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ただの日記

chinaの拱手。朝鮮のコンス(朝鮮式拱手) 分かる⑥

2020年03月13日 | 重箱の隅
2017.03/11 (Sat)

 どっちも拝礼の形であることに間違いはないが、「神に」ではなく、生き神(自国限定)であるところの、皇帝や、国王に向けてのものであるから、日本の「拝礼」とは違ったものになるのは当然だろう。

 「拱手」とは「手を拱(こまね)く」、「胸の前で指を組む」ということだそうで、指を組んでいれば何もできない、ということから、転じて「手出しをしない」、という意味も持つようになった、とある。だから少なくとも拱手礼は胸の高さまで手を挙げるのが基本の礼式だということになる。
 そうなると、敬する相手に対し、低い位置(腹)に手を置き、更には両手を見せているのは拱手ではない。
 つまり、朝鮮の「腹の前で手を重ね、両肘を張る」のは、正しい「コンス」ではない。「コンス」は「拱手」の朝鮮読みなのだから、正しいどころか、全くコンスでさえ、ない、と言える。

 他人に裸を見せるのは今でも下品なこととされているが、両手も含めて、昔はできる限り身体(肌)を隠すのは常識であったし、儒教の国なら猶更のことであったろう。(日本だって裸になるのはみそぎの時だけで、みそぎを終えたら顔以外は露出しなかった)
 大体が、握手する時、肘に左手を添えたり、何かを飲む時に空いた手で口元を隠すなどというのと同じで、仏作って魂入れず、その本意(肝腎な心の持ち様)がすっかり忘れ去られ、ないがしろにされていることの方がおかしいのだ。
 左手を右肘に持ってくるのは衣の袖が邪魔になるからであり、洋服では無意味な動作になる。美しくもなんともない。
 また、貴人の前では飲み食い自体すべきではないのだ。前に出ることだけでも畏れ多いわけだから、その前で飲み食いなどをしようという発想自体があり得ない。全く真心の籠ってない、形だけの礼式だというしかない。

 そう考えると、以前に話題になった「朝鮮(式)コンス(拱手)」が日本で蔓延している、というのは、正確に言えば「ありもしない礼式が、あたかも日本本来の礼式であったかの如くに、まことしやかに広められている」ということになる。
 あれは酷い。イオンだけじゃない。今やっている朝のテレビ小説で、百貨店の販売員、脚はミスコンテストで、手は朝鮮式コンス。何なんだろう、この違和感。
 VANの石津謙介氏をモデルにしたらしい、岩佐栄輔が、いつもズボンのポケットに手を突っ込んでいるのは、石津氏の作り出したイメージのままだな、と思ったけど。 脱線。

 何だか似た仕組みの話があったな。
 「あれは慰安婦像なんかじゃない。ましてや少女像ではない」
 「(少女の慰安婦が居たということ自体、詐話なのだから)あれは虚偽の慰安婦像と呼ぶべき」。
 最近、「あれはただ、反日像、と言った方が良い」と書かれたものがあったけれど、成程と思った。
 相手の説明不足、誤認を、一々こちらが気を利かせて良いように解釈し、或いは説明し直す、なんてことしたって、相手にそれを理解したり感じ取ったりする能力がなければ、結果はどうなるか、考えるまでもない。元々、少女の慰安婦などという実態はなかったのだ。
 新聞に「平和の少女像」として、抗議のためにつくられたと書き立てられた時、何故少女なのか、と思った。「慰安婦には十四歳くらいの少女も混じっていた、という」と書かれてあったように記憶している。信じられなかった。でも、新聞に書かれていることだ、噓ではあるまい。そう思った。何とも情けなかった。
 慰安所があったことは戦記物が好きで能く読んでいたから知っていたが、そしてそこでは日本人の慰安婦は士官以上の相手をすることが多く、普通の兵隊は朝鮮人慰安婦が多かった、とあった。朝鮮人慰安婦はがさつで評判は悪かったが、男女のことだから仕方がなかった、とも。
 
 最近になって「『少女』というのは、都市伝説のようなものだ」という文言を目にした。「都市伝説」?
 「元慰安婦の話を聞いてみると、その年齢から計算すると、慰安婦になったのは12~14歳くらいだったと考えられる。ひどい!日本人というやつはなんてひどいんだ」ということになってしまう。冷静に考えれば、本人が実年齢を胡麻化しているか、それ以前に日本軍の慰安婦ではなかったのでは、という疑問がすぐ浮かんでくる。
 それを聞くと、「慰安婦だった私が言ってるんだから、間違いない。証拠は私だ」。
 「私が東大卒だと言ってるんだから間違いない。証拠は私だ」、とどこが違うんだろう。
 「ヘリコプターに乗せられて連れて行かれた」「ジープに乗せられて~」「兵隊はジッパーを下すだけだった」
 当時、日本にヘリコプターはない。ジープは日本にはない。兵隊のズボンである「軍袴(ぐんこ)」はボタン留め。
 対象は明らかに米軍なのに、「日本軍に」の一言で、「その年齢から計算すると、慰安婦になったのは12~14歳くらいだったと考えられる」。
 初めから日本軍相手、と決めつけて、彼女らの年齢から逆算する。結果、12~14歳。で、「日本ひどい!」なんともはや。確かに都市伝説だ。それが独り歩きする。
 裏打ちをしたのが福島瑞穂を初めとする国会議員や弁護士。そして、新聞記者。
 「弁護士や事実、真実を伝える新聞記者が、嘘をつくはずはない!」
 そこに朝鮮が乗っかって、この都市伝説を教科書に載せて事実として教える。

 こんなのに、「理を尽くして、説こう」、なんてのが、どだい無理な話なのだ。こんなとんでもない裏打ちがされてある上に、彼らには「理」(理解能力)がないのだから。
 ありもしない朝鮮(式)コンス。今、これもまた日本に実害を及ぼしつつある。
 食い止める方法は「最大の努力で最小(精髄)の結果」、だろう。
 神社に参拝する。華道や茶道を習う。由緒正しい古流武術を学ぶ。所作の習得を伴う伝統的な物事ならいくらでもある。
 これを習わずして、ネットでの知識だけを用いて何とかしよう、と考えるのは危険だ。
 ネット情報よりも、まずは自分の身体、目、耳、触感などを研ぐこと。
 決まりきった所作を最低でも数十回、数百回、繰り返してみるべきだろう。そこから見えてくるものがある筈だ。

 「小笠原流ではこうだ、と書かれていた」と、一考もせず信じる前に、やるべきことがある。(・・・と思うけど、違うかな?)。



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「拝礼」  (分かる⑤)

2020年03月13日 | 重箱の隅
2017.03/10 (Fri)

 神戸に戻って来てから、早朝散歩時に地元の産土神(と言っても、ご祭神は天忍穂耳命、とあったけど)の社に参拝している。
 郷里の石見八幡宮に参拝していたのと同じことをしているわけだから、四、五年になるか。
 
 雨が降らなければ往復五千歩ほどを早足で歩く。
 作法通り、鳥居の前で一礼。毎朝、アイロンをかけたハンカチか手拭いを持って手水を遣い、神前で自分ルールで一礼。
 それから二拝二拍手一拝。二拍手後の一拝の時、胸の裡で決めた文言を呟く。
 さらに一礼して、数歩戻った石灯籠のところで向き直り、一礼。
 鳥居まで戻って一礼。帰途に就く。

 神社の石段を上るところから帰るところまで、決まりきったことを毎回繰り返しているのだが、やっているうちに色々な雑念というか違和感のようなものが湧いてくる。
 手を拍つ時の、掌のずらし具合い。拍手の音。上体の倒し加減。
 参道を歩いている時の姿勢。視線。腕の位置。拝礼時の手の位置。脇の締め具合。ただ「清明正直(せいめいしょうちょく)」を以て拝礼すれば良いのに、これらが気になって、なかなか祓い切れない。

 しかしこれが、ここまで書いてきたように「形から入るしかない」ということなのだから、「これらが気になって、なかなか祓い切れない」というのは、(形ですらなっていないのだから)「清明正直」のすがた(容。容器)なんかできてない、ということだ。
 逆に考えれば、これら、気になっていることを、一つ一つ自身の思い通りの形にしていけば(直していけば)、「清明正直」という「見えないもの」を「感じる」ことができるようになる、その下拵えができる、ということではないか。

 そう思って、年明けからは特に気を付けてやってみるようにしてきた。
 そうすると、日本の「拝礼」や「立礼」と、chinaの「拱手礼」、朝鮮の「コンス(拱手)」等はどうも全く違うものなのではないか、と感じるようになってきた。

 拝礼をする。
 祝詞を奏上するのが前提、と考えたら、手に何も持っていない場合、両手はどうなるのか。
 一般的に日本の立礼は、上体はまっすぐのままで腰から前傾させる。その際、両手は身体に付けたまま自然にすらせて下す。
 そうすれば脇があくことはない。
 しかし、神前でそのようにすると、妙に違和感がある。腹を据えて行うものだから、両手をすらせて下すと、胸をすぼめる形になってしまう。
 畏れ入る、畏まる、のは分かるが、一身をかけて参拝するのだ。腹を据え、胸を張ってもっと堂々と行うべきではないか。
 何故、そういう形になるのだろうと考えてみた。
 で、思いついたのは、「日本は、本来、(かかとを合わせる)立礼をしない」ということだった。

 「立礼」は新しい。本来の礼式は「座礼」だ。正座での礼が基本にあって、立礼はその応用型と考えられる。
 「座礼」では上体を前に倒すのに併せて両手を体側から前にすべらせ、上体が床と平行になった時、両手の親指と人差し指で作った三角形のなかに自分の鼻が入るような形にする。これが一番美しく、自然な形になる。
 これを立ったままですると、両手が体側から正面の膝近くまで下ろされることになる。勿論、鼻は遠く離れている。

 本来、日本人は「気を付け」の姿勢を取らなかった。西洋式に両のかかとを合わせて直立するのではなく、左右の足を肩幅程度に開いた逆八の字立ちで、そのまま会釈する。深々と頭を下げることはしない。古来からの礼法と、小笠原流に見られる礼法とは違うわけだ。今、一般的に行われている小笠原流と言われる立礼は、だから、座礼を基に考案されたのではないか、と考えるのが自然だと思う。

 さてそうなると、神前での拝礼と日常の小笠原流と言われる立礼とは決して同じものにはならないだろう、ということにならないか。
 日常の丁寧なお辞儀は上体を60度くらい倒すのだから、手は体側をすべらせて前に持ってくると中途半端な位置で止まることになる。神前での拝礼は90度近くまで倒すから手を下すより脚の付け根で留めて置く方が形が定まり易い。
 それならいっそ普通の立礼も座礼のお辞儀と同じく、両手は脚の付け根に置き、両脇を締めたまま上体を倒す、というのが一番納まりが良く、美しく見えるのではないかと思う。

 今でも鮮やかに思い出せるのは、ルバング島から帰ってきた小野田少尉が故郷の小野田神社(宇賀部神社)に参拝された時の最敬礼だ。
 60度くらい上体を倒して、しかし、両腕はすらせて下すことなく、しっかりと体側につけられていた。

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