不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

CubとSRと

ただの日記

一寸先のことは分からないんだから。

2020年03月02日 | 重箱の隅
2013.01/27 (Sun)

 自公政権になる前から今日までの両党、特に自民党の行動の素早さを、マスメディアは滅多に採り上げませんが、この三年と三ヶ月を振り返って見ると隔世の感があります。 
 その実例を、今日、見掛けましたので、例によって部分転載します。

 msn産経ニュースからです。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 【酒井充の政界××話】
 人質事件対応にみる「政治文化」の違い
                        2013.1.27 12:00
 一次的に情報が入るわけでもない与党の自民、公明両党も最初は目立った動きはなかった。
 だが、菅義偉官房長官が午後9時に記者会見を開いて事件の概要を発表することになってからの動きはすばやかった。
 両党はさっそく幹部を招集。いったん閉じられた自民党本部の正面玄関が開けられ、自民党の石破茂、公明党の井上義久両幹事長らが続々と集まり、同10時に1回目の与党対策本部を開いた。
 一連の動きについて何の違和感も覚えなかったが、民主党担当が長く、最近初めて自民党担当となった後輩記者は「こんなに早く幹部が集まるなんて、民主党では考えられない」と目を丸くしていた。

 政党による単なるアピールと受け止める人もいるだろう。忙しい政府が頻繁に各党を回って同じような説明ばかりしていたら、場合によっては政党が政府の「邪魔」をすることにもなりかねない。
 だが、ここで注目したいのは、政党としての「姿勢」だ。何かあったらすぐに集まる-。これは自公両党に染みついた「政治文化」といえる。
 早く現地に行けばいいというものでもない。今回の人質事件でアルジェリアに視察団を派遣した政党はない。現地に行ったところで恐らく成果はあまり期待できなかっただろう。
 だが、こういう姿勢を評価する声もある。自公両党が人質事件の対策本部を設置した直後、従業員が犠牲者になったプラント大手「日揮」の関係者から自民党に対し、さっそく「感謝」の連絡が入ったという。
 自民党が事件解決のために何か具体的なことをしたわけではない。だが、政府だけでなく与党として迅速に対応する姿勢に深く感銘を受けたとの内容だったという。
 海外で事業を展開する企業にとっては、事件に誠実に対応する自公両党の「姿勢」だけでも心強かったようだ。

 北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃事件の約5カ月前には自民党の小野寺五典現防衛相らが議員立法で、海外の動乱などに巻き込まれた邦人を救出しやすくするための自衛隊法改正案を提出していた。
 だが、民主党などは協力せず、実質的な審議がないまま継続審査を繰り返し、結局昨年の衆院解散に伴って廃案となった。
 そういえば当時の菅直人首相は砲撃事件を受け、自衛隊法改正を検討する意向を表明した。しかし、口先だけで何もしないまま首相の座を降りた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/stt13012712...
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/stt13012712...
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130127/stt13012712...

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「成果主義」とか「能力別に給与を」、とか、「実力がなければ」、「資格を持っていなければ」などと言われるようになって久しいのですが、それで言えば、この記事なんかは全くの正反対。
 会議を多く開いたって、早く集まったって、問題解決にはなりません。情報が入りもしない中から、ああだこうだと小田原評定したって、ただのポーズじゃないか、と言われたらそれまでです。
 「結果が出てないじゃないか」
 「成果は何もなかったじゃないか」
 「会議を多く開いたからって、そんなの、仕事やってるポーズだけじゃないか」
 そう決めつけられて嘲笑される。
 上手くいって当たり前、少しでも傷があれば「ジミンガー」攻撃。

 でも、人間、一寸先は闇。「先のことは分からない」。
 だったら、同じ「どうなるか分からない」のなら、現時点でできることをやってみる。悪あがきをする。
 勿論しっちゃかめっちゃかに頑張る、というのではなく、その時点で全力で考え、最善の、或いは次善の策を立て、実行する。けれど「一寸先は闇」。
 あまりにも野暮ったい言葉、
 「下手なことはせず(一人前だ、などと思わず)、まずは汗をかけ」
 と、教えられてきたのが自民党です。
 個々人の考えを、初めは一切認めず、「まずは将棋の駒になれ」という自民党のやり方は、功罪半ばします。

