CubとSRと

ただの日記

何故、まとまらなければならないか。何故、「少数精鋭」ではいけないのか。

2020年03月01日 | 心の持ち様
2014.03/03 (Mon)

 「獅子身中の虫」って言葉がありますよね。ちょっと意味合いは違うけれどもここに挙げる記事のように「敵は本能寺にあり」、なんて言葉もあるし、関連させていくと、随分ずれているようながら「敵を欺くには味方から」、なんてのもある。
  
 思いっきり変な方向に行きそうですが、要は「何故、単刀直入ではいけないのか」
 「何故、同志を糾合してはならないのか」ということなんです。
 「獅子身中の虫」を退治すれば、本当に獅子本来の強さを得ることができるのでしょうか。「本能寺にある敵」がなければ、光秀は秀吉に(結果として)全国統一の御膳立てをしてやることができたでしょうか。
 敵を欺くためにまず味方を欺く。そんな冷徹なことをして、次も味方はついて来てくれるでしょうか。
 目的ははっきりしている。達成のための手段・方法も分かっている。けれども、その手段・方法というやつがおそろしく難しい。
 多数の意見を握る(一票を手に入れる)ことがその唯一の手段・方法です。
 「おそろしく難しい」というのは、それぞれが選挙区の要求を背負って来ているからです。

 それぞれが自分の選挙区の要求に応えようとしてやって来ている。それだから「自分のは後回しにして」、と、そう簡単に賛同なんかしてくれない。一人でできるなら良いけれど、民主主義の我が国です。賛同者が多い方が主導権を握る。
 一人でも多くの賛同者をつくらなければならない。正しいとか間違っているとかいうのはどうでもいい。何かを決定するには、とにかく一票でも多くを手にしなければならない。せこい手であろうが汚い手であろうが、とにかく、国会議員の一票がどちらに流れるかで「政府の行動」は決定する。総理大臣はオールマイティーではない。権限に於いて、大統領にはるかに及ばないのが総理大臣です。
 なのに、「全責任は総理大臣が取らねばならない」。

 今回、それを明言したのは凄い覚悟だと思いましたが、覚悟を明言したら、「暴走だ」「前のめりだ」、って・・・・。「自分がやったことでなくとも自分に責任があるのだから、責任を取る(=腹を切る)」、ということなんですけどね。

 自民党でやりたいことだけれど、自民党がやるわけにはいかない。で、何とか舞台設定をして、主演も打診して置く。内々に脚本もつくり、プロデュースもして、維新の会が出て来れるようにして置いた。
 以下に転載する産経の記事は、実録の形を採っていますが、二、三度読めば、「ああ、これはシナリオがあったんだ」と感じ取れるんじゃないでしょうか。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《慰安婦検証で「敵は自民にもあり!」 気乗りしない自民に維新が喝》
2014.3.2

 2月20日の衆院予算委員会に突然、日本維新の会にとってこの国会、一番の見せ場がやってきた。そのせいで国益をどれだけ損ねてきたかわからない「河野洋平官房長官談話」が作られた平成5年当時、官邸で裏方トップだった石原信雄元官房副長官を参考人として国会に呼ぶことに成功したからだ。

 石原氏はそこで、河野談話の根拠とされた韓国の元慰安婦ら16人の証言の裏付け調査を行わずに、談話が作られていたことを証言。談話の見直しを求める機運が一気に高まった。

 石原氏を国会に呼ぶのは維新にとって悲願だった。きっかけは、その1週間ほど前のこと。野党の予算委理事懇談会で結いの党の柿沢未途衆院議員が、維新の山田宏理事に「先日、石原信雄さんと酒を交わしたんですが、大変、お元気でしたよ」と話しかけた。

 山田氏はそこでピンときた。石原氏から談話がいかにずさんか証言してもらえば、「旧日本軍が女性を強制的に連行し、慰安婦にした」などと、いわれのないことを中国や韓国に非難される筋合いはなくなると踏んだ。そこから、山田氏は自民党と水面下で交渉を重ねに重ねた結果、二階俊博予算委員長が石原氏に直接、電話を入れることで国会招致が実現したのだ。

