2011.05/26 (Thu)
長い日記を書くのは、一面では疲れるけれど、一面随分楽です。
体力的には疲れる。しかし、考えなくて済む。思いついたことをでれでれと書いているだけですから。
・・・・こういう書き方を自虐的、と言うんでしょうか。いや、偽悪趣味、ですね。
或る高名な文学者は
「今日は時間がないので、長い手紙になります」
という書き出しで、実際長い手紙を書いたと言います。
推敲する時間がないので書き散らしますよ、ということなんでしょう。
そんな人と比べる気は、当然、ありません。
実は、先日来、菅総理の動向について書きたいことが色々あったんです。
それが書けない。どうしても書けない。
・「同じことの繰り返しになるだろう」と思うからか。
・「あんまりくだらないので、書くだけ時間の無駄」と思うからか。
・「ただの悪口雑言になるだろうことが見えている」からか。
・「書いた後に、充実感でなく倦怠感が残るだろう」と思うからか。
・・・・・なんて、これは今思いついたことを羅列して見ただけなんですけどね。
本当のところは、この「色々ある書きたいこと」の糸を手繰って、それぞれのつながり具合から菅総理の本質に迫りたい、と思っていた。冗談じゃなくって。
「身の程知らずめ!お前は一体何様だ!?」って?
当然、「一人の日本人」です。
おとといは一日ぼんやりと「物思いに耽る」中年晩期のおっさん。
昨日は無力感に囚われ、酒を呑んで早寝をし、「夜中に喉が渇いて起きる」おっさん、になってました。
そして今朝、ブログランキングを見て
「あ!また転落してる!」と落ち込むことで日記を書く決心がつきました。
・・・・・・ウソです。(「また、転落した!」のはホントです。)
しかし、もはや「ただのおっさん」ではない。
「今が一番若い」、一人の日本人。
自分がどうしようもない難問を抱えて「世界で一番不幸!」みたいな気になった人が山に登るとする。(山に登るか?そんな人が?)
登ってみたら雄大な景色の中で、ちっぽけな「己」という人物を実感すると同時に、そのちっぽけな自分の不幸なんて、ちっぽけなものなんだと発見する。
長い日記を書くのは、一面では疲れるけれど、一面随分楽です。
体力的には疲れる。しかし、考えなくて済む。思いついたことをでれでれと書いているだけですから。
・・・・こういう書き方を自虐的、と言うんでしょうか。いや、偽悪趣味、ですね。
或る高名な文学者は
「今日は時間がないので、長い手紙になります」
という書き出しで、実際長い手紙を書いたと言います。
推敲する時間がないので書き散らしますよ、ということなんでしょう。
そんな人と比べる気は、当然、ありません。
実は、先日来、菅総理の動向について書きたいことが色々あったんです。
それが書けない。どうしても書けない。
・「同じことの繰り返しになるだろう」と思うからか。
・「あんまりくだらないので、書くだけ時間の無駄」と思うからか。
・「ただの悪口雑言になるだろうことが見えている」からか。
・「書いた後に、充実感でなく倦怠感が残るだろう」と思うからか。
・・・・・なんて、これは今思いついたことを羅列して見ただけなんですけどね。
本当のところは、この「色々ある書きたいこと」の糸を手繰って、それぞれのつながり具合から菅総理の本質に迫りたい、と思っていた。冗談じゃなくって。
「身の程知らずめ!お前は一体何様だ!?」って?
当然、「一人の日本人」です。
おとといは一日ぼんやりと「物思いに耽る」中年晩期のおっさん。
昨日は無力感に囚われ、酒を呑んで早寝をし、「夜中に喉が渇いて起きる」おっさん、になってました。
そして今朝、ブログランキングを見て
「あ!また転落してる!」と落ち込むことで日記を書く決心がつきました。
・・・・・・ウソです。(「また、転落した!」のはホントです。)
しかし、もはや「ただのおっさん」ではない。
「今が一番若い」、一人の日本人。
自分がどうしようもない難問を抱えて「世界で一番不幸!」みたいな気になった人が山に登るとする。(山に登るか?そんな人が?)
登ってみたら雄大な景色の中で、ちっぽけな「己」という人物を実感すると同時に、そのちっぽけな自分の不幸なんて、ちっぽけなものなんだと発見する。
または、
何もかも嫌になって海に行く。砂浜で海に向かって大声で叫ぶ。
「ばかやろー」って。
(勿論、こだまはありません。こだまって「谺」と書く。海に谷はない)
そしてやっぱり、ちっぽけな自分を実感。
「何もかも嫌だ、なんて。ちっぽけなことを」・・・と。
中年晩期ですから、そういったようなことはしません。
年の功です。狡猾になっています。
「ばかやろー」って。
(勿論、こだまはありません。こだまって「谺」と書く。海に谷はない)
そしてやっぱり、ちっぽけな自分を実感。
「何もかも嫌だ、なんて。ちっぽけなことを」・・・と。
中年晩期ですから、そういったようなことはしません。
年の功です。狡猾になっています。
だから、答えは既に出ています、これを書き始めた時には。
答えはこれです。
「『色々ある書きたいこと』を手繰って菅総理の本質に迫る」。
これを棚上げする。
今、本質に迫るのは無駄なんです。
(さっき「任期一杯。あと二年やる」って、G8で言っていたそうですから。・・・やっぱり!!・・・「ばかやろーっ・・・」。あ、海に向かって叫んだんですからね。)
原発事故収束のための、「工程表の時間設定」と同じくらい、意味のないこと。
本質を掴むためにやらねばならないことは、一つ一つの事例を、「『本質を掴む』という目的を、『念頭に置きつつ解いていく』」、ということです。
それによって、でしか構造に入れないし、構造論に入らなければ、本質論は絵に描いた餅、のままです。
今、十分な件数の事例、その一つ一つを把握しているか。その上で手繰る糸を見出しているか。
十分、と思われるほどの件数の事例を、把握している、とは言えない。ましてや、手繰るための糸はとなると、更に怪しい。それじゃ、テレビ、新聞をはじめとする菅総理の「辞めるやめない」の理由付けを切り捨てることができない。
「身の程知らず」なんて、意地でも思わない。
答えはこれです。
「『色々ある書きたいこと』を手繰って菅総理の本質に迫る」。
これを棚上げする。
今、本質に迫るのは無駄なんです。
(さっき「任期一杯。あと二年やる」って、G8で言っていたそうですから。・・・やっぱり!!・・・「ばかやろーっ・・・」。あ、海に向かって叫んだんですからね。)
原発事故収束のための、「工程表の時間設定」と同じくらい、意味のないこと。
本質を掴むためにやらねばならないことは、一つ一つの事例を、「『本質を掴む』という目的を、『念頭に置きつつ解いていく』」、ということです。
それによって、でしか構造に入れないし、構造論に入らなければ、本質論は絵に描いた餅、のままです。
今、十分な件数の事例、その一つ一つを把握しているか。その上で手繰る糸を見出しているか。
十分、と思われるほどの件数の事例を、把握している、とは言えない。ましてや、手繰るための糸はとなると、更に怪しい。それじゃ、テレビ、新聞をはじめとする菅総理の「辞めるやめない」の理由付けを切り捨てることができない。
「身の程知らず」なんて、意地でも思わない。
けど「身の丈」は知らなきゃならない。
多くの事例を把握し、一つ一つ解いていけば、きっと「身の丈」も伸びるだろう。
多くの事例を把握し、一つ一つ解いていけば、きっと「身の丈」も伸びるだろう。