 だから民主党は反対に、初めから自由闊達な意見のやり取りを交わそうという風潮をつくろうとした。
 「能力があれば認めよ」「合理に徹して成果を求めよ」
 「日揮」の関係者から自民党に対し、感謝の連絡が入ったという事だって、「そんなの『日揮』という会社の抜け目のなさ、じゃないか」と嘲笑っている人だっているだろう。
 そして、「大体、この記事だって、ただの自民党アゲだよ。中身なんかない」と笑ったら、カッコつけられる。
 でも、「外交の極意は正心誠意」、「政治の極意は正心誠意」だ。
 「嘲笑う」心から生まれるものと、「感謝する」或いは「意気に感ずる」心から生まれるものは、自ずから違ってくる。
 それが今日の円安株高という「景気」になっているのではないか。 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「字典」があればいいだけのことかも・・・・

2020年03月02日 | 重箱の隅
2013.01/21 (Mon)

 「羊頭を掲げて狗肉を売る」、と言いますが、肉を売っているのは同じだし、昔からシナでは「羊は御馳走」「犬は日常食」だったそうですから、まあ許せる範囲でしょうが、私の日記は本物の「看板に偽りあり」みたいなもので。
 世間話ついでに、昔読んだ朽木寒三という人の「馬賊戦記」という本だったか、に狗の肉の話が出ていて、何でも犬の肉は牛肉と違って、筋が歯に引っ掛からず、なかなか具合が良いんだとか。
 津本陽氏の「薩南示現流」に書かれてありましたが、日本でも昔、鹿児島では「えのころ飯(犬ころ飯)」と言って、赤犬を捕まえて来て、力づくで口を上下に裂いて屠(ほふ)り、腹を割いて内臓を取り出し、代わりに洗ったもち米を入れて針金(鉄串?)で留め、丸焼きにする。ちょうど良い塩気の、ほどよく色づいた御飯が炊ける。それを焼けた肉を引き千切りながら一緒に食べ・・・・・・・・。

 はい、いきなりの脱線はここまでにします。「字典があれば・・・・」の続きです。
 今、「屠(ほふ)る」という言葉を使いました。これは「命を奪う」という意味の言葉です。ただ「命を奪う」、のは「殺」ですが、「屠る」というのは、事務的に、それこそ「淡々と」命を奪うといった意味合いで使われます。
 日本では釣れた大きな鮫などは暴れ回るので「撲殺」するのですが、その際「成仏してください!」と言いながらやるのだそうです。やっていることは「」ですが、心は決して「淡々と」ではない。これは日本独特のもので、例外と言うべきでしょう。

 屠ったら次は解体する。解体したら、それぞれの部位を用途に応じて処理する。皮を剥いで靴や鞄にするとか、肉を焼いたり煮たり干したりして食用にする、とか。
 「殺」は命を奪うだけ、なわけですから、その手段や目的を表わす言葉を前に付ける。さっきの「撲殺」は「撲り殺す」。以外にも「刺殺」「薬殺」「絞殺」斬殺」「惨殺」「暗殺」~・・・。色々あります。で、「」もあれば「虐殺」もある、と。

 先日、前の鳩総理が訪ねて、「我々は大変悪いことをした」と深々と頭を下げたのは「南京大『紀念』館」です。「南京大『虐殺記念』館」ではありません。
「紀念」と「虐殺記念」。違いますよね?
 「紀念」とは、つまり、そこでは「日本軍が事務的に淡々と三十万人ものシナ人を殺した」との主張が為されているのであり、日本では「牛馬のように殺す()、などというのは酷過ぎるから、虐殺と言おう」とした。
 字典を見れば、それぞれの捉え方の違いが分かります。

 「挺身隊」と言えば、「全身全霊で事に当たる」と言う意味であって、その「崇高な精神性」を賞賛されることはあっても、「身を挺する=売春」とか「女子挺身隊=性奴隷」などを意味する、などあり得ないことです。
 これもまた字典を見れば分かります。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  「読みが浅い」
                2010年1月17日の日記

