CubとSRと

ただの日記

感謝の念(感謝の思い)  後

2020年03月03日 | 心の持ち様
2014.03/25 (Tue)

 「鎌倉シャツ」の貞末良雄氏の文章からの日記、続きです。

 自他ともに仕事ができる、と認めていた。それが、いざ会社が倒産となると、その裏の面が出てくる。就職先は思いもよらぬ都落ち。
 それも面接役員の印象は最悪で、ただ一人、社長だけが「それだからこそ、来て欲しい」というような、まさかの合格。
 「仕事ができる」ということは、人の言うことを聞かない、言い換えれば傲慢で人を見下す癖がある、ということでもあったようです。

 やれやれと胸をなでおろす間もなく、初めに言い渡されたこと、
 「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。しかし反論は1週間まってやってくれないか?」
 、をできるようにならなければ、晴れて就職、とはいかないと、十日間の研修に行かされる。 
 「新入社員研修」、ということで、色んなところに行かせる企業があります。中には自衛隊に集団活動の大切さを学びに行かせるところもある。
 以前にこの日記にも書いたように、私の父のように京都の「一燈園」(註)に、というところなんか、今でもあるんじゃないでしょうか。

 話を戻して。
 そこで、貞末氏、いきなり「ありがとうございます」と会う人毎に「お礼」を言われ、面食らってしまった。
 けれど、そこで「感謝することを探す」という本末転倒のようなことから、「感謝することの大切さ」を知り、実感するようになる。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「お盆には、どんぶり飯、お汁、鯵の干物、梅干し、以上終わり。」
 (この食事が10日間、続いたのだそうです)
 《何と、300人の残飯は梅の種だけだった。くる日もくる日も同じメニュー、他に何もなければそれも美味しく待ち遠しい。
 自分はシャバ(娑婆)では、どんなに無駄な食い方をしていたのだろうか?
 知らず知らずに贅沢が当たり前になっていた。
 私たちは残飯、生ゴミが山ほど出る生活を何とも思っていなかったのだ。
 また一つ、思い知らされる。

 次に「ありがとう」の練習であった。
 300人収容の大広間。講師や体験談の合間、一時間おきに乾いた雑巾で、広間の畳を一列になって拭きながら、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と繰り返す。
 なんだか馬鹿らしいのだが、これはやれば良いのだから少し運動にもなる。
兎に角やるしかないのだ。》

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 そして、今度は「思いは適う」ということを、「笑う」という行いから実感する、というまたもや本末転倒みたいなことの話です。
 でしょう?普通、「おかしいから笑う」のであって、「笑うからおかしい」のではないですからね。でも、「思いが適う」ためには、その思いが適った時の姿を表現する方が近道、とも言える。
 要は、「そんな芝居ができるか!」という自尊心、傲慢、蔑視、等の自縄自縛がそれをさせない、ということです。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《最後、雑巾掛けの後に笑いの練習だ。これはつらい・・・。
 楽しくもないのに笑うのだから。これは馬鹿さ加減を通り越している。
 笑いの講師が壇上で「皆さん横一列に手をつなぎましょう」と言って、横一列に手をつなぐ。
 「さあ、皆さん、隣の方に挨拶して、両手を大きく上げて、さぁ皆さん、たのしいですねー、笑いましょう、ワハッハ、ワッハッハ」

 どうして笑うことが出来るのだろうか?両手を上げて「ははは」と笑う振りをする。
 終わると、
 「それぞれペアになってお互いの手を握り、向かいあって目と目をあわせてください。」
 手をつないだのは、80才くらいのおばあさま。
 「目を見つめ、さあ笑いましょう。両手を上げてわらいましょう!」
 笑うどころか、悲しくなってしまう。

 どうして、こんなくだらないことをするのだろうか?
 中には大きく笑っている人々がいる。
 笑いの輪が広がる。しかし、私は笑えない。
 寒気がしてくる。この練習が一時間ごとにやってくる。
 とても出来ない。こんなことをやらなければ仕事に就くことができないのか?
 もう、嫌だ。こんなブザマな自分が情けない。
 お前の自尊心はどこに行ったのだ?2日目の午後、流石に忍耐も限界にきた。
 家に帰ろうと心に決めた。》

