2011.05/24 (Tue)
「島国根性」って、あんまり良いイメージ、ないでしょう?実際、良いイメージで使われたのを見たことがない。偏狭で排他的な劣等民族意識。
それが、忘れもしない、正月一日。
「夕刻の備忘録」ブログで、「島国根性で行こう!」という文を読み、あっと思わされたんです。
それで一週間かかって日記を書きました。
これを読んでいただいたら、また違って見えるかも、と思い、一部を再掲します。
~~~~~~~
「島国根性」
周りのことばかり気にして、卑屈になる。自分らだけが取り残されているのではないか、とおろおろしてばかりいる。自身の弱小であることを知るが故に、常に良いものを手に入れようと耳をそばだててばかり、いる。だから主体性を持たない。
対して「大陸的」は、鷹揚で、小さなことにはこだわらず、落ち着いている。余裕があり、何事にも自信を持っている。
こんな風に聞いて来ました。テレビもそうです。新聞もそうです。学校だってそうでした。
そこで、前に書いたことと重複するのですが、「ちょっと待てよ!?」と思うのです。
「島国根性」という四字熟語の意味を、一括りにして思う前に、それぞれの言葉の意味を考えてみようと。
「島国」。
日本は島国。大陸のような、他国と地上に国境線を持つ国ではない。
逆に、国境は海の上にあり、肉眼で直接の確認はできない。だから、国境意識はどうしてもぼんやりしてしまう。言い方を換えたら、国境というものに対しては鷹揚である、と言える。
「島国」は地理的、地勢的な現実であり、それが故に卑屈になる、なんて有り得ない。それどころか、他国と領土争いをすることが少ないため、却ってのんびりとして大らかである。南太平洋の島国を見れば分かる。
他国の圧力を感じて、卑屈になるのは、大陸、それも大陸のはずれにある国や民族。彼らがそうなる例は、枚挙にいとまがないけれど。
次に「根性」、です。
あえて言うこともないくらいの言葉です。日本人に根性はあるか。敗戦後だって、「日本人は根性なし」みたいに言われるようになったのは最近のこと。
今だって、例えば「世界で活躍する日本人」みたいな番組を挙げるまでもなく、「日本人は根性がある」と言われる方が多いのではないでしょうか。
それが、何故「島国根性」となると、突然正反対の意味になるのでしょうか。
もしかしたら・・・・・・。
「周りのことばかり気にして卑屈になる」
「取り残されることを恐れる」
「弱小だから、良いものを手に入れようとしている」
結果、「主体性がない」、と。
これ、「同じ事実を、後ろ向きに表現している」だけではありませんか?
神戸は港町です。昔から「ハイカラな街」と言われ、その性質は「進取の気風に富んでいる」と言われます。だから、主体性がない?そんなことはない。
これがこのまま、島国の在り方です。
「良いものがある。なら、それを手に入れよう」
これこそが大らかさです。卑屈な者は、そんなことはしない。
「取り残されるのを恐れる」?
いや、「何で仲間はずれにするんだ?ずるいぞ!」と怒るでしょう?
対等、という気分です。物怖じしない、ということではありませんか?
そう、聖徳太子の、隋への国書がそうだったでしょう?