 昨日の本の話。なかなか先に進まない。
 何しろ毎度の事ながら、本を読むと同じ言葉でも上っ面だけ眺めてしまって、肝腎なことをまともに捉まえられない、早い話が早合点、早とちりばかりしているからだ。

 今日はそんな中の一つ。あの、「従軍慰安婦」のこと。
 「韓国併合時、女子挺身隊として朝鮮人女子が強制徴用され、従軍慰安婦として日本軍に性奴隷にされた」
 何とも悲惨な話で、これが教科書に載り、高校生(一部には中学生も?)の心に、日本軍の暴虐非道振りが日本への嫌悪感を抱かせる一因となったことに間違いはなかろう。
 ただ、私が高校生だった頃には習わなかった話だ。それに、もうだいぶ前から、これは捏造だ、という、一方の説の存在も知っては、いた。
 しかし、これをどうやって捏造だと証明したらいいんだろうか。
「捏造だという証拠はあるのか?なかったら認めるしかないじゃないか」、と言われたら、そこで終わりになってしまう。
 それが、「もっとしっかり読んでいれば、簡単に分かることじゃないか」と、ヒントを与えられたわけだ。

 著者のお母さんのセリフ。(陸軍病院の看護婦長だったそうだ)
 (母は)「何をバカなことを」と吐き捨てるように言った。」
 「従軍と言えば軍属よ。従軍記者、従軍カメラマン。従軍看護婦。戦死したら靖国神社よ。従軍慰安婦などと、こんなバカな言葉はなかった。」

 「従軍」とつけば軍属。名誉の戦死は英霊として靖国神社に祀られる。
 ということは「従軍慰安婦」は軍属となるから、戦死すれば靖国に英霊として、、、、馬鹿な。靖国神社の霊璽簿に「軍属 慰安婦 何某」というのがあることになる。
 「朝鮮人は性奴隷にされたんだからある筈がない。」?
 いやいや、日本人のがある筈ではないか。
 つまり、慰安婦は「従軍」なんかしない(と言うより、できない。許されない)のだ。慰安婦は軍にくっついて(一緒に、ではない。追軍、だ)行って、それぞれの駐屯地で商売をするのだ。言葉の意味を、ちょっと冷静に考えたら分かる。
 
 「女子挺身隊」も同じだ。「挺身」というのは身を捧げる、身体ごと投げ出して尽くす、と言う意味だ。だから、普通、「女子が国のために何かの仕事に就いて命がけで働く、隊」となる。それがどうして「女子が身体を投げ出す、と言ったら売春しかないだろう」となるのだ?日本人に、こんな発想は、ない。

 「強制徴用」
 「強制」は「無理矢理」だ。「徴用」は集め用いる。「強制連行」はあっても強制徴用」はない。

 最初の説明文は言葉の遣いかたがどうもおかしい、と気が付いたら、これは捏造だと気が付かねば。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 新しい情報と旧い情報の処分(仕分け)、というのは難しい。取捨選択を上手くやるにはどうしたら良いか、なんてのは古くて新しい問題で、いつまでたっても解決する兆しがない。ならば、これ、考え方を変えてみれば良いのではないか。
 「取捨選択を上手くするには」、じゃなくて「取捨選択という基準、物指しに、そもそも問題があるんじゃないか?」と考えて見たらどうだろう。

 さて、それで「物を知らないただのおっさん」の登場です。
 専門的なことは何一つ知らない、新しい情報も知らない、今の流行も知らないし、AKB48とモモクロZの違いも知らない(私は知ってますよ!)ただのおっさんは、どうすればいいのか。世の中の流れに乗れないじゃないか。
 会社に居る間は窓際族と呼ばれ、家では粗大ごみに擬せられ、社会では濡れ落ち葉などと嘲笑され、遂には定年で社会生活を引退したからって、そんなただのおっさんは堂々と生きていく資格はないのか!あ、熱くなりました。

