CubとSRと

ただの日記

(島国根性のこと)

2020年03月19日 | 心の持ち様
2011.05/24 (Tue)

 「島国根性」って、あんまり良いイメージ、ないでしょう?実際、良いイメージで使われたのを見たことがない。偏狭で排他的な劣等民族意識。
 
 それが、忘れもしない、正月一日。
 「夕刻の備忘録」ブログで、「島国根性で行こう!」という文を読み、あっと思わされたんです。
 それで一週間かかって日記を書きました。
 これを読んでいただいたら、また違って見えるかも、と思い、一部を再掲します。
  ~~~~~~~

 「島国根性」
 周りのことばかり気にして、卑屈になる。自分らだけが取り残されているのではないか、とおろおろしてばかりいる。自身の弱小であることを知るが故に、常に良いものを手に入れようと耳をそばだててばかり、いる。だから主体性を持たない。
 対して「大陸的」は、鷹揚で、小さなことにはこだわらず、落ち着いている。余裕があり、何事にも自信を持っている。

 こんな風に聞いて来ました。テレビもそうです。新聞もそうです。学校だってそうでした。
 そこで、前に書いたことと重複するのですが、「ちょっと待てよ!?」と思うのです。
 「島国根性」という四字熟語の意味を、一括りにして思う前に、それぞれの言葉の意味を考えてみようと。

 「島国」。
 日本は島国。大陸のような、他国と地上に国境線を持つ国ではない。
 逆に、国境は海の上にあり、肉眼で直接の確認はできない。だから、国境意識はどうしてもぼんやりしてしまう。言い方を換えたら、国境というものに対しては鷹揚である、と言える。
 「島国」は地理的、地勢的な現実であり、それが故に卑屈になる、なんて有り得ない。それどころか、他国と領土争いをすることが少ないため、却ってのんびりとして大らかである。南太平洋の島国を見れば分かる。
 他国の圧力を感じて、卑屈になるのは、大陸、それも大陸のはずれにある国や民族。彼らがそうなる例は、枚挙にいとまがないけれど。
 次に「根性」、です。
 あえて言うこともないくらいの言葉です。日本人に根性はあるか。敗戦後だって、「日本人は根性なし」みたいに言われるようになったのは最近のこと。
 今だって、例えば「世界で活躍する日本人」みたいな番組を挙げるまでもなく、「日本人は根性がある」と言われる方が多いのではないでしょうか。

 それが、何故「島国根性」となると、突然正反対の意味になるのでしょうか。
 もしかしたら・・・・・・。
 「周りのことばかり気にして卑屈になる」
 「取り残されることを恐れる」
 「弱小だから、良いものを手に入れようとしている」
 結果、「主体性がない」、と。
 これ、「同じ事実を、後ろ向きに表現している」だけではありませんか?

 神戸は港町です。昔から「ハイカラな街」と言われ、その性質は「進取の気風に富んでいる」と言われます。だから、主体性がない?そんなことはない。
 これがこのまま、島国の在り方です。 
 「良いものがある。なら、それを手に入れよう」
 これこそが大らかさです。卑屈な者は、そんなことはしない。
 「取り残されるのを恐れる」?
 いや、「何で仲間はずれにするんだ?ずるいぞ!」と怒るでしょう?
 対等、という気分です。物怖じしない、ということではありませんか?
 そう、聖徳太子の、隋への国書がそうだったでしょう?

 「進取の気風に富み、物怖じしない。国の意識は持ちつつ、外向の気に溢れ、小さいことにはこだわらない」
 順を追って考えてみれば、これこそが「島国根性」の真の姿だ、と言えます。
 島国だから、領土を広げようなんて、あんまり思わない。執着もしない。
 遊牧民族のモンゴル族や満州族が、心根としては我々に近いのかもしれません。
 我々は、「海洋民族」と言っても良い側面を持っています。そして日本は、蓬莱島とも呼ばれていたはずです。

 さて、では何故、今はこんな後ろ向きなイメージを持っているのか。
 一体いつごろからそんな言い方をするようになったのか。
 ブラジル、ハワイ、支那、台湾、満州等、移民が奨励されていた頃、「島国根性」という言葉は、あったとしても、一般的ではなかった、と思われます。移民という外向きな発想に、後ろ向きな言葉は勝てないからです。
 そうすると、やはり、このような後ろ向きな捉え方は、敗戦後、と考えるのが妥当でしょう。そして、それが受け入れられる下地自体は、それ以前につくられて来ていた。
 社会主義、特にマルクス主義の流入がその主因であること。
 そして、それ(島国根性という言葉)を、GHQの「日本の各『社会』分断」という施策に併せて、その裏打ちをするように実践されていった、と考えるのが筋ではないか、と思うのです。

 このような言葉は、一つだけ、である筈がない。気がつかず思い込んでいる言葉の意味。特に敗戦後の造語にはもっと多くの、イメージ作りが先行する言葉がある、と考えるべきではないでしょうか。
 つい二、三日前、テレビで「東アジアでは、冷戦は終わっていない」と言っていました。社会主義は、東アジアではまだ、滅びていない。シナ、朝鮮のことではないのです。我が国の中で、社会主義革命は進行している、ということなのです。
 「民主党は風前の灯だ」、と安心しかけている人があるかもしれません。けれど、我々国民の方が、国民の意識の方が、既にほぼ社会主義思想に、(気付かず)なってしまっている、こと。そして、「覚醒したら、OK」なんて言っていることの方が、よっぽど怖いことなんだ、と気付くべきです。

 「北風と太陽と旅人」の話。
 「外圧より、内部崩壊の方が、千倍も万倍もおそろしいことだ」と本当に知ったからには・・・・・・・。 じっとしていられるわけがない。