 石原氏は参考人として証言後、記者団に「政府も日韓関係があるから、(真相解明は)厳しいだろうなあ。私は談話を見直すべきだとかいう立場にはありませんが、批判を受けるなら(河野氏と)一緒に受けます」と申し訳なさそうに述べて、国会を後にした。
 巨大自民党には数の力では多勢に無勢の中、維新は平成26年度予算案を2月28日に衆院通過させることで自民党と妥協してでも、「実」を取る道を選んだ。

 24日には、予算委での質疑が終わった後、安倍晋三首相が山田氏に一声掛けるシーンもあった。山田氏は、首相から「FNNと産経新聞の合同世論調査で談話見直しを求める声が6割もあった」と聞かされ、談話の検証を政府が行う道が開けたことを「山田さんの質問の成果ですね」とねぎらわれた。山田氏は感無量の様子で「首相、私が委員会でいった通りにわれわれの要望を前進させてください」と頭を下げると、首相はしっかりとうなずいた。

 その後の政府の対応は迅速だった。菅義偉官房長官は28日の記者会見で、談話を有識者らによるチームで談話を検証し、結果の一部を国会に提出する考えを示した。
 一方、維新も、衆院議院運営委員会の下に小委員会を設置し、審議を非公開とする「秘密会」の形式で政府に資料公開を求める過程で、河野氏本人からも談話の作成経緯を聞く機会を得られないか、検討を始めた。
 さらに、民主党でも、実際に10年以上前に石原氏から直接、「日韓関係に配慮し、談話が作成された」との話を聞いた経験を持つ渡辺周幹事長代行らが、党内の外交関係の部会で石原氏からさらに詳しく話を聞けないか、周囲に働きかけを始めている。

 だが、こうした談話見直しの動きに水を差す勢力が、なんと、自民党内にいるのには驚いた。党内のリベラル系がそうだ。ある国対幹部にいたっては「歴史認識なんて検証するのは難しいんだ。めんどくさい話を国会に持ってくるなよ。寝た子を起こすようなことはしないの!」と言い放つ始末。
 そんな慎重な姿勢を崩そうとはしない自民党国対に、談話見直しに相変わらず中国や韓国の批判が収まりそうもないことにしびれを切らし、ならばと安倍官邸は自らが主導し、検証作業に入ろうと動き出した。

 本来であれば与野党が一枚岩で談話見直しを進めてもいいはずなのに…。維新幹部からは、こんな声が上がった。
 「敵は中国や韓国ばかりではないんだよ。敵は本能寺にあり。いや、失礼、敵は自民党にもありだ! 本当に悔しいよ。同じ保守として」  (村上智博)


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140301/stt14030113...

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 自民党内部に親韓、親中、は山ほどいるし、「歴史認識なんて検証するのは難しいんだ。」「めんどくさい話を国会に持ってくるなよ。」「寝た子を起こすようなことはしないの!」と後ろ向きな議員も山ほどいる。
 みんな「選挙区の要求を背負って来てる」んですから。
 だったら、「あんたのとこで、主演、やらない?」と声を掛けて協力者を増やし、後ろ向きの議員は、投票要員として置いて置く。

 正論を受け入れる、という形を採ることで迅速に次の具体的な行動にかかる。
 何も知らなかったら(脚本がなかったら)こんなに早く手を打てたでしょうか?
 河野太郎議員だって、一票として機能する場が十分にある、と考える。
 それこそが「目的のためなら何でもする」、という「腹の黒さ」。
  少数精鋭は、政治の場では意味がありません。 


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学校をどこに建てるか(我々が建てる)

2020年03月01日 | 心の持ち様
2012.02/01 (Wed)

