CubとSRと

ただの日記

反省④「風が吹く」  (「風」って何だ?)

2020年06月13日 | 心の持ち様
2012.12/28 (Fri)

 一時期、四時頃に起き出して、早朝稽古をしていたことがある。
 いい加減なストレッチをしてから、気持ちを静め、素振りや型稽古をやっていた。
 軟弱者だから一時間ほどで引き揚げる毎日で、大した進歩はなかったが、それなりに分かったことや感じ取れたことは、ある。
 その中の一つが「風」、だ。
 
 稽古に「風」は、大敵だった。
 無風状態の中でやると、気持ちが集中していくのが分かる。
 それが、「微風」でもあると、何だか心地良さの方が先に立って、気持ちがなかなか集中できない。「気」が風に流されていくようで、ともすれば稽古をしている自分の存在を忘れてしまう。
 それでも「今、稽古をしているんだ」、と頭の片隅にでも浮かべば、夢から醒めるように我に返る。

 「微風」が「弱風」になると、「稽古をしているんだ」と思って我には返っても、気が集中できない。稽古をしている自分はいても、感覚を研ぎ澄まそうと、無駄にエネルギーを浪費するばかりで、それこそ空回りしている実感ばかりになって来る。
 「強風」になるとただ回数を重ねるだけ、型をなぞっているだけ、ノルマを果たしているだけ、のようなもので、「出席はしたけど、ずっと居眠りしてました」、みたいな感じになる。

 「そんなもん、稽古とは言わんぞ!バカな体験談、書きおって!」
 と叱られるだろうことは重々承知の上で、これを書いている。何故か。
 そりゃ大半の人は普段、この程度以下の精神生活じゃないですか。
 日常生活、「感覚を研ぎ澄まさねば」と意識しながら過ごしている人なんて滅多にないでしょう?
 以前に読んだ本に、甲野善紀師範が、人と会う時、いつも考えられる限りの対応のシミュレーションをするのだと書かれていた。「へぇ~、いるんだ、やっぱり!」と思ったものの、寡聞にして他には知らない。

 あ、そう言えば、一件だけありました。
 昔、と言っても昭和になってからのことと思いますが。
 尾張柳生の宗家で柳生厳長という人が、名古屋の中心街である「栄」というところで、一日、人通りを観察したんだそうです。
 「生きた足取りの人はどのくらいいるだろうか」
 これが目的だったんだとか。
 一日経ち、夕暮れになって出た答えは、
 「一人もなかった」。

 ごく短時間でも、それをやろうとせぬ限り、変化は見られぬものです。
 怠け者でも、稽古時の心持ちは、普段の生活をしている人よりは、少~しマシ、です。あれ?一所懸命弁解してるだけで、思わぬ脱線をしているような・・・・・。

 とにかく「風」というのは自身を研ぐ際の役には立たない、と言いたかったわけです。心地は良いんですけどね。で、すぐ慣れてしまって、心地良いと思ったことも忘れる。
 ・・・・ああ、真夏にバイクで走り始めた瞬間のようなものですか。
 また脱線。

 戻ります。

 何故だろう。今回の選挙でも、「風」の話は度々出ていました。
 「自民党に風が吹いているという感じは全くない」、と自民党の議員は口を揃えて言う。
 対して、民主党の候補者には凄まじい逆風が吹いていた、と報道された。
 随分昔、社会党の党首が土井たか子女史の時だったか、「マドンナ旋風」というのが吹き荒れた。彼女らが「マドンナ」かどうかはともかく、強風どころか「旋風」で、女性議員が多く誕生した。
 グライダー乗りは「風」に乗り、帆船乗りは追い風を掴む。
 国会議員は「風」で当選し、「サンデーモーニング」は「風を読む」。

 風に乗り、追い風を受けて日々を過ごす。
 それを手段・仕事としている人々は、それも一つの生き方だ。
 大きな自然の力に我が身を任せる。自分の意志は持っているものの、全て委ねるその生き方は濁りがないので、いっそ爽やかだ。

 けれど、社会は「理」で成り立つ。
 国家という社会を動かすのは、理を意識した、理に殉ずる覚悟を持った者でなければなるまい。それが代議士だろう。情に殉ずるようなことをすれば、社会は、国は簡単に破滅する。

 「風」は「理」を推すものではない。「風」は「情」を吹き流すものだ。
 「追い風を受けて代議士となる」?
 代議士はアイドルではない。
 「風」を否定する気はないけれど、それに「頼」ったり、それを「読」んだりして、先を見通そう、その見通しで進み方を決めよう、という在り方は、社会・国家のことで採るべき態度か?と思う。
 マスメディアが流行の話題を採り上げるため、というのならまだしも、「世情」ではない、「国の在り方」を語る時、臆面もなく用いる言葉か?と思う。
 一時期流行った、「KY(空気を読めない)」という言葉と同じ、姑息というか、矮小というか、実に惨めったらしい、揉み手をして勝者に擦り寄っていくような、主体性のなさ、を感じる。

 ああ、これは「風の又三郎」の中で、芒の穂が、風が吹く度に、
 「あ、西さん、あ、東さん~」と細い手を大きく揺らせている、見ていられない恥ずかしさ、何とも言えない「見っともなさ」と同じなんだ。
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反省③自民圧勝?