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 それで氏は、翌朝、荷物をまとめて帰ろうとします。
 しかし、そこで、もう一度考える。
 「帰ったら、また職探しだが、そううまくいくとは思えない。ここにいれば、十日間、十万円分の日当が会社から出る。一万円と念じて笑うことで、家族を養う方が良い。」それで、決心した。
 「プライドはどうした!」「何と姑息な!」「背に腹は替えられんよなあ」
 等、思われるかもしれません。
 でも、この辛うじて踏みとどまったことが、どんな未来を切り拓いたか。
 十日間の「一日一万円」の辛抱が、今の「鎌倉シャツ」の成功に間違いなくつながっている。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《笑いの時間だ。おばあさま楽しいですね。思いっきり笑ってみた。
 やればできるのだ。何を格好つけていたのか?笑いながら、涙がとまらない。
 オレはやったのだ!初めて自分を超越したのだ!
人間はやろうと思えば、なんでも出来るのだ。
人になんと言われようと、自分のため、家族のために戦うのだ。

 「馬鹿になれれば、お前は一流だ。」
 と父に教えられた27才。父の遺言の様に思い、努力してみたが所詮なにもわかっていなかったのだ。格好つけて、自分が一番可愛くて、強がり言っても臆病者でしかなかったのだ。たのしくなくても演技すれば笑える。
 演技で笑っているうちに、気持ちが晴れてくる。やがて本当の笑いになってくる。
 何もやらないで私には出来ない、と決めつけてしまう。
 そんなことでは、自分に出来ないときめて退去して、なにも挑戦できない自分になってしまう。

 「こんな屈辱的なこと」、と考えた。少々不幸と感じている自分を偽って、楽しくもないのに、楽しめそうもない相手方と手を握り、目を合わせ、ほほ笑むなど寒気のすることではないか?
 しかし、やってみれば、そんな風に考えた自分は未熟者であったのだ。

 人は変われる、変わるのである。
 それは苦しいし、苦い体験を通して始めて自分のものにすることが出来る。
 これは、学問で得る知識とは別物なのだ。
 頭でっかちな自分を反省する。
 この笑いの練習くらい為になったことはない。
 私の皮が1枚めくれた瞬間であったと、今にして思う。
 
  http://www.shirt.co.jp/column/cat1/53/
  http://www.shirt.co.jp/column/cat1/54/

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「この笑いの練習くらい為になったことはない。」
 「笑う」と言っても、これは、冷笑や失笑のことではありません。
 自身が心の底から楽しい、愉快だと思った時の笑いです、言うまでもなく。

 赤ん坊は生まれた時はただただ、ビックリする。びっくりして泣く。
 次は「不快」、ということを知る。それを「快」に向けてくれるのが周囲の大人であり、その時大人は常に笑顔で向き合ってくれる。そこで、笑顔、笑いというものを知り、真似るようになる。
 だから、笑うということは学んだものであり、「笑うから楽しい」という形もあって当然。
 ならば、「日本人の特質である謙虚、そこから生まれた思い遣り」、なんてのはもとをただせば感謝から出て来るんじゃないか。そして、その感謝は赤ん坊の時はないわけです。大人から常に教えられて(してもらって)きたことです。そして、「有り難う」と返答するのだと。

 占領政策、その追撃戦、と叩き続けられ、70年近く経って自国に誇りが持てないのが普通になった。
  でも、ふと気づいた時、「有り難いことだな」「有り難う」と、日本人はごく自然に口にし始める。生まれた瞬間から、周囲の大人に教えられ始めている。
 これは全く変わっていない。
 そのことを思うと、やはり、先人の造り上げてきた我が国は、素晴らしい国なんじゃないかな、と思います。
 



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感謝の念(感謝の思い)  前

2020年03月03日 | 心の持ち様
2014.03/25 (Tue)

 「有り難くござりまする→ありがたうござります→ありがとうございます」
 というわけで、これは「思いもよらないことで(とても喜んで)ございます」という意味になります。
 JKでなく、昔の女学生なら「きゃ~、うれしい~!」ってところでしょうか。
 心から発せられた言葉です。神棚に上げてしまった「カムサハムニダ」とは違う。

