CubとSRと

ただの日記

「第一、ホントに分かってるか?」

2020年03月22日 | 心の持ち様
2011.01/23 (Sun)

 昔読んだ本のことです。
 題名は確か「正傳柳生新陰流」。(今、wikiで調べたら、「正傳新陰流」でした)
 柳生厳長という、当時、名人と言われていた、尾張柳生の宗家が書かれています。
 その中に、柳生石舟斎(宗矩の父、柳生十兵衛の祖父)に新陰流を伝えた上泉伊勢守の、石舟斎との仕合いの話があります。
 これは、伝わっている仕合の実相、だそうです。

 伊勢守は、石舟斎と三度立合い、三度とも勝っています。
 それ自体は、それだけの技量の差があったのだ、と思えば、不思議でも何でもないでしょう。
 大胡の城を失い、供の者数十名を引き連れての旅の途上、柳生の庄に招かれ、立ち寄った。
 それで仕合った時のことです。
 三回やって、三回とも、勝った。
 ところで、この仕合い、一日一度の、三日かけて、なのです。
 それも不思議ではない?たった三日で、技量が上がることはないだろうから?
 その通り。

 でも、この仕合い、一日一回、三日にわたって行われたのだけれど、伊勢守の勝ち方が同じなのです。おそらくは録画を再生するかのように。

 一日一回だから、二日目は工夫します。なのに全く同じ負け方をした。
 それで更に工夫をして、三日目。ところが、工夫の甲斐なく、三度、全く同じ負け方をした。
 ここに至って、遂に圧倒的な力量差を認めざるを得ず、弟子となったと言われています。

 傍目に見て、全く同じに見えた仕合は、石舟斎が木刀を守りの形に構えているところに、袋竹刀を持った伊勢守が無雑作に歩み寄り、小手をポンと打つ。
 それだけのことで、石舟斎の方は、というとただじっとしていて何もできなかった。
 催眠術をかけられた、とか、すくみの術(金縛り)をかけられた、とか言うのではなく、本当に色々工夫したのに、いざ立ち合うと何もできないうちに小手を打たれていた。そんな風だったそうです。
 信じられないでしょう?
 でも、厳長師範は、そう書いている。

 石舟斎の話では、
 「師(伊勢守)が、やや高めの中段にとって近寄るのに、気がついたら竹刀が振り上げられていて、あっと思った時には打たれていた」
 のだそうです。

 まさか、居眠りしていたわけでもないでしょう。
 前に書いたように、すくみを掛けられたわけでもない。
 問題は「気がついたら、竹刀が振り上げられていた」の一点。
 勿論「アハ!体験」なんかじゃない。
 でも、「気がついたら竹刀が振り上げられていた」という一言にヒントがある。

 分かりませんでした。引っ掛かっていました。
 「気がついたら振り上げられていた?」
 
 それが数年後、「ああそうだったのか!」となったのは、あの黒田鉄山師範の駒川改心流の素振りを目にしてからです。(勿論、ビデオですよ)

 成程、そうだったのか。確かに三度立ち合って、三度同じ形で負けることは有り得る。
 そして、それをやられた方は、魔法をかけられたような、でも意識ははっきりしている自分が、今何かを決断しなければならないという気分にさせられる。

 そうなったら、日本の剣術の操刀法が、実は大変な技術である、ということ、その操刀法の基本でさえ(両手刀法ということは別にして)一つや二つの単純なものではないことなどが次々に見えてきて、
 「これは大変だ。とてもじゃないけど、ここで足りないものは別の流派で補って、なんて安直なこと、考えていたら、百年経っても何もできないぞ」
 と、痛感するしかない。

 「何故、負けたか」「『いつの間にか』の実態は」等は、本題ではないので書きませんが、いずれにせよ、「分かったから」、と言ってできるものではありません。
 でも、分からなかったら、操刀法の基本も気がつかなかったわけですから、操刀の練習で焦点が絞れない、ということになります。
 そして、操刀の練習の勘どころ(焦点)が分かったとしても、練習して思い通りにできるようにならなければ何も成りません。
 できるようになるまで、数万回から、数十万回の正しい操刀の練習が必要です。
 で、稽古の際には、他の操刀法とは、意識して遣いが重ならないようにする。
 そのためには、「良いものは何でも取り入れよう」という考えを捨てなければならない。早い話が、「命懸け」「一途」「徹する」、です。

