CubとSRと

ただの日記

戦争と絵画②藤田嗣治(おかっぱ頭とドールハウス)

2020年06月09日 | 心の持ち様
2012.11/08 (Thu)

 藤田嗣治という人はwikiで見ると、学者や役人を多数輩出している、かなり裕福な家の育ちだったようだ。
 そんな中だからか、子供のころから絵が好きだった藤田を、やはり本人のためにということで、家人は彼を東京美術学校(現東京芸大)へ進学させている。

 ところが当時の芸大の傾向は黒田清輝のような絵が主流で、藤田の肌に合わず、芸大のみならず、卒業してからの斯界も同様のことだった。
 結局、藤田はフランスでの生活を決断し、離婚、渡仏。

 さてそこからなんだけれど、藤田についてテレビや本などで聞きかじったところでは、例によってモンパルナスに住み、多くの新進の画家、音楽家等と交流を持ち、そこで多くの勉強をしたらしい。ピカソとの交流もその時からだということだ。

 記憶に残っている藤田嗣治といえば、丸眼鏡におかっぱ頭。
 初めは絵が売れるまでには至らず、貧窮の生活をしていたらしいのだけれど、貧しいなりに、先述の芸術家連中と芸術論を戦わせたり、飲み歩いたりする生活だったようだ。
 まあ、言ってみれば、仲間うち全員が個性的な猛者揃い。「鬼面人を驚かす」は大袈裟だろうが、みんな、少しでも目立ち、他の者をびっくりさせたり感心させたりすることを楽しみとしている。

 そんな連中の間で、藤田の腕は目立っていたらしい。絵の腕前も、だろうけれど、驚かす方では特に。

 
 或る日、散髪をして来た。金がないから自分でやってきた。
 周囲の人が驚いた。おかっぱ頭だった。丸眼鏡におかっぱ頭。何とも珍妙だったろう。
 まず、三十前後の大の男がするようなヘアースタイルではない。
 しかし、東洋人独特の黒髪。まっすぐな髪の毛を眉のあたりですっぱりと切り揃えた、そのすぐ下に丸い眼鏡。西洋人には決してマネのできない格好であったろう。十二分に驚かす、という目的は達成できた筈だ。

 全く関係がないけれど、後に日本人のファッションモデルの化粧やヘアースタイルはというと、黒髪の美しさを際立たせるために直線に切り揃えた髪と、切れ長の目を強調するために目尻をより長く見せるように影をつけるのが基本のようになっていった。
 藤田に倣ったわけではないのだろうけれど、西洋人から見たアジア人、特に日本人の美しさの理想の形、というのはそういうものだったらしい。

 藤田はさしもの芸術家連中を感心させたわけだ。おそらくは彼らの誰一人として気づかなかった新鮮な感動のあることを知らしめた。

 牽強付会に過ぎるかもしれないが、日本からの瀬戸物などの輸入品は浮世絵版画に包まれていたのだが、それにより西洋人はこれまで見たことのない新鮮な美を見せつけられた。
 それに近いものを、彼ら芸術家仲間は藤田のおかっぱ頭と丸眼鏡に感じ取ったんじゃないかな、と思う。

 晩年、日本を離れ、フランスに移住するが家の設計なども自分でしたらしい。それが、言ってみればドールハウスのような精巧な模型を自分でつくって示す、というやり方だったらしい。
 テレビでそれを見た時は「よくやるよなあ、全く」としか思わなかった。
 そんな細かい作業をしているよりも、絵を描きたかったろうに、と。

 で、そうは思いながら、何だかどこかで見たような、いや、見たんじゃなくて感じた、似たような感覚があった筈だが、と思っていた。
 今頃になってやっと気が付いた。「枕草子」だ。
 