 けれど、この世の中を支えて来たのは、そして今も間違いなくしっかりと支えているのは、そんな、飲みたいビールを我慢して発泡酒を飲んでいる、ただのおっさんなんです。そんなおっさんが「日本文明」を継承し、支えているんです。
 何で世の中の流れに乗らなきゃいけないんでしょうか。世の中というのは流れに乗るためにあるんでしょうか。流れでなく、世の中の、その本質を捉え、発展させる力になろうとする方がよっぽどまともな生き方じゃないんでしょうか。
 そのためには手元に字典があればいいだけ、で、ただのおっさんは事あるごとに、字の、語句の、意味を確認する。そうすれば、これまでの豊富な社会での体験、経験が一気に輝き始める。

 流れに乗るのは神輿の仕事。日本人たる者、神輿になるのではなく、神輿を見詰め、磨き上げる力を持つことを誇りとすべきでしょう。
 それに「神輿は軽くてパーが良い」って、誰か言ってませんでした? 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実主義と現実肯定主義

2020年03月02日 | 重箱の隅
2014.03/04 (Tue)

                   (略)

 昨日三月一日、東京大手町のサンケイプラザのホールで、去る一月四日に帰天した同志遠藤浩一君の「遠藤浩一さんお別れ会」があった。
 
 遠藤浩一君の最後の文章となったのが、亡くなる一日前の一月三日の産経新聞朝刊の「正論」である。
 それは「『観念的戦後』に風穴開けた参拝」と題されたまことに重厚な論考であった。この「正論」を、遠藤君は次のように締めくくった。

 「民主党政権という悪夢のような現実を精算し、安倍政権が誕生して1年。・・・安倍首相の真の目標は憲法を正して『戦後』に終止符を打つことにある筈だ。
 このすぐれて現実的な目標を達成するには、粘り強さと周到さが求められる。そして現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠に嵌らぬように注意することだ。
 その意味で、首相の靖国神社参拝は観念化した『戦後』から脱却するための大きな一歩といえる。」

 「お別れ会」で、別れの挨拶にたった私は、「二月二十八日の予算可決後に、安倍総理と握手して『集団的自衛権行使の決断』を促したが、それは、君が俺に言わせたのだ」と言った。

 http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page...

  「内外の情勢に関して、必ずクリミアからの連動がある」
              ~眞悟の時事通信より~

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この「正論」を、遠藤君は次のように締めくくった。
 「民主党政権という悪夢のような現実を精算し、安倍政権が誕生して1年。・・・安倍首相の真の目標は憲法を正して『戦後』に終止符を打つことにある筈だ。
 このすぐれて現実的な目標を達成するには、粘り強さと周到さが求められる。そして現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠に嵌らぬように注意することだ。
 その意味で、首相の靖国神社参拝は観念化した『戦後』から脱却するための大きな一歩といえる。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「現実主義」と「現実肯定主義」。似た言葉ですが意味は全く違います。
 意味は全く違うのに、何となく流し読んでしまいます。私だけ、とは言いません、相当数の人がそうだ、と思います。政治家の言動の断片を捉えて追及する、などという姑息な手段は、普通の神経なら恥ずかしくてできないでしょう。
 流し読んでいるから、恥ずかしいなどと思わずできるんじゃないでしょうか。

 「政治家の言動の断片を捉えて追及する」筆頭は、マスメディアですよね。
 報道というのは断片を追及するのでは無く、本意を伝えるのが仕事のはずですが。
 本意を伝えるためには、一言一句を鬼の首でも取ったように論(あげつら)うのではなく、前後の関係から言葉の真意を把握し、(説いていくために)全体の意味を読まねばなりません。決して恣意的に扱ってはならない。
 ところがテレビ(映像)は、この断片を前後入れ替えたりして全くの印象操作をすることを得意とする。モンタージュ技法の劣化版です。
 昔、新聞記者は、事実を正確に伝えることを旨としていましたから、そんな手法を「報道にあるまじき態度」、と蔑視していたものです。

 「現実主義」とは「現実を見よ」という考え方です。「目標や、その先の理想(目的)は現実を見詰めてこそ近付いていけるもの」。それが現実主義です。
 「目的のためには手段を選ばない」、という意味でマキャベリズムは「冷酷」な考え方に見えますが、これこそが「冷血」ということです。
 「熱い血」、激しい感情ではなく、「冷たい血」、理性で目的に向かう。「大久保利通には『冷たい血』が豊富にあった」、というあの「冷血」です。
 現実を見詰める、現実を見据えるからこそ、理想(目的)に近付ける。理性が勝っていなければできないことです。