 「良いものを取り入れよう」、が何故いけないか。
 良いものと判断するのは誰か、考えれば、すぐ分かること。稽古初心か途半ばの自身です。「判断する目」、が、まだできてないのです。
 「何事につけ、先達はあらまほしきことなり」、です。
 「分かってしまえば簡単なことだ」と人は言いますが、その簡単なことを「分かる」、のが大変で、それを実行するのは、更に何十倍も大変だ、ということ。

 というわけで、例によって自戒の作文でした。
 では、素振りをやって寝ます。


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「作曲家と指揮者」

2020年03月22日 | 心の持ち様
2011.01/22 (Sat)

 テレビのことについて書きかけていたんですが、一頁ほどで、また支離滅裂になって、長くなるばかりになりそうという気がして・・・。
 なので、また、いずれ、ということにします。何でしょうかね、一年間で、一通り書いてしまったようで。けど、何一つまともに書けてないことも痛感していて。

 「自画自讃」と笑われるのを覚悟の上の鉄面皮で言いますが、それなりに進歩した、ということなんでしょう、こんな感じを味わうのは。
 評価する自分と、その自分に監視されつつ、四苦八苦して作文を書いてる自分が居るわけです。
 で、評価する自分は、当然、作文なんかしない。作文をするのは、怠けないように監視され、四苦八苦している自分、と立場は決まっている。
 その評価する自分が言うんです。
 「痛感するようになっただけマシじゃないか」、と。

 ということで、久し振りに柄にもない音楽の話なんですが。
 或る時、尊敬する遥か年長の音楽家から、問題を出されたことがあります。
 「作曲家が、自分の作った曲を指揮するのと、指揮者が指揮するのと、どっちが良い演奏、できると思う?」
 「その作曲家は、棒が振れるんですか?」
 「指揮者と同じくらい、とまではいかんけど『一応、普通に振れる』としたら。」
 「・・・・う~ん。だったら、自分の曲なわけですから、よく知っている筈だし・・・。作曲家の棒の方が、良い演奏になるんじゃないでしょうか」
 「じゃ、小説家と評論家だったら、小説家の方が上、というわけか?」
 「・・・そうなりますね。確かに評論家には小説が書けないけど、小説家が評論書くこと、あるし。」

 こう答えた私の頭には、大学生の時に「現代評論の名作」、として習った川端康成の「末期の眼」という評論文が浮かんでいました。

 【時代が望む理想の姿というものを、現実は追いかけ、その理想を実現する。映画や舞台で、時代を席巻する名優は、不思議なほど、名家、或いはその没落した家系の者が多く、それは長い華麗な歴史の終わる、最後の光芒のようである。私のような一人の人間も、同じくその終わりの時には、最後の輝きを放つように、遠くまで見通せるのだろうか。死に際して、その眼を開くことができるのだろうか

 今になって思うと、これは評論というより、随筆のような気もするのですが、時代、人の世、を見詰めるという観点の明確さから言えば、紛れもなく評論です。文芸を評論するのではなく、社会の在りようを評論している。
 勿論、我が尊敬する音楽家は、そういう意味で言ったのではない。純粋に、文芸の評論、といった意味で、です。だから私の答えは、少なからず的を外している。

 「小説家は、自分の書いている文章や話を客観視できないだろう?本人なんだから」
 「それはそうですね」
 「だったら、自分がどういうつもりで、この文章を書いたのか、こんな話にしたのか、主観的にしか捉えられないわけだ」
 「はい」
 「ということは、第三者、客観視できる者は小説家よりも作品を的確につかめることになる」
 勿論、その小説家並みの見識と把握力があってのことですが、確かにその通り。反論できません。
 そうなると「作曲家と指揮者の棒は?」ですね。
 作曲家も小説家と同じく、頭に浮かんだイメージを曲にしていく。なぜ、そこでそのフレーズになるのか、その和音にしたのか、一般的に自然なコード進行なら、そうはならないものを、あえてそのコードにしたのはなぜか、等について、作曲家に答えを迫ることはありません。また、答えられなくても問題にはならない。
 たった一言、「そうしたかったから、そうしたんだ」、で済む。中には「音楽の神様の啓示があったのだ」なんていうのがいるかも。

