CubとSRと

ただの日記

ホントに親指立てたの?

2020年03月17日 | 重箱の隅
2010.06/08 (Tue)

 いきなりの辞任で、一日二日バタバタして、もう、新閣僚の話と新総理の話ばかり。あの時、とやかく言われたこの件、既に霧の彼方になってしまいましたが、ちょっと待って下さいよ。面白い話だったのに。

 これまでにも、言い方を少しずつ変えながら、同じことを言ってきました。
 情報は(特にネットでは)、あり余るほどあるのだけれど、それを取捨選択するのは、なかなか難しい。反対にテレビ、新聞だけだと、情報はどうしても偏ってしまう。
 テレビ局、新聞社、共に自身が圧力団体であり、利権団体でもあるのだから、利権がらみの圧力には屈服することもある(というより、屈服しまくり、かな?)。だから、中には、意図的に偏った報道をしているところもある。

 それで、振り回されず、騙されずということに気をつけるんだけれど、なかなか、難しいことです。けど、やらなきゃ、ということで、「見詰める」という手段がある、ということを書いてきました。(「主体性の確立」と書くと抽象的になるのであえて、こう書きます。)
 ちょっと日数が経っても、「見詰める」ことで見えることは多い。
 第一、世の中「黒白はっきりさせる」なんて言っても、「或る時点で真っ白と真っ黒に分かれる」なんてあり得ないでしょう、そんなくっきりした話。
 見詰めて、そこが鮮やかになったら、周辺も以前よりは見通しが利く。その程度が、普通です。

 「あの時、鳩山総理は親指を立てた」。
 もう少し「見詰め」たら、もっと見えるようになりそうだ、とは思いませんか。あの指の立て方については、「やった、という意志表示だ」という捉え方からの論評が、ワッと出て、それで終わりだったのですが。
 確かに、「親指を立てた」という言葉だけ見ると、何となく「よし!やったぞ!」と、とれます。小沢、輿石と、三人で話をした。出て来た時「よし!やったぞ!」ならば、それこそ、「腹案を持って、三者会談に臨み、小沢氏をも辞めさせた」となります。でも・・・・。

 テレビで何度も、あの場面は流れましたが、あの時の親指、「よし!」という雰囲気、でした?何だか行き掛かり上、勢いで、二人には見えないように、ちょこっと隠れたような形で出した感じ。
 「よし!」という決意のあらわれなら、親指、普通、力が入って、反り返りませんか?
 あの時は歩くのに合わせて、腕を挙げ、手を開くとも、指を立てるとも、はっきりしない形でした。つまり、中途半端なメディアへのサービスだったんじゃないか。
 やっぱり、「そろそろ、辞め時だ」と引導を渡されたんじゃないかな、と思うんです、二人に。総理から切り出したんじゃなくて。つまり、お芝居。敵役の小沢氏が脚本書いて。

 輿石「今まで、引っ張ったけど、今だ。今辞めないと(参院選)、勝てない」
 鳩山「大丈夫でしょう。少しくらい負けたって。あと、三年は大丈夫なんだから」
 小沢「・・・・・・」
 輿 「そうはいかん。オレはこのままじゃ勝てそうにないんだ」
 鳩 「え、大丈夫なんじゃないの?教組の票は」
 小 「・・・・・」
 輿 「そんなこと言ってたら、引っくり返されるぞ。ここで負けたら、解散に追い込まれるかもしれん」
 鳩 「でも、私がやめたら、小沢さんも、だ。総辞職しなけりゃならないから。首の挿げ替えといっても、幹事長もすぐは戻れませんよ」
 輿 「そりゃ、覚悟の上だ。党をつぶしては何にもならん。」
 小 「・・・・・オレ一人悪者にしとけばいい・・・・」
 鳩 「・・・はい」
  よくもまあ、こんな妄想を。指一本立てたくらいで。でもね、
 「恐縮ですが、幹事長にも、退いていただきたい、と。」