 「学校をどこに建てるか」などと妙な題で、ぐだぐだと日記を書いてみましたが、これ、「教育が、生まれた時から十全に為され」たならば、今回の「9月入学について検討をする」ということ自体、起こり得ない問題なのではないか、という思いにつながるようです。

 「学校を建てる場所」というのは、一般的な人間の精神形成過程に合わせて決められるべきものです。そして、それは最終的に社会に参加する人間、それも優秀な人間を育てることと直結しています。「精神形成過程に合わせた教育内容」も、「精神形成過程に合わせた学校の立地場所」も、「精神形成過程に合わせた取り組みの時期」も、全て社会に参加する「より優秀な人間」を育成するために案出されています。
 繰り返しますが、教育というのは、言葉の分からない、生まれた瞬間から始まっています。
 「叱らなくても、叩かなくても、話せば分かる」、なんてことを言いますが、生まれたばかりの泣いている赤ん坊に、「話せば分かる」。それは、ない。
 「当たり前だ!」と怒られそうですけど。勿論、叱ったって、叩いたって駄目ですよ、当然。
 それでも(何も分からなくても)、我々人間は生まれた瞬間から「人間」として、処遇される。理解はおろか、初めは感情は言うまでもなく、その元となる「快・不快」さえ明らかではない。それでも人間として処遇される。
 ただただ「びっくり(驚駭)」するだけのところ(生まれた瞬間)から、既に教育は始まっている。「教え」「育む」ことは始まっている。感情が分化し、それと共に精神が発達する過程でも、「社会の中で感情は分化し、精神は発達すること」という条件の下に、「教育」はついて回る。

 叩かねばならない(覚えられない)時期もあります。怒鳴りつけねばならない時期もあります。強い口調で叱らねばならない時もあるし、優しく頷いてやらねばならない時期もある。成長の時期と場合によって応対を変えるのは当然で、「叱ってばかり」、「頭をなでてばかり」などという教育がある、としたら、それは人間相手ではない、と断言できるでしょう。「教え育む」と変化(発達、向上)するわけですから、同じ応対で良い訳はない。砥石で刃物を研ぐ時だって、荒砥だけで通すことはできません。ましてや相手は人間です。
 
 この社会に参加して、社会を維持・変化させる。そのため、我々は社会的存在であることから「人間」と言われます。社会があって、その中で、社会に参加する「人間」として育てられ(また、育ち)、更に重ねて、今度は社会を維持・運営し、更に重ねて発達(変化・変革)させていく。社会は人間を育て、その人間が、また社会を育てる(変化・発展させていく)。
 社会は、だから人間のものです。そうなると社会の運営・発展に於いて、人間の「意志」が重要であることは、言うまでもないことでしょう。

 そう考えていけば、大学の入学時期一つとっても、社会的意義(それもそれなりの「主体的な理由」を基とするもの)あって、でなければならない。「意志」が絡んでいなければならない。間違っても、浅墓な功利、打算、安易な妥協でもって、主体性なく、大勢に追随すべきではない。
 「大勢がそうだから」というのを主たる理由とするならば、それは日本という国家・文化・文明を蔑ろにすることになる。国を崩壊への道に進ませることになる。
 けっして法螺話ではありません。大げさな話でもありません。

 今、年金や消費税のことが話題になっていますが、根は一緒です。
 「大勢がそうだから」。「世界の大勢は年金がない」「大勢は消費税はもっと高い」
 我々は日本人です。日本のことは「世界の大勢」ではなく、我々日本人が決める。
 日本の社会は日本人である我々が変化、或いは発展させる。
  当たり前のことじゃありませんか。 


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学校をどこに建てるか(中学校は?)