 ~~~~~~~~~~~
 周りの国から見れば、日本は「みそっかす」でした。
 それだけ、軽視されていた。これは、間違いない。
 事実がどうこうではない。周辺諸国が勝手に決め付けることですから。
 けれど、当の日本は、そんな風に考えてはいなかった。大らかなものです。
 でも、常に【周りの国から見れば、日本は「みそっかす」】でした。
 
 これを知らず、戦後の日本は、ずっと「島国根性だ、おどおどしてたんだ」と思い込んでいる。そして、その裏返しが、「世界市民」だ、とか「グローバルな視点を持って」だとかになっていく。
 それでは悪いイメージの方の「島国根性」、に裏打ちをしていくだけになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「藤田東湖って?」

2020年03月19日 | 重箱の隅
2011.04/17 (Sun)

 或る日記に「幕末 安政大地震を思ふ」というのがあった。
 その大地震で藤田東湖が死んだのだと初めて知り(聞いたことがあるかもしれないけど、全く覚えてない)、そう言えば、水戸出身で私の指導教官をして下さった先生が、何度も藤田東湖の名前を口にされていたな、と思い出しました。これで怠け者の学生だったということがばれたのは置いといて。

 その日記には「天下に畏るべき存在は一人しかいない。その方こそ東湖先生である(西郷)」、とある。西郷?
 横井小楠じゃなかったか?あ、いや、横井小楠と西郷を「畏るべき人物」と言ったのは勝海舟だったな。
 海舟は横井小楠と西郷を「畏るべき人物」と言って、当の西郷は「天下に畏るべき存在は一人。東湖先生のみ」、と言ったわけか。

 あれ?そう言えば勝海舟は藤田東湖のこと、何か言ってなかったか?
 何となく、あんまり良くないようなことを書いていたような気がするけど。
 ・・・・と、平積みしていた文庫本の中から「氷川清話」を引っ張り出す。(いつもこんなだから、何処に話が行くか分からない)
 、で見たら、あったあった。ひどいこと、言ってる。

 「藤田東湖はおれは大きらいだ。あれは学問もあるし、議論も強く、また剣術も達者で、ひとかど役に立ちそうな男だったが、ほんとうに国を思うという赤心(まごころ)がない。もしも東湖に赤心があったらあのころの水戸は、天下のご三家だ。直接に幕府へ意見を申しいずればよいはずではないか。それになんぞや、かれ東湖は書生を多勢集めて騒ぎまわるとは、実にけしからぬ男だ。おれはあんな流儀は大嫌いだ。」
 続けて
 「おれなどは、一つの方法でいけないと思ったら、さらに他の方法を求めるというふうに、議論よりはとにかく実行でもって国家に尽くすのだ」
 とまあ、ちゃんと自分のことを臆面もなく喧伝している。
 あっけらかんとしてて良い、と思う私みたいなのもいるだろうけど、賛否半ばするところだ。

