2014.03/25 (Tue)
「鎌倉シャツ」の貞末良雄氏の文章からの日記、続きです。
自他ともに仕事ができる、と認めていた。それが、いざ会社が倒産となると、その裏の面が出てくる。就職先は思いもよらぬ都落ち。
それも面接役員の印象は最悪で、ただ一人、社長だけが「それだからこそ、来て欲しい」というような、まさかの合格。
「仕事ができる」ということは、人の言うことを聞かない、言い換えれば傲慢で人を見下す癖がある、ということでもあったようです。
やれやれと胸をなでおろす間もなく、初めに言い渡されたこと、
「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。しかし反論は1週間まってやってくれないか?」
、をできるようにならなければ、晴れて就職、とはいかないと、十日間の研修に行かされる。
「新入社員研修」、ということで、色んなところに行かせる企業があります。中には自衛隊に集団活動の大切さを学びに行かせるところもある。
以前にこの日記にも書いたように、私の父のように京都の「一燈園」(註)に、というところなんか、今でもあるんじゃないでしょうか。
話を戻して。
そこで、貞末氏、いきなり「ありがとうございます」と会う人毎に「お礼」を言われ、面食らってしまった。
けれど、そこで「感謝することを探す」という本末転倒のようなことから、「感謝することの大切さ」を知り、実感するようになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お盆には、どんぶり飯、お汁、鯵の干物、梅干し、以上終わり。」
(この食事が10日間、続いたのだそうです)
《何と、300人の残飯は梅の種だけだった。くる日もくる日も同じメニュー、他に何もなければそれも美味しく待ち遠しい。
自分はシャバ(娑婆)では、どんなに無駄な食い方をしていたのだろうか?
知らず知らずに贅沢が当たり前になっていた。
私たちは残飯、生ゴミが山ほど出る生活を何とも思っていなかったのだ。
また一つ、思い知らされる。
次に「ありがとう」の練習であった。
300人収容の大広間。講師や体験談の合間、一時間おきに乾いた雑巾で、広間の畳を一列になって拭きながら、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と繰り返す。
なんだか馬鹿らしいのだが、これはやれば良いのだから少し運動にもなる。
兎に角やるしかないのだ。》
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、今度は「思いは適う」ということを、「笑う」という行いから実感する、というまたもや本末転倒みたいなことの話です。
でしょう?普通、「おかしいから笑う」のであって、「笑うからおかしい」のではないですからね。でも、「思いが適う」ためには、その思いが適った時の姿を表現する方が近道、とも言える。
要は、「そんな芝居ができるか!」という自尊心、傲慢、蔑視、等の自縄自縛がそれをさせない、ということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《最後、雑巾掛けの後に笑いの練習だ。これはつらい・・・。
楽しくもないのに笑うのだから。これは馬鹿さ加減を通り越している。
笑いの講師が壇上で「皆さん横一列に手をつなぎましょう」と言って、横一列に手をつなぐ。
「さあ、皆さん、隣の方に挨拶して、両手を大きく上げて、さぁ皆さん、たのしいですねー、笑いましょう、ワハッハ、ワッハッハ」
どうして笑うことが出来るのだろうか?両手を上げて「ははは」と笑う振りをする。
終わると、
「それぞれペアになってお互いの手を握り、向かいあって目と目をあわせてください。」
手をつないだのは、80才くらいのおばあさま。
「目を見つめ、さあ笑いましょう。両手を上げてわらいましょう!」
笑うどころか、悲しくなってしまう。
どうして、こんなくだらないことをするのだろうか?
中には大きく笑っている人々がいる。
笑いの輪が広がる。しかし、私は笑えない。
寒気がしてくる。この練習が一時間ごとにやってくる。
とても出来ない。こんなことをやらなければ仕事に就くことができないのか?
もう、嫌だ。こんなブザマな自分が情けない。
お前の自尊心はどこに行ったのだ?2日目の午後、流石に忍耐も限界にきた。
家に帰ろうと心に決めた。》
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで氏は、翌朝、荷物をまとめて帰ろうとします。
しかし、そこで、もう一度考える。
「帰ったら、また職探しだが、そううまくいくとは思えない。ここにいれば、十日間、十万円分の日当が会社から出る。一万円と念じて笑うことで、家族を養う方が良い。」それで、決心した。
「プライドはどうした!」「何と姑息な!」「背に腹は替えられんよなあ」
等、思われるかもしれません。
でも、この辛うじて踏みとどまったことが、どんな未来を切り拓いたか。
十日間の「一日一万円」の辛抱が、今の「鎌倉シャツ」の成功に間違いなくつながっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《笑いの時間だ。おばあさま楽しいですね。思いっきり笑ってみた。
やればできるのだ。何を格好つけていたのか?笑いながら、涙がとまらない。
オレはやったのだ!初めて自分を超越したのだ!
