2015.03/28 (Sat)
土産物屋がなくなっていた、と思ったら、開店して半年ほどしか経ってない喫茶店がどうしても見つからない。何しろ方向音痴なものだから見落としたのかも、と、往復した後、もう一度逆戻りして。でも、見つからない。
諦めて家に帰り、ネットで再度、調べてみました。ネットには出ている。HPには引越しした、なんて書いてない。二回も三回もその前を通っている筈なのに、見つけられなかった。でも確かに地図には載っている。
休みの日だったのか?でも、休業日はない、と書いてある。じゃ、やっぱり潰れたのか??
結果としては、ありました。あの、潰れた土産物店に移転して。(土産物店は「潰れた」のではなく、正確には移転した、のだそうです)。
何でも店が「古民家過ぎて」家が歪んでしまっていて、もう客の出入りに耐えられないので、やむなく閉めたのだ、とか。
そりゃ怖いです。いきなり倒壊、なんてことはないのだろうけれど。
以前能く聞きましたが、「想定外」ってこと、意外にありますからね。それどころか倒壊の恐れは「想定」して置かなくちゃならない。ということだから、閉めるしかない。
このコーヒー会社は昔ながらの家族経営のようで、イタリアでは有名なところらしいんだけれど、日本には入って来てなかった。それがまた何で、いきなり日本総本社が「大森」、なんだ?
店のマスターに話を聞いて、ちょっとびっくり。これがイタリア人のセンス、なのかもしれません。
「大森はイタリアにはない街の色だ。こんなところに店を開きたい」。
「町の色」、で進出を決める??? 何だか無茶苦茶のようだけど、何となく納得できるような気もします。
フェラーリやドゥカティの、「イタリアンレッド」と言われる見事な鮮やかさは、他の色との絶妙な面積のバランスで成り立っているものです。イタリアの服飾もそうです。能く考えてみると、日本は彼らとは全く違う絶妙な色のバランスを持っている。これは以前に民族学博物館の展示物を見て感じたことです。(確か、飛騨高山の山車だったと思います。暴力的ともいえる、それでいて上品な装飾や彫刻に埋め尽くされた様は圧倒的な迫力を持っていました)
赤味がかった黄色の土壁と、褐色の格子窓。やや暗いオレンジ色の石州瓦の屋根。周りは全て木々の緑で蔽われている。石見人にとってみれば何ということもない平凡な形と色、景色ですが、そこに、そのイタリアの社長は新鮮な驚きを抱いたらしい。
自分では当たり前と思っていることや物を、他人が予想以上に高く評価してくれること、って意外に能くあります。
戦後生まれの我々は何かにつけ「日本人はマネは得意だけど発明は苦手だ」とか「改良はするけど、独創性がない」とか「自分の意見を言わず、周りの評判ばかり気にする」「主体性がなくって、何考えてるか分からない」等々、何かにつけ後ろ向きな見方ばかり習ってきたようです。
土産物屋がなくなっていた、と思ったら、開店して半年ほどしか経ってない喫茶店がどうしても見つからない。何しろ方向音痴なものだから見落としたのかも、と、往復した後、もう一度逆戻りして。でも、見つからない。
諦めて家に帰り、ネットで再度、調べてみました。ネットには出ている。HPには引越しした、なんて書いてない。二回も三回もその前を通っている筈なのに、見つけられなかった。でも確かに地図には載っている。
休みの日だったのか?でも、休業日はない、と書いてある。じゃ、やっぱり潰れたのか??
結果としては、ありました。あの、潰れた土産物店に移転して。(土産物店は「潰れた」のではなく、正確には移転した、のだそうです)。
何でも店が「古民家過ぎて」家が歪んでしまっていて、もう客の出入りに耐えられないので、やむなく閉めたのだ、とか。
そりゃ怖いです。いきなり倒壊、なんてことはないのだろうけれど。
以前能く聞きましたが、「想定外」ってこと、意外にありますからね。それどころか倒壊の恐れは「想定」して置かなくちゃならない。ということだから、閉めるしかない。
このコーヒー会社は昔ながらの家族経営のようで、イタリアでは有名なところらしいんだけれど、日本には入って来てなかった。それがまた何で、いきなり日本総本社が「大森」、なんだ?