 作曲家の提示した作品の解釈。それは演奏家、そして彼らをまとめる指揮者の仕事です。そうして、指揮者が曲を現実のものとする。
 指揮者は作曲家以上に曲を理解し、評論家は小説家以上に小説を理解する。
 そうやって解釈されたものを提示された作曲家、小説家は、それによって自身の思いを明らかにされ、何かに気付き、それはまた、新たな作品を作り出すことになっていく。
 上も下もない。どっちも必要でしょう?それが若い頃(三十前)の私には分からなかった。

 指揮者あってこそ、作曲家は更に良い曲がつくれるし、作曲家あってこそ、指揮者の技量が上がる。同じく、評論家あってこそ、小説家は更に良い小説がつくれるし、小説家あってこそ、評論家の技量も上がる。これまた、「対立物の相互浸透」の一例です。

 では、この「対立物」を、「政治家と国民」としたら?
 政治家は、勿論、作曲家であり、小説家の立場、ですよ?
 ならば、国民は指揮者であり、評論家である、ということになる。
 両者は対立物として、必然的に相互浸透していく。

 どちらか一方が、一方を叩くとブーメランとなって・・
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「中国四千年の歴史」

2020年03月22日 | 心の持ち様
2011.01/20 (Thu)

 「はじめ人間ギャートルズ」という漫画がありました。
 マンモスの輪切り肉をパクついている絵は、迫力というより、壮快でさわやか。
 作者の園山俊二氏が亡くなって、もう随分になります。
 
 いきなり、妙なところから書き始めましたが、氏の漫画では必ず、と言って良いほど、地中が断面図として出てきます。いくつかの地層があって、下に行くにつれて古い時代の生き物の骨が描かれている。
 「何で遺物というのは古い時代から順に埋まってるんだろう。掘らなくたって、地面のすぐ下にあってもおかしくないだろうに」、なんて思ってました。

 「山などから、川によって運ばれてきた土砂が、洪水によって堆積して~」なんて言われるのは分かるのですが、そんな説明を聞くと、「洪水なら、みんな押し流されてしまうんじゃないのか」、なんてぼんやり思い始める。すると、もう説明なんか耳に入らない。完璧に空想の世界で迷子になってる。
 大体が、学校でこういうことを習うと、子供というのは良く言えば興味を持って、まあ、一般的には調子に乗って(それも悪乗りをして)想像の世界に走るものです。
 それが子供の空想力、なんですが、これが時には「素晴らしい創造力」と、褒められることもある。偉大なる誤解です。

 学校で習ったことをきっかけに、学校教育の意図していたこととは関係なく本を読み始める子は、大勢います。私も、その一人、でした。いつの間にか、そんなことから、学校の勉強とは関係なく本を読み漁り始めた。
 と言っても、子供向けの読み物、でしかありませんが。

 自然に堆積していくもの。文化とはそんなものだ、と、又、歴史とはそんなものだ、と考えていました。「重層性」とでも言いましょうか。物事がそうやって次々と重なって、厚みを増していくように、文化だって、長年月のうちに積み重なって厚みを増し、奥深くなっていく。
 と、なれば、古い国であればあるほど、文化は高く、深くなり、滅多なことではその国を文化・歴史のレベルで追い抜くことはできない。
 これが「歴史の重層性」の表れであり、だから、「中国四千年の歴史」は文句なく素晴らしい。「歴史の重層性」という面から見れば、そうなります。
 けど、「だから四千年の歴史」は文句なく素晴らしい?

 「歴史の重層性」という面から見れば、そうなります。
 けど、だから、「四千年の歴史ある国だ。素晴らしい」、と我が国は当然として、世界の国々は納得しているのか。・・・・・いませんよね?とてもそんな。「我が国の歴史は二千六百七十年!」という日本だって、「文句なし、文化では四千年の歴史の国に負けてるよ」、なんて思ってない。それどころか、「おいおい!四千年の歴史が泣くぞ。今の体たらくには!」なんて怒ったりしている。

