CubとSRと

ただの日記

宮崎正弘氏のメルマガから

2020年03月28日 | 重箱の隅
2015.04/01 (Wed)

 例の相当いかがわしい「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」のこと、ニュースでは随分採り上げられていますが、「ちょっと待て。冷静になれ」という識者も多いんじゃないでしょうか。
 その中の一人、宮崎正弘氏が氏のメルマガで論じられていましたので、それを転載してみようと思います。経済は疎い(経済も、でした)私のことですから、頓珍漢なことは書けませんので、転載だけにします。
 でも、マスメディア、特にテレビで流れるこのニュースを、こうやって文章で以て論じられたものと見比べると、どうもテレビニュースって軽薄過ぎるんじゃ??と思います。
 お喋りはここまで。では転載します。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015) 3月30日(月曜日) 
通巻第4500号(小誌4500号記念特大号) 
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 中国のアジアインフラ投資銀行への大いなる疑問
  本当の中国の狙いを誤解していないか
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 日本の国際情勢分析や論調はいつもおかしいが、今回の中国共産党主導の「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)に参加表明しない日本は選択を間違えているという、恐ろしくも正反対の議論が突出しており、ばかばかしいにも程があるという感想を抱く。そのまとめとして本稿を書く。

 第一に、中国が目ざす「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)なるものは「国際金融機関」ではなく中国共産党の世界戦略にもとづく「政治工作機関」であるという本質をまったく見ようともしない不思議である。

 第二に、あわよくば米国主導のブレトンウッズ体制(つまり世界銀行・IMF体制)に替わる中国主導の金融秩序構築を模索するものであること。すなわちドル基軸体制に真っ向から挑戦し、人民元基軸体制をアジアに構築しようという壮大な野心から生まれた、きわめて大風呂敷の構想であることである。

 第三に、この銀行を設立することは中国経済のひずみを解決するための出口でもあることだ。
すなわち余剰生産の鉄鋼、セメント、建材、石油副産物などの国内在庫を一斉するための吐き出し機関ともなりうるし、失業対策になやむ中国が諸外国にプロジェクトを持ちかけ、それをファイナンスすることによって大量の中国人失業者を海外へ送り出せるメリットがある。
 この点を吟味する分析が日本ではあまりにも少ない。


 ▼外貨準備世界一のトリック
 世界中が幻惑されたのは、中国の外貨準備が世界一という数字のトリックだった。
 中国の外貨準備は3兆4830億ドル(14年末)とされるが、ちょっと待った。CIA系シンクタンクの調査ではすでに「不正に外国へ持ち出された外貨」が3兆7800億ドルである。つまり表向き、あることになっている「外貨準備」、じつは底をついているのである。その証拠に中国は米国債の保有額を減らしている。日本がまもなく世界一の座を復活させるだろう(15年一月末で日中間の差は50億ドルしかない)。

 また中国の国家ファンドが保有した筈の日本株式はすでに売り払っているうえ、じつは中国は猛烈に海外から外貨を借りまくっている。外貨準備増加額より外国金融機関からの借り入れ額が上回っている。
 こうして不都合なデータを中国は巧妙に伏せていることに特大の注意が必要である。
 ところが、日欧のメディアはアジアインフラ投資銀行に対して過剰な評価をし始めた。IMFのラガルデ専務理事もADBの中尾武彦相殺も「協力できる可能性はあるかもしれない」などと発言のニュアンスが対立型から様変わり、日本の麻生財務相は「入らないと言っているわけではない」と融資条件や運用方法の透明性を問題視した。
 そう、「透明性」が最大の問題で、理事会に日欧が入り込む隙間のない独裁となるだろうから、融資条件の開示させない段階で加盟するなどというのは政治的発言か何か別の思惑があり、日欧の発言をよくよく吟味すれば「加盟しない」と発言しているのである。