 「枕草子」といえば、「いとおかし」ばかりが頭に浮かぶけれど、これ、「いとおかし」、は「定番」ということじゃなくてこれまで見過ごしてきたものを見直した、新しい角度から見ることで、新鮮な驚きを「興味深いもの」として示したものでもある。
 可愛らしいもの、鬱陶しいものなどについても「そうだよね。あるある!」で終わるんじゃなくて、少しずらした「そういえば」という枕詞のついたような新しい何かを、当時としては見せた筈だ。
 それが新しい時代の「定番」の感覚となり、そしてその感覚は、文化となっていく。
 学校で必ず習う「闇もなほ蛍の多く飛び違ひたる」なんてのは、それまで怪しいものと考えられていたのだ、と教えられた記憶がある。

 藤田にとって模型作りは、彼の絵やおかっぱ頭と同じく表現手段だった、と考える方が納得できる。
 つまり若い時から晩年まで、彼の姿勢は全く変わっていないんじゃないか。

 人はそうそう変わるものではない。特に幼少期に倣い覚えたものは間違いなくその人の本質と直結している。
 となれば民族性とか県民性なんていうものも、そう簡単に変わるものではないと言える。
 妙な愛国教育を受けた者はそれを捨て去ることはなかなか大変で、そう考えたら石平氏が日本に帰化したことなどは、福沢諭吉の「脱亜論」ならぬ、「脱中共論」(脱シナではない)の現実行動でしかないのかもしれない。
 当然、我々の受けてきた自虐史観(言葉に抵抗があれば青山繁晴氏の言う「思い込み」でもいい)を捨て去ることもなかなか大変なこと、となる。

 また脱線したまま終わるわけにはいかないので、中締めに。

 藤田は人を驚かすことを好んだ。それは注目されるためだった
 と言っても「ああ~びっくりした」と言わせるためではない。何らかの感動を期待してのことだ。
 初めは好奇心のままに絵を描き、それに衆目が集まるようになると、次は感心されるように、そして今度は感嘆されるように、と努力を惜しまないようになる。
 しかし、その先に金とか名声を求めて、というわけではない。
 とにかく
 「人の心を揺り動かし、衝き動かすことができれば。そうするためになら何でもやってみよう」
 そう思って一生を過ごした人と思われる。


 そこで、「戦争画と芸術至上主義。その顛末」、となる。

                        (続く)
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戦争と絵画 ① 「新日曜美術館」

2020年06月09日 | 心の持ち様
2012.10/30 (Tue)

 しばらくNHKの「新日曜美術館」を見ていなかった。
 考えてみると、姜尚中氏がサブキャスターとして出ているのを見てからだった。
 理由はここでは書かない。
 ただ、
 「物の見方はどうしても案内役のフィルターがかかってしまうから」
 、くらいは言って置いても良かろう。
 で、数か月前、偶然見たら、千住氏に代わっていた。

 その時に見たのは、藤田嗣治の戦争画の回だったような気がする。

 藤田が、何故、晩年に「日本を捨てた」のではなく、「日本に捨てられた」と言っていたのかが、これでやっと見えてきたような感じがあった。

 でも、これをずっと日記に書けずにいた。


 九月だったと思う。今度は「松本竣介」の特集があった。
 松本竣介、なんて名前、知らなかったのだけれど、どこかで見た絵だ。
 妙に惹きつけられたのと、どうしたことか県下の美術館でも巡回展があるという。

 十月初旬に行ってみた。


 二人とも戦争がからむ。
 一方は時代の寵児として持て囃され、全力で戦争画を描き続けた。
 もう一方は反戦画家のような、採り上げられ方だった。
 戦争に背を向けて、空襲の激しくなる中、妻子を妻の郷里に疎開させ、自身はいっかな東京を離れようとせず、焼け野原になった東京の景色だけでなく、米兵のスケッチまで遺した。

 何だか引っ掛かる。本当にそうか。
 藤田は戦争賛美の画家なのか。松本は反戦思想の画家なのか。

 結論を先に書くと、やはりこれも戦後教育の結果、定着した見方でしかなかったようだ。
 多分に痩せ細った感性、硬直した考え方から生まれた批評なのではないかと思う。

 藤田嗣治は戦争を賛美したのではなく、松本竣介も前衛的ではあったけれども、反戦画家ではなかった。

 藤田は人々を感動させてこそ、見る者に何らかの力を発揮させてこそ、の、絵画だと思っていた。そのために戦争画は最高の手段・題材だ、と。

 松本は「自らを感動させたもの」を定着させることに固執(こしつ)していた。
 「だから自分は描かねばならない」、と覚悟していた。

 相反するように思える二人の画家が、戦争を軸に全く違った見方をされた。
 それは我々にとって大きな損失になっているのかもしれない。


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プロ市民の考え方と行動を再確認する

2020年06月09日 | 心の持ち様
2012.10/11 (Thu)

 「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」ブログから、
 今朝のエントリー、
 -民主・松井副幹事長の菅氏言及部分を補足します-
 の部分転載です。できれば全文をご覧ください。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今朝の産経政治面に、民主党の松井孝治副幹事長へのインタビューに基づく「単刀直言 制御不能だった鳩山氏」という記事が載っていました。この中で、松井氏の次の言葉には少し説明を加えた方が親切かと感じたのでそうします。松井氏は、「一点突破、全面展開」を口癖とする菅直人首相の政治手法について以下のように述べています。

《鳩山さんの後を継いだ菅直人首相も消費税増税を唐突に取り上げ、22年の参院選で敗れて衆参のねじれ状態を作ってしまった。菅さんは財務相を経験しているので、「財務省のいいなりになった」という人もいるが、それは違う。
 菅さんが鳩山内閣の副総理のときによく言っていたのは「沖縄問題をより強いメッセージで上書きしないといけない」ということ。普天間問題で膠着状態に陥った鳩山政権を政治的に局面転換する材料として消費税増税を使ったという側面はあったと思う》
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今度は鳩山前総理の言です。

 《菅直人さんは、私が首相のときに副総理として、何度も「厳しい局面に立たされたら、別の大きなテーマを示せば、そちらに国民の目が向いて局面を打開できるんだ」と進言してきました。(米軍)普天間飛行場移設問題で危機に陥ってるときにも「消費税増税を言え」と働きかけました。私は「言えない」と答えました。
 それで、菅さんは自分が首相になったときに消費税増税を持ち出し、結果として参院選に負けました。

 今も同じなのか、思い付きのように別の話をすっと作るのは上手です。消費税やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、「脱原発」もそう。しかし、常に大きな本道を見ようとしない。政治はパフォーマンスではないのです》

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 松井氏の今回の言葉も、こうして補助線を引くともともとの意味がよく分かるかなと思い、蛇足ながら補足してみた次第です。つまり、今回、野田佳彦首相が「命を懸ける」と耳にたこができるほど繰り返して取り組んだ消費税増税も、最初はただの「目くらまし政策」だったというわけです。

 逆に言うと、菅氏には普天間問題に真剣に取り組む考えなんか、これっぽっちもなかったということでしょう。現に副総理時代には、沖縄県民を同胞とも思わない「沖縄独立論」まで唱えていたわけですから。

 そして、菅氏がいま「一点突破」の材料として利用しているのが「脱原発」という大きなテーマであるのですね。これさえ言い続ければ、自分とその政権が犯してきた数知れない失策は覆い隠せるし、苦しい局面を打開できると。自らの施政方針演説で、原発海外輸出の有能な「セールスマン」を自称していた菅氏がいま、まるで原発反対が数十年来の持論であるかのように振る舞うのも、つまるところそういうわけでしょう。

  http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2892694/


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「一点突破」。そして、そこからの「全面展開」。
 「一事が万事」に似ていますが、「一事が万事」が一事の理解・納得を以て万事を把握しようとするのに比べ、「一点突破、全面展開」は「把握」ではなく「制覇」です。

 そこにあるのはみんなの「得心」ではなく、「我田引水」「牽強付会」からの、服従の強要です。
 だから、官僚の「面従腹背」が多発する。
 そして「一点突破、全面展開」を主張するリーダー自身の反省は、「自己批判」と称する自己否定と同義だから、反省の弁は失脚、自身の粛清につながる。

 菅前総理は財務省に籠絡されたのではなく、本来が、「一点突破、全面展開」を信条とするプロ市民だった。
 そのため、普天間問題の件も、増税の件も、原発の件も、全て国民の注意を逸らして、その場を逃げ足早く立ち去る、そのための手段としてしか使われなかった。攪乱して目を引き付け、自身は被害者、又は傍観者となる。

 これ、今、隣の大国が我が国に仕掛けている手法そのものでしょう?
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二つに分けます(ステルス反日への対処法)

2020年06月09日 | 日々の暮らし
2012.10/21 (Sun)

 「夕刻の備忘録」ブログの
 「マスコミの世論誘導手法」

というエントリーからの転載、二回目は「ステルス反日への対処法」です。

 ステルス反日の実例、読売新聞の記事の転載から始まっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  首相が明言した「近いうち」の解散は「国民との約束」だとする安倍氏らの主張は理解できる。
 ただ、衆院解散の確約なしでは法案成立に協力しないとか、参院の首相問責決議を理由に国会審議を拒否する、といった姿勢では、国民の理解は得られまい。

 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121019-OYT1T016...


 これは、もう一つの典型パターンである「~から批判が出そうだ」「~から批判が出ると予想される」という文言と全く同じ、自分の妄想を他人の手を借りて実現させようとする手法である。これがもっとも悪質である。
 自分達で誘導するだけしておいて、その結果に対する責任を他者に、多くの場合、一般の国民全体に押し付けるやり方である。

 実際、知らず識らずの中に、多くの国民がこの罠に掛かり、彼等の掌の上で踊らされている。こうした文章を読んで、なお「正気を保っておく」ための、もっとも簡単な方法は、読了直後に「そうはならないね!」と呟くことである。
 「国民の理解は得られまい」とくれば、「いやいや、よく理解出来る」と呟き、「批判が出そうだ」とくれば、「そんなものは出やしない」「それ何処から出るの、何処の新聞社の社屋から?」と言ってみるのである。

 「ステルス反日」を見付け出し、最後に一言付け加える「印象操作」に屈せず、「報道しない自由」に対抗するためには、異なるチャンネルからの情報を精査すること。そして他人事のように白々しく「我が思いを伝える手法」に対しては、「独り言」で対抗すること。
 僅かにこれだけの工夫で、現状は打破出来る。その「独り言」は必ず他者に伝染する。「言霊は独り歩きする」のである。是非お試し頂きたい。
   http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-826.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この実例は読売新聞ですが、やっぱり、大御所はアサヒ新聞です。
 もう、感心するくらいに 
 「私が言っているのではない」
 と言い、
 「弊社以外のみんながそう思っているであろう」
 と〆る。
 それって、「私が言ったんじゃないけどみんなが言ってる。」
 つまり、
 「私に責任はないけど、私も同意見。」
 で、言いたい放題。
 そして
 「弊社は社会の木鐸だ!」

http://sekisr400.blog.fc2.com/blog-entry-725.html

 確かに対抗法は独り言作戦が一番ですね。
 テレビならテレビを見ながら突っ込む。
 新聞なら新聞を読みながら「何、適当なこと書いてんだ」と呟く。
 そうすれば「言霊は独り歩きを始める」。

 一人の時も効果はあるけど、二人いる時は効果大、でしょうね。
 三人以上になると同じ意見を持つものが過半数を越していなければやめた方が良いかも。俄か討論会になるかもしれませんから。

 討論なんかしたって相手を納得させることはできません。何でかっていうと、相手も自分の考えに自信を持っていて、こちらを納得させてやろうとやる気満々で臨むからです。

 だからこそ、反日だって「ステルス攻撃」を重視しているんですから。

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