 以前、日記に書いた「鎌倉シャツ」の貞末良雄氏の文章を読みました。
 氏の勤めていた石津謙介氏の「VAN」が倒産し、「鎌倉シャツ」を創業したということは、その時の日記に書いたんですが、氏は、「VAN」倒産から鎌倉シャツ創業までの間に、あの「スーパーヤオハン」に勤めていたんだそうです。
 先日、そのヤオハン入社の辺りを書かれていたのですが、色々と考えさせられました。
 ということで、今日はそれを一つ。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《37歳のときである。私が勤めていた会社(1800人の従業員・年商400億円)が倒産した。
 予想されたことであったが、他に例をみないこのユニークなFASHION産業は、たとえ経営が困難になったとしても、どこからか救済の手が伸びてくるという、楽観的な見方もあった。
 しかし、1978年4月6日、紛れもなく倒産した。

 その後3~4か月、後輩たちの再就職に奔走したが、自分自身のことは最後になってしまった。どこかで拾ってくれる企業があるかもしれない。と考えたが、いつまで経っても声は掛からない。生活を支えなければならない。妻と子供3人、5人家族である。
 なにもなければ、包丁研ぎでもやるか?研ぎには、子供の頃、母の料理食堂の手伝いで少しは経験もある。しかし、それで一家5人の生計が・・・?
 母がラーメン屋からスタートして料理店をやっている。私も、ラーメン屋から始めてみるか?と思い母に打診。にべもなく断られてしまった。ラーメン屋は60才からなら応援もする。貴殿は37才、もっと世のため、人のために働きなさい。
 万策尽きてしまった。12年もVANに勤め、それなりの実績を残したつもりであった。
 あまりにも猛烈社員でありすぎたのか?私を快く迎えてくれる業界の会社はなかったのだ。しかし、なんとか生き延びなければならない。》

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一旦切ります。
 これまでいつも切り抜けて来ていたから今回も、と思っていたら、今回はどうにもならず、遂に倒産してしまった。
 後輩の再就職で走り回っているうちに、自分の就職先が見つからないままになってしまった。母からも老け込むのは早過ぎると叱られ、全くの八方ふさがりになってしまう。そんな時に人材紹介会社から、「ヤオハン」にという声がかかる。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《役員面接8人中7人には不合格。こんな生意気な奴!と思われた様である。 (後に知ったことだが、役員に口応えすることなど、100%不可の社風であった)
 最後の和田社長面接では
 「貞末さん、私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。だから、私はあなたを採用したいと思います。そんな人が私はほしかった。しかし、貞末さん、規律を乱すことなく、和を大切にしてください。」

 次に社長のお母様、和田かつさん(おしんのモデルに成ったひと)に会うと、
「貞末さん、あなたはきかん気な顔をしている。仕事も良くやってくれるだろう。しかし、会社のTOPは和田和夫だ。それを大切にして、和田和夫を助けてほしい。」

 最後は副社長である和夫社長の弟。
 「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。しかし反論は1週間まってやってくれないか?」》

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「仕事はできそうだが、会社の一員としてはどうだろう」ということを、面接で8人の役員のうち7人が読み取った、というのは、それはそれですごいことですね。
 「役立たず」、じゃない。「役立たず」ならまだいい。これは反対に「壊し屋になる」だろうから、採用反対、ということですから。分かり易い。
 会社としては間違いなく持て余すだろうし、すぐ厄介者となるのは見えている。
 しかし、その反対に賭けた人がいる。それが和田社長だった。
 「私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。だから、私はあなたを採用したいと思います。」 
 社内で波風を起こすだろうからこそ、つまり、刺激を与えるからこそ意味がある、と。
 でも、「しかし、貞末さん、規律を乱すことなく、和を大切にしてください。」と、釘は刺しておく。
 
 波風は必要だけれど、嵐で会社をつぶすようなことをしては意味がない。
 刺激は必要だが、そこに相手を認めない、見下すような気持があったら何も成らない。だから、「規律を乱すことなく、和を大切にしてください」。
 これは「相手を敬して接する」ことであり、「謙虚に向かう」こと、と諭されたということではないでしょうか。
 
 ところが、これで採用となったと思ったら、ここからが大変だった。
 ただ、「やっと就職口が決まった、やれやれ」と思っていたのです。
 しかし、今度は、何気なく聞き流していた社長一族(幹部役員)の話を、実体験しなければならない、肌で感じ取らねばならないことになるとは。
 貞末氏、全く予想もしていなかった。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 《しかし、これで終わりではなかった。河口湖の練成道場で10日間勉強してほしい。
 そのレポート提出で入社が決定される。
 谷口雅春という方が、悟りを開き広めた生長の家道場であった。

