CubとSRと

ただの日記

考える準備

2020年03月09日 | 心の持ち様
2016.01/24 (Sun)

 これまでに繰り返し書いてきたことの一つに「自分で考えなきゃならない」というのがある。
 勿論、「自戒の意を込めて」、なんだけれども、世間に対しても思ってきたことだ。
 何しろもう十年くらい前から、TVコマーシャルを見ていても必ず「詳しくは検索」と出てくるようになっていたし、この頃じゃそれも取っ払って検索の枠と指のマークが一緒に出てきて・・・。
 パソコン持ってない人はあれ見てイラつくかも、と気を回すことはないんだろうか。生活保護費より少ない年金受給者が、高齢になってから高価なパソコン買って、わざわざテレビ以外に通信費を捻出して・・・なんてみんながみんな、すると思う?

 あ、いきなり脱線した。
 ネットでの検索、についてでした。TVコマーシャルで、あれ見ていらっとする人は置いといて。
 ネット検索は便利です。何しろ最最新版の百科事典ですからね。それもどんなに詳細な説明の記載されている物にだって引けを取らない。とにかく新しいし詳しい。訂正も早い。(勿論、この辺が両刃の剣なんですが)

 場所も取らないし、重量もない。何よりも一瞬で「検索」完了。調べものにかかる時間を劇的に、いやいや革命的に短縮した。良いことばかり。
 ・・・・と言いたいところだけれど、これこそ格言通り「好事、魔多し」。悪いことも革命的に増えた。
 折角無駄な時間を減らすことができたのだから、その分を「検索で得た資料によって考える時間」に充てればいいのに、そうしない。
 折角資料と資料を衝き合わせ、「自分の考え方で以て、考えを深める」ための時間ができたのに、それに使うことを惜しんで、ただ資料をぶちまけて、「自分の考え方で並べ替える」だけで事足れり、としている。俗に言うコピペ、というやつだ。
 ネット検索で見つけた文献を証拠としてコピーし、「こう書いてあるからこうなのだ」と考えを深めることもなくまとめ(?)てしまう。

 構成を考え(ただの並べ替えだけど)、結論を書いているのだから、「自分が考えた」みたいな気になっているけど、論の展開はコピーした文献がやってくれているわけで。そこに付けた「結論」なんて、所詮「ワシもそう思う」、でしかないんじゃないか。
 それは「自分が考えを深め」てはいないのだから、野次馬・烏合の衆の一人、ということでしかない。
 つまり当事者ではない、ということなのだが、意外にそのことに本人は気づいていない。というよりそれをさほど重要なことではないと思っている。「考えなど深める必要がどこにあるのだ?」、と。
 結論のつもりで感想だけ書いて、ただの感想を「立派な自身の結論だ」と思っている。

 これに比べれば、コピーではなくとにかく「一応は画面を見て、ノートに筆写した。その上で結論(?)を書いた」方が、結論っぽい締め方にはなる可能性は出て来る。
 一度読んで概要を掴んだ上で、一字一句間違いのないように筆写する際に、「概要把握」の再確認をしているわけだから、論理展開(或いは文章の展開)の形をなぞっていることには、なる。すると、自然、「収束のために」という意識が、締めの文章作りに働きかけることになる。

 勝海舟は、借りた本をただ読むのではなく、返す際に二部筆写して置いて一冊は売って本購入の資金にするといったことをしていたと言われるが、それは小知恵が利いたというところではなく上記のことを繰り返して考えを深めた、という部分を注視すべきだろう。
 「資料を筆写し、論理展開を自身が複数回なぞることによって考えを深める」。
 でも、これはコピペよりはるかにまし、というだけのことであって、最善、ということではない。「筆写した部分の展開は本人の展開ではない」からだ。
 だから結局は「自分で考えなきゃならない」。そうしなければ応用は利かないわけで、全く物の役には立たないということになる。
 それで自省のために、自戒の意を込めて「自分で考えなきゃならない」と書いてきた。

 それが先日散歩をしている途中、ふと思った。
 「自分で考えなきゃならない、と書いてきたけど、『考える』というのはどういうことなのか、分かっていたのだろうか」。
 並べ替えて置いて「結論だ」と強弁する感想をつけることではない、とは分かってるんだけど。


 (続く)
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大手新聞を読まれている方へ

2020年03月09日 | 重箱の隅
2014.02/28 (Fri)

 先日来(特にこの1,2年)、「(加害者と被害者の立場は)千年経っても変わらない」、日本が全て悪いのだから反省しなければならない、と言われ続けています。
 でも、日本が反省し謝罪すれば「「(加害者と被害者の立場)」が変わるのか、というと、「それはない」、んでしょう?「千年経っても変わらない」と言ってるんですから。

 じゃあ、どうするのか。
 そりゃ、反省し続け、謝罪し続けるしかないわけです。とにかく、歴史を直視し、猛省し、謝罪し続けなければならない。謝罪して、謝罪して、謝罪し続ける。
 「それでなければ世界中に慰安婦の記念像を建て続けるぞ!」、と脅されてる。
 謝罪し続けるとどうなるか。
 どこまでやっても、「(加害者と被害者の立場は)千年経っても変わらない」。
 じゃ、意味ないじゃん。
 「意味?そんなものは加害者が口にできることではない!加害者は千年経っても、謝罪し続けなければならない。とにかく未来永劫『まどうてください』」。(ツェねずみみたいですけど)
 一万歩譲って、とにかく非があるならば謝らなきゃならん。

 という事で。
 謝罪するにはまず何を謝るのか、中身をハッキリさせなければならない。  
 中身がはっきりしたら、猛省しなければならない。
 猛省するためには歴史をハッキリ把握しなければならない。
 だから、安倍総理は「学者に委ねる」と言った。
 そしたら、朝鮮はこう言った。
 「既にはっきりしているではないか。あとは、それを認め、謝罪することだ」

 でも、産経新聞(だけ)が大きく記事にしたように、資料の作成から談話に至るまで、詰めが甘いと表現する事自体甘過ぎるんじゃないかというくらい、呆れるしかない過程を経て来ていることが明らかになった現在、学者に委ね、過程を検証し、見直すのが最善の策だろう。
 で、事実の確認は既に為されていたわけだから、あとは過程を見直すだけ、なわけで。

 見直そうとすると「既にはっきりしているではないか」も見直すことになるわけだ。見直したら、「朝鮮の言う通り」かもしれないし、「全く違う」かもしれない。

 さて。
 「じゃ、やってみましょう」、と日本は初めて言ったわけですよね?これに関して、大手新聞はどう書いていますか?大手新聞しか見てないよ、テレビしか見てないよ、という人。こんな意見は御存知ですか?

 という事で、黄文雄氏のメールマガジンを部分転載します。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    「黄文雄の歴史から読み解くアジアの未来」

       2014年2月28日号(第13号)

 ☆【韓国】墓穴を掘った韓国、慰安婦問題の検証阻止に必死

 本日2月28日の衆議院予算委員会で、菅官房長官は日本維新の会の山田宏議員への答弁に立ち、政府内に河野談話の検証チームを新設すると述べました。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS28019_Y4A220C1EB1000/
 この検証チームの新設は、2月20日の予算委員会で、同じく山田議員による参考人招致と質疑により河野談話のずさんさが明確になったことによる成果です。

 その2月20日の参考人招致について、振り返ってみましょう。

◎元慰安婦証言、裏付けなし=石原元副長官が国会答弁─河野談話
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140220-00000129-jij-pol

 2月20日、石原信雄元官房副長官が衆院予算委員会に招致され、従軍慰安婦に対する日本軍や官憲の関与を認めて謝罪した河野談話について、16人の元慰安婦の証言だけに基づいたもので、裏付け調査などはまったくしていなかったと述べました。
石原元官房副長官が述べた、河野談話発表までの経緯は以下の様なものです。

1、日本側が強制的に慰安婦を集めたり、働かせたという証拠がないということを再三再四にわたり表明したにもかかわらず、韓国側は執拗に再調査を要請してきたということ。

2、韓国側から元慰安婦の話を聞いてほしいと言われて、日本政府は聞き取り調査を行った。韓国側からは元慰安婦は強制的に慰安婦にさせられたと言っているのだから、それを認めるよう主張していた。

3、そこで日本政府としては、「慰安婦の募集にあたり、業者が甘言を弄するなどして強制的な募集を行ったケースがあり、これに官憲が関与した可能性もある」とした。

4、この元慰安婦の発言に対しては、裏付けを取っていない。当時は裏付けを取れるような雰囲気ではなかった。

5、河野談話を発表する前に、韓国側と折衝が行われて、談話の内容や文言が決められたのかは、自分(石原氏)は承知していない。しかし、このような文書を発表する際に、韓国側とすりあわせすることは、当然あっただろう。

6、本来、河野談話を発表した主旨は、未来志向のためであり、これを発表することで、慰安婦問題が決着することを目的としていた。事実、河野談話以降、韓国政府はしばらく慰安婦問題を持ち出すことはなかった。

7、にもかかわらず、最近は韓国政府が慰安婦問題を世界に広め、慰安婦像まで設置するというのは、日本の善意が生かされていない。

 要するに、日本は一貫して慰安婦を強制的に募集したり、無理やりやらせた記録は一切ないものの、韓国の元慰安婦が「自分は無理やりやらされた」と主張したため、日韓関係の未来のために裏付けを取らずに「官憲による強制性があった可能性は否定できない」というあいまいな表現にした、というわけです。

 日本側としては、こうした玉虫色の表現によって、韓国に配慮した形で納得してもらおうと思ったのでしょうが、そうした善意は見事に裏切られたということです。
 石原氏も、河野談話は日本政府や日本軍が指示して強制的に慰安婦を集めたことを示すものではない、と明確に述べています。

 しかし現在では、韓国側は十数万人もの韓国女性が日本によって強制連行されたという、どう考えてもありもしないフィクションにまで話が膨らんでいます。

 維新の会の山田氏の質問に菅官房長官は、河野談話の元となった元慰安婦への聞き取り調査の検証を検討する、と答えました。

 このニュースが報じられると、韓国メディアは、あわてて「検証してはならない」と主張しました。
http://japanese.joins.com/article/113/182113.html?servcod...

 しかし、常に日本に対して「歴史を直視しろ」と言ってきたのですから、検証して白黒はっきりさせることは、韓国にとっても好ましいことであるはずです。歴史の真実が明らかになれば、政治家の「妄言」もなくなるでしょう。

 また日本人の方も、韓国がなぜあれほど慰安婦問題で日本を執拗にゆすりたかり、嫌がらせを続けているのかという、その背後について、よく検証する必要があります。

 2月27日の「週刊文春」では、慰安婦像を作った韓国人夫婦は、北朝鮮シンパの過激派だったこと、そして彼らの狙いをスクープしています。

 加えて、韓国史は古代から今日に至るまで、人類史に類例を見ない「性奴隷」国家だったという事実も知っておくべきです。ことに高麗朝から以後は、政府による「売春立国」政策が取られてきたのです。

 現在でも、世界中で韓国人売春婦が活動していることはよく知られています。韓国国内でも、「買売春」の規制をめぐって、政府と売春婦や業者の間でバトルが続いています。

 まさに世界で韓国の売春婦が暗躍する売春立国であるからこそ、そのコンプレックスの裏返しとして「慰安婦問題」にこれほどまでこだわるのかもしれません。

 結局、この慰安婦問題は、日本が情けをかけたら見事に仇で返されたという好例です。韓国が世界中に慰安婦像を建てようとするわ、大統領は告げ口外交するわと調子に乗った結果、とうとう日本人の堪忍袋が切れてしまいました。

 現在では、河野談話を見直すべきだという世論は、6割近くに達しています。この割合はますます増えていくでしょう。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 高校生の頃だったか、「赤線」のなくなった今、日本人が朝鮮に喜々として「妓生観光」「妓生ツアー」に行くという記事を新聞で読み、何とも情けなくなったことを思い出しています。
 勿論、「従軍慰安婦」なんて言葉は聞いたこともありませんでした。
 「まだ、できてなかった(そんな呼称はなかった)」んですね、その時は。
  1971年。昭和46年のことです。 
 70年安保、大阪万博の明くる年ですよ?

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気分が大事

2020年03月09日 | 重箱の隅
2014.01/31 (Fri)

 思いついたことを一つ。
 思いついただけです。だから今日は本当に薄味です。
 でも、実はこんな時こそ当人の心情が出て来るものです。

 私はいつも他人様の言葉を借りて、昔笑福亭釣瓶がやってた「突然ガバチョ!」の中の「いきなりにらめっこ!」の指摘マン「ワシもそう思う博士」みたいな尻馬に乗った言葉を発していますが、その際でも、私なりの根っこは動かないと自負しています。私なりの根っこ、それはこれまでにつくって来ただろう感性です。
 そして、その感性を「本当に日本人の感性だろうか?」と自問自答し続けるということは続けています。それは物を知らないおっさんの、絶対に譲れない、「最後の一線」、です。

 さて。
 キリスト教の教会、仏教の寺院、神道の神社、と、俗に「宗教施設」という呼称で一括りにされるものでも、それぞれに成立理由は違うものだから、趣もそれぞれに違います。
 教会は司祭が、天国、神の国について話をするところで、その建物は神の国である天上へ人々の目が向くように高くそびえたっている。尖塔を有するのがその特徴です。
 対して仏教の寺院はというと、極楽浄土というのは己が心の中にあるものだから別に天に向かう必要はない。
 却って心の中だから、と、寺院は空、天、ではなく心の中を見るように、と仏像を安置し内観を心掛けるために、修行の場(道場)の体裁をとる。

 では神道ではどうか。
 神社は元々社殿などはなかったというのは、御存じの通りです。神は「上」であって、上の方から光として降り注ぐ。だから、その光に照らされたものがそのまま神の依り代だったりする。(桃太郎が上から流れてくるのも同じかもしれませんね)
 勿論、光そのものが神です。キリスト教のように光があって影が生まれたというような相対的な発想はない。光だけ、です。それ故に鏡を神の依り代とすることが多いのでしょう。
 けれども鏡というものは光が当たらなければ光らない。そして光はいつもあるわけではない。光のない時はどうする。光がない時は「光あれ」と思う。これが「清明正直」でしょう。「清く明かく正しく直き」心です。常に前向きの心持ちです。
 そんな風にいつも光を、つまり、「上=神」を意識して生きる。それが神道であり、だから社殿はその象徴であるはずです。

 日本人はお寺と神社、どちらも大事に思うのが普通でしょう。だけれども、何となくその両者の建物に対して、同じ「大事」と思いながら、何だか違った印象というか、感情を持っていませんか?やっぱりここまで書いて来たように、お寺では自分を真面目に見詰めるような気分になって、神社ではただ何となく「有り難いな」と思うだけだったりしませんか?

 何にも考えない、いや考えられない。「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」と、以前ビートたけしが内宮へ参拝に行った番組で言ってました。
 厳粛な?(敬虔な?)気持ち?
 これこそが「かしこむ(かしこまる)」、だと思います。あれですよ、祝詞(のりと)のおしまいに出てくる「かしこみかしこみまをす(恐み恐み、または畏み畏み白す)」という決まり文句。畏(かしこ)まる気持ち。
 畏れ多いから、だらしない格好やだらしない、いい加減な気持ちでは向かえない。それをビートたけしは「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」と照れ隠しに言ったんじゃないかな、と私は今でも思っています。
 あ、脱線しました。

 戻ります。
 お寺を見た時と、社殿を見た時と、では、「感じ」、「思い」が違う。見ただけで、です。何故かしら感じるものが違う。空に向かう教会や、静かに瞑想しているかのようなお寺の建物。
 神社の社殿はそのどちらとも違う感じがある。
 何だろう。
 そう思っているうちに、「地にしっかりと立っては居るものの、空への高さも感じさせる、神社の社殿独特の形にあるんじゃないか」と気が付きました。

 神社独特の形。・・・なんて言って、そんな大袈裟なものじゃない。
 「千木」です。そして鰹木(勝男木)です。
 何という事もないもの。本来は屋根の始めになる棟にX型に括りつけられた木材の先端です。後にはわざわざX字型の大きな組み木をつくって、棟の上に実用の意味など全くないのに取り付ける。
 そしてこれまた、本来は屋根を葺いた萱などが風で飛ばぬように重石の代わりに括りつけられた丸太棒を実用の意味などないのに今でもわざわざ載せる。
 でも、このX字の組み木が、また、和太鼓の胴のような形をした勝男木が、見る者の心に大きく映るのではないか。

 大祓(おほはらへ)の祝詞に「~下つ磐根に宮柱太しき立て、高天原に千木高しりて~」とあります。
 「強固な岩のような地に太い宮の柱を立て、高天原に届くかのように千木を高く組んで~」ということは「地に足をしっかり踏みしめて、天にも届けよ、と立つ」、或いは「天壌無窮(天地に窮まりなし)」という、その形。
 早い話が、「弥栄えに栄える」という末広がりの心持ちを千木が表し、拡「散」せず、拡「充」の気持ちを勝男木が表す。千木と勝男木はその象徴ではないのか。

 こんなことをごちゃごちゃ書かなくたって、誰でも神社の社殿を見、同時に棟の上の千木や勝男木を目にしたら澄明な気を、清らかな気分を感じるのではないか。
 人の心の初め、というのはこんな単純なものなんじゃないでしょうか。
 そして
 「その感応力で、世の中を見る」。 


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有権者の動揺は国の動揺である。

2020年03月09日 | 心の持ち様
2016.01/08 (Fri)
 「51の益」のために、「49の我慢」をする。
 「性急なる有権者は、性急なる政治家を選ぶ。性急なる政治家とは、下準備の出来ない者である。大局に立てず、根回しを怠り、我慢が出来ない小物である。小物ばかりを選んでいては、国が傾くのは当然であろう。」

 あれから僅か三年足らずの月日しか経っていません。これは「夕刻の備忘録」からです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「顔色一つ変えずに親の仇と握手する」

        (略)

 あなたや私が政治家を目指さないのは、目指しても本物には成れないのは、「人の嫌がることが出来ないから」である。理不尽な我慢に耐えられないからである。
 政治家は、人の嫌がることをする仕事である。顔色一つ変えずに親の仇と握手する仕事である。
 思想的にも、性格的にも絶対に受け入れられない相手と膝詰めで話をし、書類にサインして笑顔で肩を抱き合う、そんな仕事である。

        (略)

 政治家は、「51の益」のために、「49の我慢」をする人である。普通の人間には、ここまでの我慢はできない。
 職種は違えど出来ぬ我慢をしているのは全く同じだ、同様のことをしていると、主張したい人も居るかもしれないが、それはその職業を選んだ段階で、それを長く続けている段階で、政治家の行う理不尽な我慢とは異なるのである。

 今日着任した大臣が、名前も顔も知らない官僚の不祥事に、頭を下げて記者会見をしなければならない。筋違いであれ理不尽であれ、謝るのが仕事である。 その我慢が政治である。
        (略)
 問題は、どれだけ我慢が出来る人物かということである。出来ぬ我慢をする人物か、痩せ我慢が何処まで出来る人物か、それが政治家選びの第一のポイントである。
        (略)
 「言いたいことを言って何が悪い」と嘯くような輩は、排除の筆頭である。「今日の日は、言いたいことも言わずに我慢をして、明日に備える」のが本物の政治家である。「今日言えることは、昨日から仕込済のもの」に限られるのである。昨日における明日が「今日である」、そんな下準備をした者だけに発言が許されるのである。
        (略)
 性急なる有権者は、性急なる政治家を選ぶ。
 性急なる政治家とは、下準備の出来ない者である。大局に立てず、根回しを怠り、我慢が出来ない小物である。
 小物ばかりを選んでいては、国が傾くのは当然であろう。志ある本物の政治家を排除して、小物の天国を作り、それに都だとか道だとか州だとかのトップの座を与えるつもりなのか。
 性急なる有権者は、落ち着きのない有権者である。狼狽した有権者である。有権者の動揺は国の動揺である。
 動揺した国家ほど、侵略に適した国は無い。侵略行為を呼び込むのは、偏にこの有権者の落ち着きの無さなのである。

             「我慢こそが政治である」
                 ~夕刻の備忘録より~

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 安倍政権になって、半年もたたない頃に書かれたブログからの部分転載でした。
 それから五ヶ月たって、改めて転載をした、その時にこんなことを書きました。
 ↓
 あれだけ熱望されていたのに、備忘録氏がこのエントリーを挙げられた時には、支持者はもう不満たらたらで、相当数が「もう辞めろ、すぐやめろ」と罵り始めていました。
 そうなると、これまで大して支持をしているとも思えなかった人々が、昨年までの政権に言っていたように「まだ、始まったばかりじゃないか」と言うかと思ったら、そんな声はちっとも聞こえてこない。
 なのに、「報道2001」なんか見てると、支持率は60%を常に超えている。テレビで流さないだけなんですね、支持者の声を。だからと言って、支持の様子に以前の強固さは見られない。

 やっぱり、標題のこと、
 「51の益」のために、「49の我慢」をする、ということをつい忘れてしまうんじゃないか。「顔色一つ変えずに親の仇と握手する」、のが政治家なんだ、ということを失念しているんじゃないか。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  そして今、再々度の転載です。
 あの頃、「是は是、非は非で」、ということが能く言われました。
 「人間なんだから、間違いはある。だから同じ国民として、間違いは正していかねば。信者になるのは良くない」、と。
 でも、是々非々の物差しは、となると、途端に曖昧になり、個々人に丸投げだった。
 そして何かあるたびに轟轟たる非難が巻き起こる。

 今回の慰安婦問題もそうですよね。あれは慰安婦問題単独、のことだったのか。
 そしてあの合意は「51の益、49の我慢」だったのか。
 それとも「49の益、51の我慢」だったのか。
 もっと言えば「損得」だったのか、「百年の計(国家の計画)」だったのか。

 我々は性急な有権者か。それとも悠長な有権者なのか。

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春分の日(春季皇霊祭)

2020年03月09日 | 日々の暮らし
2015.03/21 (Sat)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「春のお彼岸」、って言いますが、「秋のお彼岸」とセットですね。
 「彼岸」は仏教用語。
 「こちら側(此岸)」に対する「あちら側(彼岸)」。この世とあの世、です。
 春秋の二回、あの世からご先祖様が帰って来られるから、ということで春にはぼたもち(牡丹餅)、秋にはおはぎ(萩の餅)をつくってお供えする。
 当然、我々も後でご相伴にあずかる。

 食べ物のことは後付けだから、まあ、置いておくとして。
 「春秋は分かったけれど、じゃ、夏の『盆』はどうなんだ??」、となるのが普通です。春夏秋と御先祖様が帰って来て、冬は、寒いからご先祖様はあの世で冬眠??・・・まさか。

 結局何度も間違ったことを書きまくった結果、到達したのは、「春秋の『彼岸』は仏教からではなく、日本古来の農事の在り方からできたもので、本来は『日願』だった」
ということでした。
 春、昼夜の長さが同じになる日を境に農事が本格化する。秋、昼夜の長さが同じになる日を境に農事が終了する。
 「日願」は、「日」に農作のうまくいくことを願い、「日」に農作のうまくいったことを感謝する祭りです。いずれも太陽に願い、太陽に感謝する。(願をかけ、願を解く)
 太陽だけではなく、その祈りは、ごく自然に御先祖様、氏神様、そして太陽神天照大神に向けられる。道理でしょう?だから「日願」。
 
 ついでに、新年のこと。
 新しい命の始まり、ということで、この日から新しい年が始まる、「早く新しい日が昇って下さい」、というお祈りをする、そういう祭もあります。
 「新しい日を待つ」→「日待ち」→「日待ちの祀り」→「日待ち祭り」→「火祭り」
 ・・・・・ね?
 全国で行われる様々な「火祭り」は、みんな根っこは新しい命(=日)の誕生を祈る、待つものでしょう?個々人ではありません、「国」の、新しい命です。
 天照大神の「天岩戸隠れ」も、火を焚いて天界を真昼のように明るくして八百万の神々がみんなで、天照大神をだまくらかして、出て来てもらったんでした。

 そういうわけで、農事に重ねて春秋の「彼岸」を祀る国民に合わせ、太陽神天照大神を祖先神とする皇室は、民草がお天道様、氏神様、御先祖様、と並べて祀るように、祖先神天照大神と代々の天皇を祀ることにした。
 これは素晴らしいことです。
 上意下達、じゃない。民草を見て、天皇も同じようにすることにした。
 それが春秋の皇霊祭です。
 「皇霊祭」、ということで「祭日」にしてありますが、我々国民は単純に 「お彼岸だね~」と言って、墓参りに行ったり、ぼたもちをつくって供えたりすればいい。
 そして、皇室でも同じように、春秋、124代の天皇をお祀りされるんだな、と思っていればいい。

 でしょう?
 陛下はいつも、「国民と共にありたい」と仰ってるんですから。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 はい!これは昨年の日記の再掲でした。
 毎年二回、同じような内容のことを書くんですが、毎回訂正ばかりしています。
 で、この、昨年の日記がやっと定稿、と言いますか。

 戦前の春季皇霊祭が、戦後の新しい祝日法のせいで、国の「祭日」にできなくなってしまった。そのため、本来の「農事」に係わる「日願」→「ひがん(彼岸)」として祭日にしようとしたんでしょうね、きっと。
 けど、今度は「彼岸、なんて仏教だろう?信教の自由はどうなる!」と文句をつける人が出たことは想像に難くない。
 で、「う~ん、もう!五月蠅いやっちゃなァ~。そやったらそのまんま春分、秋分にしたらええやないか!休日はあった方がええやろ!」と。
 関西弁で言ったかどうかは知りませんけど。

 でも、祝日法に関してはこんなやり取りが、いや、本当はもっと深刻に、時には殴り合わんばかりの論争があったんです。建国記念「の」日、なんてのは、その最たるものでしょう。
 戦前の日本を完全否定するために行われた(行われ続けている)のが「戦後レジーム(戦後体制)」或いは「YP体制」と言われるものです。
 祝日法もその一つなんですから、その元をしっかり見ようとしなければ、戦後レジームの目的である「日本解体」のレールに簡単に乗ってしまうことになる。

 「ま~た、大袈裟なことを。被害妄想か?」なんて、笑ってるでしょ!至って冷静です。ホント。


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