 全ての任命権を持つ、党代表、現職総理が、引退の発表をしているんですよ?
 その場で、自分の任命した幹事長の処遇を「恐縮ですが、退いていただきたい」?この物言い。
 
 おかしいでしょう。
 いくら馬鹿丁寧な物言いをする人だからといっても。
 「国民は聞く耳を持たなくなった」と言うのに。

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変わる 自分で変える

2020年03月17日 | 心の持ち様
2010.06/05 (Sat)

 先日、或る日記に、
 鳩山威一郎→鳩山由紀夫
 三島由紀夫→平岡威一郎
 と書いてあって、「?何のこと?」と思いました。
 鳩山威一郎の息子が鳩山由紀夫、ということは知っていたけど、三島由紀夫の息子が威一郎って名前だと知らなかったものだから、なぜ、これが並記されているのか、が、分からなかったんです。
 三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ)。だから、平岡公威の長男だから、下の「威」の字を名前に入れたのだろう、と何となく思ったんですが、説明されているのを読むと、成程、互いの息子に名前を交換する形でつけた。分からぬでもない。
 そう言われてみると、昔々、そんな記事をどこかで見たような、かすかな記憶があるような、ないような・・・・。

 いずれにせよ、東大法科を出て、大蔵省に事務官として入省した平岡青年は、既に小説家として名を知られています。
 6、7歳年上で、同じ法科から大蔵省に入っていた鳩山威一郎は上司だったんでしょうね。文才を知られていた三島は、何度か大蔵大臣の演説原稿を書かされているのだそうですが、間に鳩山威一郎が入っていたのかもしれません。
 三島由紀夫の原稿を、自分の物、という事で喋る大臣。何とも贅沢なものです。
 今で言えば、平田オリザの原稿で「命を守りたい」との名(?)演説をやった総理大臣、ですか。比べられませんね。三島由紀夫ですからね。

 ただ、三島の原稿はあまり評判が良くなくって、数は少ないのだそうです。
 何しろ、簡潔で短く、一通りの意味しか読み取れない。政治家の演説としては不都合なんでしょう。
 かと思えば、笠置シヅ子の前に演説をすることになった大臣に、「笠置シヅ子さんの前に、私のようなハゲ頭がしゃしゃり出るのは~」、とやった原稿を渡して、ボツになったとか。
 まあ、反骨精神も旺盛だったというか、傲慢だったのか、向こう見ずだったのか。少なくとも、鼻っ柱は強かったみたいですね。

 三島由紀夫は先輩、鳩山威一郎の方から「君の名前を息子につけても良いか」と持ちかけられたのでしょうか。対して、それじゃあ、私も、と、威一郎の名前を息子につける。一方はペンネームであり、一方は実名だというところに、両者の関係がよく出ているようです。優秀な先輩と、才能溢れる優秀な部下。
 「思い込みの典型みたいな解釈だね」と言われそうですね。

 以前に日記で
 「お祖父さんが政治家だからと言っても『教えられ方次第』で、麻生太郎にも、鳩山由紀夫にもなるんです」と、書いたことがあります。 
 「食は三代」と同じく、世襲議員は、世襲制度と同様、有形無形に多くの物を受け継ぎ、そこに又、自分独自のものを、苦しみ、もがいて、工夫し、付け加えたり、彩色を施したりしてゆきます。
 そうやって、連綿と伝統をつなぎながらも、その代独自の名を上げる。「オンリー・ワン」というやつです。

 鳩山威一郎という人は、女グセが悪く、奥さんは大変苦労をしたらしい。由紀夫少年は、それを(見たかどうかは知らないけれど)心に刻んだのか、ともかく成り立ちはどうあれ、今に至るも、幸夫人以外、に女の噂はないようです。(後で、色々あったようなことを知りました。弟(鳩山邦夫)の方はちゃんとしていたみたいですが)

