CubとSRと

ただの日記

「やっぱり一事が万事」

2020年03月20日 | 重箱の隅
2011.06/02 (Thu)

 愚痴です。
 
 今日はアサヒ新聞の今日の社説のうち、不信任案 「無責任にもほどがある」
 と題された文について「?」と思ったことだけを、書くつもりでした。
 この題名で大体気づかれたことと思いますが、こんな書き方です。
 ( 【 】内はアサヒ新聞の記事 )
~~~~~~~~~~~~
 【「ついに自民、公明、たちあがれ日本が不信任案を提出した」「今、国会の使命は震災の復旧、予算関連法案づくりなのに、権力ゲームにふける国会議員には憤りを覚える」
~~~~~~~~~~~~
 ここまでで、悪者はこの3党であると断じている。「不信任案提出は権力ゲームだ」というわけだ。
 百数十人で?三百数十人を相手に??権力ゲーム???
 「多数決が原則」の中で考えるなら、これは権力ゲームというより、無差別級のボクシングの試合にヘビー級相手にフライ級が挑むようなもの。おまけにジャッジたるマスメディアはヘビー級の選手側に揉み手をして擦り寄らんばかり。
~~~~~~~~~~~~~
 【「内閣不信任案は野党の政権攻撃の切り札だ。切るなら分かりやすい理由と、明確な展望が要る。どちらもないではないか」
~~~~~~~~~~~~~
 政争のための政争ではない。国民のための政争ではないか。この総理が政治の邪魔をしている。「誰がなっても同じ」ではなく、明らかに邪魔をしている。
 だから谷垣総裁は「お辞めなさい」と言った。
 こんな分かり易い理由と、辞めさえすれば「誰がなったって、今よりはまともな政治が出来る」という明確な展望がある。それに、既に自民、公明から具体案はいくつも提示してあるのだから。
~~~~~~~~~~~~~
 【「震災と原発事故対応への不手際」を挙げているが、確かに原発事故は迷走を重ねている。しかし、自民党だって与党であった時、それを指摘されて来た。
 だからこそ、力を合わせて危機を乗り越えてほしい、と国民は願っているだろう。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 震災の時、不手際を指摘されて、自民党は修正してきた。民主党は修正どころか無視するばかり。力を合わせようと声を掛け続けてきたのは自民党だということには全く触れない。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 【「急流で馬を乗り換えよ」と唱えるなら、せめて乗り換える馬と共にその行く先を明示しなければ無責任だ。
~~~~~~~~~~~~~~~
 一見、ごもっとも。けど、野党三党が政権与党と内閣に要望しているのは、「解散」ではない。今のままではダメだから辞職を求めているのだ。
 つまり、乗り換える馬は民主党の中に居る。
 それを「あの人が良い」と自民党が指名するのか?そして、政治構想を彼らに明示せよ、と?
 けど、これについては再三明示しているのではないか。

 話の展開、都合の悪いことには耳を塞ぐ。まるで与党の隠蔽体質だ。
 さすがに良心(?)が咎めたか、「もっと唖然とさせられるのは民主党の動きだ」と、残り3分の1になって、民主党批判が始まる。
 「自分らが菅総理を選んだのを忘れたか」「なぜ首相を叱咤しないのか」
 「野党提出の不信任案に乗るのは筋が通らない」
 「解散なんて出来ないだろうと高を括っているのは姑息とのそしりも免れない」
 (アサヒが言うんじゃないよ。きっと世間が言うだろうってことだよ。アサヒは言ってないからねぇ・・・。ああ!何と姑息な言い回し!!)

 不信任案を提出するしか抗議行動のできない野党に対し、「無責任にもほどがある」という題をつけて、批判しているわけだ。
 そして民主党には「もっと協力しろ。野党に同調するなんて、筋の通らぬ非常識なことだ」、と。

 何気なしに流し読みしてしまえば、両方を同じく社会の良識みたいな顔をして批判しているように見えるが、こうやってまとめて見ると、「これこそ提灯持ち」という表現のあてはまる記事だということが、よく分かる。