 中国経済分析で世界的に有名なエリザベス・エコノミー女史は「はじめからお手並み拝見で、AIIBはAIIBと割り切って放置すれば良かった。米国の反対声明がかえって、中国の銀行設置に力を与えた」と皮肉る。
 もとより「アジアインフラ投資銀行」に英独仏伊が参加表明したため、豪、デンマークなど合計41ヶ国が参加することとなった(3月30日現在)。
 英紙「フィナンシャルタイムズ」は、米国オバマ政権に「失望」が広がっていると報道し(3月19日)、対照的に中国語の媒体は「英国の決断」などとし、同行に加わらない日米に冷淡な分析をしている。中国としては政治的得点になる。

 だから日本のマスコミはますまるおかしな論調となる。
 たとえば日本のイエローパーパー『日刊ゲンダイ』が、日本の立場を徹底的に批判し、中国主導のアジアインフラ投資銀行に参加表明したドイツ、フランス、イタリア、そして英国に先を越され、日本政府が無能ぶりを天下に曝したと報じたことが、中国メディアは嬉しくて仕方がないらしい。同紙が『日本の完敗』と書いたことがよほど気に召したらしいのだ。


 ▼英国のホントの参加理由はシティ・ルールが守られるのか、どうかだ
 もうすこし状況を把握してみよう。
 英国の思惑は次の三点に集中している。
 第一はMI6という情報機関をほこる英国にはそれなりのインテリジェンス戦略から発想される政治的計算がある。英国にとってAIIBに加盟を表明しないことには情報が得られない。その高度の情報を同盟国である米国に提供できる。
 そもそも世界金融を差配しているのはウォール街である。そのウォール街の論理はグローバリズムであり、そのルールを決めているのは英国のシティである。
 英米がシティ・ルールを破壊するような行為に中国がでれば、いつまでも協力的態度をつづけるか、どうか。

 第二に加盟国となれば、AIIBの規則や条件に英国が(独仏伊豪も)注文や条件を付けられる。つまりシティのルールを尊重してくれるのか、どうか。欧米が警戒するニカラグア運河への投資なども、中国の貯湯妄信的融資には激しく反対することになるだろう。

 第三が「ウィンブルトン方式」である。英国はすでに二年前からシティにおける人民元取引をみとめ、同時に中国国債も取引されている。おなじくフランクフルト市場でも。これは「ウィンブルトン方式」と言われ、市場関係者からみれば「貸し会場ビジネス」である。つまり有名なテニスの世界大会を開催し、たとえイギリス選手の活躍がなくとも、集まってくる人々(外国籍の)が落とすカネが魅力であるという意味である。

 こうした文脈からいえば英国のアジアインフラ投資銀行に参加表明も、そこにシティとしてのビジネス拡大の可能性を見たからであり、対米非協力への傾斜という政治的思惑は薄い。
 ならば独仏など「ユーロ」加盟国の反応はどうか。
 ユーロを主導するドイツは、これが人民元市場ではないことを見抜いた。イタリアとフランスの参加表明はユーロが米ドルよりも強くなれば良いという斜に構えた動機であり、また加盟すれば幾ばくかの情報が取れるという打算に基づく政治的行動だろう。


 ▼アジアの資金渇望を中国は巧みに衝いた
 さて米国は嘗て宮沢政権のおりに、日本が設立を目指したAMF(アジア通貨基金)を構想の段階で横合いから強引に潰したように、中国主導のドル基軸に挑戦するような国際機関の動きには警戒している。

 基本的動機は戦後の世界経済を牛耳るブレトンウッズ体制(つまり世界銀行・IMF体制)に中国が挑戦してきたと認識が強かったからである。しかし米国は中国の動きを牽制したが、潰そうとはしなかった。それだけ日本は押さえ込める自信があっても、中国を制御する政治力は、もはや米国にはないということでもある。
 繰り返すが中国がアジアインフラ投資銀行を設立する思惑は(1)人民元の拡大と(2)アジアにおける人民元の覇権、(3)中国主導のアジア経済訂正の確立という、金融帝国主義であり、南シナ海での侵略行為によって四面楚歌となった政治状況を、カネを武器に主導権の回復を狙うものである。

 インフラ整備の資金調達になやむアセアン諸国ならびにインド経済圏は喉から手が出るほど欲しい資金を中国が供与してくれるのなら政治的行動は抑える。露骨なのはカンボジア、ラオス、タイ、インドネシアなどだ。つまり反中国でまとまりつつあったアセアンの団結への動きを、中国はみごとに攪乱しているのだ。
 だが裏側はどうか。
 この新銀行は貸し付け条件も金利の策定方法も、審査方法もまったく白紙の状態であり、基本的に銀行のガバナンスを知らない国が国際銀行業務をスムースに展開できるのか、どうかが疑問視されている。
  つまり日本が経済制裁をしている北朝鮮への融資を中国が勝手に決めた場合などが早くも想定され、強く懸念される。

 アジア諸国の港湾浚渫など整備プロジェクトや鉄道輸送に力点をおいた融資を行うだろうが、それはアジアにおける中国の軍事戦略「真珠の首飾り」を実行するための経済面からの補完手段である。港湾を中国は将来の原潜や空母寄港地として利用する魂胆も見え透いていないか。


 ▼アジアインフラ投資銀行に参加表明しないのが得策だ
 AIIBにはいくつかの致命的欠陥がある。
 第一に人民元の拡大を狙う同行の資本金が米ドル建てという不条理に対して納得できる説明はない。くわえて同行の本店ビルは北京で建設が始まったばかりで、どう最速に見積もっても2017年度ごろに完成である。

 第二に資本金振り込みにも至っておらず、拙速の開業があっても2016年、そのころに中国の外貨準備が潤沢のママであろうか?

 第三に中国の外貨準備が激しい勢いで減速しており、いずれ資本金振り込みさえ怪しい雲行きとなりそうなことに誰も懸念を表明しないことは面妖というほかはない。

 いずれアジアインフラ投資銀行は空中分解か、最初の貸し付けが焦げ付き、増資を繰り返しながらの低空飛行となるだろう。日本は歯牙にもかける必要がないのである。
 そして設立まではやくも不協和音が鳴っている。ロシアは参加表明をしない方向で検討していた事実が浮かんだのである(多維新聞網、3月26日)。
 ロシアのセルゲイ・ストルチャク財務副大臣は「ロシアは過去一貫して米国の金融支配に反対し、新しい国際機関の設立を呼びかけてきたので、AIIBの主旨には賛同する。しかしながら、この新組織にロシアが加盟するかどうかは未定である」と記者会見した。

 第一に中国主導の度合いは拒否権に象徴されるが、ロシアが中国の風下に立つ積もりはない。
 第二に英独仏など西側が加盟すると、ウクライナ問題でロシア制裁中のかれらが、ロシアの要望する融資案件には反対にまわるに違いない。ロシアは原油価格暴落以後、多くのプロジェクトが足踏み状態にあり、資金重要が強いが、逆に英独仏が対ロ融資に反対すれば、ロシアが加盟する意味がない。
 第三に大国の政治力は単に金融力でははかれず、ロシアは軍事大国であり、その矜持がある。ロシアと中国の絆は軍事、政治的結びつきが強く、金融面での協力関係はそれほど重要とは言えない。
 とはいうもののロシアは現在14の飛行場を建設中のほか、160キロの地下鉄、ハイウェイなど160件のプロジェクトを推進もしくは計画中で、2000億米ドルが必要と見つもられている。

 さらにややこしい問題はロシアが一方で期待する「BRICS銀行」にしてもブラジル、インドより、ロシアのGDP成長は遅れており、そもそもロシアとブラジルは原資負担にも追いつけない状況となってしまった。BRICS銀行も設立そのものが危ぶまれ始めている。
        