2020年03月01日 | 心の持ち様
2012.01/31 (Tue)

 「学校とは教育の場である」というと、誰しも肯く。
 けれど、「じゃ、学校以外は教育の場ではないのか」と言われると「そんなことはない」と、これまた誰しも言うでしょう。

 なら「学校」とは何か。「学校とは学校教育を行う場」。では、「学校教育」とは?
 「教育」という特定の目的のために用意された「場」を「学校」と言い、その場で行われる教育を「学校教育」という。何だか堂々巡りをしているみたいです。
 まず、「教育」というのは「人間」として、社会に参加するために必要な「諸事」を、「教え、学ばせる」ことで、その実力を育むことです。「学校」はそれを、より合理的に、また効率良く習得する(させる)場、です。だから、「 」をつけたように、学ぶのは「諸事」。何でも学ばなければならない。それを学ばなければ、社会に参加し、社会を維持し、更には発展させられない、わけですから。

 生まれた瞬間から、社会に参加するための「教育」は始まっているものの、「より合理的に」、また「より効率良く」社会参加のための実力を育む「学校教育」は、どこから始まるのかというと、まずは保育園、或いは幼稚園ということになりますか。
 「保育園は保育士。幼稚園は教諭、ということで幼稚園は学校かもしれないけれど、保育園は?」となるでしょうが、教育の目的、「社会に参加する実力をつける」ということだけを見れば齢相応の「新しい社会への参加」とだけ考えておけば良いのではないでしょうか。
 ①全て周辺の大人の好意の中で「信頼」、「安心」を学ぶ乳幼児期の環境(社会)から、
 ②大人の「好意」は変わらないけれども(だから、習得した信頼や安心はここでも通用する)、周辺に自分と同じ幼児がいる環境の中に入ります。
 これが学校の始まりです。そこで、これから何を学ぶのか。
 ぼんやりとした「自分以外にも大人に大事にされる者が存在する」という、感覚です。自分だけ大事にされるのが当たり前だったのに、そうではない現実が展開されるようになる。ここで、自他の別を肌で感じ、「独占欲」が起こり、また反対に「思い遣りの心」が芽生えます。(ブランコを譲らない、けど、泣いている子を気遣う、などです)
 小さな社会から、少し大きな社会へ、と参加をしていく場。それが学校と言えます。
 その中で、新しい、より大きな環境(社会)に入るにつれて、精神面での成長も促される。子供なりに褒められようとして背伸び(つまり、やせ我慢ですね)をする。それを繰り返すことで、精神面での成長を、自らに「強いる」。
 そう考えると、保育園や幼稚園で育むべきものは「自他の区別の体感と、その先にある諸々の感情」ですから、できる限り家庭に(物理的な距離)近い、くらいが条件で、設置場所を、あまり気にすることはないでしょう。

 それに比べると、小学校は感情も発達し、自他の区別は相当にできるようになっていますから、「効率良く教育のできる大人(先生)と、より多くの同年齢の他人が形成する社会」は、更に大きな枠とならざるを得ない。ために、前回に書いたように郊外か、住民の協力が期待できる住宅地が、適当、ということになる。

 中学校となると、さらに大きな社会です。そこでは、係わる大人が目的別に接して来るという、より実社会に近づいた形が、一般的になります。
 小学校の時は、担任の先生と、隣の教室の先生、専科の先生に加えて、校長先生くらいで「学校社会」が成り立っていたけれど、中学校となると教科別になり、更に部活動顧問という形の大人も加わって来る。そんな社会の中で、自他の区別は更に明らかになり、「自分とは何か」を見詰め始める。
 急激に身体が大きくなることで、「自分で自分を何一つ制御できない不安感」、「自分が何ものか把握できない不安感」等、「不安のかたまり」になってしまって、でも、「不安だ」、と不安がっている間もなく、次から次へと身体も心も異変が襲って来る。全てが初めての経験のため、気が狂いそうになる。
 自信に満ちた、「大丈夫!私だってそうだったんだから!」という励ましの言葉があれば、少しは落ち着くけれど、それも一瞬のことで、またすぐ不安になる。
 「何かないか!何でもいい!縋るものが欲しい!」

 そんな中学生が、身心の成長期、思春期を過ごすための学校はどんなところにあれば良いか。これもまた、郊外。住宅街の大人がいくら協力的であっても、駄目な時は駄目です。できることなら、「不安がっている本人の不安」なんて、ちっぽけなものだ、と感じさせるような広々と開けた場所が良いでしょう。間違っても狭隘な谷底みたいなところに建ててはならない。気が滅入るばかりです。