 やれやれ、宗教は大嫌いときている。
  道場の門をくぐり、入口に立つ3人の女性がいきなり手をあわせ
 「ありがとうございます」
 私はまだ何もしていない。感謝される覚えはない。戸惑ってしまう。

 いきなり、教材15,000円の購入が決められている。
 10日分の食券30食。A3の大きさで切り取り線が入っている。
 これを全部使わなければならない。気の遠くなる様な量だ。
 部屋は1階奥の6号室、誰も案内してくれない。
 部屋を探しながら廊下をあるく。すれ違う人たちが皆、私に挨拶する。
 皆が皆、手を合わせ「ありがとうございます」
 何なのだ。狂人の世界に迷い込んだのか?》

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こうやって始まった道場での研修で、これまで見聞きしてきたのとは全く違う感じで使われる「有り難うございます」の感触に、貞末氏はすっかり戸惑い、訳が分からなくなってしまいます。 
 しかし、その結果、後にはこんなことを思うようになる。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《ありがとうの言葉の裏に感謝がある。会社を設立し、電話一本、机一つでスタートする。
 誰からも何日も電話一本もかかってこない。SMRオフィス、経験を生かしてコンサルの仕事もやろう!しかし、電話はいつまでも鳴らない。
 4~5日経っただろうか?電話が鳴った。思わず電話に飛びついた。
 有り難う、電話下さって。電話一本が砂漠のオアシスの様なものだ。有難い、感謝感謝だ。
 当たり前のことと思いがちであるが、考えてみれば私たちの周りには、感謝に値することがあふれている。何事にも感謝出来ることを探し、感謝する練習を始めることだ。
 そうすれば、沢山の感謝を発見するスキルが上達する。》

 《“感謝の練習”
 こんな考えてもいなかったことも、練習があなたを救ってくれると確信している。》


    http://www.shirt.co.jp/column/cat1/53/

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「感謝することを練習する」
 「感謝する対象を探す」

 「感謝なんて自然にするものだろう。練習なんか、ましてや感謝の対象を探すなんて。何考えてんだ。そんなの外道じゃないか」なんて思う人もあるかもしれません。
 でも、それじゃ、「日本に生まれたら、その時点で立派な日本人」、と言うのと一緒です。そんなバカな話はない。

 我々の先祖が営々として築き上げてきたものを、身に着けてこその日本人。周りも本人もそのための努力をして来たからこその日本人、でしょう?感謝だって同じじゃないですか?
 「どこで感謝したら良いか分からない」「何に感謝したら良いか分からない」
って人、結構いますよ。「金、払った上に『有り難う』、だなんて、割りに合わねえやい」
 なんて、本気で口にする人、周辺にいませんか?
 

 貞末氏の「規律を乱すことなく、和を大切にする練習」、
 続きは次回に。
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言挙げせぬ国

2020年03月03日 | 重箱の隅
2014.03/23 (Sun)

 先日、「カムサハムニダ」という言葉について日記に書きました。
 単に朝鮮語で「感謝します」という意味だと知って、その後、すぐにあの「カムサ」というのは「感謝」という日本語の朝鮮訛りなんだと分かった時はホントにビックリ仰天。
 それなら、と「カムサハムニダ」、すべてをばらして考えたら「カムサ+ハム+ニダ」だろう。
ということは「感謝」「する」「のだ」じゃないか、という結論に至りました。

 「感謝」などという概念が、日本による統治時代に輸入され、自国語になったのはいいけれど、あまりに高級な(大仰な)言葉のためになかなか遣いづらく、普段は「コマウォ」と言うんだとか。こちらはその伝でいくと、おそらくは「拱(手)するよ」程度のことでしょう。「拱手」という動作抜きで、口だけ。

 「ありがとう」という意味だということですが、日本語のような「(こんな親切は)有り難いことです」、「思いもよらなかったこと」、といった感じが入った、心が動かされた、という意味は初めからありません。さすがに「礼の国」です。儒教が板についています。心が言葉に表されていれば動作は省略しても良いらしい。あ、何だか嫌味ったらしい言い方になってしまいました。
 でも、日本は「言挙げせぬ国」、ですから。心は言葉に出さず、出来る限り動作に表す。こういうところ、日本は手前勝手ですね。そうするしかないのですけどね、島国なんだから。必要に応じて工夫する。聞こうにも先生はみんな海の向こうなんですから、そう簡単に聞きに行けない。