 色々なことを、色々な形で学んで、当人なりの価値観が形成され、その人なりの人生を歩む。歩みながらも、価値観はどんどん変わる。
 「鳩山由紀夫みたいなのを育てた親父だ。碌なもんじゃない。」
 「友人なんだから、三島由紀夫だって碌なもんじゃない」
 「だから、あんな事件を起こして割腹して死んだんだ。碌なもんじゃない」
 何だかちゃんと筋が通っているみたいですが、随分と荒っぽい展開になってしまいますね、これは。まるで社会主義者だ。「理想の未来を追い求める」と言いながら、その過程での、人間の努力、意欲の尊さを、まるっきり無視した解釈です。

 意識(認識)、意欲の介在を許さない論理を、唯物論と言います。簡単に言えば、結果だけを見て、物事を全部否定してしまうやり方です。

 私は人間の尊厳を信じたい。まずは、「日本文化を持つ、日本」を信じたい。
 碌なものじゃない、と切り捨てるより、中にある、「我々の宝」をしっかりと見詰めたい。
 宝は見詰めなければ見つからないし、努力を続けなければ指の間からこぼれ落ちるものです。
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変わる 変える

2020年03月17日 | 心の持ち様
2010.06/05 (Sat)

 眠い目をこすりながら3分の2ほど打って、ついに諦め、寝てしまって今朝、7時前に見たら、再起動になってしまっていて・・・・。
 まあ、いい。いつものことだ、下書きはしてあるんだから、と立ち直って机に向ったのが10時前。

 2日は一日中、鳩山総理の辞任表明のことで、テレビはそればかり。
 昔から民放は、野次馬根性だけで、それは今も変わりません。その点、NHKは冷静でしたね。一線を画しているというか。今はすっかりどこの国か分からなくなりそうな偏向振りです。

 思い出しましたよ。佐藤栄作総理が、職を辞する時でした。新聞記者に対して、おそらくは売り言葉に買い言葉だったんでしょう、「君らは言った通りを書いてくれないから、答えたくない」、とやったんです。
 すると、新聞記者の方も、頭に血が上ったか、「それじゃ、我々は居なくて良い、ということですか」。「ああ、そうだ」。「だったら、引き揚げますよ」。「ああ、そうしてくれ」。「おい、みんな、引き上げよう。やめだ、やめだ」。本当に記者連中、みんな引き揚げてしまった。
 で、テレビカメラ(おそらくNHK)だけで、辞任の会見をやったことがあります。
 これ、リアルで白黒テレビで見たんですから。家で。
 当時の新聞記者は「真実を報道するのだ」という、プライドというより鼻持ちならないくらいの傲慢さを持っていました。それは、或る意味、必要なことだと思います。
 麻生少年に対して、「お前んとこのじいさんは~」と悪口を言ってみたり、時に、小突いたりする、最低の連中も、やっぱり他の記者と同じく、向こう意気は強いから、政治家相手に大ゲンカもする。だから佐藤総理に対しても気後れせず、ケンカ腰です。

 最近は違う。
 「なに?あなた、憲法読んだこと、あるの?ちゃんと、国事行為は内閣の助言と承認が必要と書いてあるんだよ」、とやられて、記者連中の誰一人として、この傍若無人な幹事長に噛み付く者はなかった。
 そりゃ、今、ケンカはできないから、とは分かっている。そんなことしようものなら、後ろから手を回されて、即刻、首です。始末書なんかで済むことは、まず、ない。
 それに、今は噛み付いても、時には叱り飛ばし、時には、意見を聞いてやって、記者を心服させるような政治家が居なくなったことも事実です。どちらが先か分かりませんが。

 で、「いつの間にか変わってしまったんだよねえ」と言って済ませてしまいます。
 又、「そう言えば、あの頃からだったかな、変わったのは」と思い出話にしてしまう。当事者感がない。
 これまた、仕方がないといえば、仕方のないことですが、ちょっと本気になって見詰めていれば、見えることもあるし、世の中は確実に動いている、変わっている、ということも実感できるんじゃないか、と思うんです。