               (転載了)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「外貨準備高は実は底を衝いている」
 とか
 「日本株式は既に売り払っている」
 とか
 「外国から資金を借りまくっている」
 だとか。
 ものごと、悪いところを数え上げればきりがないけれど、それにしても「程度」ってもんがあるでしょうに。
 いきなりの設立表明といい、総裁はシナ、本部は北京、各国の常駐委員会はつくらない(決定を早くするため)、なんて・・・・。
 下心があれば、もっと上手に立ち回る筈なんですが。
 「こんなあからさまにやるってのは、実は悪い国じゃないんじゃない?ホントはみんなの幸せを思って身銭を切ってやってるのかもしれないね」

 なァ~んてことをちょっとでも考えたあなた。
 「尖閣諸島は日本が盗んだ」
 、と報道官が断言したことを思い出してくださいね。
 「一事が万事」、ですよ。
.
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「育つ」「教える」と「育てる」「教わる」

2020年03月28日 | 心の持ち様
2014.06/05 (Thu)

 これまでにも何度か書きましたが、私は60を過ぎたとはいえ、サンフランシスコ講和条約後の生まれ。
 ですから、戦争は知りませんし、当然、戦前の教育も知らない。敗戦後の教育しか受けてないわけです。
 だから、戦前の日本の教育、それによって形成された明治以降の日本人の精神、なんてことになるとそれはもう、本読んで勉強するしかない。

 大体が日本に生まれ育ったからと言って、戦前の、世界が驚嘆したと言われるような日本人に自然になれるわけではない。当たり前のことですよね、生まれた瞬間から、人の手を借りなければ生きていけないのが人間ですから。
 親、親族のみならず、想像さえできないほどの多くの人間の影響(教育、と言ってもいいでしょう)あってこそ、生きていけるし、進歩できる。

 ところがこの「大いなる教育の場」が、敗戦によって劇的な変化を、それもおそらくは不条理劇のような変化を強要された。その結果が我々戦後生まれ、戦後育ちの日本人です。

 それまでの価値観を否定され、禁止される。神道指令により集落の「はかりごと(議事)の場」である神社での「寄り合い」が出来なくなり、家長制の廃止により核家族化が奨められ、資本家と労働者の「対立」関係が是とされ、学校では戦前の教育は否定される。日本はダメな国だったから戦争に負けたんであって、正しい国に作り替えていくことこそが世界に貢献できる唯一の方法だと、社会あげて取り組み始めた。

 「日本の復興」、ではない。「日本の再生」、でもない。あったのは「新生日本」という絵でした。
 けれど、これは過去を否定することです。全然別個の日本を新しく造ることです。
 日本人はしかし「新生日本」を、「過去を否定することによってのみ成り立つ」、なんて思いもしなかった。思いもしなかったけれど現実は・・・・???
 占領政策は「全ての面での過去との訣別」が根本理念です。「二度と戦争をしない国(できない国)」をつくろう、ということになると、この全ての面において過去と分断する、一旦白紙に戻す、というのは有効です。
 「復興」も「再生」もあってはならない。「新生」しかあり得ない。
 「新生」。それは社会を作り替えることであり、国柄を作り替えることです。


 昨日( 2014.6.4 )、産経の「正論」欄に帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助氏の文が載っていました。
 社会というものの中で人間は生まれ、育てられ、生き、(社会を)維持、発展させるものだということを、私にもわかるくらい、簡潔、平易に説かれています。
 部分転載をします。
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  某中学校の先生曰(いわ)く、務め始めて家庭訪問したら、見どころのある生徒の家には必ず祖父母がいて神棚と仏壇があつた、と。
          (略)
 子供は父母を見て育ちます。
 父母は祖父母に仕へますから、子供は父母が敬ふ人がゐると知ります。
 祖父母は神や仏を敬ふので、もつと偉い存在もあると承知します。
 新婚夫婦は未熟で出産も育児も手探りでやるほかない。何事も初体験し惑ひ悩みます。
 祖父母は家庭内の世間の目、家庭と社会を繋(つな)ぐ存在です。それがいないと我慢が抑制できない。他人に構はぬ“新人類”が勝手し放題の核家族から出現しました。

 躾(しつけ)とは、子供が成長とともに身につける秩序感覚であり、他人との付き合ひ方の基本です。
 子供の躾は若い父母には難しい。叱る一方なので躾が偏る上、父母は家庭では気楽に振る舞ひ、子供の手本になりにくい。
          (略)
 祖父母が孫を訓育感化すると、孫はまともな日本人に育ちます。
 人生経験未熟な若い父母では、子供は日本人らしい発想法や行動様式が十分身につきません。
 だから高度成長以来、日本人が育ちにくくなりました。
 新婚家庭が祖父母を排除して生じた最大の障害は、若い世代の国語が幼稚化したことです。

          (以下略)

  「若者を未熟にした核家族の弊害」より~
  http://sankei.jp.msn.com/life/news/140604/edc14060403080001-n4.htm
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「子を持って親となる」と言います。
 これは「関係」の一つですが、人間の関係とは飽く迄も「彼我」の関係です。
 だからともすれば対等のものになろうとします。
 「姉妹のような母子」、がそれです。そこでは「育てる」という意識は希薄です。
 「育てる」という意識が希薄なら、関係として「教わる」という意識も濃くなるはずがありません。

 それでも、我が子というだけで愛情を注がれる子の方は、初めから親に全幅の信頼を置いている。親はその信頼の眼差しを感じ、親であることを自覚する。自覚した時、自身の親(子から見たら祖父母)に対する眼差しが変わる。
 この眼差しで自身の立場を自覚すると同時に、自身が子供であった時の思いを思い返す。社会はこれの繰り返しで成り立っています。

 人は「育つ」ものであり、必要なことは「教える」ものです。自分が育つのであり、自分が他に教える。
 けれど、放っておけば勝手に「育つ」のではないし、嫌がるのに「教える」ものでもない。社会でより良く生きていくために「育て」ようとし、全幅の信頼から「教わ」ろうとする。
 同じ「社会への参加のため」なのに、愛情の多寡で「教える」が「育てる」になり、信頼の多寡で「育つ」が「教わる」になっていたのが戦前の日本だったのかもしれません。

 話がどんどんずれそうなので、もう一度あの簡潔な説明を。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 《子供は父母を見て育ちます。
 父母は祖父母に仕へますから、子供は父母が敬ふ人がゐると知ります。
 祖父母は神や仏を敬ふので、もつと偉い存在もあると承知します。》

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世宗王、金玉均、そして「脱亜論」へ

2020年03月28日 | 重箱の隅
2014.05/25 (Sun)

 今日、「サンデースクランブル」で金玉均のことが出ていたので、以前に書いた日記を引っ張り出そうと。

 世宗王が「朝鮮文字」をつくらせたことを知らない、という日本人は、まだまだ多いのではないでしょうか。
 当時は「訓民正音」というのが正式な名称だったようです。
 しかし一般的には「田舎文字」とか「仮名(取り敢えず文字として使う、くらいの意味)字」くらいの意味の「諺文(おんもん)」という言葉が使われました。
 だから、日韓併合時には、この朝鮮文字を国民に広めるために「諺文庁」というのがつくられ、識字率の向上のために色んな活動をしました。

 ところが「諺文」には「田舎文字」とか「卑俗文字」という意味があるため、そんな名前の官庁がある、というのはあまりにも酷い、と朝鮮国内から批判の声が沸き起こり、「諺文庁」は廃止されました。
 日本に対する批判からのように見られますが、両班以外の9割の国民が「諺文」という呼び方を恥と思うくらいに誇り高くなったのだ、そこまで人としての生き方を意識するようになったのだということ、が大事なのであって、別段日本が「諺文と言え!」と命じていたわけではないのですから、誤解は解くべきではあるものの、僅か数十年でここまで来たことは、日朝双方(教えた方も学んだ方も)が自慢しても良いことなんじゃないでしょうか。