2020年06月13日 | 心の持ち様
2012.12/28 (Fri)

 選挙前、「自民党が優勢」、と各紙が報じ、中には「300議席を超える勢い」、みたいなことを書いたところもありました。

 ところが、当の自民党は、と言うと、「全くそんな気がしない」、「追い風は吹いてない」と言い、ネットでは「誤報だ」「捏造記事だ」「数字が操作されている」等の疑いの声があがっていた。

 自民党の声や、ネットでの声を裏付けるかのように、街頭インタビューでは「民主党へ」という声はすっかり影をひそめていたけれども、「だから自民党へ」とはなっていなかった。
 そして実質上の報道は、第三極、特に橋下維新を多く採り上げていた。
 
 例によって、都合の良いものばかりを選び出し、編集して印象操作を、というのも考えられないではない。
 電話でのアンケート調査も不特定多数に電話を掛けるわけだから、と言い条、当然、報道機関名を名乗って、了解、協力してくれた者の回答を集計するわけで、拒否率は何%か、なんてこと、書いてあっても記憶にはほとんど残らない。
 また、その報道機関に対する好感の有無も結果に大いに関係してくるのに、それについては明らかにしないのが普通だ。
 で、どうなったか、と言うと、ご存じのとおり、「自民党の圧勝」、だったわけだ。

 「じゃあ、予想通りじゃないか。情報はまともで、数字の操作などはされていなかった、という事じゃないか。偏向報道、なんてネトウヨの思い込み、極右連中の被害妄想で、メディアは公平だったという事だろう?それ見ろ。」

 が、どうも気になることがある。
 「圧勝」と書き立てて置きながら、圧勝という現実をマスメディアは
 「我が社の予想は正しかった!」
 と先見自慢をしたり、逆に
 「国民はやっぱり、少しも進歩していない」
 と、国民を叱咤する記事を書いたりしただろうか。

 選挙の前と後では言っていることが微妙にずれている。
 新内閣がそう言っているように見えるのは、戦術や方策に絡む場合があるので一概に是非は言えないが、マスメディアの発言がズレることに関しては、もう少し注目すべきだろう。
 早い話が「圧勝」と言い、「圧勝」すると、「こんな筈ではなかった」と書いている。「自民党の得票率は却って下がっている」、だとか「自民党に投票した者が、比例では三極に投票した」、とか。
 「小選挙区制の特徴である死に票が多く出たのだから、自民党が勝ったのではない。民主党が負けたのだ」、なども。
 早い話が「情報操作をしまくったんだが、思ったように効果が出なかった」と暗に認めるかのような記事ばかり。

 人々が新聞に求めるのは「事実の報道」、だ。
 けれど、麻生前総理の言もある。
 「新聞は眺めるくらいがちょうどいいんだ」
 
 新聞を真剣に読む、と論調に影響されるのみならず、考え方まで左右されるようになる。
 「新聞に求めるのは事実の報道」と思いながら、その実、大半の購読者は、知らず、その新聞の考え方を正当と思うようになる。
 「冷静に見る」のではなく「思い込みで見る」
 「事実を知りたい」だけなのに、却って「事実より考え方」を倣ってしまう。

 これについては以前にも書いたが「何種類も購入しているから大丈夫。そうはならない」という人がいたとする。 
 「人は良いところだけを学ぼうとする」が、現実には『良いところだけ学ぶ』ことは不可能、であり、まずは「悪いところばかり学んでしまう」。
 これは当然のことだ。
 新聞だって熱心に読めば、その新聞社の論調の悪弊ばかり倣ってしまう。
 複数購読していれば、複数の低劣な見方、考え方ばかりが身についてしまう。
 「社会の木鐸」という高邁な理想、ではなく、上から目線、見下すように現実社会の嫌な部分にばかり目を向け、社会を痛罵し、揚句に蔑むようになる。

 「自民優勢」「自民圧勝」
 選挙後
 「投票率は10ポイントも下がっている」「自民の票は三極へ」

 数字の操作の有無、なんて大した問題ではない。
 もっと大きな問題は論調による「考え方」の操作だ。
 捏造記事なんて大した問題ではない。
 もっと大きな問題は「捏造かも?」と疑うことすらせず、それを定規として世間を量るようになることだ。

 つまり本当にこわいのは、マスメディアが「風を吹かせる」こと。
 そして国民が「風に吹かれる」こと、なんだろう。


 では、よく使われる、この「風」、とは一体何なんだろう?
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