 今回の口蹄疫問題なんか、間違いなく事の起こりからこれまでの経緯、更には為政者の心の在り様から、その信頼性までも、ネットで詳しく把握している人は相当数あったでしょう。
 しかし、テレビ、新聞だけの人は、間違いなく「宮崎で発生して、例によって国の対応はちょっと遅かったけど、何とか収まりそうだ。まあ、たまに牛肉食べる分には、影響もあるまい。別に人体に影響はないみたいだし」、程度の理解でしょう。
 「赤松口蹄疫事件」、として記憶に留めるのは、宮崎県人とネットの住人くらいで、山田副大臣の酷さは言うまでもなく、農水大臣が赤松広隆という名前だったことですら、三ヶ月も経てば忘れ去られているでしょう。

 でも、こんなのを見て、「だから、新聞、テレビだけの情報弱者は」と切り捨ててしまって良いんでしょうか。何より、「切り捨てた」ら、後に一体、何が残るのでしょうか。
 切り捨てた人を「情報弱者」と「認定」する。そうすると、「認定」された日本人は「覚醒者」に対する「蒙昧者」ということになります。
 無意味な上下意識、日本人を分断することにしかならないのではないでしょうか。
 運動には支援が必要です。全員が運動家になったら、運動は継続できない。
 いかにも社会主義者の言いそうな物言いをしていますが、ゴッホがあれだけの名声を、死後ながら得る事ができたのは、どんな状態にあっても、経済的な援助を惜しまなかった弟が居たから、です。

 現時点で、全ての人が、ネットで「無駄なく」情報を手に入れる、なんて無理な相談です。それよりも、テレビ、新聞と同じ程度の市民権を持てるようにすること、早い話が、PCを「魔法の箱」でなく「テレビよりもちょっとマシなテレビ」とでも認知してもらうことの方が大事なんじゃないでしょうか。
 今のままでは、足元がぬかるんでしまって、しっかり立っていられなくなります。海の向こうから、人の波が押し寄せて来る。足元をしっかりさせて、肩、組んでなきゃ、吞み込まれる前に、足元をすくわれてしまいます。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2020年。
 ネットニュースはツイッターが主流になり、僅か十年で、より早く、より薄くなりました。「重厚長大から軽薄短小へ」と言われ始めて半世紀近くになりますが、その流れは加速するばかりで、深みも厚みも軽んぜられる一方です。

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塵も積もれば

2020年03月17日 | 重箱の隅
2010.06/02 (Wed)

 今日は本当に世間話。というより、そこら辺に転がっている素朴な疑問です。
 題名は「塵も積もれば」としましたが、これは子供の頃から「どうも大人の言うことは」と、ずっと思っていたことの一つです。
 「塵も積もれば山となる」・・・・ならないだろう、「塵」だもの。
 「一円を嗤う者は一円に泣く」というのは感覚として、分かる。一円、一万個集めたら、一万円です。けど、塵が積もったって富士山にはならん。
 なんて、天邪鬼なことを思っていたんですが、「子供」ですからね、その程度の理解枠(理解能力)しか、持ってないんですよ。

 「能力」とはよく言ったもので、「元からある」ものではない。「能(よ)くする力」というのは、「それについて得意である」ということで、それは「習練によって身につく力」という意味を持っています。「思い通りに・上手に」する力。「能力」。
 子供は頭が悪いんです、みんな。まだ、社会を把握していない。「枠」が小さすぎるか、「枠」が完成されてないか、です。
 完成されていないのを、枠を作り上げている大人は善意に誤解して、「子供は枠にとらわれないで素晴らしい!天才だ!」なんて言うわけですが、それはただの「お人好し」、単なる事実誤認です。

