2011.01/23 (Sun)
昔読んだ本のことです。
題名は確か「正傳柳生新陰流」。(今、wikiで調べたら、「正傳新陰流」でした)
柳生厳長という、当時、名人と言われていた、尾張柳生の宗家が書かれています。
その中に、柳生石舟斎(宗矩の父、柳生十兵衛の祖父)に新陰流を伝えた上泉伊勢守の、石舟斎との仕合いの話があります。
これは、伝わっている仕合の実相、だそうです。
伊勢守は、石舟斎と三度立合い、三度とも勝っています。
それ自体は、それだけの技量の差があったのだ、と思えば、不思議でも何でもないでしょう。
大胡の城を失い、供の者数十名を引き連れての旅の途上、柳生の庄に招かれ、立ち寄った。
それで仕合った時のことです。
三回やって、三回とも、勝った。
ところで、この仕合い、一日一度の、三日かけて、なのです。
それも不思議ではない?たった三日で、技量が上がることはないだろうから?
その通り。
でも、この仕合い、一日一回、三日にわたって行われたのだけれど、伊勢守の勝ち方が同じなのです。おそらくは録画を再生するかのように。
一日一回だから、二日目は工夫します。なのに全く同じ負け方をした。
それで更に工夫をして、三日目。ところが、工夫の甲斐なく、三度、全く同じ負け方をした。
ここに至って、遂に圧倒的な力量差を認めざるを得ず、弟子となったと言われています。
傍目に見て、全く同じに見えた仕合は、石舟斎が木刀を守りの形に構えているところに、袋竹刀を持った伊勢守が無雑作に歩み寄り、小手をポンと打つ。
それだけのことで、石舟斎の方は、というとただじっとしていて何もできなかった。
催眠術をかけられた、とか、すくみの術(金縛り)をかけられた、とか言うのではなく、本当に色々工夫したのに、いざ立ち合うと何もできないうちに小手を打たれていた。そんな風だったそうです。
信じられないでしょう?
でも、厳長師範は、そう書いている。
石舟斎の話では、
「師(伊勢守)が、やや高めの中段にとって近寄るのに、気がついたら竹刀が振り上げられていて、あっと思った時には打たれていた」
のだそうです。
まさか、居眠りしていたわけでもないでしょう。
前に書いたように、すくみを掛けられたわけでもない。
問題は「気がついたら、竹刀が振り上げられていた」の一点。
勿論「アハ!体験」なんかじゃない。
でも、「気がついたら竹刀が振り上げられていた」という一言にヒントがある。
分かりませんでした。引っ掛かっていました。
「気がついたら振り上げられていた?」
それが数年後、「ああそうだったのか!」となったのは、あの黒田鉄山師範の駒川改心流の素振りを目にしてからです。(勿論、ビデオですよ)
成程、そうだったのか。確かに三度立ち合って、三度同じ形で負けることは有り得る。
そして、それをやられた方は、魔法をかけられたような、でも意識ははっきりしている自分が、今何かを決断しなければならないという気分にさせられる。
そうなったら、日本の剣術の操刀法が、実は大変な技術である、ということ、その操刀法の基本でさえ(両手刀法ということは別にして)一つや二つの単純なものではないことなどが次々に見えてきて、
「これは大変だ。とてもじゃないけど、ここで足りないものは別の流派で補って、なんて安直なこと、考えていたら、百年経っても何もできないぞ」
と、痛感するしかない。
「何故、負けたか」「『いつの間にか』の実態は」等は、本題ではないので書きませんが、いずれにせよ、「分かったから」、と言ってできるものではありません。
でも、分からなかったら、操刀法の基本も気がつかなかったわけですから、操刀の練習で焦点が絞れない、ということになります。
そして、操刀の練習の勘どころ(焦点)が分かったとしても、練習して思い通りにできるようにならなければ何も成りません。
できるようになるまで、数万回から、数十万回の正しい操刀の練習が必要です。
で、稽古の際には、他の操刀法とは、意識して遣いが重ならないようにする。
そのためには、「良いものは何でも取り入れよう」という考えを捨てなければならない。早い話が、「命懸け」「一途」「徹する」、です。
昔読んだ本のことです。
題名は確か「正傳柳生新陰流」。(今、wikiで調べたら、「正傳新陰流」でした)
柳生厳長という、当時、名人と言われていた、尾張柳生の宗家が書かれています。
その中に、柳生石舟斎(宗矩の父、柳生十兵衛の祖父)に新陰流を伝えた上泉伊勢守の、石舟斎との仕合いの話があります。
これは、伝わっている仕合の実相、だそうです。
伊勢守は、石舟斎と三度立合い、三度とも勝っています。
それ自体は、それだけの技量の差があったのだ、と思えば、不思議でも何でもないでしょう。
大胡の城を失い、供の者数十名を引き連れての旅の途上、柳生の庄に招かれ、立ち寄った。
それで仕合った時のことです。
三回やって、三回とも、勝った。
ところで、この仕合い、一日一度の、三日かけて、なのです。
それも不思議ではない?たった三日で、技量が上がることはないだろうから?