 そういえば、司馬遼太郎が書いてたんですが、大陸では馬に乗る時に袖が邪魔にならないよう段々に筒袖と下穿き(ズボン型のもの)になったけれども、日本では襷掛けを発明して、尻端折りする、袴なら股立ちを高く取る。それで通した、と。
 大袈裟なことじゃない、ちょっとした工夫です。実用面から深く考えて、在るものを十二分に使う。

 通常運転で脱線しました。
 それならば、と思ったのが何故、「ハングル」というのか、でした。「ハングル」というのは「偉大な文字」という意味なんだそうですが、どうも「ハングル文字で書かれている」というのには抵抗がある。
 ありませんか?わたしゃ日本人ですよ。何が悲しゅうてよその国の文字を「偉大な文字」と言わにゃならんのだ。私にとって英国は英国。大英帝国じゃない。同じく韓国は韓国。大韓民国じゃないし、シナは中華、じゃない。
 本当なら、諺文(おんもん)と言ってたでしょう?でも、「諺(おん)」というのは訛り、という意味で、「文」は「字」だろうから、訛りを記すための「字」、いや、「文字もどき」という意味になります。
「ちゃんとした言葉であるシナ語」とは違う「田舎の言葉もどき(朝鮮語)を表す文字もどき」。
それが「諺文」の意味になる。
 幾らなんでも、そこまで馬鹿にした言い方するか?他国のことながら気の毒です。
 だから、「諺文」という言い方はしたくない。でも、「ハングル」、なんて言うのは、やなこった。訓民正音で良いじゃないか。

 それはそうと、何で「ハングル」、って言うんでしょう。意味は「偉大な文字」で良いけど、どこをどう読めば「偉大な文字」になるのか。それで、調べてみました。
 すると、「『ハングル』はもともとの韓国の言葉だから、漢字では表せない」、と書いてある。そんなバカなことがあるか。
 これまで表意文字で己が国の言葉を表わして来たんだから、新しい概念でない限り、それを書き記すのに使った漢字がある筈だ。「ない」というのは、自身が漢字を捨てたせいで意味が分からなくなっただけだ。

 和語ならば「ハツクニシロシメシシスメラミコト」というのを、漢語では「神武天皇」と言います。
 勿論これはおくり名ですから、「神の命で神の力を発揮し、国を統一した天皇」という業績を僅か二文字で表している。和語ならあんなに長いのに。
 「はじめて国をお治めになった天皇」の意味です。だったら同じように長くなる筈ですよ。表音文字は必然的にそうなる。
 英語は長ったらしくなるから、頭文字、並べて省略するでしょう?英語に限らず、表音文字ならみんなそうなる。
 漢字だって表音文字的な遣い方をする今の文章は昔の文章の何倍もの長さになる。
 つまり、「ハングル(ハン+グル)」なんて短い朝鮮語が存在する筈がない。きっとこれは漢字で書かれた言葉だったんだ。

 で、ふっと思いました。
 「ハングルの『ハン』が偉大な、なら、残りは『グル』だ。グルは『グッ』じゃないか?」
 「グ」は連濁の形だろうから、元は「ク」だとしたら、「グル」は、「文字」ではなく「句」ではないか??
 「句」、つまり、「言葉」という意味ではないのか。言葉と、表記する「文字」との区別がついてなかっただけではないのか。
 そんなことを考えていると、あの「ウリナラ」のことも何となく見えてきたようです。
「ウリナラ」は「ウリ+ナラ」。「ウリ」は「オレ」の意味、「ナラ」は「奈良」。「都」のことです。日本では都と国は同じではないけれど、朝鮮は言ってみれば都市国家だったわけですから、都=国です。そうなると、「俺の国=ウリナラ」。そのまんま、です。

 表意文字である漢字は、間違いなく朝鮮経由で日本に来ています。それでは十分でないから、と直接シナに習いに行きますが、朝鮮から入ってきたこと自体は間違いないし、少なくとも飛鳥、奈良の時代は朝鮮からの人々、文物が流入したからこそ、古代日本の発展があります。それは決して忘れてはならない。
 ただいつも言うことですが、その朝鮮渡来の人々は、現代の朝鮮人によって追い出された人々です。今、日本人の中にある半島の血は、百済や新羅、高麗の人々のものです。
 そして、日本にとっては決して喜ばしい存在ではない、李朝の名君「世宗王」だって、国のことを思って訓民正音を作らせたけれども、漢字を捨てることなんて考えていなかった筈です。
 漢文の形式をとらず、自国語を記す。そんな発想を世宗王が持ったのか、海の向こうの蓬莱島から聞こえてきたのにヒントを得たのか、それは分かりません。

 それでも、人はどういう姿勢の時に発展、進歩があるか、ということは何となく見えてきます。


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「木を見て森を見ず」と言うけれど。(後)

2020年03月03日 | 重箱の隅
 「合理思想 ≠ 合理主義(者)」
                  2013年6月7日の日記

 最大の敵であるから、組まねばならない。弱小になれば、組む必要はない。
 組んだならば、相手の弱点を知るために、又、相手の能力を把握するために、出来得る限りの情報収集に努めねばならない。何故か。最大の敵国なのだから。

 手の内をさらけ出して、気を緩めさせて必要な情報を手に入れる。日本にはアメリカに隠すべき軍事機密も何にもなかったから、その点では絶対有利だったと言えるかもしれない。
 そんな日本人は何も主張をしない。なのに要求は受け入れる。アメリカ人ならば怒り狂うであろう要求も、日本人は不思議な笑みと、時折り困ったような顔を見せるだけで受け入れ、要求・約束を実行してしまう。

 (私の脳内「アメリカ人の想い」)
 最初は「何を考えているか分からない」、と思った。
 それから「完全に抑え込めた」、と思った。だから無理難題を吹っかけた。
 ところが、それをすべて達成してしまう。
 だからと言って、アメリカ人をバカにしている風はない。
 一体、日本ってのは何だ?日本人って、何者なんだ?やっぱり禅マスターで、ニンジャ、なのか???

 だから、同盟国、なんですよね。
 オバマ大統領が、「もう最強国ではないから」、と日本を軽視し日本を切り捨て、新しい「最強国(?)」であるシナと組むか? それを合衆国の頭脳は許すか?
 「それは危険過ぎる」、とオバマ大統領も思い始めたのかな?と推測しています。
 「シンゾー・アベとはビジネスライクに話が出来そうだ」、と言ったんでしたっけ?
 「普通に話ができる」と言った、と解釈したんですが。
 だとしたら、これは大きいんじゃないでしょうか。「言ってることが分かる」、という意味でしょう?そりゃ「トラスト、ミー」とは違います。

 いきなり、標題のことなんですが、「合理思想」というのは「理にかなった考え方」という意味だと思います。
 じゃあ、「合理主義は」、となると、これは「主義=中心となる意味(価値)による生き方」だから、「合理思想を信奉する生き方」と捉えるのが良いのではないでしょうか。「合理」と「主義」は焦点が違うからです。
 欧米人、特にアメリカ人は「合理的」ということを重視します。けれど、実は「合理」ということが分かってない。
 それが転載文中に
 《ディベートなる『討論の技術』を誇らしげに強調していること(討論の目的を間違っている)》《彼等は、自分達の痛い所を突かれた場合、しっかりと「それを根に持ち」、充分過ぎるレベルで「恨み」を感じている。(合理思想の持ち主ならあり得ないこと)》という形で指摘されています。

 こんなことを以前に書きました。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そう言えば、昔々、合州国憲法の草案が展示してあるのを見に行ったら、そこに同じく観光に来ていたアメリカ人が感激して涙を流していた、という話を読んだことがある。
 【「アメリカ合衆国(その時は合州国だけど)の初め、というのはアメリカ人にとっては大変なことかもしれないけれど、高々300年にも満たないわけだ。それをこんなに感激している。日本は、どうだろう。当たり前に思って生活をしているけれど、二千数百年の歴史の尊さを思い、感慨深いものがあった。」
 大体こんな内容だった。

 アメリカはアメリカでいいと思いますよ、自国のことなんだから。(投票日が)火曜日だって水曜日だってかまわない。それが「伝統」なんだ、と言うのにとやかく言う気はありません(十分言ってるけど)。でも、日本が同じく「伝統とはそういうもの」と、「伝統=旧習・何となく伝わっていること」と、やられたんじゃあ迷惑です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 合理主義者は合理思想を信奉するけれど、分かっているわけではない。
 彼らの目的は「理想の実現」だから、実際のところは「理想実現のために合理思想を用いる」。
 つまりは「合理思想の信奉者は合理思想を手段としてしか捉えていない」という事になりますか。だからこそ、合理主義の具現化されたもの、象徴たる物の一つである米軍の規則を、「理に適ってない」と指摘されたら、
 《しっかりと「それを根に持ち」、充分過ぎるレベルで「恨み」を感じている。》
 筈だ、となります。

 彼らの現実を指摘するのではなく、彼らの目指すところを再確認させてやってこそ(自省を促してこそ、自尊心を認めてやってこそ)、同盟国としての「絆」が強くなるんではないでしょうか。

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 (ここからは、また3月20日の日記です。)

 文中の《あの「風俗発言」》というのは橋下市長が、在日米軍司令官に風俗の活用を奨めた件です。前後から見て、政治工作活動の一環だと思いました。安倍政権擁護のための囮作戦と見せかけた陽動作戦ではないか、と。
 しかし、それは橋下氏の「世の中、建前では回らない」発言で、違った方向へ転がりはじめました。今国会で、やっと山田議員が軌道修正し、正規の軌道へ戻したのではないかな、と思います。
 困ったことに備忘録氏が予見されている通り、
 《従って、あの「風俗発言」は、米軍の中に強い痼りを残したであろうことは、疑いのないところである。その反動は、これから本格化する。》
 は、現実の形になって来ています。

 慰安婦問題を「見直」すために行動を起こせば、一番困るのは、実はアメリカですよね?
 自分等はその大変な問題を(戦地であろうと何であろうと)「恋愛は自由である」、との全くのその場しのぎの「建前」で、誤魔化し続けて来たんだし、揚句、敗戦国日本には慰安所の開設要求をしていたという事実があるんですから。
 「自由恋愛」、って代金払ってするものですか?
 慰安所の開設要求は米兵による強姦が多発したからでしょう?
 暴行を抑制できるから、と日本に慰安所の開設を無理強いしたんでしょう?
 誰が暴行してたんですか?
 だから、「見直す」と言い出せば、ありもしないことや針小棒大に語られたことはそれこそ騙りで片付けられるけど、米軍や、韓国軍、特に米軍は本当に事実の記録が大量にあるんですから大変なことになる。

 「検証は、しなければならない」けど、「河野談話は継承している」。
 これ、額面通りに取る方がおかしいんじゃないでしょうか。
 けれど、「要請があれば結果を国会で明らかにする」。
 言ってみれば、「証拠は把握した。出すつもりはないが、要請があれば出さざるを得ない」「政府としては継承するが、民主主義の国だから、国会に委ねる」
 だから、韓米共、何とか抑え込まねば、と圧力を掛けてくる。

 世界は腹黒い。日本もだいぶ腹黒くなってきた。




   ・・・・・なんてことを思う今日この頃。
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「木を見て森を見ず」と言うけれど。(前)

2020年03月03日 | 重箱の隅
2014.03/13 (Thu)

 「安倍総理、アメリカに対して、抗戦から攻勢に転じて来たな。戦後初めての事じゃないか。期待できるぞ」という人もいれば
 「何だ?河野談話継承する?じゃ、何のために検証するんだ?結局アメリカ様の言う通り、か。やっぱり、ポチか」という人もいます。

 TPPに関してもそうです。「一歩も譲らない」、と言っているのを、「ただ、ごねてるだけの能無しだ」という人もいれば、「タフな交渉をしているじゃないか。以前の貿易交渉なんかの態度から見れば隔世の感があるな」という人もいる。
 何をやっても、「あれでは波風を立てるばかりで八方ふさがりになる」「窮地に追い込まれるばかりだ」と言い、「とにかく一刻も早く辞めさせろ」と喧しく批判するばかりの人もいる。けど、じゃ、誰がやればいいのか、誰ができる条件下にあるのかということは決して言わない。

 こんなことを言おうと思っても、言うだけの物を持たない、物を知らないのが大半の日本人です。いつも言うことだけれど、民主主義国日本、そんな「ものを知らない人間」だって、「同じ一票」、持ってます。
 「そんなバカは相手にせん。切り捨てる。情弱は要らん」ったって、大半がそうなんだから。日本は大半の「物を知らない日本人」の、「けど、何となく日本人で良かったと思っている」気持ちが支えているんだから。

 国会だって、自身の専門分野の質問で以て、閣僚をバカの見本みたいにこき下ろし、得々として持論を展開している議員が居るけれど、それでやり込めたって論破したことにはならないどころか、却って支持者を減らすことにしかなっていないことって、能くある。誰とは言いませんけどね、どこかの政党のクイズ王とか。

 反対に「良い提案をいただきました。持ち帰って話し合ってみます」なんていう言葉を引き出せたら、「ウチのせんせい、やるじゃないか。閣僚に礼を言わせおった」
 なんてことにもなる。「大半の日本人は物を知らない」のだから。

 それから「木を見て森を見ず」と言うけれど、「木を見る」、って、ホントに「見てる」んだろうか。大体、「木を見る」能力なんて、みんな、いつ、つくったんだろう。
 単純に「木を見る」と言うけれど、「木を見る」と「木を眺める」は違うでしょう?
 「眺める」は「見詰め」てませんからね。
 「見詰め」なきゃ、「見た」ことにはならない。自身の能力なりの観察をしてこそ「木を見た」と言える。「木を見」ることもできない者が、「森を見る」ことができるのか。それこそ「眺める」のが関の山じゃないのか。

 脱線したようですが、「アメリカと日本」(ついでに近隣三国)を、「森」として見たら、まず「何から」、「どのように」見なきゃならないか、と思うんです。
 まずは「民主主義とは何か」、「どんな仕組みなのか」、「アメリカは今、何を考えているのか」、「アメリカの考え方とはどんな『考え方』なのか」、「アメリカの考え方はどのようにして成ったのか(精神史)」、みたいな。
 その上で同じ日本人同士、「木を見て森を忘れず」、考え、理解し合わなければ、結局は「俺だけが正しい」となって、「そして誰もいなくなった」になるだけなのではないか。
       以下、例によって部分転載です。

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 日米同盟の本質的重要さを書いてきた。最大の敵であるからこそ、組まねばならないのである。
 その組まねばならぬ相手のことを、我々は未だに理解していない。理解している者は脇に置かれ、理解していない者ばかりが我が世の春を謳歌している。
 それは、まるで誰かの意図を体現しているかのようである。

 「言いたいことを言わなければ、国際社会では通用しない」などという大嘘がまかり通り、遂には完璧な市民権を得て、小学校の教師までもが、「自分の意見を言わないと黙っていては相手には分かりません」などと煽る時代になってしまった。
 日本人最強の武器である「沈黙」を、小学校時代から否定されては、戦力ガタ落ちである。
             (略)
 アメリカ人は、本当に自由で楽天家で、誰の意見にも胸襟を開いて、それを聞き、それを採り入れ、尊重しているか。まさに「冗談は止めてくれ!」というレベルであろう。確かに彼等は沈黙する日本人に対して、「まるで哲学者か禅マスターのようだ」と言ってきた。
 しかし、ただ黙っているだけで、哲学者と思われ、禅の高僧だと誤認して貰えるなら、それで充分ではないか。「国際社会では」哲学者扱いされると何か困ることでもあるのか。たとえエイリアン扱いされるとしても、それがヨーダなら喜んで受けようというものである。
 そもそも彼等の言う「自由な議論」とは、相手にしゃべるだけしゃべらせて、「機会の平等」を尊重した、それを保証した、というアリバイを作った後に、結論は自分達のものへと誘導するだけのものである。
 それでも上手くいかなければ「ルール」を変える。それが彼等の常套手段である。
 ディベートなる「討論の技術」を誇らしげに強調していることからも、この点は明らかであろう。あれは我々が散々見てきた、ヤクザ弁護士のハッタリと何ら変わるところのないものである。だからこそ「技術」なのである。

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 アメリカ人が陽気な楽天家である、ということをそのまま信じている方が、よほど陽気な楽天家である。彼等は、自分達の痛い所を突かれた場合、しっかりと「それを根に持ち」、充分過ぎるレベルで「恨み」を感じている。
            (略)
 大学ですらコネで決まるアメリカ社会の、何処に自由があるというのか。
 「日本の制度は硬直している」などというアホな話ばかりが横行しているが、日本が硬直しているというのなら、「アメリカは既に死後硬直」の状態であろう。
 従って、当然のこととして、アメリカ人と話す時には、最大限の警戒心をもって当たらねばならない。「自分の思うまま」などと、言葉も選ばずにぶつければ、「同じ人間」として、当然抱く反発を招くだけである。
 従って、あの「風俗発言」は、米軍の中に強い痼りを残したであろうことは、疑いのないところである。その反動は、これから本格化する。

    「自由の国」に自由はあるか?
                 ~夕刻の備忘録より~

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