 「重層性」「積み重ね」だけじゃ、歴史は深まらず、勿論、文化なんて、大したものにはならない。そこで「歴史(出来事を石に刻み付ける作業)」、つまり「記録(意図的な取り組み)」が必要になってくる。その「意図的な取り組み」自体は、表面的には「記録」という作業でしかないのだけれど、そこでの「頭脳活動」は、「事実を記すことによってその『意味』を見出そうとする」ことです。
 事実を並べ、そこに筋道(論理)を見出し、原理、原則、或いは法則として「考え方」とする。それが「歴史からの学び」です。
 重層性、積み重なってきたものから、論理を抽出し、時を超えて適合させ、筋道を更に明確にし、それによって、考え方も、更に深める。

 この辺りが、一般的な「温故知新」の捉え方とみて良いでしょう。ただ物事が重なっているだけでは駄目だ、と。そこから論理を学び取らなければならない、と。 
 その論理の光を未来に向け、未来を照らし、より確実な一歩を踏み出せるようにしよう。・・・・こんなところでしょうか。
 言い方を変えれば、洪水などで堆積した土砂を丁寧に取り除く作業をすれば、遺物が見えてくる、積み重なった物は発掘しなければ見つからない。
 見つからなければ、「価値はない、文化はない」、と同じということになる。四千年の歴史の国なら、よけいのこと、これをやらなければ、四千年が泣く。発掘、というのはそのためのもので、恨みを晴らすために墓を暴くことではない。

 そこで次は、小学校を中心とする、「空想」、「子供の大脱線」の話です。
 「発掘場所はここだよ」と教えるのが学校教育で、それに乗っていれば確実に歴史を深く分かること、捉えること、ができる。ただし、それは「学校の意図に即して」です。「能力の範囲内でしか理解はできない」のですから、学校の意図、という範囲を外れると、もう「まともな発掘」はできない。

 この「まともな発掘」には、「能力の範囲内」ということに関して、二通りの意味があります。学校にも、「己の能力の範囲」がある。「戦後の歴史観による教育」、という能力「範囲」、です。
 戦前の国家観による教育を全否定されたことを思えば、「戦後の」歴史観というのは我が国を全否定する立場からのものであること、そこで行われる「まともな発掘」とは、我が国の歴史を全否定する立場からのものであること、は容易に推察できます。
 結果、戦前には当然のこととして教えられた事実、人物が、我が国を否定する上で邪魔になる、となれば、否定的な発掘の仕方を教え、場合によっては、何も教えない、抹殺してしまう、ということも行われる。戦後の学校にとっては、これこそが「まともな発掘」となります。
 捉えようによっては、「まともな発掘」というのは、戦後教育によって自らの中に偽史をつくること、とも言える。

 もう一つの、「能力の範囲内に於いて、『まともな発掘ができない』」。
 それは、歴史を習う途中で、空想(想像)の世界に入ってしまい、迷子になってしまう場合です。子供のままの、「考え」に至らぬ「思い」、のままで小学校を出てしまうこと。
 事実であろうがなかろうが、学校教育で行われた戦後の歴史観で培われた筋道(考え・論理)を知らないまま(学習しないまま)、「思い」のままに、そこら中の本を読み漁り、教養としていく。
 結果、「事実」と言われる物事の収集には長けてきても、筋道(考え方)を知らぬままに齢を重ね、歴史を以って自らの考えを高められないまま大人に成る。これもまた「まともな発掘ができなかった」ことの証拠です。

 な~~んて、ごちゃごちゃと書いてきましたが、、結局、あれ、ですよ。
 「学びて思はざればすなはち罔(くら)く、思ひて学ばざればすなはち殆(あやふ)し」です。「古いだけ、積み重ねられているだけ」、じゃ役に立たないけど、逆に「考えるだけ」で、「考え方」がなけりゃ、「論語読みの論語知らず」「策士、策に溺れる」と同じ。それは妄想でしかない、いっそ、危険だ、と。

 また、自戒の文になってしまいました。


 
  
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「J-ALERT」のことから

2020年03月22日 | 重箱の隅
2012.04/15 (Sun)

 「流行色というのは、世界規模で2年も前から『決める』ものらしい」
 (流行る、のではなく、「流行にする」のだ。)ということについて書いてみようと思っているのだが、何だかちっとも取り掛かれなくて、日ばかりが過ぎて行く。