 対して「現実肯定主義」とは「現実を肯定せよ」=「現実を受け入れよ」という考え方です。目標や、その先の理想(目的)は、ありません。「今が全て」です。
 「波風を立てない。それが平和だ」、ということです。現実を受け入れることが平和そのもの、つまり理想であり、目的である。
 前回の日記に挙げた産経記事の「歴史認識なんて検証するのは難しいんだ。」
 「めんどくさい話を国会に持ってくるなよ。」「寝た子を起こすようなことはしないの!」等の意見を吐く人がこれです。

 「現実主義と現実肯定主義」。これを「保守」という言葉で一括りにして報道していないでしょうか。また、「保守」とは何か、意外に考えてないのではないでしょうか。
 だから「保守」=「頑迷固陋」としてはいないでしょうか。
 大体「保守」というのは、「目的」ではなくただの「手段」でしょう? ということは、たとえば「革命によってのみ、目的は達成される」と言った時点で、革命という手段を「保守する」ことになりませんか?

 大いに脱線してしまいました。しかし、こうやって流し読んでいた物を見詰め直してみる。そこから「保守と革新は対立するものではない」ことなどを確認してみる。
 そういう事を繰り返し、していかなければ、自身の見詰めることの甘さから、他をひたすら切り捨てていくことの愚を気付かないままになってしまう。

 「これまでの自民党は現実肯定主義に流れていた。今、政府は現実主義で行動する努力を続けている」のではないか。
 しかし、
 「現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠に嵌らぬように注意」を厳重にしなければ、瞬時に罠に嵌ってしまう事は、僅か三年余りの民主党政権も、以前の自民党同様、見事に証明してくれました。

 やはり「人は己の能力の範囲内でしか物事を捉えることはできない」のですから、能力(能くする力)を自らつくっていくしかないという事になるんでしょうね。

 相も変わらず、の、自戒日記になってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなの、ご存知でした?

2020年03月02日 | 重箱の隅
2012.02/25 (Sat)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の読者の投書なんですが。
 今回の発言に関して、河村市長、既に「場を考えるべきだった」と言った様な、発言の訂正とも取れる記事が流れたようですが、それはそれとして、先年、以下のような質問状が胡錦濤主席の来日にあわせて大使館あてに出されているようですね。ご存知でしたか?

 項目は五つ。意見をお聞かせいただきたい、としてあるのですが、胡主席、頬かむりを決め込んだようで、返答はないのだそうです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成24(2012)年 2月25日(土曜日)
      通巻第3572号 

(読者の声1)中国が傲慢にも河村名古屋市長の当然の正しい発言にいちゃもんをつけてきていますが、全く愚かなことです。
なぜなら2年前に胡錦涛主席が来日した折に、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明)が中国文の公開質問状(下記に添付)を中国大使館を通じて送っていますが、彼はこれにこたえていないからです。
これは中国語、日本語、英語で発信する会のサイトに掲載され、世界各国のアジア関係学者、マスコミ、大使館関係等4000名ほどにメール送信もされています。
お読みになればおわかりのように、これを読んでまだ「南京虐殺があった」と考える人がいたとしたら、その頭の構造を疑いたくなるでしょう。
決定的なポイント5点についてどうにも答えられない、というのが中国の側の事情であることがよく理解できるかと思います。
読者の皆様にお願いします。この文書を使って、河村市長の応援活動を是非実行してください。
既に「新しい教科書をつくる会」(藤岡元会長は検証する会の事務局長)のメルマガでこの公開質問状が発信されていますが、有効活用が出来るかと思います。
特に大村知事、藤村官房長官にはこれを送り、「あなたはこれに反論でも出来るのですか」と迫ってみるのはどうでしょう。それぞれのお立場で、メールでもいいですし、ファックスでもいいですし、手紙でもいいですし、電話でもいいですし、はては面談でもいいですし、それぞれ可能な方法で、これを活用して糾弾活動を展開していただければとお願いする次第です。
平成24年2月24日         
       「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道拝