店のマスターに話を聞いて、ちょっとびっくり。これがイタリア人のセンス、なのかもしれません。
「大森はイタリアにはない街の色だ。こんなところに店を開きたい」。
「町の色」、で進出を決める??? 何だか無茶苦茶のようだけど、何となく納得できるような気もします。
フェラーリやドゥカティの、「イタリアンレッド」と言われる見事な鮮やかさは、他の色との絶妙な面積のバランスで成り立っているものです。イタリアの服飾もそうです。能く考えてみると、日本は彼らとは全く違う絶妙な色のバランスを持っている。これは以前に民族学博物館の展示物を見て感じたことです。(確か、飛騨高山の山車だったと思います。暴力的ともいえる、それでいて上品な装飾や彫刻に埋め尽くされた様は圧倒的な迫力を持っていました)
赤味がかった黄色の土壁と、褐色の格子窓。やや暗いオレンジ色の石州瓦の屋根。周りは全て木々の緑で蔽われている。石見人にとってみれば何ということもない平凡な形と色、景色ですが、そこに、そのイタリアの社長は新鮮な驚きを抱いたらしい。
自分では当たり前と思っていることや物を、他人が予想以上に高く評価してくれること、って意外に能くあります。
戦後生まれの我々は何かにつけ「日本人はマネは得意だけど発明は苦手だ」とか「改良はするけど、独創性がない」とか「自分の意見を言わず、周りの評判ばかり気にする」「主体性がなくって、何考えてるか分からない」等々、何かにつけ後ろ向きな見方ばかり習ってきたようです。
でも、紙に表裏があるように、一面だけで成り立つものなんて、ない。更に、物事は負の面ばかりが強調されるときはそこに何か意図的な力が働いているんじゃないか、とも考えてみるべきでしょう。「島国根性」などは、実は「進取の気風に富む、物事に固執しない性格」、というエネルギッシュな面の方が、本当は大きな力を持っているんじゃないか、なんてことは冷静になれば気づくものなんじゃないでしょうか。
我々日本人は、島国の民であるが故に謙虚に学び、相手のことを尊重して何事も完璧に習おう(倣おう)とする。だから、早合点、早とちりを嫌う。自分勝手を言わず、協調性を以て物事を成し遂げようとする。
大体、一人でできることってのは、滅多にないでしょう?それに個々人に「主体性がない」なんてことはない。良くないと思えば決して賛成しない。
繰り返しますが、我々にはどうってことのないものでも、他が認める、それも高評価を下す、ことはよくある。けど、それは我々が「どうってことはない」とは思いながらも、それをちゃんと大切にして磨き続けているからこそ、第三者の目に留まるんだ、ということを忘れてはならないんじゃないかと思うんです。
我々日本人は、島国の民であるが故に謙虚に学び、相手のことを尊重して何事も完璧に習おう(倣おう)とする。だから、早合点、早とちりを嫌う。自分勝手を言わず、協調性を以て物事を成し遂げようとする。
大体、一人でできることってのは、滅多にないでしょう?それに個々人に「主体性がない」なんてことはない。良くないと思えば決して賛成しない。
繰り返しますが、我々にはどうってことのないものでも、他が認める、それも高評価を下す、ことはよくある。けど、それは我々が「どうってことはない」とは思いながらも、それをちゃんと大切にして磨き続けているからこそ、第三者の目に留まるんだ、ということを忘れてはならないんじゃないかと思うんです。
我々が「どうってことない」と思い、「磨かないでほっといた」ことを、第三者が見出したとしたら、これは恥です。でもまあ、我々が軽視し、ぞんざいに扱っていたならば、第三者が見出すこともまず、ないでしょうけどね。そして我々がぞんざいに扱ってきたものを外から、それも完全な第三者から指摘されたってピンと来るはずがないし、ピンと来たって、これまでがこれまでなんだから、それを生かす力なんて持ってる筈がない。
気づいては居なかったけれど、大切には、していた。一所懸命、磨き続けては、いた。だからこそ、他人はそこに感応した。「食は三代」、じゃないけれど、最初は志を持って「ここで仕事をしよう」というところから始まる。次に、「別にどこだっていいじゃないか。だったら、生まれ故郷でやったって、良いよな」。そしてそれが磁場となって、外の何かが惹きつけられ始める。
「中村ブレイス」という擬装具の会社が始め、「ブラハウス」というブランド名で衣料品を中心に生活用品の販売展開をしている「群言堂」という会社が「故郷で自然な生活を」、と、流れを維持し、今度はいきなりイタリアの「カリアーリ(CAGLIARI)」というコーヒーの日本展開の一歩となる。
文化を守る枠組みが作られ、文化を守る意識が育ち、文化を大事に思いながら展開していく。
やはり一番大事なのは、この小さな町の、ここに名前の出なかった人々が、今に至るまで力を合わせ続けて来ているということなんじゃないかな、と改めて思います。
気づいては居なかったけれど、大切には、していた。一所懸命、磨き続けては、いた。だからこそ、他人はそこに感応した。「食は三代」、じゃないけれど、最初は志を持って「ここで仕事をしよう」というところから始まる。次に、「別にどこだっていいじゃないか。だったら、生まれ故郷でやったって、良いよな」。そしてそれが磁場となって、外の何かが惹きつけられ始める。
「中村ブレイス」という擬装具の会社が始め、「ブラハウス」というブランド名で衣料品を中心に生活用品の販売展開をしている「群言堂」という会社が「故郷で自然な生活を」、と、流れを維持し、今度はいきなりイタリアの「カリアーリ(CAGLIARI)」というコーヒーの日本展開の一歩となる。
文化を守る枠組みが作られ、文化を守る意識が育ち、文化を大事に思いながら展開していく。
やはり一番大事なのは、この小さな町の、ここに名前の出なかった人々が、今に至るまで力を合わせ続けて来ているということなんじゃないかな、と改めて思います。