 それにしても、ひどい言われようだ。
 私は、この海舟の「正心誠意」が好きなもんだから、大概、成程、と思いながら読んでいるのだが、よくよく思い出してみても、ここまで悪しざまに言われた人物はそんなにいないのではないか。ちょっと不思議な感じがする。
 「海舟の人気について」は好き嫌い、半々だろうか。石原都知事より、一ケタはアクが強い。けど、藤田東湖を嫌う人は少ないだろう。
 知名度は別にして、「嫌いだ」、という人がいたら、たとえば「堅苦しい」とか「息が詰まるかも」なんて、正直つまらない理由だと思う。
 だから、海舟のこの言には「何でそこまで嫌うかなぁ~?」しか浮かばない。
 
 それで、何故そこまで言われる?と思って読み返してみました。
 ・東湖は大きらい。
 ①学問は認める
 ②議論(弁舌、論理共)が強い
 ③剣術も強い 
 ひとかどの人物であることに間違いはない。ただ、赤心がない。
 幕府に自分が意見を言わず、書生に実力行使させる、というやり方が気にくわん(自分でやらない=赤心がない、というのが、海舟の言い分)。
 こう、書き出してみると、「能力は十分に認める」、しかし、自分から言わず、「書生にやらせるところが気にくわん」。

 やはり海舟は東湖を認めているのだということになる。
 ただ、「やり方が気に食わん。なぜ、自分で幕府に直談判しないのか。それだけの実力を持ちながら、自分の書生にやらせるとは無責任である。書生は東湖より全て劣っているのだ。だから書生なのだ。その分、成功率は低いのだ。それを敢えてやらせるから、無責任というのだ。正心誠意ではない。赤心がない。それは許せん。」
 だから「大きらいだ」、となる。
 つまり、「藤田東湖は策を弄する。策士だ」ということか。

 いささか以上に藤田東湖が気の毒だ。だって、そうでしょう?
 まさか、烈公水戸斉昭を差し置いてそれ(自分で幕府に直談判)はできないだろうじゃないか。
 海舟は最下位の御家人とは言え、幕府直属の家臣だから、早くから幕府に直接意見も言える地位まで上がれた。
 でも藤田東湖は、御三家。その家臣。仕えるのは藩主、でしょう?

 再び、海舟。
 「維新の頃、烈公はえらい、と評判だった。今はどうだ。日本国中で、烈公を知っているものが何人あるか。(中略)~天下の安危に関する仕事をやった人でなくては、そんなに後世に知られるものではない。ちょっと芝居をやったくらいでは天下に名はあがらないさ」(ここで海舟のいう「芝居」というのは、かいわれ食べた、きゅうりを食べた、みたいなパフォーマンスではありませんよ、念のため)

 この、烈公の評と、東湖の評と重ねると、
 「東湖は学問、剣術に励み、自らを律することに厳しかったため、斉昭公を差し置いての発言はすべきではない、と考えた」
 「けれど、東湖の『自身に厳しい』生き方までは倣えなかった書生は血気にはやって暴発してしまった」
 「やらせたのではない。とめられなかったのだ」
 となりそうです。
 ここでやっと気がつきました。
 海舟が意識していたかどうかはともかく、彼が本当に嫌っていたのは、東湖ではなく、烈公だったのではないか。
 藤田東湖に関しては、あれだけの人材でありながら、何をそんなところでモタモタしているのだ、と。残念で、苛々していたのかもしれません。

 そんなことを思いついて、また「氷川清話」を眺めていたら、最後にこんな一節がありました。
 「世間の人はややもすると、芳を千載に残すとか、臭を万世に流すとかいって、それを出処進退の標準にするが、そんなけちな了見で何ができるものか。男児世に処する、ただ、誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ」。
 「あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうがそんなことはかまうものか。要するに処世の秘訣は『誠』の一字だ。」



   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記者のできるまで(後)

2020年03月19日 | 重箱の隅
2010.06/21 (Mon)

 「アサヒ新聞は考え方がしっかりしている。その結果、教養も高い。ただ、それは全てを否定する、というやり方に基いたものだ」というようなことで前回を終えました。
 「建国から敗戦までの、日本の全てを否定する。それが、アサヒ新聞だ」
 という結論になります。

 さて、この「全てを否定する」といったやり方、思い出されましたか?
 以前に書いた、弁証法の三大法則で出てきた「否定の否定」に似ているでしょう?
 「違うだろう。ただの否定だろう?」
 そうです。「否定の否定」ではない。ただの「過去の全否定」です。
 つまり、「革命」です。

