2011.10/08 (Sat)
いつものことながら「夕刻の備忘録」氏には教えられます。
保守の政党の雄である(筈の)自民党を初めとして、たちあがれ日本などの「保守」政党は何故支持されないのか。
実に分かり易く簡潔に書いておられます。
例によって一部だけ抜粋します。それから思ったことを書いてみようと思います。
********************
保守の定義には様々な切り口があって、尋常一様のものではないが、その考えを「歴史」に学び「伝統」を重んじ、人為的な理論や、暴力的な改革や、社会システムの急速な変更を否定するものとして捉えれば、こうした思想には「人を惹き付ける魅力が無い」と断言出来る。
逆に見れば、派手で騒々しい社会改革に惹き付けられるような人を、保守思想は対象としていないのである。(引用終わり)
夕刻の備忘録
「保守政党は何故支持されないのか」
より
http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-633.html
************************
思ったこととは、「我々は一体何を手に入れたいのか」、そして「一体何を手に入れようとしているのか」、です。
夕刻の備忘録氏はこう書かれています。 「誰にでも想像できる『つまらないもの』に見えながら、なかなか実現できない『尊いもの』を作り上げるのが保守の役目である」
何となしのイメージですが、「保守」と言えば「面白味がない」「考え方が堅過ぎる」「発展性が感じられない」などが浮かんで来ます。
「面白くないよ」
「何でそんなに融通が利かないのかねえ、ガチガチだ」
「同じことばかり繰り返して、飽きないのか?」
「息が詰まるよ。そんなじゃ、将来、灰色だろ?」
こんな言い方したり、或いは反対に、されたりしたこと、ありませんか?
でも、以前は、これ、そのまま、共産党員の考え方、行動に対して一般的に言われていた言葉です。
支那寄りの教条主義、旧ソ連寄りの修正主義、どちらも、です。革命、改革を標榜しているのに?
これを見れば分かるように、実は、保守と社会主義思想とは対峙する関係ではない。
社会主義体制が成立すれば、それを維持しようとするのは、「保守」、ということになる。
また、泥沼にはまりそうですから。
「若い時は、少々やんちゃなくらいの方がいい」
「勉強できなかった奴の方が情のあるものなんだ。できなかった奴の気持ちが分かるから」
「東大卒が多くなると、その会社は発展しなくなるんだよ」
確かに一理あります。けれど、ですよ。これは「一事が万事」とは言えない。
以前に「良い子の70年安保(10年11月21~25日)」という日記を書いたのですが、そこにこんなことを書いています。
「子供は誰だって大人にほめられたい。だから、そのために一所懸命努力をする。学校の勉強ができたらほめられる。だから、勉強をする。行儀が良ければほめられる。だから行儀良くする。早寝早起きをすればほめられる。だから・・・・。」
「やんちゃをする」のは、ほめられたいからではない。勿論、叱られたいからでもない。
どうしたら大人にほめられるのか、を知らないままに、或いはほめられないままにもの心がついたから、「称賛」に象徴される「社会基準」が分からないままに「やんちゃ」という行動を採る。
「勉強できなかった者の心が分かる」だけなら、ほめ方を知っている強みはあっても、実は勉強を一所懸命やってできるようになった過去を持たないわけだから、「今はそれに気づいて、自身、頑張っている」ところを見せ続けなければ、全体での向上は望めない。
考えてみると「若い時は~」「勉強できなかった奴が~」「東大卒が~」という価値観、実は新しいものでしょう?
これ、戦後になって声高に叫ばれるようになった物の見方です。
戦前は「朱に交われば赤くなる」のだから、友達は選ぶもの、と言われていました。
「よく遊び、よく学べ」ではなく、「よく学び、よく遊べ」だった。
そして、「苦学する」者を誰よりも褒め称えた。
勿論、「東大に行く」、となると、まだ「立身出世」したわけでもないのに、「村の誇り」と、みんなが喜んだ。
つまり、戦前には最重要とされていた、誰もが認める「徳目」が、戦後は重視されなくなった。
その「徳目」とは何か。
「努力」、です。
何のために努力をするのか。「今より(何かを)良くするため」です。
「今より良くする」というのは、「換えてしまう」又は「変えてしまう」ということではありません。
「今」を研ぎ続け、精(しら)ぎ続けることです。「今の形」を完璧にすべく、磨き続けることです。それを「努力」と言います。「習い事(芸事や、武術、弟子入りなど)」の世界です。
そして、これが「保守」です。
対して、「改革」は?