 逆に少々不便でも、丘の上なんか、良いでしょうね。丘の上なら、自身を「ちっぽけな奴」といじけている暇はない。それこそ、「万理一空」、です。三千世界を掌(たなごころ)に載せる、くらいの気分になる。眼前に広がる世界を見下ろす。この世界を視野に収める。気宇を壮大にする場所で、授業の合間に「生きるとは」、なんてことを話してもらったりすると、素直に心に沁みて来ます。
 加えて、校庭に常時、国旗が掲揚されてあれば、もう何も言うことはない。未来を見据えようとする時に、目に見える「標(しるし)」があるというのは、とても大きい。
 特に日の丸は焦点が中心にあり、注視しやすいことでは国旗の中でも群を抜いていますからね。一つの旗の中に、焦点が二つもあるのはいけません。ただ気が散る。

 高校は、それ(丘の上にあること)に加えて歴史の色がついていれば(早い話が、古いってことですが)、安心です。高校は、主体性を持って、生徒自身が(学校の歴史を調べ)、誇りを身につける場所なんですから。



           (続く)
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学校をどこに建てるか(9月入学の話から)

2020年03月01日 | 心の持ち様
2012.01/30 (Mon)

 先日、「大学の9月入学検討」について日記を書きました。
 「世界の大勢は9月である。だから、9月にすれば、国際化の中、優秀な人材が世界から日本に集まる。日本からの留学にも都合が良い。だから、9月にすれば、全て上手くいく。」大まかにはこんなことでした。

 でも、そんなのおかしい、と書きました。
 日本の大学は我が国の若者を対象として、「優秀な人材を育成する」ためにあるのであって、外国から「優秀な人材を取り入れる」ためにあるのではないでしょう?
 それに、4月が一番便利だからという、それなりの理由があってのことだったんだから、単に「世界の大勢が」どうのこうの、というような主体性のないことで決めるなんて、最高学府の誇りはないのか?とも。
 それで、「学問の府なんだから」、目的を最初に立てなければ、ということで終わったものの、何だか本当に「学問とは何か」から見直すべきかも、と思い始め、続けて「措定してみる」という題で、「学問」という言葉を見直してみることにしました。

 賢い人は「そんなこといまさら言わなくたって」と思うかもしれないけれど、大概の国民は「何となく遣っている言葉」って多いものです。
 麻生前総理のように「みぞうゆう(未曾有)」「ふしゅう(踏襲)」などと言った読み間違いはいつまでも笑われますが、(あ、でも疾病を「しつびょう)と読んだ総理は笑われないな。何でかな?)、意味を間違って遣っていなければ、大きな問題にはならない。
 けど、意味を「何となく思い込んで」遣っているのは、笑われない分、とんでもない考え間違いを起こしたまま、ってこと、ありそうでしょう?
 「誠心誠意」とか「一生懸命」なんかはすっかり市民権を得てしまったけれど、元の言葉を知っていてこそ、考える時に使える。
 だから、一般的な色々な言葉で、意味が広く深くなっているものは、ひとまず考える時の役に立てるために、「措定」してみようじゃないか。そうしなければ、考えの道筋を探るのが曖昧なことになってしまう。そう思ったからです。
 言葉は考えるために使う。その言葉の意味を、いい加減に掴んでいたとしたら、まともな考えなんかできるわけがない。

 何より、「国勢」は国民が造るのです。国民全体の、頭の中身が高くならなければ、良い国を作るための役人も政治家も輩出できるわけがない。でしょう?役人も政治家も、我々国民の中から生まれるのですから。役人も政治家も「海外から取り入れた優秀な人材」、ではないのですから。ちょっと考えれば、誰だって納得できる筈のこと。

 ということで、長くなりましたが、今日はまた変な題名。
 「学校をどこに建てるか」
 大学は最高学府なんだから、「国の将来を切り拓く」、という誇り、自負心、向学心に向上心、それに功利、打算を超越した無私の心や使命感といったものがある筈です。いや、あるべきです。
 では、そこに至るまでの高校や中学校や小学校はどうなのか、どうあるべきなのか、なんてことを考えました。「孟母三遷の教え」、なんてのは、最近はどう捉えているんでしょうか。
 私の記憶にあるところでは、孟子のお母さんは大変な教育ママ、みたいな言われ方だったんですが、今のモンスターペアレントと基本は一緒かも知れません。ああ、鬼子母神も、ですね。こんなことを書くと、「何を言うか!」と怒鳴られるかも知れませんけど。でも、「我が子をちゃんと育てたい!」という一所懸命な気持ちは共通です。

 問題は、「ちゃんと」の中身です。そこに「社会(支え合い、助け合って生きる場)」の一員という気もちがあるかどうか、です。
 「人は社会(環境)の中に人間として生まれ、人間として育てられ、人間として参加(変革)する」のですから、社会を肯定する立場でなければ参加は許されません。それを受け入れない(社会規範に反対する)のなら、弾き出されるしかない。だから、鬼子母神もモンスターペアレントも社会は受け入れない(筈です)。
 孟子のお母さんは社会を肯定し、社会に参加できるように、と「一所懸命に」なって孟子を育てた。たった一人で獅子奮迅の活躍をしたのではなく「三遷」して、終に理想の環境を手に入れたわけです。勿論、そこから先も、「社会への働きかけ」よりも、「一所懸命を見せる」ことで、孟子自身に考えさせた。孟子の参加する社会は、孟子自身の働きかけで拓かねばならないからです。
 
 翻って日本はどうかというと、周囲の大人が「子は宝」として、全面的に受け入れ、みんなで可愛がって育てることで、まず、社会に対する全面的な信頼感を育てる、ということを古くから当たり前のこととしてやって来た。
 結果、大人を信頼するのは当たり前、みんなで力を合わせて仕事をするのも当たり前、困っている人がいたら助けてあげて当たり前、などの、他国の人から見たら信じられないような国民性を持つ日本人が「作られて」きた。
 これもまた、「教育の成果」、です。

 そのような地域社会から「小学校」という新しい特殊な社会に入る。これまでの社会と違うのは大人が少ないこと。そして、非常に効率よく学ぶことのできる体制がつくられていること。
 その中で、大人はこれまでのような緩やかな要求ではなく、素早い対応と、要求に(完全に)適った答えを求めて来ます。ここで、初めて「ちゃんと聞く」ことを学び始めます。「厳しい」、とは思っても、真っ当に応えたなら、地域社会の大人と同じように笑顔で褒めてくれたり、丸をつけてくれたりする。初めは戸惑っても、すぐに同じく、自分を受け入れてくれる大人と分かり、そこに参加する自分を造りはじめる。

 学校を建てるのはどこが良いでしょうか。小学校は、新しい特殊な社会ですから、それ以外の社会のことまで学習するのは大変です。だから、繁華街や、役所等の大きな建物が立ち並ぶところはあまり良くない。できれば、郊外。百歩譲って住宅街ですが、ここは、大人の協力が必要です。


                     (続く)
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措定してみる

2020年03月01日 | 心の持ち様
2012.01/23 (Mon)

 「最高学府」である大学が、何故、あのような安易な理由で「9月入学」の検討を始めたのか。
 何か、たとえ、ただのグダグダ日記でも、言いたいことをはっきりさせようとすれば、その文の中で重要な言葉、というのはちゃんと意味を明らかにしておかなければならない。
 で、最低限共通した意味の捉え方を、となると、やはり、本題に入る前に、「これは~です」という説明を、たとえ「煩雑だなあ、読み辛い」と思われるのが容易に想像できたとしてもやらなければならない