 「アサヒ新聞は、GHQの威光を借りて、社会主義革命を社内で起こした。」
 打倒すべき前体制は消滅した。(みんな、それと知らず、辞職しましたからね。)
 革命は成し遂げられた!!!ってなわけです。
 こういう仕組みで「朝日新聞」は「アカヒ新聞」になりました。

 さて、元に戻ります。
 「考え方は、社毎に違う」と書きましたが、そんなわけで、アサヒ新聞ほど考え方の明確な新聞社は、ない。その「明確な考え方」、つまり、「まず、過去を全否定せよ」という考え方は、入社したばかりの者にとっては、「カルチャーショック」どころではありません。何しろ何から何まで、全て否定される。(勿論、これは、当人、否定される側の主観からみた感覚ですよ)
 
 (ここからは、他のメディアも同じです)
 新聞社に入ろうかと言うくらいの人は、大なり小なり文章を読むのが好きで、文章を書くことも嫌いではない。逆に、好きだったり、得意だったりする場合が多いかもしれません。
 そんな新人が、運よく採用されたとします。
 入社一日目。記事を書かせてもらえる・・・・わけは、ない。
 二日目、三日目。同じこと・・・・。
 挨拶回りに連れて行かれるようになり、何週間か何ヶ月か経った頃、小さな記事を書くよう、指示される。
 
 もう想像がつきますよね。
 「何、これ。こんな小さい記事か」と思いながらも、「初めての原稿」、それなりに喜んで書いて持って行く。
 上司に恵まれた場合は「何だ!これは。学校で何習ってきたんだ!書き直せ!」くらいは言われるでしょうか。冷たいところなら「はい、ごくろうさん」、で、担当の机の上。二、三日経つと「あ、ボツになったから」で終わり。
 前の方は「たったこれだけの枠で、書けるわけねえじゃん」とかなんとかボヤキながらも、やり直す。後の方は不信感ばかりが募る。
 共通するのは「やせ我慢で、やっと現状に耐えている」ということ。

 それでも、OKと言ってもらえるまで書き直すしかない。
 ①まず、自己の全否定をさせられる。次に、②上司の思っていることを(理解、でなく)「受け入れる」。
 簡単に書きましたが、これは大変なことです。自己を全否定する、というのは、過去の全てを、ということです。勿論、文章を書くことに対して持っていた自信を徹底的に、ぶち壊される、ということです。そこに、上司の言う考え方を「受け入れる。」
 二つの言葉をまとめると浮かんで来る言葉。それは「洗脳」、です。
 過去を否定しても、ちゃんと記憶している。否定するというのは、消去することではない。「教えられた考え方」を、「否定した過去の記憶を用いて」自分から整理をしていく。頭脳の、再構築とでも言いましょうか。