(参考添付)
胡錦濤国家主席閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?
二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
           平成20年5月5日
           南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 
高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「事実云々ではない。『あった』、と書かれてあるから、『あった』のだ。それが真実だ」という国柄です。
 何度も書きますが、「文の国」とはそういうことです。「武」より「文」が尊ばれる。
 科挙の試験は文官だけでなく武官もあったのです。実技(武技の修練度)を見る。
 一般に日本で「青竜刀」と言っているものは「単刀」といわれるもので、本物の青竜刀というのは大薙刀、それも刃の部分が二十キロ以上、支える柄は負けないようにと、鉄でできており、十キロ以上はあったそうです。つまり、軽いものでも三十キロ以上。それを振り回す、操る様子で合否が決まったとか。
 力だけでは無理です。だからこその「武技の修練度」なんですが、そうやって試験に合格しても、文官の足元にも及ばなかった。

 最近の軍事力の増強振りは半端ではありません。でも、あの軍事力は北朝鮮と違って、やっぱり見下されています。だから、手足のようにこき使うのが当たり前だと思っているし、手柄はみんな文官が取ってしまう。そんな「文の国」の三十万人大。

 茂木弘道事務局長の提案を実行してみるのも良いし、改めて、「そういう見方があったんだな」と、自身の考えを整理してみるのも良いのではないでしょうか。
 蛇足ですが「南京大虐殺」と言っていますが、彼の国では「南京大」と言っています。語感、というものは情に訴えかけるものです。「」と「虐殺」、どっちが酷く聞こえますか? 日本人なら意外に「」の方が酷いように聞こえませんか。
 「人間を家畜のように『屠(ほふ)る』、だなんて!」と思った方、ありませんか?
 でも、「屠る」、というのは、ただ命を断ってしまうことで、「虐」は「虐(しいた)げる、虐(いじ)める」、です。ということは、「虐殺」の方が酷い、ということになります。

 何故、「文の国」が「南京大虐殺」と言わないで、「大」と言うのか。
 「日本にこれ以上嫌な思いをさせるのは忍びない。だから、せめて『虐殺』ではなく『』にしておいてやろうではないか」と、気を使って・・・・・?あり得ないでしょう。
  この言葉自体、後から作られたものではないか、という疑念も生まれませんか? 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は「朝ズバッ」、ニュースとしてあげただけ。

2020年03月02日 | 重箱の隅
2012.02/22 (Wed)

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年  2月22日(水曜日)
     通巻第3567号 <2月21日発行>より転載

(読者の声2) 名古屋の河村市長が[南京大虐殺はなかった]と歴史認識の正当性に立脚して、まっとうな発言をしました。
河村たかしはこれまでおっちょこちょいのアホな奴だとしか考えていなかったのですが、今回の発言で少し見直しました。これでまた国内の馬鹿な反日左翼やマスコミがあぶりだされますが。もっとも減税一点張りの市政は頂けませんが。
 さて「南京問題」が話題になる度に、郷友連では、「あれは何のことを言っているのか」と議論していました。
 あらゆる戦争犯罪には理由があります。例えば、日本が「中国人は世界のガンだから、これを1人残らず殲滅する」という理由で支那事変を始めたなら、分かるが、「五族協和 アジア解放」を掲げる日本軍に30万もの無辜を虐殺する理由は皆無です。もし軍紀の緩みが理由なら、せいぜい数十件が関の山、30万という数は周到に準備し、組織的に行わなければ、達成不可能な数です。郷友連の故味岡理事長は南京陥落一週間後に南京に入ったそうですが、そうした虐殺の痕跡は皆無だったと発言していました。
 (名護屋ふたり)

(宮崎正弘のコメント)すでに南京大虐殺はシナと米国のつくり話であり、でっち上げであることは完膚無きまでに証明されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1214&f=nati...
 中国ブログ】「日本人が南京事件を認めない理由」について中国人が考察