人間はやろうと思えば、なんでも出来るのだ。
人になんと言われようと、自分のため、家族のために戦うのだ。
「馬鹿になれれば、お前は一流だ。」
と父に教えられた27才。父の遺言の様に思い、努力してみたが所詮なにもわかっていなかったのだ。格好つけて、自分が一番可愛くて、強がり言っても臆病者でしかなかったのだ。たのしくなくても演技すれば笑える。
演技で笑っているうちに、気持ちが晴れてくる。やがて本当の笑いになってくる。
何もやらないで私には出来ない、と決めつけてしまう。
そんなことでは、自分に出来ないときめて退去して、なにも挑戦できない自分になってしまう。
「こんな屈辱的なこと」、と考えた。少々不幸と感じている自分を偽って、楽しくもないのに、楽しめそうもない相手方と手を握り、目を合わせ、ほほ笑むなど寒気のすることではないか?
しかし、やってみれば、そんな風に考えた自分は未熟者であったのだ。
人は変われる、変わるのである。
それは苦しいし、苦い体験を通して始めて自分のものにすることが出来る。
これは、学問で得る知識とは別物なのだ。
頭でっかちな自分を反省する。
この笑いの練習くらい為になったことはない。
私の皮が1枚めくれた瞬間であったと、今にして思う。
http://www.shirt.co.jp/column/cat1/53/
http://www.shirt.co.jp/column/cat1/54/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「この笑いの練習くらい為になったことはない。」
「笑う」と言っても、これは、冷笑や失笑のことではありません。
自身が心の底から楽しい、愉快だと思った時の笑いです、言うまでもなく。
赤ん坊は生まれた時はただただ、ビックリする。びっくりして泣く。
次は「不快」、ということを知る。それを「快」に向けてくれるのが周囲の大人であり、その時大人は常に笑顔で向き合ってくれる。そこで、笑顔、笑いというものを知り、真似るようになる。
だから、笑うということは学んだものであり、「笑うから楽しい」という形もあって当然。
ならば、「日本人の特質である謙虚、そこから生まれた思い遣り」、なんてのはもとをただせば感謝から出て来るんじゃないか。そして、その感謝は赤ん坊の時はないわけです。大人から常に教えられて(してもらって)きたことです。そして、「有り難う」と返答するのだと。
占領政策、その追撃戦、と叩き続けられ、70年近く経って自国に誇りが持てないのが普通になった。
でも、ふと気づいた時、「有り難いことだな」「有り難う」と、日本人はごく自然に口にし始める。生まれた瞬間から、周囲の大人に教えられ始めている。
これは全く変わっていない。
そのことを思うと、やはり、先人の造り上げてきた我が国は、素晴らしい国なんじゃないかな、と思います。
「鎌倉シャツ」の貞末良雄氏の文章からの日記、続きです。
自他ともに仕事ができる、と認めていた。それが、いざ会社が倒産となると、その裏の面が出てくる。就職先は思いもよらぬ都落ち。
それも面接役員の印象は最悪で、ただ一人、社長だけが「それだからこそ、来て欲しい」というような、まさかの合格。
「仕事ができる」ということは、人の言うことを聞かない、言い換えれば傲慢で人を見下す癖がある、ということでもあったようです。
やれやれと胸をなでおろす間もなく、初めに言い渡されたこと、
「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。しかし反論は1週間まってやってくれないか?」
、をできるようにならなければ、晴れて就職、とはいかないと、十日間の研修に行かされる。
「新入社員研修」、ということで、色んなところに行かせる企業があります。中には自衛隊に集団活動の大切さを学びに行かせるところもある。
以前にこの日記にも書いたように、私の父のように京都の「一燈園」(註)に、というところなんか、今でもあるんじゃないでしょうか。
話を戻して。
そこで、貞末氏、いきなり「ありがとうございます」と会う人毎に「お礼」を言われ、面食らってしまった。
けれど、そこで「感謝することを探す」という本末転倒のようなことから、「感謝することの大切さ」を知り、実感するようになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お盆には、どんぶり飯、お汁、鯵の干物、梅干し、以上終わり。」
(この食事が10日間、続いたのだそうです)
《何と、300人の残飯は梅の種だけだった。くる日もくる日も同じメニュー、他に何もなければそれも美味しく待ち遠しい。
自分はシャバ(娑婆)では、どんなに無駄な食い方をしていたのだろうか?