 大体、専門家でもない者が、日々の「思いついたこと」「目についたこと」を、書き留めているだけの日記なんだから、その通り、書きゃあいいのに、それなりにまとめようとする。でも、まとまらない。で、徒に日が過ぎる、と。

 「まとまらないのは、まとめようとするからです。まとめなきゃいいんです。そのまま書けばいい」、とまあ、このように言われたり、自分でも思ったりすることもあるんですが、本当はそう言う人も、また、私自身も「まとめなきゃいい。そのまま書けばいい」、なんて、口で言ってるだけで、本心はそんなことちっとも思ってないんですよ。
 正解は「まとめなきゃいい。そのまま書けばいい」でなくって、「まとめてからでなくていい。まず書き始めることだ」ということです。
 何しろ題目は決まっているんです。文字にしていけばそれなりの、短いなら短いなりの一文ができる。その一文を継いで行けばいい。
 自身の考え方は、その文を継承する過程で、必ず明らかになっていくのだから。
 つまり、「まとまったものを書くのではなく、書いていくことで考えがまとまる」という意見です。

 しかし、更にもう一歩踏み込んでみると、文章というものは自分なりの考えの筋道を展開するものだし、展開されるに決まっているものだから、書いているうちに考えがまとまるのではない、と言うこともできます。
 却って、自分なりの考えの筋道を展開するしかできないのだから、その間の苦心惨憺振りや、四苦八苦の様子が「艱難汝を玉にす」、となるのが文章なんじゃないでしょうか。書くことによってまとまるのではなく、書くことによって筋道が掃き清められ、明らかになって来る。自分の思考の過程がはっきりして来る。

 というわけで、今日は「何も知らないおっさん」シリーズ(?)で、今回の北朝鮮のミサイル発射事件に関する素朴な疑問。
 「J-ALERTが鳴らなかったから~」という表現が気になりました。何だか故障していたかのように聞こえる。
 「鳴らなかった(作動しなかった)」のか「鳴らさなかった(作動させなかった)」のか。
 「鳴らさなかった(作動させなかった)」んでしょう?
 あれ、内閣官房からの指示で、ということでしたね?
 だから、藤村官房長官、「Wチェックをして、正確を期すつもりだったので」と言い訳、いや、説明をしていました。鳴らなかったのではなく、ただ、政府が警報発令をしなかった。正確を期すために。数年前の自民党政権時代の誤報の徹を踏まぬように、と。

 でも、韓国やアメリカからは情報が入り、自衛隊はすぐさま信号弾を打ち上げた。テレビ・ラジオの速報は8時には流れていた。
 「正確を期すために」ったって相手はミサイルなんだから、Wチェックが為されるまで待っててくれるわけもない。
 「やっぱりミサイルでした。空中で爆発し、破片が民家を直撃しました」
 なんて言っても、全く意味がない。
 それにどうもよく分からないのは「試験放送を二回やって、上手く聞こえなかった地域があって~」という話なんですが、何故ラジオで流さないんでしょう。何故ラジオを持たせようとしなかったんでしょう。
 阪神淡路大震災の時、役に立ったのはラジオだった。緊急時にはラジオ・テレビ全てが緊急放送を流す協定、ってないんでしょうか。

 J-ALERTを遣わなかったのは「誤報だったら思いっきり叩かれる。なぜって、自分らが野党だった時、徹底的に自民党を叩いたんだから。何倍にもしてやり返される筈だ。そんなことなら誤報より、正確さだ、Wチェックだ!」
 なんて考え・・・・・・。まさかね。そんな、事の軽重が分からぬ筈はない。

 「自分らが叩かれないようにする」か。それとも「国民の安全を優先させる」か。
 ・・・・・。そんな、いくらなんでも、やっぱり事の軽重が分からぬ筈がない。
 ・・・・・・。でも、結局、J-ALERTは作動させられなかった。
 ・・・・ということは・・・・・・。

 あ!そうそう!東京にPAC3配備したのは見事でした。世界中は笑ったかもしれませんけど。でも、そんなことかまうことはない。
 「外国人に何が分かる!日本には絶対守らなければならない所があるのだ。何が何でも皇居だけは絶対に守り抜くのだ!」
 訳の分からない政府ではあるけれど、やっぱり皇居だけは、陛下だけは御護りする、という覚悟だったんでしょうね。