その通り。
でも、この仕合い、一日一回、三日にわたって行われたのだけれど、伊勢守の勝ち方が同じなのです。おそらくは録画を再生するかのように。
一日一回だから、二日目は工夫します。なのに全く同じ負け方をした。
それで更に工夫をして、三日目。ところが、工夫の甲斐なく、三度、全く同じ負け方をした。
ここに至って、遂に圧倒的な力量差を認めざるを得ず、弟子となったと言われています。
傍目に見て、全く同じに見えた仕合は、石舟斎が木刀を守りの形に構えているところに、袋竹刀を持った伊勢守が無雑作に歩み寄り、小手をポンと打つ。
それだけのことで、石舟斎の方は、というとただじっとしていて何もできなかった。
催眠術をかけられた、とか、すくみの術(金縛り)をかけられた、とか言うのではなく、本当に色々工夫したのに、いざ立ち合うと何もできないうちに小手を打たれていた。そんな風だったそうです。
信じられないでしょう?
でも、厳長師範は、そう書いている。
石舟斎の話では、
「師(伊勢守)が、やや高めの中段にとって近寄るのに、気がついたら竹刀が振り上げられていて、あっと思った時には打たれていた」
のだそうです。
まさか、居眠りしていたわけでもないでしょう。
前に書いたように、すくみを掛けられたわけでもない。
問題は「気がついたら、竹刀が振り上げられていた」の一点。
勿論「アハ!体験」なんかじゃない。
でも、「気がついたら竹刀が振り上げられていた」という一言にヒントがある。
分かりませんでした。引っ掛かっていました。
「気がついたら振り上げられていた?」
それが数年後、「ああそうだったのか!」となったのは、あの黒田鉄山師範の駒川改心流の素振りを目にしてからです。(勿論、ビデオですよ)
成程、そうだったのか。確かに三度立ち合って、三度同じ形で負けることは有り得る。
そして、それをやられた方は、魔法をかけられたような、でも意識ははっきりしている自分が、今何かを決断しなければならないという気分にさせられる。
そうなったら、日本の剣術の操刀法が、実は大変な技術である、ということ、その操刀法の基本でさえ(両手刀法ということは別にして)一つや二つの単純なものではないことなどが次々に見えてきて、
「これは大変だ。とてもじゃないけど、ここで足りないものは別の流派で補って、なんて安直なこと、考えていたら、百年経っても何もできないぞ」
と、痛感するしかない。
「何故、負けたか」「『いつの間にか』の実態は」等は、本題ではないので書きませんが、いずれにせよ、「分かったから」、と言ってできるものではありません。
でも、分からなかったら、操刀法の基本も気がつかなかったわけですから、操刀の練習で焦点が絞れない、ということになります。
そして、操刀の練習の勘どころ(焦点)が分かったとしても、練習して思い通りにできるようにならなければ何も成りません。
できるようになるまで、数万回から、数十万回の正しい操刀の練習が必要です。
で、稽古の際には、他の操刀法とは、意識して遣いが重ならないようにする。
そのためには、「良いものは何でも取り入れよう」という考えを捨てなければならない。早い話が、「命懸け」「一途」「徹する」、です。
「良いものを取り入れよう」、が何故いけないか。
良いものと判断するのは誰か、考えれば、すぐ分かること。稽古初心か途半ばの自身です。「判断する目」、が、まだできてないのです。
「何事につけ、先達はあらまほしきことなり」、です。
「分かってしまえば簡単なことだ」と人は言いますが、その簡単なことを「分かる」、のが大変で、それを実行するのは、更に何十倍も大変だ、ということ。
というわけで、例によって自戒の作文でした。
では、素振りをやって寝ます。
良いものと判断するのは誰か、考えれば、すぐ分かること。稽古初心か途半ばの自身です。「判断する目」、が、まだできてないのです。
「何事につけ、先達はあらまほしきことなり」、です。
「分かってしまえば簡単なことだ」と人は言いますが、その簡単なことを「分かる」、のが大変で、それを実行するのは、更に何十倍も大変だ、ということ。
というわけで、例によって自戒の作文でした。
では、素振りをやって寝ます。