 以降、「諺文」という言葉の代わりに「ハングル(文字)」という語が使われるようになります。「偉大な(文字)」という意味なんだそうですが、おそらくは「韓句(韓語)」だと思います。しかし、朝鮮文字のみになってしまった今となっては調べようがありません。

 ところで我々日本人が朝鮮文字を「ハングル」というのは、些かおかしい。
 他国の讃仰のための言葉を属国でもない我々が使う、というのは変です。我々にとって、シナは中国ではありません。イギリスが大英帝国でないのと同じです。
 対等の国なのですから、世界の通例に倣うべきです。

 前置きが長くなりましたが、三年前の日記を部分転載します。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

            (略)

  同じ指導者層と言っても、その、国民に対する気持ちは全く違う。
 両班はハングルを流行させる必要など全く認めてないのです。彼ら自身はハングル文字などいらないのですから。いや、それ以上に、彼らこそ、この文字を「諺文(おんもん)」と蔑んだのでしょう。
 九割が文盲である現実は、それがために、少しも打開されることはありませんでした。

 それでも明治の初め、急激に近代化を進めてきた日本に、ごく一部の両班層の若者が留学して来ます。金玉均などです。
 このままでは清国の言いなりであるのみならず、ロシアにまで支配されるようになる。そこで彼らは啓蒙思想家、福沢諭吉の下で近代国家について学び始めます。諭吉もこれに心血を注いで、彼らを教導する。

 そして、
 「結局は一割の両班だけでなく、国民全体の水準を高めなければ」
 「国民が読み書きもできないままでは、近代国家はつくれない」
 「漢文を国民全部が習得するには、時間がかかり過ぎる」
 などの考えから
 「そうだ!諺文があるではないか!」
 となります。

 「日本が漢字と仮名を使っているように、漢字と諺文を使うようにすれば良いではないか。日本に倣え」
 日本人が新聞社をつくり、この、朝鮮独特の文字を使って新聞を発行する。
 そのため、急激にハングル文字は流行し、世宗大王の夢は彼の死後数百年を経て、日本人によって叶えられた、というわけです。

 新聞を読むことにより「民族意識」「人間としての生き方」が注目されるようになります。これが、近代化のはじまり、と言えるでしょう。だから、この頃を「開化期」と言います。「文明開化」の「開化」、ですね。
 朝鮮文字を発明した(させた)のは、日本の室町の昔。朝鮮国王「世宗」です。
 それを全く相手にせず、物置の片隅に打ち捨てていたのは、同じ朝鮮の指導者層です。
 朝鮮の近代化のために、その文字に光を当て、全土に広めようと大変に努力したのは、我々日本人です。そして彼らのために「諺文庁」をつくった。

 ところが、軌道に乗り、人々に民族意識が芽生え、高まってくると「諺文庁とは、けしからん!差別だ!」として廃止を求めて来る。
 そして、今度は「日本が我々からハングルを奪い日本語を押し付けた」と言う。
 「恩を仇で返す」「隙あらば何でも盗ろうとする」等、最低の民族のように言われることが多いのですが、その最初は、福沢諭吉の怒り、でした。
 将来を期待していた優秀な教え子、金玉均は暗殺される。日本の教えたこと、約束は平気で反故にされる。本当に国の行く末を憂い、生きる者を平気で見殺しにする朝鮮に対し、諭吉は遂に「脱亜論」を書いて彼の国との絶縁を訴えるようになります。

 以降も「清国からの独立」門を、「日本からの独立」門であるかのような態度を取り続ける。「女子挺身隊」を、語感からでしょう、「従軍慰安婦」と曲解して決め付けたり、賠償金のことを、国民に一切知らせなかったり、「李承晩ライン」なるものを勝手に引き、竹島から対馬に至るまで全て朝鮮の領土である、と言い張ったり、もうあきれ返るしかないようなことを数え切れないほどやってくれる。

          (略)

                 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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