 ・・・・・・・ですよね?
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「何気なく~」

2020年03月22日 | 重箱の隅
2012.04/12 (Thu)

 「特に何をどうするといった、はっきりとした気持ちもなく~。」

 これが
 「特に何といった気持ちもなく」
 となり、
 「何の気もなく」
 となって
 「何の気なく」「何気なく」
 となった。
 これ以上は削れない。「とんでもない」「とんでもなく」と同様だ。
 それを「何気」だけにしたら、こりゃあ変だろう。

 「彼は特に何という気持ちも『なく』、その本を手に取った」
 (彼は何気なく、その本を手に取った)
 「彼は特に何という気持ちで、その本を手に取った」
 (彼は何気に、その本を手に取った)

 言ってみれば「とんでもなく」の、「なく」を省略するようなもんだ。
 それでも、つい「何気に」遣ってしまう人が多くなった。確かサンケイの阿比留記者も遣っていたような記憶がある。
 「文章を書ける人だから云々」なんてのは関係ないだろう。「つい遣ってしまう」んだから。
 読み間違えや言い間違えをしたから「あったま悪~い!」なんて決め付けるのは良くないですよ。麻生前総理みたいな人もいれば、菅前総理みたいなのも居る。
 答弁時「もし、万が一、~」と言おうとして、でも、慌てたものだから「もし」、で止まれないで「もしもし」と言ってしまい、議場を笑いの渦に巻き込んでしまった防衛大臣も居たけれど、他の発言はともかく、あれは気の毒だった。言ってみればあれは「突発性吃音」なんですから。

 そういうことではなく、言葉の一つを何となしに(何気なく、ですね)遣っていたがために、言いたいことが実は微妙にずれていってる、ってこと、あるんじゃないかな、と思うんです。
 
 脱線しきらないうちに戻ります。
 漢文を習っていた時に出て来た「再読文字」。
 同じ文字を二回も読むなんて、それもわざわざ後戻りするなんて、器用なことをするんだな、と思ったのは自身の頭の出来の悪さゆえ。
 支那では当然一回しか読まない。一回読んだら、あとの展開は決まっている。
 
 けれど、日本では「係り結び」は、語尾の変化そのものよりも、語法、論理展開の誠実さにこそ本意があります。
 「決して」と始まれば、最後は「ない」を主とする否定で終わる。「おそらく」で始まれば推量の形になる。
 ということは初めの言葉が発せられた時点で、文の終わり方も分かることがある、ということです。
 「だったら、『言わずもがな』、なんだろう?省略したっていいじゃないか。」
 こう考えたっておかしくはない。

 実際、他の国はそこまで生真面目なことはしない。最初に設定してしまえば、あとは言う必要も感じないのが普通です。
 小さなところから言えば「だから、最初に言ったでしょう?」「契約書にサインしたでしょ?」大きなことでは条約などがそうだと言えるでしょう。

 けれど、日本ではこんなところを大事にします。こんなところを大事にしておいて、敢えて後段を口にせず、言外に意を匂わせるようなことをする。
 その精華の一つが俳句である、と言ってもいいでしょう。
 そこまでいかなくたって、落語にだって「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官・・・」と、浸しにしていた菜は食べてしまった(菜も食らう、と名も九郎~)と洒落で誤魔化したりするのがある。

 「言わぬが華」、とまではいかずとも、敢えて口にしない、という遣り方が文化にまでなっているのは、普段の生活や物言いにはちゃんと「係り結び」が生きて遣われているからです。
 「全然~ない」というのは、必ずしも決まっている(正しい)訳ではないけれど、言い回しの約束事として遣って来ました。(全然OK、という言い方もあるけど。)「決して~ない」「必ず~する」等々。こういう言葉遣いは結構あるんです。
 こんな生真面目な物言いにもちゃんと日本人らしさ、日本文化があらわれているんじゃないでしょうか。

 とは言え、誰だって、油断をすれば、そこまでもいかないような、ごく自然に遣われている言葉の場合は、案外おかしな遣い方をしている。

 この「何気に」なんかは「とんでもございません」と同じく、今のうちに誤用であることを理解しておかねばならない言葉の一つなのかもしれません。

 「何気なく遣う」言葉を「何気に遣う」・・・・・。
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