 そうやって、今までとは違った表現、或いは論理の展開をするようになる。世間は、これを称して「一人前になった」という。

 或る人が取材された時に感じた疑問です。
~~~~~~~~~~~~~~~
 「ここで思った!このインタビュー、聞き手の記者は、取材した人が話したこと、 本当にその通り、書いているのか?」
 学生の頃に原稿を頼まれた。
 が、掲載されたのを見て、「これ、俺が書いた内容とほとんど違うじゃん?」
 この時、思った。新聞は記者たちが、思ったように書いているんだ!って。
~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 子ども手当より雇用

 自身の持った疑問に対して、自身で出された答えは正しい。
 問題は、彼の記者が、悪意の有無は別にして、
「意図的にやった(歪曲・捏造)のか、はたまた、無意識にやったのか」ということです。
 今回書いたのは、これは「無意識にやっている」のだ、ということをはっきりさせたかったからです。「悪意を持ってやっている」わけでも、ない。
 だから、許す、ではない。全くの反対。
 「悪意なく、意図的でもない」。こんな恐ろしいことはない、と言いたいのです。
 そうでしょう?無意識に、全く悪意もなく、日本を破壊しようとしているわけじゃないですか。
 記者は全て、大なり小なり「自身の教養」で以って、取材対象を見、まとめ上げようとする。いくら、そこに事実が書かれていても、事実だけ読み取ることは、出来ません。事実による文の構築は、その人の「教養」に委ねられている。

 ここから先は蛇足ですが。
 そういうわけで、新聞はネットより間違いなく論理的な文章が多い。そして、それぞれの「教養」のレベルも高い。「だから、騙される。」じゃ、読まないでおくか?
 ネットを使わない人が、今も過半数以上を占めているのは、テレビ、新聞の調査を見れば明らかでしょう?
 「騙されるから、読まない」、じゃ、勝てませんよ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 十年前も今も、状況はそんなに変わっていません。
 「そんなことない。スマホでツイッター、で十分。」?
 ツイッターって、ネットニュースより論理的ですか?さらに新聞よりも?
 論理性からいえば、間違いなく新聞>ネットニュース>ツイート、です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記者のできるまで(前)

2020年03月19日 | 重箱の隅
2010.06/21 (Mon)

 昔、尊敬する年長者に、何かの拍子に言われたことがあります。
 「職に就いた翌日から、一人前に扱われるのは、学校の先生くらいなものだ。」
 確かに、その通りで、普通は「石の上にも三年」「十年で一人前」などと言われます。場合によったら十年が二十年経っても、芽が出ず、赤貧洗うが如き窮乏生活、という人もあります。
 芸人や役者は特にそうで、売れるまでの、貧乏ゆえの信じられない話をネタにするのは、普通のこと。それどころか、貧乏をしなかった者は、却って肩身が狭いようで。まあ、いずれにしても、初めから豊かな者に対する評価は、どこでも、余り高くない。

 全く違う話に見えますが、十年ほど前までは、入試の随筆問題、アサヒ新聞の「天声人語」が例題として出されることが多かった。御存知の方も多いでしょう。

 なぜ、アサヒ新聞なのか。教育界にも戦後教育の結果、そのような学閥があるので云々、というのは後の話。
 「天声人語」は、やはり、文章としての完成度が高かったからです。随筆として見た場合、新聞業界の中では、群を抜いた存在であった。だから、よく出題文となった。
 時機に応じた話題を採り上げるのは当然ながら、古典や名言を実に上手く引用する。牽強付会に陥る寸前のところまでの引用、としておき、次に全く違ったような短文を持って来る。この時点でモンタージュが完成する。
 なるほど、と思わせたところで、知識の豊富さを思わせる、語呂合わせ、或いは種明かしのような結論。

 あの短い文章の中に、文章の基本といわれる「起・承・転・結」が、きちんと組まれている。当然、他の新聞社の場合も、ちゃんとこの形は守られています。なのに、アサヒに比べると、目に見えて劣っている。この差は一体どこから来るのか。
 これが「教養の差」なんだ、と思うのです。
 「知識」と「教養」は違います。「知識」は各新聞社の編集主幹、そんなに差はない。
 けれど、「教養」はアサヒが一番です。決して褒めているわけではない。
 以前にも書いたことがあるのですが、「教養」というのは、「教えられ、それを元に自らが養う」ものです。「考え方」を教えられ、それをもとに「自身の考える力」を養う。
 
 各新聞社、それぞれに、その会社の編集方針というものがあります。「真実を報道する」「事実を報道する」「事実を掲げて社の考えを述べる」等々。
 アサヒ新聞の場合は、この「考え方」がはっきりしている。つまり、「ブレない」「揺るがない」。
 もう一度、誤認のないように言っておきますが、「考え方がはっきりしている」と書いたからと言って、褒めているわけではないのです。「教養がある」「考え方がはっきりしている」、と書くと、なんだか褒めているようにみえるでしょう?そうではないのです。

 アサヒ新聞の考え方、それは「敗戦前の自社の全否定」、です。
 「これまでの過去は、(自社の在り方も、いうまでもない)間違いである。その自社の存在を認め、国のためにと活動することを奨励した国も、間違っていた。」