  日中戦争での南京陥落から74年目となった12月13日、中国人男性ブロガー「李徳儒」さんは、「日本人が南京大虐殺を認めない理由」というタイトルでブログを書いた。

  ブロガーは以下の9つの項目に渡って考察している。

1.南京大虐殺の主要な責任者である「谷寿夫」に対し、残念ながら極東軍事裁判で審理が行われなかった。谷寿夫がB級戦犯であったためだ。

2.谷寿夫は1946年に中国へと引き渡されて審理が行われたものの、残念ながら中国での軍事法廷は国際的な信任が得られなかった。審理の記録も正確には残っていない。

3.アメリカが徐々に日本との協力姿勢を強め始め、大部分の日本の戦争責任者が最終的には釈放されてしまった。

4.ドイツのユダヤ人虐殺が計画的、組織的に行われたのに対し、日本の南京大虐殺は上官の管理できない中で無秩序に行われたため、直接的な証拠が少ない。

5.日本は「中国側が南京から撤退する際、統制が取れずに中国人同士での殺し合いがあった」と言って弁解してくるが、残念ながらこの点に関しては確かにあり得たことだ。そのため日本は「中国の統計は事実と合わない」と言っている。

6.数字に関して直接的な証拠が不足している。30万人のうち、10万人については根拠を提示できておらず、日本が責任逃れできる理由となっている。

7.中国は日本への賠償を放棄してしまっている。

8.広島、長崎への原爆投下など、日本は太平洋戦争で大きな損失を受けたため、被害者としての意識が大きい。

9.日本の歴史教科書には30万人説が書かれておらず、歴史に対する認識が乏しい。

  ブロガーはこれらを提示した上で、「日本人が南京大虐殺をどう見ているかは関係ない。南京大虐殺記念館の壁に書かれた無数の犠牲者たちの名前を見るとき、1人の中国人として、あなたは何を思うだろうか」と結んでいた。(編集担当:西谷格)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0221&f=poli...
 南京市代表団「大虐殺、鉄壁の証拠山ほどある」…名古屋市長を批判

  河村たかし名古屋市長(63歳)は20日、同市役所を表敬訪問した中国・江蘇省南京市政府の代表団に対して、日中戦争時の「“南京事件”はなかったのではないか」と話した。中国新聞社など中国メディアによると、中国側代表団は河村市長の発言に対し、“南京大虐殺”について「鉄壁の証拠は山のようにある」と表明した。中国新聞社が報じた。  河村市長は「通常の戦闘行為はあった」と述べた上で、“南京事件”から8年後の終戦時に父親が南京市にいたと述べ「南京の人は日本の軍隊に優しくした。なぜか」などと、“大虐殺”について疑問を示した。

  中国側代表団が自らの“反論”を、河村市長の発言を受け直接述べたのか、別の場所で述べたかは伝えられていない。

  中国側代表団は「中国を侵略した日本軍が南京で大虐殺を行った歴史事実は抹殺できない。鉄壁の証拠は山のようにある。国際社会でも早くから定説になった」などと“厳正な反応”をしたという。

  河村市長の発言についてさらに、「無責任だ。歴史を歪曲して南京の人民を尊重しないものだ」、「歴史の教訓を切実に汲み取り、両国の友好と両市の人民にとって有益なことを多くしてほしい」などと批判・論評した。

  中国メディアは河村市長の発言中の「父親は終戦時に南京にいた」、「南京の人は日本の軍隊に優しくした。なぜか」の部分は伝えなかった。「南京市で歴史にかんする討論会をしてもよい。私は南京の人に感謝している。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」との発言も伝えなかった。

  名古屋市と南京市は1978年に友好都市(姉妹都市)として提携を結んだ。(編集担当:如月隼人)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今朝のアサヒには囲み記事で出てました。読売や毎日にも出ていたようですね。
 テレビは題に書いたとおり、「朝ズバッ」で、論評と言うか、感想みたいなものは一切なしで、ニュースとして、二回流しました。予想通り、と言えばそれまでですが。
 この話がどれだけ波紋を呼ぶか分かりません。支那は相変わらずのごり押しです。
 しかし、最初に挙げた「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の読者の声にあるように「支那人を殲滅すると言うのならともかく、五族協和を掲げる日本軍が30万人も虐殺する理由がない」「軍規の緩みが理由なら、数十件が限度」「周到な準備と、組織立った行動でなければ30万は不可能」という筋道のある至極当然な分析が彼の国では全く通用しません。