「進取の気風に富み、物怖じしない。国の意識は持ちつつ、外向の気に溢れ、小さいことにはこだわらない」
順を追って考えてみれば、これこそが「島国根性」の真の姿だ、と言えます。
島国だから、領土を広げようなんて、あんまり思わない。執着もしない。
遊牧民族のモンゴル族や満州族が、心根としては我々に近いのかもしれません。
我々は、「海洋民族」と言っても良い側面を持っています。そして日本は、蓬莱島とも呼ばれていたはずです。
さて、では何故、今はこんな後ろ向きなイメージを持っているのか。
一体いつごろからそんな言い方をするようになったのか。
ブラジル、ハワイ、支那、台湾、満州等、移民が奨励されていた頃、「島国根性」という言葉は、あったとしても、一般的ではなかった、と思われます。移民という外向きな発想に、後ろ向きな言葉は勝てないからです。
そうすると、やはり、このような後ろ向きな捉え方は、敗戦後、と考えるのが妥当でしょう。そして、それが受け入れられる下地自体は、それ以前につくられて来ていた。
社会主義、特にマルクス主義の流入がその主因であること。
そして、それ(島国根性という言葉)を、GHQの「日本の各『社会』分断」という施策に併せて、その裏打ちをするように実践されていった、と考えるのが筋ではないか、と思うのです。
「島国根性」って、あんまり良いイメージ、ないでしょう?実際、良いイメージで使われたのを見たことがない。偏狭で排他的な劣等民族意識。
それが、忘れもしない、正月一日。
「夕刻の備忘録」ブログで、「島国根性で行こう!」という文を読み、あっと思わされたんです。
それで一週間かかって日記を書きました。
これを読んでいただいたら、また違って見えるかも、と思い、一部を再掲します。
~~~~~~~
「島国根性」
周りのことばかり気にして、卑屈になる。自分らだけが取り残されているのではないか、とおろおろしてばかりいる。自身の弱小であることを知るが故に、常に良いものを手に入れようと耳をそばだててばかり、いる。だから主体性を持たない。
対して「大陸的」は、鷹揚で、小さなことにはこだわらず、落ち着いている。余裕があり、何事にも自信を持っている。
こんな風に聞いて来ました。テレビもそうです。新聞もそうです。学校だってそうでした。
そこで、前に書いたことと重複するのですが、「ちょっと待てよ!?」と思うのです。
「島国根性」という四字熟語の意味を、一括りにして思う前に、それぞれの言葉の意味を考えてみようと。
「島国」。
日本は島国。大陸のような、他国と地上に国境線を持つ国ではない。
逆に、国境は海の上にあり、肉眼で直接の確認はできない。だから、国境意識はどうしてもぼんやりしてしまう。言い方を換えたら、国境というものに対しては鷹揚である、と言える。
「島国」は地理的、地勢的な現実であり、それが故に卑屈になる、なんて有り得ない。それどころか、他国と領土争いをすることが少ないため、却ってのんびりとして大らかである。南太平洋の島国を見れば分かる。
他国の圧力を感じて、卑屈になるのは、大陸、それも大陸のはずれにある国や民族。彼らがそうなる例は、枚挙にいとまがないけれど。
次に「根性」、です。
あえて言うこともないくらいの言葉です。日本人に根性はあるか。敗戦後だって、「日本人は根性なし」みたいに言われるようになったのは最近のこと。
今だって、例えば「世界で活躍する日本人」みたいな番組を挙げるまでもなく、「日本人は根性がある」と言われる方が多いのではないでしょうか。
それが、何故「島国根性」となると、突然正反対の意味になるのでしょうか。
もしかしたら・・・・・・。
「周りのことばかり気にして卑屈になる」
「取り残されることを恐れる」
「弱小だから、良いものを手に入れようとしている」
結果、「主体性がない」、と。
これ、「同じ事実を、後ろ向きに表現している」だけではありませんか?
神戸は港町です。昔から「ハイカラな街」と言われ、その性質は「進取の気風に富んでいる」と言われます。だから、主体性がない?そんなことはない。
これがこのまま、島国の在り方です。
「良いものがある。なら、それを手に入れよう」
これこそが大らかさです。卑屈な者は、そんなことはしない。
「取り残されるのを恐れる」?
いや、「何で仲間はずれにするんだ?ずるいぞ!」と怒るでしょう?
対等、という気分です。物怖じしない、ということではありませんか?
そう、聖徳太子の、隋への国書がそうだったでしょう?
「進取の気風に富み、物怖じしない。国の意識は持ちつつ、外向の気に溢れ、小さいことにはこだわらない」
順を追って考えてみれば、これこそが「島国根性」の真の姿だ、と言えます。
島国だから、領土を広げようなんて、あんまり思わない。執着もしない。
遊牧民族のモンゴル族や満州族が、心根としては我々に近いのかもしれません。
我々は、「海洋民族」と言っても良い側面を持っています。そして日本は、蓬莱島とも呼ばれていたはずです。
さて、では何故、今はこんな後ろ向きなイメージを持っているのか。
一体いつごろからそんな言い方をするようになったのか。
ブラジル、ハワイ、支那、台湾、満州等、移民が奨励されていた頃、「島国根性」という言葉は、あったとしても、一般的ではなかった、と思われます。移民という外向きな発想に、後ろ向きな言葉は勝てないからです。
そうすると、やはり、このような後ろ向きな捉え方は、敗戦後、と考えるのが妥当でしょう。そして、それが受け入れられる下地自体は、それ以前につくられて来ていた。
社会主義、特にマルクス主義の流入がその主因であること。
そして、それ(島国根性という言葉)を、GHQの「日本の各『社会』分断」という施策に併せて、その裏打ちをするように実践されていった、と考えるのが筋ではないか、と思うのです。
このような言葉は、一つだけ、である筈がない。気がつかず思い込んでいる言葉の意味。特に敗戦後の造語にはもっと多くの、イメージ作りが先行する言葉がある、と考えるべきではないでしょうか。
つい二、三日前、テレビで「東アジアでは、冷戦は終わっていない」と言っていました。社会主義は、東アジアではまだ、滅びていない。シナ、朝鮮のことではないのです。我が国の中で、社会主義革命は進行している、ということなのです。
「民主党は風前の灯だ」、と安心しかけている人があるかもしれません。けれど、我々国民の方が、国民の意識の方が、既にほぼ社会主義思想に、(気付かず)なってしまっている、こと。そして、「覚醒したら、OK」なんて言っていることの方が、よっぽど怖いことなんだ、と気付くべきです。
「北風と太陽と旅人」の話。
「外圧より、内部崩壊の方が、千倍も万倍もおそろしいことだ」と本当に知ったからには・・・・・・・。 じっとしていられるわけがない。
~~~~~~~~~~~
周りの国から見れば、日本は「みそっかす」でした。
それだけ、軽視されていた。これは、間違いない。
事実がどうこうではない。周辺諸国が勝手に決め付けることですから。
けれど、当の日本は、そんな風に考えてはいなかった。大らかなものです。
つい二、三日前、テレビで「東アジアでは、冷戦は終わっていない」と言っていました。社会主義は、東アジアではまだ、滅びていない。シナ、朝鮮のことではないのです。我が国の中で、社会主義革命は進行している、ということなのです。
「民主党は風前の灯だ」、と安心しかけている人があるかもしれません。けれど、我々国民の方が、国民の意識の方が、既にほぼ社会主義思想に、(気付かず)なってしまっている、こと。そして、「覚醒したら、OK」なんて言っていることの方が、よっぽど怖いことなんだ、と気付くべきです。
「北風と太陽と旅人」の話。
「外圧より、内部崩壊の方が、千倍も万倍もおそろしいことだ」と本当に知ったからには・・・・・・・。 じっとしていられるわけがない。
~~~~~~~~~~~
周りの国から見れば、日本は「みそっかす」でした。
それだけ、軽視されていた。これは、間違いない。
事実がどうこうではない。周辺諸国が勝手に決め付けることですから。
けれど、当の日本は、そんな風に考えてはいなかった。大らかなものです。
でも、常に【周りの国から見れば、日本は「みそっかす」】でした。
これを知らず、戦後の日本は、ずっと「島国根性だ、おどおどしてたんだ」と思い込んでいる。そして、その裏返しが、「世界市民」だ、とか「グローバルな視点を持って」だとかになっていく。
それでは悪いイメージの方の「島国根性」、に裏打ちをしていくだけになります。
これを知らず、戦後の日本は、ずっと「島国根性だ、おどおどしてたんだ」と思い込んでいる。そして、その裏返しが、「世界市民」だ、とか「グローバルな視点を持って」だとかになっていく。
それでは悪いイメージの方の「島国根性」、に裏打ちをしていくだけになります。