「改革」とは、今を否定し、別の何かを立てて(持って来て)用いることです。初めは目新しい。けれど、荒削りなままで、いつまでも不満が残る。
かと言って、研ぎ始めるとその瞬間から「保守」でしょう?
だから、その時は荒削りのものを惜し気もなく捨てて「別の何か」を持って来る。
だから、常に「目新しい」。だから、常に「断絶している」。
「芸術は爆発だ!」と言うのは、そのジレンマを直感した言葉だったんでしょうね。
「断絶」するから、文化は生まれても、継続はしない。
文化の継続が本質に直結している「国」、は?継続できない。
「目新しさを追求する」、「今、在るものを研がない」
となると、そこに「完璧を目指して研ぎ続ける『努力』」は要らない。
「派手で騒々しい社会改革に惹きつけられる人々」は努力の意味を実感していない。
何故なら、努力をして何かをつくりあげた経験がないから。
「努力不足の自分が悪い」と、自らを責め続ける能力を培って来なかったから。(早い話が、「自省心」ですね。前総理を見れば分かります)
「保守に魅力がない」のではない。「今」を研ぎ上げる「努力」をして来なかったから、「保守に魅力を感じる能力を『持ち合わせていない』」だけなのではないか。
考えてみれば、
「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
なんて、教えられて来ませんでした。
隣の大国は、選挙権なんかなくったって「愛国無罪」と叫んでいるのに、我が国は
「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
と言って、首になった幕僚長もいますからね。
脱線したまま、終わります。
いつものことながら「夕刻の備忘録」氏には教えられます。
保守の政党の雄である(筈の)自民党を初めとして、たちあがれ日本などの「保守」政党は何故支持されないのか。
実に分かり易く簡潔に書いておられます。
例によって一部だけ抜粋します。それから思ったことを書いてみようと思います。
********************
保守の定義には様々な切り口があって、尋常一様のものではないが、その考えを「歴史」に学び「伝統」を重んじ、人為的な理論や、暴力的な改革や、社会システムの急速な変更を否定するものとして捉えれば、こうした思想には「人を惹き付ける魅力が無い」と断言出来る。
逆に見れば、派手で騒々しい社会改革に惹き付けられるような人を、保守思想は対象としていないのである。(引用終わり)
夕刻の備忘録
「保守政党は何故支持されないのか」
より
http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-633.html
************************
思ったこととは、「我々は一体何を手に入れたいのか」、そして「一体何を手に入れようとしているのか」、です。
夕刻の備忘録氏はこう書かれています。 「誰にでも想像できる『つまらないもの』に見えながら、なかなか実現できない『尊いもの』を作り上げるのが保守の役目である」
何となしのイメージですが、「保守」と言えば「面白味がない」「考え方が堅過ぎる」「発展性が感じられない」などが浮かんで来ます。
「面白くないよ」
「何でそんなに融通が利かないのかねえ、ガチガチだ」
「同じことばかり繰り返して、飽きないのか?」
「息が詰まるよ。そんなじゃ、将来、灰色だろ?」
こんな言い方したり、或いは反対に、されたりしたこと、ありませんか?
でも、以前は、これ、そのまま、共産党員の考え方、行動に対して一般的に言われていた言葉です。
支那寄りの教条主義、旧ソ連寄りの修正主義、どちらも、です。革命、改革を標榜しているのに?
これを見れば分かるように、実は、保守と社会主義思想とは対峙する関係ではない。
社会主義体制が成立すれば、それを維持しようとするのは、「保守」、ということになる。
また、泥沼にはまりそうですから。
「若い時は、少々やんちゃなくらいの方がいい」
「勉強できなかった奴の方が情のあるものなんだ。できなかった奴の気持ちが分かるから」
「東大卒が多くなると、その会社は発展しなくなるんだよ」
確かに一理あります。けれど、ですよ。これは「一事が万事」とは言えない。
以前に「良い子の70年安保(10年11月21~25日)」という日記を書いたのですが、そこにこんなことを書いています。
「子供は誰だって大人にほめられたい。だから、そのために一所懸命努力をする。学校の勉強ができたらほめられる。だから、勉強をする。行儀が良ければほめられる。だから行儀良くする。早寝早起きをすればほめられる。だから・・・・。」
「やんちゃをする」のは、ほめられたいからではない。勿論、叱られたいからでもない。
どうしたら大人にほめられるのか、を知らないままに、或いはほめられないままにもの心がついたから、「称賛」に象徴される「社会基準」が分からないままに「やんちゃ」という行動を採る。
「勉強できなかった者の心が分かる」だけなら、ほめ方を知っている強みはあっても、実は勉強を一所懸命やってできるようになった過去を持たないわけだから、「今はそれに気づいて、自身、頑張っている」ところを見せ続けなければ、全体での向上は望めない。
考えてみると「若い時は~」「勉強できなかった奴が~」「東大卒が~」という価値観、実は新しいものでしょう?
これ、戦後になって声高に叫ばれるようになった物の見方です。
戦前は「朱に交われば赤くなる」のだから、友達は選ぶもの、と言われていました。
「よく遊び、よく学べ」ではなく、「よく学び、よく遊べ」だった。
そして、「苦学する」者を誰よりも褒め称えた。
勿論、「東大に行く」、となると、まだ「立身出世」したわけでもないのに、「村の誇り」と、みんなが喜んだ。
つまり、戦前には最重要とされていた、誰もが認める「徳目」が、戦後は重視されなくなった。
その「徳目」とは何か。
「努力」、です。
何のために努力をするのか。「今より(何かを)良くするため」です。
「今より良くする」というのは、「換えてしまう」又は「変えてしまう」ということではありません。
「今」を研ぎ続け、精(しら)ぎ続けることです。「今の形」を完璧にすべく、磨き続けることです。それを「努力」と言います。「習い事(芸事や、武術、弟子入りなど)」の世界です。
そして、これが「保守」です。
対して、「改革」は?
「改革」とは、今を否定し、別の何かを立てて(持って来て)用いることです。初めは目新しい。けれど、荒削りなままで、いつまでも不満が残る。
かと言って、研ぎ始めるとその瞬間から「保守」でしょう?
だから、その時は荒削りのものを惜し気もなく捨てて「別の何か」を持って来る。
だから、常に「目新しい」。だから、常に「断絶している」。
「芸術は爆発だ!」と言うのは、そのジレンマを直感した言葉だったんでしょうね。
「断絶」するから、文化は生まれても、継続はしない。
文化の継続が本質に直結している「国」、は?継続できない。
「目新しさを追求する」、「今、在るものを研がない」
となると、そこに「完璧を目指して研ぎ続ける『努力』」は要らない。
「派手で騒々しい社会改革に惹きつけられる人々」は努力の意味を実感していない。
何故なら、努力をして何かをつくりあげた経験がないから。
「努力不足の自分が悪い」と、自らを責め続ける能力を培って来なかったから。(早い話が、「自省心」ですね。前総理を見れば分かります)
「保守に魅力がない」のではない。「今」を研ぎ上げる「努力」をして来なかったから、「保守に魅力を感じる能力を『持ち合わせていない』」だけなのではないか。
考えてみれば、
「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
なんて、教えられて来ませんでした。
隣の大国は、選挙権なんかなくったって「愛国無罪」と叫んでいるのに、我が国は
「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
と言って、首になった幕僚長もいますからね。
脱線したまま、終わります。