知らず知らずに贅沢が当たり前になっていた。
私たちは残飯、生ゴミが山ほど出る生活を何とも思っていなかったのだ。
また一つ、思い知らされる。
次に「ありがとう」の練習であった。
300人収容の大広間。講師や体験談の合間、一時間おきに乾いた雑巾で、広間の畳を一列になって拭きながら、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と繰り返す。
なんだか馬鹿らしいのだが、これはやれば良いのだから少し運動にもなる。
兎に角やるしかないのだ。》
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして、今度は「思いは適う」ということを、「笑う」という行いから実感する、というまたもや本末転倒みたいなことの話です。
でしょう?普通、「おかしいから笑う」のであって、「笑うからおかしい」のではないですからね。でも、「思いが適う」ためには、その思いが適った時の姿を表現する方が近道、とも言える。
要は、「そんな芝居ができるか!」という自尊心、傲慢、蔑視、等の自縄自縛がそれをさせない、ということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《最後、雑巾掛けの後に笑いの練習だ。これはつらい・・・。
楽しくもないのに笑うのだから。これは馬鹿さ加減を通り越している。
笑いの講師が壇上で「皆さん横一列に手をつなぎましょう」と言って、横一列に手をつなぐ。
「さあ、皆さん、隣の方に挨拶して、両手を大きく上げて、さぁ皆さん、たのしいですねー、笑いましょう、ワハッハ、ワッハッハ」
どうして笑うことが出来るのだろうか?両手を上げて「ははは」と笑う振りをする。
終わると、
「それぞれペアになってお互いの手を握り、向かいあって目と目をあわせてください。」
手をつないだのは、80才くらいのおばあさま。
「目を見つめ、さあ笑いましょう。両手を上げてわらいましょう!」
笑うどころか、悲しくなってしまう。
どうして、こんなくだらないことをするのだろうか?
中には大きく笑っている人々がいる。
笑いの輪が広がる。しかし、私は笑えない。
寒気がしてくる。この練習が一時間ごとにやってくる。
とても出来ない。こんなことをやらなければ仕事に就くことができないのか?
もう、嫌だ。こんなブザマな自分が情けない。
お前の自尊心はどこに行ったのだ?2日目の午後、流石に忍耐も限界にきた。
家に帰ろうと心に決めた。》
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで氏は、翌朝、荷物をまとめて帰ろうとします。
しかし、そこで、もう一度考える。
「帰ったら、また職探しだが、そううまくいくとは思えない。ここにいれば、十日間、十万円分の日当が会社から出る。一万円と念じて笑うことで、家族を養う方が良い。」それで、決心した。
「プライドはどうした!」「何と姑息な!」「背に腹は替えられんよなあ」
等、思われるかもしれません。
でも、この辛うじて踏みとどまったことが、どんな未来を切り拓いたか。
十日間の「一日一万円」の辛抱が、今の「鎌倉シャツ」の成功に間違いなくつながっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《笑いの時間だ。おばあさま楽しいですね。思いっきり笑ってみた。
やればできるのだ。何を格好つけていたのか?笑いながら、涙がとまらない。
オレはやったのだ!初めて自分を超越したのだ!
人間はやろうと思えば、なんでも出来るのだ。
人になんと言われようと、自分のため、家族のために戦うのだ。
「馬鹿になれれば、お前は一流だ。」
と父に教えられた27才。父の遺言の様に思い、努力してみたが所詮なにもわかっていなかったのだ。格好つけて、自分が一番可愛くて、強がり言っても臆病者でしかなかったのだ。たのしくなくても演技すれば笑える。
演技で笑っているうちに、気持ちが晴れてくる。やがて本当の笑いになってくる。
何もやらないで私には出来ない、と決めつけてしまう。
そんなことでは、自分に出来ないときめて退去して、なにも挑戦できない自分になってしまう。
「こんな屈辱的なこと」、と考えた。少々不幸と感じている自分を偽って、楽しくもないのに、楽しめそうもない相手方と手を握り、目を合わせ、ほほ笑むなど寒気のすることではないか?
しかし、やってみれば、そんな風に考えた自分は未熟者であったのだ。
人は変われる、変わるのである。
それは苦しいし、苦い体験を通して始めて自分のものにすることが出来る。
これは、学問で得る知識とは別物なのだ。
頭でっかちな自分を反省する。
この笑いの練習くらい為になったことはない。
私の皮が1枚めくれた瞬間であったと、今にして思う。
http://www.shirt.co.jp/column/cat1/53/
http://www.shirt.co.jp/column/cat1/54/
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「この笑いの練習くらい為になったことはない。」
「笑う」と言っても、これは、冷笑や失笑のことではありません。
自身が心の底から楽しい、愉快だと思った時の笑いです、言うまでもなく。
赤ん坊は生まれた時はただただ、ビックリする。びっくりして泣く。
次は「不快」、ということを知る。それを「快」に向けてくれるのが周囲の大人であり、その時大人は常に笑顔で向き合ってくれる。そこで、笑顔、笑いというものを知り、真似るようになる。
だから、笑うということは学んだものであり、「笑うから楽しい」という形もあって当然。
ならば、「日本人の特質である謙虚、そこから生まれた思い遣り」、なんてのはもとをただせば感謝から出て来るんじゃないか。そして、その感謝は赤ん坊の時はないわけです。大人から常に教えられて(してもらって)きたことです。そして、「有り難う」と返答するのだと。
占領政策、その追撃戦、と叩き続けられ、70年近く経って自国に誇りが持てないのが普通になった。
でも、ふと気づいた時、「有り難いことだな」「有り難う」と、日本人はごく自然に口にし始める。生まれた瞬間から、周囲の大人に教えられ始めている。
これは全く変わっていない。
そのことを思うと、やはり、先人の造り上げてきた我が国は、素晴らしい国なんじゃないかな、と思います。