 「過去の間違いを明らかにする」、と、表向きは言っているのですが、実際は、「だから、過去は全否定する」。「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも全て間違いである。」郵便ポストや電信柱、全て、国が是としてきたものであるから、元締めの国が間違っているということは、これらも間違いである。
 これくらいの覚悟で徹底的にやれば、教育、文化、明治、大正の時代、そして、皇室の存在さえ否定することになる。
 「教養がある」「考え方がしっかりしている」というのは、決して褒め言葉ではないのです。「これまでの日本を全否定することが正しいあり方である」という「しっかりした考え方」を持ち、その「ぶれない考え方」で、全てを見た結果の「教養」を身につけたのがアサヒ新聞です。

 さて、何故、アサヒ新聞は、こんな極論を吐くようになったのか。そうしなければ、GHQは社の存続を許してくれない(と思っていた)からです。先頭切って、戦争遂行を叫んで来たのですから、そう思って当然。
 というわけで、これまでの中枢となっていた人物は、全て社を思い、退職して行きます。そして、残った人々がGHQの逆鱗に触れぬよう、社の方針を百八十度変更します。
 それが、現在のアサヒ新聞の「考え方」です。
 戦争遂行の協力をした中枢部(幹部)の者は、全て自ら辞職していった。公職追放を自ら行ったようなものです。
 だから、今のアサヒ新聞は平和のために「新生アサヒ」として再生した新聞である、と公言する。そして百八十度の方針転換を実行する。辞めて行った人々に全ての罪を担ってもらって

                           (続く)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じ一票ですが

2020年03月19日 | 心の持ち様
2010.06/18 (Fri)

 国会が閉会しました。
 「きっと支持率の復活が続いているうちに、会期を延長せず、逃げ切り閉会をするだろう」と言われていた通り。余りにも安直、というか、見え透いた、というか、品がない、というか。 「なりふり構わず」、なんて言葉を使ったら、「なりふり構わず」が恨んで化けて出てくるんじゃないか。
 亀井氏言うところの「男の美学」、なんてかけらもない、呆れ果てた閉会、でした。

 まあ、そりゃそうでしょう。この国会で有終の美を飾る、なんてカン総理には関係のないこと。今はとにかく、クーデターを何とか成立させるために、ほどほどで参院選、勝たなきゃならない。
 前にも書いた通り、勝ちすぎたら前幹事長の準備が万全だったから、となるし、負け過ぎたら、責任とって辞任、です。ほどほどのところでのらりくらりとやっていかなきゃならない。難しいでしょうね。イラ菅なんて言われるくらいの人ですから。

 しかし、さすがにメディアも「よくやった」等の誉め言葉は使わなかったようです。
 だから、その代わり、なのか、セルフサービス。総理自身が「あれだけ、丁寧に応対したのに、何故、不信任案を提出されるのか、分かりません」などと言っている。
 厚顔なんでしょうか。それとも本心?一応疑ってみなきゃならないのがつらい。
 「自分は一生懸命やった。誠心誠意やったけれど、議員の皆さんが聞く耳を持たなくなってしまった」ということでしょうか。
 たった十日間で何を一生懸命やったんでしょう。新内閣発足後、何もしてないんです。宮崎には行きましたけどね。

 延長して、何かしようとする「ふり」でもしていれば、法案を十回も強行採決したこととか、そのわりに例年より法案の通る本数が少なかったこととかは追及の手が緩む。不信任案の提出もちょっとしにくくなる。
 「法案の通過本数より今は、この勢いで選挙だ!」という姿勢が、あからさまだから
 「何もしないで終わるとは一体どういうことか!」と追及される。
 逃げ足の早い奇兵隊内閣です。

 それでも、予算委員会を開いて、一太刀でも浴びせられる覚悟があれば、「受けて立つぞ!」という横綱相撲をする気があれば、それが演技であっても、やはり不信任案は出しにくい。現野党は、過去の野党と違って義理と人情のしがらみで、動くに動けないんですから。

 民主党支持者は分かってくれますよ。
 約束したことは一つも果たさない。子供手当ては半分だ。でも、事業仕分けでばっさばっさと国の将来を切り捨てていくのをみて快哉を叫んでいる。
 「よし!蓮舫ちゃん、よくやった!悪徳官僚を切り捨てた!」って。
 自宅を名目だけの事務所にして費用を受け取る。合理的ですよ。無駄がない。
 友達の家を事務所にして年に二回の郵便物を受け取り、費用として、この数年で数千万受け取る。「友達だから金なんかいらないよ」。それは友達がいうことです。けど、無駄がない。どちらも、無駄がない。さすが、行政刷新大臣に、国家戦略室長。

 はあ~。悪口、言うのも飽きたな。ばかばかしいことに時間を遣うのはやめよう。
 「打倒!民主」だ。今は彼等の行動を注視しておく方がいい。
 来るべき参院選。ひたむきに考え、行動した結果も一票。「総理大臣が代わったから期待して」でも、一票。
 けれど、ひたむきに考え、行動した人の一票は、後に、期待に応えられる、努力する政治家の輩出につながり、「総理が代わったから期待してみようかな」の一票は、議員自身のため、自党の利益のために行動する政治家を輩出することになります。

 それは、間違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする