以前に書いた「千葉周作の一夜免許」の日記を転載しておきます。
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2010.07/14 (Wed)
有名な話ですから、御存知の方もあるかと思いますが。
或る晩、千葉道場に不意の来客があった。
何者かと、会って見ると、いきなり、明後日までに剣術の極意を授けて欲しい、と言う。一体、どうして、そんな無茶を言うのか、と問うと、その男が、「実は~」と語り始めたのは、こんな内容だった。
《主人の使いで、すっかり夜になった町はずれを歩いていると、辻斬りに出会った。
もはや、これまで、とは思いながらも、「自分は主人の使いの途中であるから、今、討たれるわけにはいかない。何とか一両日待ってほしい」と頼み込んでみた。
すると、「言う通りならば待ってやろう、しかし、もし約束を違えるようならば、必ず、捜し出して討ち果たす故、そのつもりで居れ」、との返事。》
「拾った命です。しかし、自分とて武士の端くれ。剣術の腕は全く、ではあるけれど、無様な死に様はしたくない。せめて、見事に死んで見せようと思い、先生の御高名を思い出し、失礼とは思いつつ、参上致しました。なにとぞ、よろしくご教導下さい」、と必死の形相で懇願する。
しばらく考えていた千葉周作は、
「よく分かりました。それならば、明晩、身の回りのことを全て片付け、改めて当方へ参られよ」
と、極意を授けることを、約束してしまいます。
一晩で剣術の極意を授ける?
以前に「ギターを一週間で弾ける様になる、なんて無理」と書いたのですが、さすが天下の名人、千葉周作。たった一晩で教える剣の極意。そんなことが可能か?
個人の感想は置き。
翌日、約束どおり、全てを片付け、件の男が、千葉周作のもとへ、やって来ました。
では、と周作が教えたのは。
「一夜で、相手を倒すなどという、達者になることはできない。しかし、幸いなことに貴方は『見事に死にたい』と決心された。貴方にその覚悟があるのなら、相打ちになる法を教えましょう。」
「まず、大上段に構える。そして目を閉じる。そうやって神経を研ぎ澄ましていれば、身体のどこかがヒヤリとする。その時、同時に刀を振り下ろしなさい。」
周作はこれだけ教えました。上段、ではなく、大上段、です。目は開けない。気持ちが乱れるから。ヒヤリとする。これは第六感です。
切り間に入って切り込んだ時、必ず相手も又、自身の身を、こちらの切り間に入れることになる。ヒヤリとした時には切られている筈だから、それに合わせて上段から振り下ろしたならば、相手にも致命傷を負わせることができる。
千葉周作は、さすがに当時、江戸では一、二を争うといわれた名人。それだけのことを読み取って教えたのです。
翌日。
千葉の下へ、あの武士がやって来ました。生きているということは、切られなかったということです。
「先生のお教えの通り、大上段に構え、目を閉じて、ヒヤリとするのをひたすら待ちました。ところが、いつまでたってもヒヤリとしません。それでも、目を開けては成らぬ、と思い、待っていましたら、辻斬りが『よほどつかえる』と呟いて、離れていく気配がしました。目を開けると誰もいませんでした。狐につままれたようですが、死なずに済みました。」
それを聞いて、千葉は「剣の極意は遂に相打ちである」と言い、大笑した、ということです。
さて。
この有名な話は、作り話です。千葉の教授能力の高さをあらわすためのものです。これが作り話であることは、或る武術家が平易に、しかし適切に論証しています。実際、よく見るとおかしなことだらけです。
辻斬りが相手に猶予を与えますか?約束通り、切られに戻ってくる時、必ず一人で来る、という保証はありますか?第一、戻って来ますか?わざわざ切られに?切られて「天晴れな奴」と誰かが言いますか?
「武士というのは名を大事にするのではないか」と思った人。相手は辻斬りですよ。辻斬りは当時でも犯罪です。返り討ちは名誉であっても、切られることは武士の名折れ、でしかありません。逃れたってそしられるわけではない。却ってその方が良い。
大上段に構えて目をつぶる。
辻斬りをしようかというほどの者ならば、いくらかは腕に覚えがあります。いくらかは腕に覚えがある者なら、相手の構えから相手の技量をはかるくらいは、容易に、できます。いくら形を執って見せても、それが付け焼刃か、本物か、くらいは、一瞬のうちに見分けることができます。
そんな腕前の者が、「よほどできる」と独り言ちて、切るのを諦めてしまうくらいの見事な構えを、たとえ千葉周作が不世出の名人であったとしても、一晩で教えることができる、と思いますか?ましてや、この男は「剣術は全く駄目」だったのですよ?
さらには、再び、切られる予定の場に戻って、「よほどつかえる」と言われるまでの間の、全ての挙動に見られる筈の隙はどうやって隠したのでしょうか。
千葉の教えたのは、「相打ちの仕方」、ではあったけれども、目をつぶらせた時点で、実はあり得ない話だということが分かります。でも、現実に起こり得るかのような話ですね。それでも、言いましょう。
有名な話ですから、御存知の方もあるかと思いますが。
或る晩、千葉道場に不意の来客があった。
何者かと、会って見ると、いきなり、明後日までに剣術の極意を授けて欲しい、と言う。一体、どうして、そんな無茶を言うのか、と問うと、その男が、「実は~」と語り始めたのは、こんな内容だった。
《主人の使いで、すっかり夜になった町はずれを歩いていると、辻斬りに出会った。
もはや、これまで、とは思いながらも、「自分は主人の使いの途中であるから、今、討たれるわけにはいかない。何とか一両日待ってほしい」と頼み込んでみた。
すると、「言う通りならば待ってやろう、しかし、もし約束を違えるようならば、必ず、捜し出して討ち果たす故、そのつもりで居れ」、との返事。》
「拾った命です。しかし、自分とて武士の端くれ。剣術の腕は全く、ではあるけれど、無様な死に様はしたくない。せめて、見事に死んで見せようと思い、先生の御高名を思い出し、失礼とは思いつつ、参上致しました。なにとぞ、よろしくご教導下さい」、と必死の形相で懇願する。
しばらく考えていた千葉周作は、
「よく分かりました。それならば、明晩、身の回りのことを全て片付け、改めて当方へ参られよ」
と、極意を授けることを、約束してしまいます。
一晩で剣術の極意を授ける?
以前に「ギターを一週間で弾ける様になる、なんて無理」と書いたのですが、さすが天下の名人、千葉周作。たった一晩で教える剣の極意。そんなことが可能か?
個人の感想は置き。
翌日、約束どおり、全てを片付け、件の男が、千葉周作のもとへ、やって来ました。
では、と周作が教えたのは。
「一夜で、相手を倒すなどという、達者になることはできない。しかし、幸いなことに貴方は『見事に死にたい』と決心された。貴方にその覚悟があるのなら、相打ちになる法を教えましょう。」
「まず、大上段に構える。そして目を閉じる。そうやって神経を研ぎ澄ましていれば、身体のどこかがヒヤリとする。その時、同時に刀を振り下ろしなさい。」
周作はこれだけ教えました。上段、ではなく、大上段、です。目は開けない。気持ちが乱れるから。ヒヤリとする。これは第六感です。
切り間に入って切り込んだ時、必ず相手も又、自身の身を、こちらの切り間に入れることになる。ヒヤリとした時には切られている筈だから、それに合わせて上段から振り下ろしたならば、相手にも致命傷を負わせることができる。
千葉周作は、さすがに当時、江戸では一、二を争うといわれた名人。それだけのことを読み取って教えたのです。
翌日。
千葉の下へ、あの武士がやって来ました。生きているということは、切られなかったということです。
「先生のお教えの通り、大上段に構え、目を閉じて、ヒヤリとするのをひたすら待ちました。ところが、いつまでたってもヒヤリとしません。それでも、目を開けては成らぬ、と思い、待っていましたら、辻斬りが『よほどつかえる』と呟いて、離れていく気配がしました。目を開けると誰もいませんでした。狐につままれたようですが、死なずに済みました。」
それを聞いて、千葉は「剣の極意は遂に相打ちである」と言い、大笑した、ということです。
さて。
この有名な話は、作り話です。千葉の教授能力の高さをあらわすためのものです。これが作り話であることは、或る武術家が平易に、しかし適切に論証しています。実際、よく見るとおかしなことだらけです。
辻斬りが相手に猶予を与えますか?約束通り、切られに戻ってくる時、必ず一人で来る、という保証はありますか?第一、戻って来ますか?わざわざ切られに?切られて「天晴れな奴」と誰かが言いますか?
「武士というのは名を大事にするのではないか」と思った人。相手は辻斬りですよ。辻斬りは当時でも犯罪です。返り討ちは名誉であっても、切られることは武士の名折れ、でしかありません。逃れたってそしられるわけではない。却ってその方が良い。
大上段に構えて目をつぶる。
辻斬りをしようかというほどの者ならば、いくらかは腕に覚えがあります。いくらかは腕に覚えがある者なら、相手の構えから相手の技量をはかるくらいは、容易に、できます。いくら形を執って見せても、それが付け焼刃か、本物か、くらいは、一瞬のうちに見分けることができます。
そんな腕前の者が、「よほどできる」と独り言ちて、切るのを諦めてしまうくらいの見事な構えを、たとえ千葉周作が不世出の名人であったとしても、一晩で教えることができる、と思いますか?ましてや、この男は「剣術は全く駄目」だったのですよ?
さらには、再び、切られる予定の場に戻って、「よほどつかえる」と言われるまでの間の、全ての挙動に見られる筈の隙はどうやって隠したのでしょうか。
千葉の教えたのは、「相打ちの仕方」、ではあったけれども、目をつぶらせた時点で、実はあり得ない話だということが分かります。でも、現実に起こり得るかのような話ですね。それでも、言いましょう。
これは剣術を、いや、武術をよく知らない者の、能天気な作り話です。
「一週間でギターは弾けない」「一夜で極意を、なんてあり得ない」
「一週間でギターは弾けない」「一夜で極意を、なんてあり得ない」