 サーチナには上に挙げた通り、南京市代表団の言葉として、「中国を侵略した日本軍が南京で大虐殺を行った歴史事実は抹殺できない。鉄壁の証拠は山のようにある。国際社会でも早くから定説になった」とありました。
 「鉄壁の証拠は山のようにある」とは、また随分な言い回しだな、と噴き出しそうになりましたが、ブログ氏の物の見方を見れば分かるように、実際真実を知らない人間ばかりで言い合っているわけですし、第一、国民党軍の負け戦さのことを、当時の南京の様子を全く知るはずもない共産党軍の後継者が何故にここまで力を入れて弁護するのか、些か以上に不自然なものを感じるのは私だけではないでしょう。

 「事実」だという「山のような証拠」なるものを、いくら突き崩そうとしたって、ついこの間のさまざまな「パクリ」(ガンダム、どらえもんミッキーマウス等、あ、上海万博のテーマ曲も、でした)に関してだって、ただの一度も謝らなかった国民です。考え方の根本から違うのじゃないかな、と思ったほうが良いのではないでしょうか。
 彼らにとって、「事実」とか「実数」とかいうのは、、「現実のもの」ではない。実は彼らにとって、「事実」も、「実数」も、文字化された時、初めて「現実のもの」になるようです。
 「一人の人が殺された」とします。「一人、じゃインパクトがないな」と文章の「一」に縦の棒を加えて「十」にしたら、見栄えが良くなった。
 で、記録は「十人の人が殺された」となり、それが「事実(の記録)」となります。
 「ええ~っ、そんなぁ~」と思うのは日本人。縦棒一本加えることで(筆一本で)、生殺与奪を思うがままにできる。それが「文の国(政治の国)」です。書き残せば真実になる。「文の国」では記録のみが「事実」を証明するのですから。
 だから、彼の国の属国は事大主義だからそれを真似る。でも、文字が書けないから我々から見ると「嘘をつく」というやり方をする。
 それくらい考え方が違うのだ、と覚悟して対さなければ、「謙虚」も「思い遣り」も、裏目にしか出ないんじゃないでしょうか。

 蛇足になるかとは思いますが、以前に書いた日記を足して置きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「遅ればせながら」 (2010年12月10日)

 「南京大虐殺」事件を、「南京大」と言っている。
 確かに、「南京大」はあったんだそうですね、何度か。だから、日本人が「南京大虐殺はなかった」、といくら言っても「いや、南京大は、あった。間違いない」と、反論される。
 南京が首都だった時、同じ漢民族同士で、あったんだそうです。太平天国の時なんかはひどかったらしい。革命政府、ですからね、言ってみれば。樹立する時も、平定される時も、酸鼻を極めるような状景が展開されたようです。皆殺しに近いことをする。日本でも、戦国期には、篭城して居るのを兵糧攻めにし、井戸に毒を撒いて水を飲めなくした、というのがあります。餓死したり病死したりした者の屍肉を喰らっていた、という記録もあります。
 ただ、あまりのむごたらしさからの記録で、件数自体は少ないのは言うまでもありません。

 「大はあった」、とだけ言う。そうでしょう。革命なんですから。「政権を倒す」と言うのは、文字通りの革命、「命を革(た)つ」ことでもあります。降参したら、普通、奴隷にされます。ギリシャ、ローマの昔からそうです。
 時には食糧にされる事もある。うう、とんでもないところへ行こうとしている。
 「はあった」。それだけ言う。事実だ。「誰がやった」と聞くと、初めて「日本軍がやった」、と言い切る。この辺を以って、「したたか」という表現をすべきでしょう。
 したたか=平気で嘘をつく、です。

  「遅ればせながら」一夜明けて、今日(22日)はアサヒ新聞には何も載っていませんでした。「朝ズバッ!」も何もなし。
 このまま消えていく運命の話でしょうかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする