CubとSRと

ただの日記

保守には「魅力」がない!だから・・・・

2020年06月04日 | 日々の暮らし
2011.10/08 (Sat)

 いつものことながら「夕刻の備忘録」氏には教えられます。
 保守の政党の雄である(筈の)自民党を初めとして、たちあがれ日本などの「保守」政党は何故支持されないのか。
 実に分かり易く簡潔に書いておられます。
 例によって一部だけ抜粋します。それから思ったことを書いてみようと思います。

 ********************
 
 保守の定義には様々な切り口があって、尋常一様のものではないが、その考えを「歴史」に学び「伝統」を重んじ、人為的な理論や、暴力的な改革や、社会システムの急速な変更を否定するものとして捉えれば、こうした思想には「人を惹き付ける魅力が無い」と断言出来る。
 逆に見れば、派手で騒々しい社会改革に惹き付けられるような人を、保守思想は対象としていないのである。(引用終わり)

 夕刻の備忘録
 「保守政党は何故支持されないのか」
                         より
   http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-633.html

  ************************
 
 思ったこととは、「我々は一体何を手に入れたいのか」、そして「一体何を手に入れようとしているのか」、です。

 夕刻の備忘録氏はこう書かれています。 「誰にでも想像できる『つまらないもの』に見えながら、なかなか実現できない『尊いもの』を作り上げるのが保守の役目である」

 何となしのイメージですが、「保守」と言えば「面白味がない」「考え方が堅過ぎる」「発展性が感じられない」などが浮かんで来ます。

 「面白くないよ」
 「何でそんなに融通が利かないのかねえ、ガチガチだ」
 「同じことばかり繰り返して、飽きないのか?」
 「息が詰まるよ。そんなじゃ、将来、灰色だろ?」
 こんな言い方したり、或いは反対に、されたりしたこと、ありませんか?

 でも、以前は、これ、そのまま、共産党員の考え方、行動に対して一般的に言われていた言葉です。
 支那寄りの教条主義、旧ソ連寄りの修正主義、どちらも、です。革命、改革を標榜しているのに?
 これを見れば分かるように、実は、保守と社会主義思想とは対峙する関係ではない。
 社会主義体制が成立すれば、それを維持しようとするのは、「保守」、ということになる。

 また、泥沼にはまりそうですから。
 「若い時は、少々やんちゃなくらいの方がいい」
 「勉強できなかった奴の方が情のあるものなんだ。できなかった奴の気持ちが分かるから」
 「東大卒が多くなると、その会社は発展しなくなるんだよ」
 確かに一理あります。けれど、ですよ。これは「一事が万事」とは言えない。

 以前に「良い子の70年安保(10年11月21~25日)」という日記を書いたのですが、そこにこんなことを書いています。
 「子供は誰だって大人にほめられたい。だから、そのために一所懸命努力をする。学校の勉強ができたらほめられる。だから、勉強をする。行儀が良ければほめられる。だから行儀良くする。早寝早起きをすればほめられる。だから・・・・。」

 「やんちゃをする」のは、ほめられたいからではない。勿論、叱られたいからでもない。
 どうしたら大人にほめられるのか、を知らないままに、或いはほめられないままにもの心がついたから、「称賛」に象徴される「社会基準」が分からないままに「やんちゃ」という行動を採る。

 「勉強できなかった者の心が分かる」だけなら、ほめ方を知っている強みはあっても、実は勉強を一所懸命やってできるようになった過去を持たないわけだから、「今はそれに気づいて、自身、頑張っている」ところを見せ続けなければ、全体での向上は望めない。

 考えてみると「若い時は~」「勉強できなかった奴が~」「東大卒が~」という価値観、実は新しいものでしょう?
 これ、戦後になって声高に叫ばれるようになった物の見方です。
 戦前は「朱に交われば赤くなる」のだから、友達は選ぶもの、と言われていました。
 「よく遊び、よく学べ」ではなく、「よく学び、よく遊べ」だった。
 そして、「苦学する」者を誰よりも褒め称えた。
 勿論、「東大に行く」、となると、まだ「立身出世」したわけでもないのに、「村の誇り」と、みんなが喜んだ。

 つまり、戦前には最重要とされていた、誰もが認める「徳目」が、戦後は重視されなくなった。
 その「徳目」とは何か。
 「努力」、です。

 何のために努力をするのか。「今より(何かを)良くするため」です。
 「今より良くする」というのは、「換えてしまう」又は「変えてしまう」ということではありません。
 「今」を研ぎ続け、精(しら)ぎ続けることです。「今の形」を完璧にすべく、磨き続けることです。それを「努力」と言います。「習い事(芸事や、武術、弟子入りなど)」の世界です。
 そして、これが「保守」です。

 対して、「改革」は?
 「改革」とは、今を否定し、別の何かを立てて(持って来て)用いることです。初めは目新しい。けれど、荒削りなままで、いつまでも不満が残る。
 かと言って、研ぎ始めるとその瞬間から「保守」でしょう?
 だから、その時は荒削りのものを惜し気もなく捨てて「別の何か」を持って来る。
 だから、常に「目新しい」。だから、常に「断絶している」。
 「芸術は爆発だ!」と言うのは、そのジレンマを直感した言葉だったんでしょうね。

 「断絶」するから、文化は生まれても、継続はしない。
 文化の継続が本質に直結している「国」、は?継続できない。

 「目新しさを追求する」、「今、在るものを研がない」
 となると、そこに「完璧を目指して研ぎ続ける『努力』」は要らない。

 「派手で騒々しい社会改革に惹きつけられる人々」は努力の意味を実感していない。
 何故なら、努力をして何かをつくりあげた経験がないから。
 「努力不足の自分が悪い」と、自らを責め続ける能力を培って来なかったから。(早い話が、「自省心」ですね。前総理を見れば分かります)

 「保守に魅力がない」のではない。「今」を研ぎ上げる「努力」をして来なかったから、「保守に魅力を感じる能力を『持ち合わせていない』」だけなのではないか。

 考えてみれば、
 「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
 なんて、教えられて来ませんでした。
 隣の大国は、選挙権なんかなくったって「愛国無罪」と叫んでいるのに、我が国は
 「日本は良い国だ。素晴らしい歴史と伝統、文化を持つ国なんだ」
 と言って、首になった幕僚長もいますからね。

 脱線したまま、終わります。
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「鬼子母神」

2020年06月04日 | 心の持ち様
2011.10/06 (Thu)

 「愛国無罪」という言葉を、昨年はよく耳にしましたが、今年は滅多に聞かれなくなりました。隣の大国でよく叫ばれた言葉です。
 この言葉の下に、日本の国旗が焼かれ、踏みにじられ、日本製の車が破壊されました(現地生産車だったようですが)。

 「愛国無罪」
 「国を愛するが故の行動には、何ら罪はない」
 暴力行為、破壊活動、誹謗中傷、蔑視等々、法に触れる行動を行っても、
 「国を愛するが故のものならば、罪ではない。」

 勿論、国家がそう言っているのではなく、人々が言っているだけです。
 でも、人々が言うから、それが「世論」とされる。官憲がそれを鎮圧しないから、他国の人々は国を挙げてのことと思い込んでしまいます。
 世論は強い。国を「動かしたか」に見せる。

 ここに理はあるか。合理性はない。
 では、道理はあるか。道理もない。ただ、感情に任せて行動しているだけです。「愛国」という感情です。
 つまり、「愛国」は、理ではない。

 でも、国は理で成り立っている。理で運営されている。
 「決まり」という「理(ことわり)」です。

 「理で成り立つ国家というものを愛する」。それには、何の問題もない。
 しかし、「理」で成り立つものは、理に適ったものしか容認できない。
 理に適わぬものを受け入れると、自らの基盤である「理」が曖昧になり、結果「理」に適わぬものに浸食されることになる。果ては自らの崩壊を招く。

 「悪女の深情け」ですか?男を駄目にする。駄目になった男は、女を恨んでいない。愛国の名の下に国家を駄目にする。駄目になった国は、文句を言うわけではない。ちょっと違いますかね?

 ネコ可愛がり、かな?ネコは自分勝手だから、或る意味その方がいいかもしれないけど、犬をネコ可愛がりすると、結局、駄犬、ダメ犬になる。これも変だなあ。

 「愛国無罪」。
 国を愛しても、国は理に合わぬものは認めない。当たり前ですね。
 繰り返しますが、理に合わぬものを受け入れたら、社会は成り立たない。何でもかんでも受け入れていたら、その社会は崩壊する。つまり、国は崩壊してしまう。
 国を愛するが故の個々人の手前勝手な行動で、理によって成る国を「世論」が揺さぶり、転覆させる。

 だから、「愛国無罪」、はあってはならない。「愛国」はいいけど、「それ故の行動だから無罪」は、ダメ。

 日本で「愛国無罪」を叫ぶ人はあまりいない。
 それは「愛国無罪」に「合理性がない」と分かっているからでしょうか。「道理がない」と分かっているからでしょうか。

 「いくら、国が大事だ、国を愛してるったって何でも許されるのはおかしいよ。他人に迷惑掛けちゃ嫌がられるだけじゃないか。」
 冷静に考えればこういうのが普通でしょう?
 何となし、「社会は約束事(理)で成り立っている」と子供だって知っている。
 だから、日本では「愛国無罪」、「国を愛するが故の行動なら、何をやったってかまわない」という人は極々少数です。
 そして、その少数の人々も実際に行動を起こせば、社会によって自由を奪われることを承知していますから、それなりの覚悟、或いは摺り合わせ(自らに枠)をする。
 だから、厳密に言えば「愛国無罪」ではなくなり、普通の「愛国運動」になるんですが。

 そうしてみると、ここに挙げた「~無罪」という考え方は、社会という「理で成立する場」では、受け入れられないということになります。

 あ、例外がありましたよ。
 「社会の成立の目的」は、人々の「生存の手助け」です。「生きるために」ということを最重要にしてみると・・・・。
 「とにかく、未来を担う子供のことを!」
 「我々は死んでいくんだけど、子供には未来がある!」

 「子育て無罪」!

 母親が鬼子母神になるのは当たり前です。でも、社会は鬼子母神を受け入れるわけにはいかない。
 理を揺るがすからです。「この子だけは助けたい!」、と。

 「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。」 これ、幸せな世の中です。
 「我々は死んでいくけど、子供は違う!」違わない。
 子供も死にます。順番です。

 だから、今を懸命に生き、そこから子供が生き方を学び、「より良い世の中を造ってくれ」と託されて、子が懸命に生き、その背を見て、また、その子が生き方を学び・・・・。

 
 被曝した食物を子供に食べさせない。それも大事なことですが、もっともっと大事なのは、懸命に生きている後姿を見せることです。

 子供の将来を考えれば考えるほど、まず大人が「生存の手助け」をするための社会をしっかりと運営することではないでしょうか。
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「敢えて浪人として」

2020年06月04日 | 心の持ち様
2010.12/18 (Sat)

 「浅えむ丸」について、「漱石が子供の頃に・・・」と書きました。
 山田浅右衛門の名前はよく知られているからと、その丸薬のことだけ書きましたが、「歴史学者は人心を知らない」とこれまでに何度も書いてきたからには、やはり、ここでも「山田浅右衛門の心情」についても考えてみなければならないのではないか。そう思ったので、少し書いてみようと思います。

 山田浅右衛門は、代々の当主の名前で、だから一人ではありません。数え方にもよりますが、八人も九人もいます。でも、やっていることは同じです。

 首切り役人と思われていますが、「役人」ではありません。依嘱されて処刑のために出向いて首を刎ねる。一介の「浪人」です。
 奉行所が処刑として罪人の首を刎ねるのは、本来当番制で、同心の仕事であったようです。
 当番に当たった役人は、浅右衛門に代わってやってもらう。
 首を刎ねるための手当ては、同心自身の刀を使うものとして、処刑後の「研ぎ料」という名目で僅かばかり出されたようです。
 今の金額で、刀一寸につき、5000円以上でしょうから2尺5寸と考えて、15万円。まあ、そんなには貰ってないでしょう。数万円が良いところかもしれません。

 まず、首を刎ねるための手当てを役人がもらう。しかし、代わってもらったわけですから、その金は浅右衛門に渡す。すると、浅右衛門はその金を仕事を譲ってもらった礼金として、役人に渡す。一回り、です。
 つまり役人は、その嫌な仕事が回って来たら、自分は浅右衛門に連絡をする。それだけで、金が手に入る、ということになります。(今なら間違いなし、事業仕分けにかけられることです)
 そういう決まりになっていたようです。勿論、暗黙に、でしょうが。
 実際は、更に、浅右衛門から別に礼金を渡していたとか。

 だから浅右衛門にはお金は入らない。出て行くばかり。一体どういうことか。
 ここで「浅えむ丸」が正業として?
 いや、肝を取るのは、正式には副業にもなっていなかったのでは、と思っています。
 (「浅えむ丸」だけでなく「人胆丸」「仁丹」などの名前も残っているようです)
 とは言え、この収入は大変なもので、諸収入を合わせると、数万石の大名並みだったそうです。そして、主になるものは、これだったらしい。
 死体を処理するのは、墓掘り人足の仕事です。
 首を刎ねた後、体の中にはまだたくさん血が残っています。その体内の血を出来るだけ外に出し、それから墓に入れなければ、腐るのが早いので、そのための仕事(マッサージ)も、墓掘り人足がやらなければなりません。
 彼等に謝礼をやるために、奉行所より下げ渡された遺体から、売れる肝臓、胆嚢、脳を取ったわけです。
 脱線しますが、墓掘り人足が自分でそれをしたら犯罪です。第一、誰も買ってくれません。身分が違うから、信用されないのです。

 山田浅右衛門の仕事は刀の目利きです。目利きと言っても、刀剣商ではない。実際の「銘から真贋を見極める目利き」の仕事と、「『切れ味』の目利き」。目利きというより「試し」ですね。「山田流据え物」という「居合い据え物」の一流派宗家、というわけです。
 つまり、実際にどれだけ切れるか、を試して、鑑定書を作成し、その手数料を代々収入として来た。将軍家の物から、大名、豪商のものまで、山田浅右衛門の鑑定書は大変な値打ちがあったんだそうです。 
 
 「切れ味」は竹が何本切れる、とか巻き藁を何本まとめて、というのではなく、鑑定書には「一つ胴」とか「二つ胴」とか書きます。
 「土壇場」と言われる盛り土の「土台」をつくって、そこに首を刎ねた罪人の体を、手を挙げた形で横たえる。一人なら「一つ胴」。二人重ねて左右を固定すれば「二つ胴」です。
 「二つ胴」との鑑定がされた刀は、「二人の胴を両断した」という証明をされた、ということです。
 現在でも、この「土壇場」という言葉は遣われていますが、元々の意味はこれです。「もう、どうにも逃げるに逃げられない状態」。両断されるのを待つばかり、という意味です。

 罪人とは言え、人が人の身体を使って刀の切れ味の鑑定をする。そんなことを常にやる人間が、役人というのは、やはり、何か引っ掛かります。それで「浪人」で、腕の立つ者が切れ味の目利きをする。
 手数料は五分から一割と思われます。当然、安物の刀が頼まれることはありません。最低でも数十両の値打ちの刀。大名家の物は一振り数百両はしたでしょうから、試し切りをして、鑑定書をつければ、その都度、数十両は手に入ることになる。

 さて、嫌われても、誰かがやらねばならない仕事です。そして同時に自らの技の度合いを試す機会。
 これは葛藤があったと思います。それに折り合いをつけて代々の当主は報酬を受け取る。その金で酒色に溺れたり、遊蕩の限りを尽くした、なんて話は残っていません。(代によっては毎晩宴会を、という当主もあったようですが)
 逆に、首を刎ねた罪人を、自邸で弔い、供養も続けていた、と言われています。
 屋敷には、そのための仏間も特別につくってあったそうです。

 明治時代になり(明治14年)、斬首は高度な技術が必要であることと、野蛮である、との理由から絞首刑に変えられました。臓器の販売もこの年に禁止されています。(9年には廃刀令が出されている)

 当然、山田浅右衛門に目利きを頼む者はなくなり、「山田流据え物」も、長い歴史の幕を閉じます。

 「浅えむ丸」の話だけでは見えて来ない浅右衛門の「心情」が、この辺りから何となく見えてくるのではないか、と思うのですが・・・・・・。
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