 それで、「学問」が中心となったので、「学問、学び問うことの先には、世界の向上・発展がある」とやったのですが、どうも、簡便に過ぎたのではないか。
 
 一昨年の2月、「学問という言葉」と題して日記を書いていました。それを、ここに転載しようと思います。こうやって、一つ一つの言葉の意味を措定する。それによって、考えの道筋をさぐる。
 「大学の教職員だから」、とか、「国家公務員だから」、と彼らの言を鵜呑みにするのでなく、「彼らだって、もしかしたら、そんなこと、考えてなかったかもしれない」くらいな気持ちで、まずは自分なりに言葉の意味を考えてみる。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 2011、2、20
 「学問」というのは、「学び」、「問う」ということです。
 「学び」、「問う」ことで、知識、考え方を吸収し、自身の理解能力を高め、物事を把握する力をつける。
 これで良いということはないのが学問です。
 あの名文句、「一番じゃないと駄目なんですか」の正反対。一番をめざしてやってこそ、学問というものは高みに上り、深みがわかる。

 一番をめざす、つまり、究極を求める。しかし、突き詰めれば、細分化し、枝分かれするのが学問です。その究極は「(その分野での)NO、1」です。「無限にあるNO、1の中の、(その分野での)NO、1」。それが「オンリー・ワン」、じゃないですか?
 論理的にみて、最初っから「オンリーワン」をめざしたら、中途半端なところにしか、いけません。無限にある到達点の、どれに焦点を絞るか、決められないからです。
 初めは学問を生涯の仕事とする熱意があるだけです。
 「発願(ほつがん)」「発心(ほっしん)」「初誓願」の段階では、素養も能力もないのが当たり前です。
 「素養」とは(もとになる)養われたもの、です。
 「能力」とは(物事を)能(よ)くする力、です。
 学問をする。学び問う事によって、素養ができ、そのことを無駄なく、的確に把握、処理する力(能力)ができる。

 いきなり、何だかどうでもいいような理屈をこねくりまわした、ように見えたかもしれません。「人を見たら泥棒と思え」、じゃありませんが、「やたらに何でも信じるものじゃない。疑ってかかれ」とか「疑うことが、学問には肝要である」とか言います。
 学校でも「そんなに簡単に納得しないで疑ってみることが大事だよ」「そう?それでいい?間違ってない?ラストチャンスだよ?」なんて、生徒の早合点を注意したり、時には興味を持たせるために、「疑う」ことを勧めます。けれど、これ、おかしくないですか? 「学問」というのは「学び問う」ことですよ?なぜ、「疑え」、なんですか?

 これが「戦後教育の根幹を成すもの」であり、戦後教育を受けた日本人の精神を歪めてしまった、具体的事例である、と言ったら、「そんなぁ!それ、いくら何でも被害妄想だよ」と言い切れますか?
 「学び、問うのだから、『問う』のは疑問があるからだろ?ほら、『問い』には『疑い』が入ってるじゃないか」
 もし、そう考えたとしたら、「疑問」という言葉の意味、それから目的を考えてみて下さい。
 「疑問」というのは、「問題となる対象物を理解しようとしたけれど、一部引っ掛かるところがあって、どうしても理解(全体把握)できないんだけど」という、「解らない」
に関しての言葉です。目的は対象物の理解。そのために使われます。対象物を肯定、或いは、受け容れるためのものでしょう?
 「疑い」はどうですか?正反対の意味になりませんか?

 ただ、日教組を、今回だけは、消極的にですが、同情の目で見ています。あまり真剣に考えず、「小中学生のために」、と、わかり易く平易な言葉を遣おうと心掛けた揚げ句、「疑問」という言葉を「疑う」という正反対の言葉に置き換えてしまった。
 「考える」という活動、生き方の根本に直接つながっている言葉による頭脳労働、のための「言葉」の間違った把握は、「考える」という活動を知らず歪めていったのです。
  「疑いを持て。」
 もう一度、この言葉の目指すところを考えてみるべきではないでしょうか。 



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