 さて、「二次補正の目処が立ったら、後進に色々な仕事を譲ると約束してくれた。だから、不信任案に反対する」と鳩氏は言った。
 「ええ~っ!またやったぞぉ~っ!!」
 「色々な仕事」の中に「総理の椅子に座る」は入ってないだろう?
 小沢氏は党員資格停止中だから、ほっといて、松木謙公氏初め、辞職した副大臣は筋を通して賛成に回った。造反だ。(後で副大臣らは反対に回ったと知った。結局、2名!だけ)
 またもや貧乏くじを引いたのは横粂議員。(でも、ちょっと見直したな。これから大変だろうけど)

 結果は「もしや?」だったのが「何だ!!」の情けなさ。
 やくみつる氏が言っていた。
 「ここだけ見ればなんと団結力のある政党だとほめたい。けど、表面だけのことだから。」
 可決されたら、そして「解散だ!」とやられたら、次がないのは、民主党議員は十二分に分かっている。だから鳩氏が「反対する」と言った途端、雪崩をうって「造反中止!」だ。被災地の人々のことなど、ましてや国民、日本の経済など、全く考えていない。
 山井議員の演説は、国会ではなく、国民の気持ちを引き付けたことだろう。
 明日以降の新聞が楽しみ(?)だ。
 小野寺五典議員や、森まさこ議員がどれだけ大変な思いをしているかなど国民は知らないままで。
 そして、政治空白はさらに続くことになる。

 結果が出た時は、「何だ!」と思ったけれど、口蹄疫の時も、今回の地震、津波の時も、民主党の議員は一体何をしたか。
 それを思い出してみると、期待すること自体が間違いだったな、と、
 「やっぱり、一事が万事だったな」と思い切った。

 脱力感などに囚われている暇はない。

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「外交の極意は正心誠意」補遺

2020年03月20日 | 心の持ち様
2011.05/31 (Tue)

 「正心誠意」のことをどこかで書いていたんだがなあ、と探し回って、諦めて先月の日記を持って来たんですが、やっぱり、気になる。どうも誤解されそうな気がする。
 それで、また探していました。やっと発見。
 例によって転載します。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 政治家の秘訣は、何もない。ただただ「正心誠意」の四字ばかりだ。この四字にてやりさえすれば、たとえいかなる人民でも、これに心服しないものはないはずだ。また、たとえいかなる無法の国でも、故なく乱暴するものはないはずだ。

 ところで見なさい。今の政治家は、わずか四千万や、五千万たらずの人心を収攬することができないのはもちろん、いつも列国のために、恥辱を受けて、独立国の体面をさえ全うすることができないとは、いかにもはがゆいではないか。

 つまり彼らは、この政治家の秘訣を知らないからだ。よし知っていても行なわないのだから、やはり知らないのも同じことだ。何事でもすべて知行合一でなければいけないよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「誠心誠意」と言いますが、ここでは「正心誠意」とあります。
 文字の意味を考えれば、日本では、「正」は「一を以って止む」と解します。
 つまり、「これだけ」「脇目もふらず」「一途」といった感じです。
 「方向性のしっかりした心で、表裏なく応対する」と捉えたら良いでしょうか。 
 「誠心誠意」は焦点がぼやけて見えますから、本来の言葉は「正心誠意」ではないかと思っています。

 国民に対しても、外国に対しても「我々の理想はこれだ。だから、我々はこうする。」
と、表裏無く呼びかけたら(勿論実行したら)、受け取る側は言を左右にして誤魔化し通すことなんかできない。

 こんな風に言うと、
 《一般の生活だって、「根回し」があったり、「暗黙の了解」、「慣わし」みたいなものがあったりして、なかなかうまくいかない。「本音と建前」という裏表があって当然。 ましてや、政治の世界。ただでさえ政党同士がぶつかり合う。その上に、共産党だって実際は、派閥があるんだから、とてもとても。第一、政治で「~はず」なんて甘っちょろいこと言ってたら即死だよ、青いね、青二才だ》、
と一笑に付されるでしょうね、代議士先生方には。

 しかし、そうでしょうか。本当にそうでしょうか。否定する前に、「自分には正心誠意で物事にぶつかったことがあったろうか」、「国家のことで、まず、我が身を正して、百年先を、と考えているか」と考えて欲しいのです。
 そして、これは、我々も心掛けねばならないことと思うのです。

 立派な為政者が立派な国をつくるのではない。
 立派であろうとする国民が、立派な為政者をつくり、気がついたら立派な国ができるのではないですか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「政治家の秘訣は」との書き出しでしたが、昨日挙げた例は「外交の極意」、です。どちらも「正心誠意」。

○外交の極意は、「正心誠意」にあるのだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだよ。
 維新前に岩瀬(忠震ただなり)、川路(聖謨としあきら)の諸氏が、米国と条約を結ぶときなどは、五州(世界)の形勢が、諸氏の胸中によくわかっていたというわけではなく、ただ知ったことを知ったとして、知らぬことを知らぬとし、正心誠意でもって、国家のために譲られないことは一歩も譲らず、折れ合うべきことは、なるべく円滑に折れ合うたものだから、米国公使(ハリス)もつまり、その誠意に感じて、のちには向こうから気の毒になり、相欺くに忍びないようになったのさ。

  「外交の極意は正心誠意」  (勝海舟  氷川清話より)

 
 「誤魔化しなどをやりかけると、却って、こちらの弱点を見抜かれる」
 確かにその通り。だけど、奇手奇策とまではいかずとも、少しでも有利な条件を、と種々の策を弄するのは、昔も今も同じこと。
 海舟だって、自分で「おれだってことに処して多少の権謀を用いないこともない」と白状している。それでも尚且つ「誤魔化しなどはやらぬ方が良い」と言っている。

 「おれだって、ことに処して多少の権謀を用いないこともない」
 という文は、江戸城明け渡しに関する西郷との談判のことで出て来ます。
 同じ「氷川清話」の「古今の人物について」という項目中、「西郷隆盛の人物」という文中にあります。

 「西郷の至誠は、おれをして相欺くことができなかった。」
 (有利に運ぶために)権謀を用いようとは思ったけれど、させてくれなかった(できなかった)。それをやれば、この人に腹を見透かされてしまう。
 「欺いてやろうとすると、却って墓穴を掘ることになる。これは至誠を以って応ずるしかない」

 「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みゆけば後は極楽」ですね。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、です。我を捨ててかかるしかなかった。「有利に運ぼう」なんて小刀細工をやれば、あちこち綻びが出てしまう。「絶対に譲れないものは何か。」
 海舟にとって絶対に譲れないもの。それは、幕臣として、慶喜公の命を守ること。そして、江戸を守ること。江戸を守れば国を守ることになる。

 外国に対して、「外交の極意は正心誠意にあるのだ」と言っているんですが、そういうわけで、実はこの言葉、額面通りに受け取っちゃならない、と思うんです。
 これだけ見たら「正心誠意でやれば通ずる。うそ、偽りなんかあっちゃなんねえ」と言っているみたいでしょう?
 でも、よく見ると「外交の極意は正心誠意にあるのだ」とは書いてあるけれど、「正心誠意でやれば通ずる」なんて書いてないでしょう?
 「通ずる」なんて思ってない。価値観が違うのですから。
 そこをうまくやるためには、どうしたら良いか。

 長々と書きましたが「正心誠意」を以ってすれば、「その誠意に感じて、後には向こうから気の毒になり、相欺くに忍びない(と向こうが思う)ようになる」、のだ、と最後にちゃんと書いてある。
 肝腎要のところは、うそ偽りなく接していれば、「欺いてやろう、騙して自国(おれ)の有利になるように」と、やっている相手(国)が、「何だか気の毒だ。それに、こんな人の好い奴(国)をだまくらかす、なんて、おれ(我が国)は自分が卑しい、泥棒見たいな気がしてきた」と思うようになる、と言っている。
 本当に人が好いと言うか何と言うか。「人の悪い」海舟で、これです。

 実際、日本は悪の限りを尽くした、とか周辺の国々に無理難題をふっかけた、というわけではない。でも、「いや、日本は悪い国だ。そういうことをいっぱいしてきたんだ」と、国内外には声高に主張する人もいる。
 けれど、百万歩譲って、そうであったとしても、必死になって「正心誠意、ことに処していれば、必ず分かってくれる(後には向こうから気の毒になり相欺くに忍びないようになってくる)。」
 それでも頑固に「いや、何が何でも日本が悪いんだ!」と言い張る国内外の人は、遂には世界中から逆に非難され始める・・・・・・・、と。

 「そんな甘いこと言ってるから」?
 「正心誠意」を旨とする外交と、百年は遅れているという、日本の今の外交と。
 どっちが「甘い」んでしょう?
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だから日本はダメなんだ

2020年03月20日 | 心の持ち様
2011.05/31 (Tue)

 「夕刻の備忘録」から
 「日本ダメ論」の手先になるな!と題する日記の抜粋です。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 近隣諸国は好き勝手にやっている。大陸、半島、北の果て、何れも人の弱みに付け込んで、火事場泥棒よろしく自らの本性をさらけ出している。その性根の卑しさ、醜さは唾棄すべきものである。大震災で国家的な危機にある中、支援の口約束だけを免罪符に一人前の文化国面をする。僅かばかりの義捐金を差し出して、大きな顔でやってくる。
     (略)
 こうした問題が発生すると必ずマスコミから、「厳しい外交の場で云々」との発言が出る。どれだけ相手が卑劣な振る舞いをしても、「厳しい現実」の一言で終わりである。
 そして国民もまた、こうした論調に乗せられて、人の弱みに付け込み、相手国を凹ますことが外交であり、火事場泥棒もまた外交上手の表れであると肯定的に理解する。さらに、そのように理解しない人を説得までし、だから日本の外交も斯くの如くあるべきだと主張する。そしてそれが出来ない日本の外交を批判し、「日本ダメ論」のお先棒を担ぐのである。

 またしても相手にしてやられた、だから日本はダメなんだ、何時まで経っても日本は成長しない、本当の外交が出来ないと嘆くのである。しかし、こうした人達は自分達がどれほど倒錯した立場から発言しているか、ということを認識していない。

 「外交の本質」や「国際社会の常識」が、卑劣な火事場泥棒を少しでも肯定するものであるならば、そんなことを国民が一々知る必要はなかろう。その為に専門職があるのではないか。外交官や政治家、そして企業経営者が知っていれば済む話ではないか。

 何故我々一般国民までもが、そんな穢れた発想で生きなければならないのか。火事場泥棒を肯定したところで、日本がその清さを擲って、自らも火事場泥棒になれという訳でもあるまい。

   http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-566.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「日本人」として忘れてはならないこと、と思い、一部抜粋しました。

 つい先日、「島国根性」について
 「後ろ向きでおどおどした消極的な発想ではなく、実は極めて大らかで外向き、進取の気風に富む気質ではないか」と書きました。

 同じ視点で、「夕刻の備忘録」氏は、外交に対する最近の日本人の考え方は間違っていると書かれています。
 外交も同じく「相手の動向を気にする」のではなく、また相手のところまで「降りて行く」のではなく、自らのありのままの姿、ありのままの考え方のレベルで対するべきだ、下卑たやり方、卑怯なやり方に合わせるべきではないし、そんなやり方に対して「日本は外交の手腕がまだ幼い」なんて自虐的なことを言うのはやめようと書かれています。誇りを持って生き、でも、怒るべきところは怒る。

 さて(これも前に書きましたが)、この、「日本人の特質」は我々の先祖が営々として築き上げて来たものです。長年月の努力の結果です。精華と言っても良い。
 一般に、築き上げたものというのは、壊すのは簡単ですし、否定するのも容易いものです。
 そして、それを実行すると、もう一度築き上げるには今までに倍する大変な努力が必要なもの、でもあります。

 勝海舟は「外交の極意は正心誠意」と言いました。
 「誠心誠意」。「誠を以って本当の思いを」ではなく、
 「正心誠意」。「正しい(一つに徹した)心を持って、本当の思いを」です。
   
   「そんな甘いこと言ってるから」(後)(11・4・21の日記)
 
 「千葉周作の一夜免許(皆伝)」でも、あれ自体はフィクションであっても、最後に千葉の言う
 「剣術の極意は遂に相打ちである」
 の一言は多くの流派でも最高の境地とされています。

   千葉周作の一夜免許(皆伝)(10・7・14の日記)

 そのさらに上を行くのが山内蓮真の平常無敵流、針ヶ谷夕雲の無住心剣、その系列の小田切一雲(片桐空鈍)の空鈍流、井鳥巨雲の雲弘流などですが、「相打ち」の先を「相抜け」としたのは、その境地をあらわしたもので、見ただけではその違いは分からない。と言うより事情を知っている、その上、見る目のある人にだけ分かる代物です。
 これもまた、外交の形に重ねて見ることが出来るのかもしれません。外交も剣術も人と対する究極の形ですから。脱線しました。

 「外交の極意は正心誠意」
 自らの思いをまっすぐに相手に伝える。
 ただでさえ、国が違えば言葉も違う、風俗習慣も、考え方はともかく、感じ方なんかは全く違う。基本的に、相手はみんなそうです。
 だから、どれだけその国の言葉に堪能であっても、色々言ってあれもこれもとやって「微妙なニュアンスも分かってくれ」、と言ったって、それはどだい無理な注文であること。通訳が一人、間に入っていることを考えれば分かりそうなものです。
 じゃあ、自身がその国の言葉に堪能だったら?それだって同じです。
 それぞれの国の文化の中で、それぞれの国の文化を背骨として育って来ているのです。微妙なところまで分かれと言ったってそれは無理。
 それに、言葉には堪能であっても、白洲次郎のような気概と識見を持っているような人物は、そうそういるものではない。

 先日のTBSの報道特集。鹿児島の有名な坊さんが対面していた北朝鮮の高官。いきなり咳き込んで、しばらくしてから平壌でも、放射性物質が検出されたと、いかにもそのせいで、自分は具合が悪くなり咳き込んだのだと言わんばかりの態度。
 お笑い種ですが、「そんなアホな。何でやねん」とその場では突っ込めないでしょう?
 それをやったら、相手は、「ただ咳をしただけなのに、何だその言い種は!事の重大さを誤魔化すのか!」と逆捩じを食らわせて来る。
 そんなやくざの因縁付け紛いのことまでやってくるのが外交です。「備忘録」氏の書かれている通り、それをマスコミは「厳しい外交」と言って、倣うべきだと言う。
 しかし、それ(やくざ紛いのやり方)は、言い方を変えれば、彼(彼の国)の「正心誠意」なんじゃないでしょうか。「必死なんですよ!」ということでしょう?
 とにかく日本に「経済制裁を解除してほしい。」それを言いたい、お願いしている。

 でも、日本の「正心誠意」は違う。

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「・・・・・」

2020年03月20日 | 重箱の隅
2011.05/30 (Mon)

 論説副委員長・高畑昭男 G8で見えた虚像の崩壊
 2011.5.30 03:20 (2/3ページ)   MSNサンケイニュース

 もともと原発事故発生直後には、海水注入による炉の損傷を恐れる東電側をしかりつけるイメージで「首相が率先して海水注入を促した」という「ヒーロー」仕立ての話が流れていたように思う。
 いったい誰がそんな話を流したのかも究明してほしいが、問題はこともあろうに、サミットの最中に首相の虚像が崩壊してリーダーシップの欠如が暴かれてしまったことだろう。 

 似たような例はほかにもある。東電が最初に計画停電を講じた際、首相が「おれに発表させろ」と命じて何時間も発表を遅らせたため、JRなどは準備が間に合わなかった。

 中部電力浜岡原発の停止を要請したときも、経済産業相が発表する準備を進めていたのに、首相が自らの手柄とするために、発表の場を奪ったと報じられた。

 それほどまでして、形だけの「手柄」を並べたてることが指導力だと考えているのだとしたら、大きなカン違いではないだろうか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110530/plc11053003
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 抜粋です。今更、ここで菅総理ファン(ここに居るかどうかは分からないけど)を非難するつもりはない。
 けど、これ、以前の日記とあわせて見てもらったら、辞めるしかないだろう、と思います。

 大概の人はこんなのを見たら、「そうだなあ」、と一言。
 でも、必ず続けて「私が悪うございました、と言って、これから周りに任せるようにすれば何とかなるだろう」と言う。
 「急流に馬を乗り換えるな」、ですね。

 しかし、「一事が万事」。普段の生活に、常にその人の本質は現れている。
 加えてこれまで、言ってみれば議員になろうとしてから今に至るまでの数十年間、彼はずっとこの手法(パフォーマンス命!)でやって来たんですよ。
 そして、その集大成、大いなる結果として総理大臣の「椅子を勝ち取った!」んです。
 彼の意識では「総理大臣の椅子は勝ち取る」もの。それは「あがり」である。
 「総理大臣の『仕事を拝命』した」、ではありません。「総理大臣の『椅子を勝ち取った』」、です。

 そんな人が「私が悪うございました」というでしょうか。よしんば言ったとしても、数十年間の姑息な小刀細工の癖が改まるでしょうか。
 それ以前に改める気が起こるでしょうか。

 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ始末に困る人でなければ、国家の事はできぬ」
 政治の在り方は時代によって変わるものなのでしょうか。
 もし、そうだとしたら、西郷のこの言葉は価値のないものということになります。

   
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素朴な疑問なんですが

2020年03月20日 | 重箱の隅
2011.05/27 (Fri)

 もう二週間ほどになりますか、「ぼやきくっくり」さんのブログで、青山繁晴氏の「ニュースdeズバリ」の書き起こしを拝見しました。
 そこで、あっと思わされたこと。
 
 例の一時帰宅の件です。
 あの70センチ四方だかのビニール袋一つに入るものしか持って来ちゃいけない、ということ。
 位牌を持って帰った人、多かったんですね。浄土真宗の我が家なんかは位牌そのものがないから、そんなこと考えなかったけど、宗派によっては位牌は本尊より大切なものでしょう。
 それ以外のものだって、とにかく苦心して泣く泣く、多くを諦めて、僅かばかりの物を持って避難場所に帰ってきた。

 それが線量計で計測してみたら、みんな、さほどの汚染はなかった。
 良かったよかった。・・・・

 ニュースではそうでした。
 けど、書き起こしでの青山氏の言。
 「(家の中とは言え)2ヶ月間普通に大気に晒されてるわけです。それが一切、その除染の必要がない、きれいにする必要がないってことは、川内村は汚染地域じゃありません!」
 帰宅時間は二時間。何故二時間なんでしょう。根拠は?

 青山氏は、防護服を着てマスクを付けて、二時間、という僅かな時間に僅かな荷物を取りに帰ることだけを許されたあのニュース報道が、世界中に対して「川内村は汚染されたんだっていう風評被害を与えていることになる」、と言われています。
 これは「風評被害を与えている」ではなくって、もっとはっきりと、「風評被害を与えている『だけだ』」と言いたいところでしょう。
 恨みでもあるのか、東北に。そんな気さえします。
 「これ(風評被害)与えたのは誰ですか。菅政権じゃないですか」
 何らかの策謀があったのか?そんなことまで勘ぐってしまう。

 そして、昨日です。
 前回、ニュースで流れたものと違って、今回はあの防護服、随分と簡便なものに変わったように思ったのは、私だけでしょうか。どう見たってあれ、食品工場の作業服だ。「髪の毛が落ちないようにカバーをしました」みたいで、顔から首まで露出している。
 理由は「前回は暑さで気分の悪くなった人が多く出たので、少しでも体力の消耗を軽減させるため」、だとか。
 ええっ?暑けりゃこれにするわけ?放射線対策って、これで間に合うわけ?何より、露出度、高くない?それに、今回の方が、原発に近くなかった?

 一旦言ったものだから、もう退くに退けなくって、としか見えないんだけど。思い過ごし??
 核爆発が起こった場合の説明なら、同心円の説明でいいんだろうけど、何故、SPEEDIによる説明に変えない?


 ところで、防災服、どうなったんでしょう。「出来上がった!」という朗報(!)はあったのかな。
 あ、でも、
 「五月の連休中、被災地へ入る時は作業服では行かないように(、目立つから)」
 という連絡があったんでしたね。ということは、できてる、ということか。
 いっそのこと「がんばろう!日本 民主党」と大きなロゴを入れて、被災地の作業ボランティアに無償で配布すれば、喜ばれるだろうに。

 「こんな大変な時に内閣不信任だなんて」
 「西岡議長は、自分の立場を考えて発言をすべきだ」
 バカなことを言っちゃいけない。こんな時だからこそ、こんな訳の分からないことしてちゃいけないのに。
 この内閣は、策謀なんかしない。できない。
 そんな能力があれば、ウソで塗り固める、ウソの上塗りを際限なくするような愚かなまねはしない(筈だ)。 


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