 「能」も、「能天気」となると、ちょっと意味が違ってきて、「天気が能い」、つまり「おめでたい」ということですね。「脳天気」は、ちょっと気味が悪い。
 「いがいにやるねえ」を、「以外にやるねえ」と書く人がいます。
 「思った以上に」だから「思いの外、やる」という意味で書いているんだろうけれど、「以外」は「以ての外」。境界をあらわす。「おもいの外」なら「意(おもい)の外」と書くのが本当です。
 
 「決して」を「けして」と書くのも変です。確かに「決して」は打ち消すためにつかう言葉だから、打ち消しなら「けして」?・・・・変です。
 「女王」を「じょうおう」、「体育」を「たいく」、「雰囲気」を「ふいんき」。
 どこかのブログで見たんですが、我々は一つの語句を、「文字の並び」
としてとらえず、かたまりとしてとらえる。だから、文字順が変であっても、気がつきにくいのだ、とか。「気がつきにくい」、の「つきにくい」を、「つきくにい」と書いてあっても、注意しなければ流し見てしまうし、気がついても校正ミス、と善意に解釈する。

 さて、ここで素朴な疑問です。思いつくままに。
 今日(1日)、辞任するかも、ということで、朝からそのニュースばかりだったんですが、鳩山総理。朝、官邸前で、「この国難に対して、力を合わせ、全力で~」などと言っていたのですが、はて?
 
 素朴な疑問、その1
 国難って、一体どれのこと?先頭切って、断乎とした対応を執る、と言っていた韓国哨戒艦沈没のこと?それとも、普天間基地が動かせないこと?口蹄疫封じに全力を注ぐってこと?いや、やっぱり、総理やめろ!20パーセント切ったぞ!と言われたこと?でも、それは国難じゃないよね?多過ぎて分からないよ。

 素朴な疑問、その2
 先日、慌てて、二回目の沖縄訪問をしたけど、あの時、通過点に反対派の人々が終結して抗議運動やってました。危険だから、スピード上げて、走り抜けたら、「逃げた、逃げた」ってやってたけど。ゆっくり走ってたら「ケンカ売ってんのか」となりますよ。
 気になるのは、あの黄色の紙に赤で、「怒」と書いてあったやつ。書いたんでなくて、印刷だったでしょう?気になるんですよね、色画用紙って高いんですよ。画用紙でなくても、色付きの紙は割高です。あれを誰かが大量に買い込んで、「怒」、一文字だけ、印刷。そうすると、あれ、もう遣いまわしはできない。あれは、あの瞬間のために、用意をした、ということですよね。たった一回、あれだけのために。用意した人、用意に遣ったお金。どこから出たんでしょう。中に慌てて逆さまに出してた人がいたのには笑うしかなかったけど。
 ついでだけど、そこらじゅうでやってたみたいに、何度も流してましたね。逆さまの「怒」が必ず映っていたから、同じところだったんですね。ということは、あんまり金はかかってないのかな?そうか。何台もカメラを持ち込んで、マルチ録画みたいにやったテレビ局が、一番金がかかったわけか。

 素朴な疑問その3
 これは、タイ。初めて国王の存在を全く無視したデモだった、と言われるあの大騒動。「デモ」っていうのは、シュプレヒコールとかデモ行進とか、だと思ってたけど、あんなに長い、難民キャンプみたいなデモ(?)、初めて見ました。みんな赤いシャツ着て、そこらに寝泊りして。
 70年安保の頃、学校を占拠して「解放区」と称していたのと、そっくりでした。前首相の支持をする、北部の人々だったんだそうですが、テレビを見ると、何とも気楽そうな顔して食事なんか摂ってる。
 北部の貧しい仕事のない人々が、タイ市街のど真ん中で自炊している。その金はどこから?彼等の着ていた赤いシャツは誰が用意したのか。お揃い、ですよ。さらには、武器まで持っている。鎌や鍬、じゃないですよ。銃ですよ、それも猟銃ではない。変でしょう?前首相はけちで、金を出す筈はない、と言われているのに。

 となると、援助したのは外国、ということになる。そんな酔狂なことをする国?・・・と言えば、謀略を常とする国、社会主義国家、か・・・。なるほどね。北部に接している国か。社会主義イコール侵略主義の国。
 
 やっぱり、「塵も積もれば山となる」、のは正解なんでしょうか。
 ただし、あまりにも「脆い山」。「風が吹」けば、簡単に形が変わる。そよ風くらいで十分なんでしょうね。山、というより、やっぱり吹き溜まり。
 投票率が70パーセントくらいになれば、「民主党?そんなのあった?」と言われるくらい、跡形もなくなるんでしょうか。

 というわけで、世間話、でした。
 「あ~っ!時間の無駄だった。読むんじゃなかった」と思うのは、ぐっとこらえて下さい。

 そしたら、今日(2日)、急転直下の辞任劇。「国民が聞く耳持たなくなった」「自分は間違ったことはしてない!」
 結局「お飾り」に終始した人はいなくなっても、もう一人の「院政」は何も変わらないんだから。安心なんかできない。塵の積もってできた山に、登山なんかできない。

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口訣 歌訣(道歌)の意味

2020年03月17日 | 日々の暮らし
2010.05/31 (Mon)

 「道歌、というのを御存知ですか。」
 きっと誰しも知っているもの。「ああ、あれか」と言われそうです。
 各界にある、修業の心境、レベルなどを歌にしたものです。歌の形にしてあるので、「道歌」と言いますが、「ことわざ」みたいにしてあるものもあります。
 もう、そんなの集めたら、山ほどあります。「人生訓」なんてのも、歌の形式を採ってないだけで、道歌と同じです。「口訣(くけつ)」とでも言いますか。
 「損して得取れ」なんていうのは、間違いなし、商人の道歌、口訣、ですね。人生訓なら「急がば回れ」、反対の「善は急げ」、いずれも、ちゃんとした論理があるんでしょう。
 仏道修行に「心こそ 心転がす心なれ 心に心 心して居よ」というのがあります。
 弘法大師の歌に
 「降らば降れ 積もらば積もれそのままに 雪の染みたる松の葉もなし」
というのがあるそうです。
 平常心(びょうじょうしん)を詠んだ歌だそうです。 

 「切り結ぶ 太刀の下(もと)こそ地獄なれ 一足進め そこは極楽」
 勿論、剣術の道歌です。間合と心持を説いています。

 そうそう、面白いのでは「数稽古の後は風呂に入るな」というのを読んだことがあります。口訣、ですね。
 「折角身についた技が風呂に入ると流れてしまうぞ」、と説明されるそうですが、実際は、数稽古として、一本一本全力でやるうちに、身体面、精神面共に、緊張させる部分と弛緩させねばならない部分とを、身心が覚えていきます。
 仕組まれた、急激な「量質転化」ですね。その、折角覚えた身心の昂揚感を、風呂に入ることで、乱暴に弛緩させたら「流れてしまう」。
 「折角身についた技が風呂に入ると流れてしまうぞ」。直感的な説明ですが、道理、と思います。一旦寝て、翌日、身体の痛みと、まだ残る気持ちの高ぶりの中で、自身の数稽古を、肯定的に評価する。これまた、意義深いことではないか、と門外漢ながら、想像します。

 勝手な思い込みによる解説は止めて、元に戻りましょう。
 この、歌訣や口訣、「もうちょっと丁寧に、文章にしておけばよいものを」
と思いませんか?勿論、この歌訣、口訣などの内容は、伝書で説かれていたり、師匠から懇切丁寧に教えられたりするのです。その上で、この道歌があります。

 じゃ、説明が別にしてあるのに、わざわざこんなのをつくるのは何故か。
 覚えるためです。
 何故、覚えなければならないのか。
 習ったもの、身につけたものは、実際に、無意識に遣えるようにしなければならないわけです。でも、無意識に遣えるようになるためには、意識がある状態の中で(言い方、変ですね、意識的に、ですね)、遣えるように常に気をつけながら、練習をしなければなりません。
 そんな時、心の持ちよう、技の形などをいちいち伝書を開いたり、師匠に聞いたり、では稽古になりません。短い言葉でまとめられたものを、稽古中であろうがなかろうが、常に必要に応じて、思い出し、現実と対比させてみる。
 これが、歌訣、口訣の目的です。

 結果、実際の「身体の動かし方」と「考え方」を、常に同時点検しながら、身につける練習ができる。これは、大きい。
 随分昔、日本の柔道が外国選手に勝てなくなった時、「強い相手と数多く練習ができる場をつくらねば」と提案されたことがありました。
 なるほど、そうだ、と大勢がそっちに動く中で、正反対の意見を述べる人々もいました。主に空手の関係者でしたが、彼等はこう言いました。
 「強い相手と練習しなければならないと言うが、ヨーロッパの選手こそ、練習相手のない中で稽古をしているではないか」。こっちが道理、ですね。
 柔道の側でも、同様の意見を述べる人がいました。「鬼」と言われた木村政彦選手です。何しろ、この人、十年間も柔道日本一でした。
 氏はこう言いました。「基本稽古をしっかりやることが大事なのに、それをおろそかにして、乱取りばかりやっているではないか」。これまた、核心を衝いています。
 
 戦前、その木村政彦氏が無敵を誇っていた頃、「日本柔道選士権大会」の南樺太代表に選ばれた選手がありました。軍人でした。南樺太代表、というのは大変な栄誉なのですが、元々東京で稽古をしていたものが、転属で、南樺太に来たのです。稽古相手が、それこそ全く居ないのです。早い話、代表になったのも、南樺太には柔道を本格的にやった者がいなかったからです。

 代表として行くのは良いけれど、稽古相手なしで、当日だけ戦うなんて、勝てるわけがない。「南樺太代表」という名を汚すことにもなる。
 「さて、困ったな」、といくら悩んでも、稽古相手が湧いてくる筈もない。
 で、閃いたのです。
 「稽古は自分の技を研ぎあげるもの。ならば、一人でできる技を研ぎ上げれば良いではないか。」

 と、いうわけで、早速帯を一本、一抱えもある木の幹に括りつけ、帯の両端を袖、襟に見立てて、引きながら根元に足払いをかける練習を始めました。
 一抱えほどもある木です。しっかり根を張っているわけですから、当然びくともしません。人間では、あり得ない、圧倒的な強さを誇る選手、みたいなもの。
 来る日も来る日も(実際には半年余りではないでしょうか)足払いの稽古を続けていた或る日、「自分の足払いで倒せない人間はない」、という絶大な自信のようなものが湧いてきたのだそうです。人間が相手なら、無敵ということを、確信したわけです。
 大会当日、予想通り、南樺太の稽古相手の大木よりも強い選手はいなかった。
 稽古する相手がなく、一人黙々と、木に足払いを繰り返し叩き込んで来たその選手は、足払いだけで勝ち進み、決勝までいったそうです。
 (最後には、木村選手に僅差で負けたのか、引き分けだったのか覚えてないので、そこは追求しないで下さい。)

 この柔道の選手の話に、直接には道歌も口訣も出て来ません。
 しかし、「今、存在しないものを作り上げる」、「自分を変える」ということを考え、実行する場合、「ただ、ひたすらやれば良い」というものでもない。
 その時、どんなに「ひたすら取り組んで」いても、その中に、必ず「目的の意識」は浮かべておかなければならない。
 「稽古は自分の技を研ぎあげるもの。」
 それには短い言葉が一番なのだということを知っていて、先人は、ちゃんと当たり前にやって来たのです。

  (せめて、三大法則は覚えておかねば、ということです)
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