな、きっと。
 日本なら形容詞、情況の説明でしかない「同じ」だが、隣の大国は、動詞、働き掛けのための、極めて現実的な「同じにする」としか捉えない民族なのだ。
 それも、その歴史を省みるどころか自国の歴史を全否定し、共産主義思想で以て「国の夢」を実現させようと目論んでいる。

 その観点から見ると、「平和」なんかは、どんな風な意味になるだろう。
 「平和」、「平和主義」。九条の会の専売みたいになってしまったけど、安倍総理の言う「積極的平和主義」なんてのもある。

 「平和」。
 日本人はきっとこれを「平らか(情景)にして、和む」と読むのだろう。やはり情況を示している、と見る。その状態を描き、それに向かって問題を解決していこうというのが「積極的平和主義」。
 対して「今ある平和な状態」、を維持していこうというのが「平和主義」と言える。勿論「平和主義」は欺瞞的だ。「現実主義」ならぬ「現実容認主義」でしかないからだ。
 そうであっても「平和」は「平らか」と「和む」、二つの字が同等の意味合いで使われている。形容的、情況説明、静的な日本の捉え方だ。

 ではシナの「平和」に該当する語である、「和平」はどうか。
 「和」は目的であって「平」は手段だから、「平らか」ではなく「平らぐ」となる。
 「平らげて和する」。

 これまでの数々の激烈な報道官発言。その裏には何があるのかということを考える上で、こういうことについてちょっと考えて置く、ってことは必要なことなんじゃなかろうか。


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「居合」って名前、変でしょ?  (久し振りに素朴な疑問)

2020年03月26日 | 重箱の隅
2014.05/30 (Fri)

 「 単純なことの繰り返し」の続きみたいな内容ですが。

 「居合」に対するのが「立ち合い」だ、と言われます。「立ち合い」は「向かい合って立っている」。ただ立ってるんじゃないですよ、刀持って立ってる。

 ということは逆に、「居合」は「向かい合って座っている」ということになりますよね。刀を持って。
 前に書いた立身流などは、立った状態からの抜刀、切り付け、なんだそうです。
 とすると「立ち合い」ということになってしまう。
 単に「立身流」という流儀の中の技の一つ、という前提だから、「(立身流の中の)抜刀術」と言ってもいいのかもしれない。
 
 普通、剣術の稽古というのは流儀独特の技を、組み太刀という形でまとめてあります。それを仕太刀と打ち太刀という役割分担を決めて、木刀で繰り返し行う。一般に打太刀の方が格上で、門弟の師範代や兄弟子が務め、弟弟子や門弟に仕太刀をやらせ、技量の向上を謀る(図る、かな?)。
 居合は基本、一人でやります。相手がいないのだから、木刀でやる必要はなく、初めから真剣でやる。目的は立ち合いも居合も同じく「身の捌きを修練する」ため。

 さて。「居合」って変、と書いたのは何故か。
 「坐って始めるから『居合』と言うんだろ?」、なんて、何となし、思っている人、多いんじゃないでしょうか。
 変でしょ?
 だって、普通、太刀を腰に差して正座なんかしますか?
 そりゃどこかを訪ねた時、室内で帽子を取らないのと同じくらい、マナー違反です。いや、ルール違反、ですね(ただし、秘密ということになってるカツラは除く)。
 敵意がないことを示すために、太刀はその家の家人に預けるのが普通でしょう?時代劇なんか見てると。
 家に帰って来た時なんかは言うまでもない。時には脇差さえ差さなかったりするのに、いくら武士の心積もりったって、太刀を腰に差したまま夕食、なんてあり得ない。
 ともかく「腰に刀を帯びたまま正座をする日常」、なんてどこにも存在しない。
 なのに、帯刀からの抜き付けを、「初発刀」などと言って稽古の初めにする。
 おかしい。

 そうなると、これは何らかのもっと別な意味合いからそういう「特殊な稽古の仕方」が案出されたのではないか、と考えるべきでしょう。「残身」から「残心」が発見され、「残心」から、「突き」や弓術の「はなれ」の心境が確定されたように。
 「皮を切らせて肉を断つ」という、相打ちに持ち込んで最終には自分に有利に結ぶ考え方があります。
 これが更に「肉を切らせて骨を断つ」と続き、終には「骨を断たせて命を絶つ」。
 けれどその先に、一転、「命を断たせて名を残す」というのがあるそうです。一種の「完勝(まるがち)」です。これが「否定の否定」です。
 日本の、少なくとも武術を含む「~道」と言われるものには、近代弁証法の姿が垣間見えます。

 「居合」というのは、「座って向かい合う」という意味ではなく、
 「座って向かい合っている時から、既に立ち合いが始まっている剣術の流儀」
 というのが本意と思われます。
 そして、「立ち業」に対する「居業」、などということではなく、「足を自由に動かせないという枠(制限)」を設定することで、「体軸による刀法を身に着ける」という斬新な稽古法を創出したのが居合という剣術の形態なのだ、と考えたら良いのではないでしょうか。
 星飛雄馬の大リーグボール養成ギプス、ピッコロ大王の異常に重いターバンやマント、スポーツ選手の鉛入りのナックルバンドや鉛入りの靴、空手家の鉄下駄。
 そういう感覚的、即物的な枠に対し、正座や居合膝という片足だけ折り敷いた座り方からの抜刀、切り付け、納刀という枠をつくったのは、論理的な新しい体の動かし方追究を模索したからと考えるのが一番自然ではありませんか。

 腕力をつけるために重い振り棒を使うのではありません。腕力が付くのは副次的な効果で、主眼は無駄のない、合理的な刀の振り方を身に着けることにあります。
 剣道でも、数十年前までは左脇が甘くならないように、手拭いを左脇だけに挟んで素振りをする、ということが能く行われていました。
 それと同じく正座や居合膝からの抜刀、切り付けは、より合理的な刀の抜き方、切り付け方を修練するためのもの、となるんじゃないでしょうか。
 あらゆる角度からの切り付けを可能にするために、敢えて足を使えない状態での抜き付けの工夫をする。
 その結果、足を使えない状態に置くことで、新しい足の使い方を発見するということが起こりました。「否定の否定」、その一例です。

 「ただ皮相的に見たって、物事の本質は把握できない」
 これは日本人たるもの、殆んど生まれた時から教えられて来てるんじゃないかと思います。けど、分かっちゃいるけど、「物事の本質を把握する」なんて容易なことじゃない。
 それで、つい「そんな難しいこと言ったって、分からないよ。もっと分かり易く言ってくれないかな」とか、「なに七面倒くさい言ってんだい、要は楽しけりゃいいんだよ!」
 「理屈捏ねてないで、手を動かせ、汗をかけ!」
 ・・・なんて。

 でも「小難しいこと」と拒否するのは、実は自分が「小難しい」と決めつけているだけで、本当はこの「居合」の話のように、
 「何で、『居合』って言うんだろう。刀を腰に差して、正座している時代劇なんか見たことないけどなぁ?」というような素朴な疑問の、思いもよらない近いところに答えはあるんじゃないでしょうか。

 「空軍戦闘機の異常接近は中央の指示か」「現場の指示か」「パイロットの独断か」「処罰は、しなかったのか」「処罰はできなかったのか」
 考えてみることは誰にだってできるし、少なくとも
 「正座して大刀を腰に帯びるナンセンスを、稽古法として案出したグッドセンス」の解明に比べたら、随分と分かり易いんじゃないかと思いますが・・・。

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「継続は力なり」

2020年03月26日 | 心の持ち様
2014.06/02 (Mon)

 ・・・・・って、能く言われるし、実際そう言ってる人はみんな立派だ。
 見てると(聞いたのも含め)、こちらが自然、襟を正さなければ、と恥ずかしくなるような人ばかり。
 何しろ赤い頭巾を被って(実際には被ってないけど、赤い車には乗ってる)、赤ん坊に戻った年齢なのに、この名言を吐く言行の一致した人々は、いつしか自分より若い人ばかりになってしまった。恥ずかしくない、という方が恥ずかしいじゃないか。

 五月の初めに、数日神戸に戻ったのだが、その前辺りから「朝の散歩(?)」に出てなかった。帰って来てからも夜更かしをしたり、寝坊をしたり、雨が降っていたり、で今日までずっと出ていなかった。

 雨の時はしょうがない。でも、夜更かしはしなけりゃいいんだ。
 目覚まし掛けてりゃ寝坊はしない。つまり一言で言えば怠けていたわけだ。

 「身体が重い。動きが鈍い」で、ここ二、三日前から「散歩に行かないからだろうな」と思い始め、今日の朝。
 雨が降っているわけでもない、寝坊もしてない。出掛けないわけにはいくまい。

 ということで黄砂に煙っているのか、それともPM2,5以上の空気に霞んでいるのか分からない空の下、出発。
 歩いてみて驚いた。僅か一ヶ月のことなのに、思った以上に身体が動かない。ちょっとマシになって来たかな、と思い始めた矢先だったので、初めは少々堪えた。
 「何にも変わってないじゃないか、『寄る年波には勝てない』、か。」
 正直、そう思った。
 けど、30分ほどで切り上げて、帰る途中で気が付いた。

 一ヶ月で「元の木阿弥」になったわけではないんじゃないか。
 一年半ほど前と同じか、というとそんなことはない。
 「一ヶ月で元に戻ってしまった」というのは主観的なものであって、決して一年半前と同じではない。それに、この感覚のずれというのは、実は、頭(頭脳、回転)もそうなんではないか。
 「継続は力なり」って言うけれど、継続している時、その向上振りは、喩えて言えば上りのエスカレーターに乗っているようなものだ。確実に上昇しているのに自身は周囲を見なければ、その上昇していることに気付かない。そして大方は、「継続」に集中している(向上を目指して必死になっている)から、周囲を見る余裕なんかない。

 階段を一歩ずつ上がるような、本人からすれば大変な努力であっても、向上を実感できる場があるならいい。だけど、継続のために必死になっている時は「脇目も振らず」、というのが当たり前。気が付いたらとんでもなく向上していて、その過程は全く覚えてない、なんてことになる。
 「継続する」ということはつまり「向上し続ける」ということだ。
 その向上の過程で、「一日休めば、元に戻すのに二日、三日かかる」というのは、だから「大いなる勘違い」なんだ、ということになる。元の位置は相対的に倍の速さで遠ざかっているように見えるだけだ。
 
 というわけで「継続は力なり」、は、「ただ続けてりゃいい」と、或いは「盲目的に信じなさい」、ということではない。
 「ただ続けているように見えるかもしれないけど」
 「続けることは向上することと同じだ」。

 一ヶ月怠けたから、一ヶ月停滞している。そして、体力は穏やかに一ヶ月分低下している。
 でも意識は「向上が当然」と思い込んでいるから、一ヶ月先になっていると見ている。
 計「三ヶ月頑張らなければ、元に戻れない」ということになる。
 実は、これでいけば三か月後、「元」以上になっている。

 「継続は力なり」。
 結局、普通に言われている通りのところに辿り着いてしまった。
 しかし、私の中では間違いなく「金言」から「筋道」に姿を変えた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 前後しますが、これを書く前に「平和と和平」について思ったことを日記に書きました。(挙げてません)
 その下敷きがあって、今回のこの日記になりました。
 「継続は力なり」という金言(静的なもの)が、筋道(躍動の素)として見え始める切っ掛けとなったものですので、次回は、それを。
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単純なことの繰り返し

2020年03月26日 | 心の持ち様
2014.05/26 (Mon)

 先日、ちょっと引き合いに出した「福澤諭吉の居合」について。

 諭吉は九州中津藩士で、藩に居る時は「立身流(立見流でなく)」という流儀の居合を習った。(中津藩では立身新流という、分流のようです)
 大阪に出て滴塾に入り、二年ほどで塾頭になり、すぐに江戸へ移ったわけだから、師について習った期間は十年にも満たないかもしれない。
 だから名人、達人と称されるほどの腕になったかどうかは分からない。
 
 大体が居合の術者は、当時流行していた一般の剣術と違って竹刀を持って打ち合う等の稽古はやらない。だから現実に切り合いでもしない限り、その剣名が諸国に轟く、なんてことはない。
 そんなわけだから、諭吉の本当の腕前ということになると、これはもう「霧の中」、だ。僅かに残る関連の逸話から腕前を想像するしかない。
 また、以前書いたように、大方、亡くなるまで毎日のように稽古を続けていたということだから、それ相当の腕ではあったろうと推測できる。

 その一つが、軍学者の家にあった三尺余りの太刀を容易に抜き、納めてみせたことだ。
 大太刀の持ち主である軍学者が思いもよらなかった諭吉の腕前を見て一瞬言葉を失った、ということだから、相当に水際立っていたのではないか。
 定寸の二尺四寸ならともかく、二尺八寸ともなると格段に抜き辛くなる。三尺を超える刀身のものを苦もなく抜き、納めるのには相当な修練が必要だ。
 更に、それをやって見せた後で、
 「この程度(自分の腕前)では、とても、実際の時には遣えない。却って、危険だから、貴殿は片付けられた方が良かろう」
 、と言っている。

 謙虚、ではなく、これは本心と思われます。普段に使ったこともない、いや、郷里中津でも滅多に目にする機会のない大太刀だったんじゃないでしょうか。軍学者を戒めるために、というより先に、まず一度手にしてみたいという気が、勝ったんじゃないかと思います。
 そして、自分の思った(イメージ)程度にしか、この大太刀を扱えなかった。
 数回の抜刀、納刀で自身の腕前を冷静に観察し切った末の一言がこれ、と考えたら、逆に諭吉の練度の高さが見えて来るんじゃないでしょうか。

 この立身流という流儀の居合は確か数本しかなかったんじゃないでしょうか。
 その数本だけを毎日、飽くことなく繰り返す。
 ① 「飽くことなく」の言葉通りに、本当に飽きることはないのだろうか。
 それとも
 ②(それを)辛抱して何年、何十年とやることこそが大事という教えなのだろうか。「精神修養が第一!!」、と。

 この辺りのことについて、以前、司馬遼太郎が
 「男の子がキャッチボールを好きな理由を、女の子は理解できない」
 みたいな言い方で説明していました。
 側から見れば単調な繰り返しにしか見えないことが、実体験してみると、キャッチ、ピッチ、共に千変万化のものであることが分かります。
 蕎麦打ち職人が「その都度、全く同じにはならない」というのと同じなのかもしれない。
 
 結局は、「究極の一振り」「満足の出来る送・捕球」「これだ、という蕎麦切り」のために、とにかく一つ一つの動作を完璧にしようと集中する。それに夢中になる。
 それなら、何年何十年とやることができるし、それこそ技を遣う際の精神もつくれる。

 一つ違うところは、居合は相手の命を奪うことを根底に置く、ということです。
 そこのところを全く考えることなく、「九条をノーベル賞候補に」などというのは妄想以外の何物でもない。
 「生き残るために、命を捨てる」
 その覚悟で、僅かな技を数十万、数百万回と繰り返す。それが生き残ることに近付くことのできる近道だ、と思います。

 「くるなら来てみろ。話し合うぞ!」なんて言ってたら、一刀両断にされます。

 注、
 立見流は居合の型と、立ち合いの組み太刀の型があったそうです。
 だから稽古場では、相手を立てての組み太刀稽古に重きを置く。勿論、組み太刀ですから、木刀で行います。時代劇みたいな派手な打ち合いをやることはなかったでしょう。大怪我しますからね。

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