今に至っても「皇室」のことを、「御皇室」と書かれ、また口にされる人、多いですよね。保守の言論人、と言われる人だって、結構やってます。
つい言ってしまい、つい書いてしまうんでしょう。尊崇の念からのことだ、とは思います。
貶すのではないから良いようなものですけれど、実はこういうところに本心というものがあらわれる。
いや、何も「ウソ、ついてる!」なんて言ってるんじゃないんですよ。そうですね、「本心」というより、「心情」、「真情」などと言った方が良いでしょうか。「心象」の方がいいかな?
皇室に対して、尊崇の念が強くあるならば、却って滅多に口にしない言葉。それが「皇室」です。
「言挙げせぬ国」ということの意味は、そういうことです。「畏れ多いことと思う」、「特に大事に思う」ことは、できるだけ口にしないようにする。
ほら、夫婦の話の中だって能くあるじゃないですか、「この人、私のことをちっとも『愛してる』と言ってくれない」、って。
で、何かの拍子に「とても感謝している」、なんて言われて涙する場面が、テレビで流れたりする。
だから昔々の天皇が、野辺に菜を摘む乙女に、「籠(こ)もよ 美籠(みこ)持ち~名告(の)らせ~」(「名前を言いなさい」)という歌を贈ったのは、名前を言えば、天皇からの求婚を受け入れたことになるからなんだ、と学生の頃、習いました。
尊崇の念があるからこそ、つい重ねて敬語を使ってしまうんだと思います。
でも、尊崇の念が、繰り返しの思考により、深まったものならば、繰り返すうちに何となく違和感を持つようになるものです。
違和感を持たないままだとしたら、やはり「本心は?」となってしまう。そんな人が「御皇室」と言いながら、「天皇制はなくしてはいけない」、なんて言ってるのを聞くと、「何だかなぁ」と思ってしまいます。
尊ぶのなら、滅多に口にしない。どうしても、という時は「皇室」は「皇室」で、良い。「天皇制」なんて「制度」は日本古来の国体(國體)を無視した言い方です。天皇は制度ではない。「天皇家」、など存在しないのですから。 大体、名字(姓)のない「家」がありますかね~?
他国には姓があるから、「王」が倒されて違う「姓」の王朝が建てられる、「易姓革命」が起こります。日本は姓がないから、別系統の王が天皇に、なんてことは起こり得ない。継体天皇に限らず、皇統は一つです。
これと同じく思ったのが、「八百万の神々」か、「八百万の神達」か、です。
何となく「神々」の方が良くって、「神たち」なんて言うと、「おい!君たち」みたいで何だか神様を見下しているように思ってしまう。そんなこと、ないですか?
でも「~たち」というのは、平家物語で能く目にされたと思います。「平家の公達(きんだち)」の「たち」で、意味は「方々」。
これは尊敬語です。最近、「私たち」というのを能く聞くけど、それは自分で自分に敬語を使っているわけで、言ってみれば「オレ様」と一緒です。「私たち」という言い方こそが間違いということです。「私たち」ではなく、「私共」、或いは「我々」というのが妥当でしょう。
あ、脱線した。
「八百万の神々」、でした。「神々」、って「神、神、神・・・・・・」ということだから、どこまで行っても尊敬語はない。
対して、「神たち」だったら、「達」が尊敬語ですからね。
・・・・・まあ、「神」、というだけで、敬語なんて吹っ飛んでしまってますけどね。
つい言ってしまい、つい書いてしまうんでしょう。尊崇の念からのことだ、とは思います。
貶すのではないから良いようなものですけれど、実はこういうところに本心というものがあらわれる。
いや、何も「ウソ、ついてる!」なんて言ってるんじゃないんですよ。そうですね、「本心」というより、「心情」、「真情」などと言った方が良いでしょうか。「心象」の方がいいかな?
皇室に対して、尊崇の念が強くあるならば、却って滅多に口にしない言葉。それが「皇室」です。
「言挙げせぬ国」ということの意味は、そういうことです。「畏れ多いことと思う」、「特に大事に思う」ことは、できるだけ口にしないようにする。
ほら、夫婦の話の中だって能くあるじゃないですか、「この人、私のことをちっとも『愛してる』と言ってくれない」、って。
で、何かの拍子に「とても感謝している」、なんて言われて涙する場面が、テレビで流れたりする。
だから昔々の天皇が、野辺に菜を摘む乙女に、「籠(こ)もよ 美籠(みこ)持ち~名告(の)らせ~」(「名前を言いなさい」)という歌を贈ったのは、名前を言えば、天皇からの求婚を受け入れたことになるからなんだ、と学生の頃、習いました。
尊崇の念があるからこそ、つい重ねて敬語を使ってしまうんだと思います。
でも、尊崇の念が、繰り返しの思考により、深まったものならば、繰り返すうちに何となく違和感を持つようになるものです。
違和感を持たないままだとしたら、やはり「本心は?」となってしまう。そんな人が「御皇室」と言いながら、「天皇制はなくしてはいけない」、なんて言ってるのを聞くと、「何だかなぁ」と思ってしまいます。
尊ぶのなら、滅多に口にしない。どうしても、という時は「皇室」は「皇室」で、良い。「天皇制」なんて「制度」は日本古来の国体(國體)を無視した言い方です。天皇は制度ではない。「天皇家」、など存在しないのですから。 大体、名字(姓)のない「家」がありますかね~?
他国には姓があるから、「王」が倒されて違う「姓」の王朝が建てられる、「易姓革命」が起こります。日本は姓がないから、別系統の王が天皇に、なんてことは起こり得ない。継体天皇に限らず、皇統は一つです。
これと同じく思ったのが、「八百万の神々」か、「八百万の神達」か、です。
何となく「神々」の方が良くって、「神たち」なんて言うと、「おい!君たち」みたいで何だか神様を見下しているように思ってしまう。そんなこと、ないですか?
でも「~たち」というのは、平家物語で能く目にされたと思います。「平家の公達(きんだち)」の「たち」で、意味は「方々」。
これは尊敬語です。最近、「私たち」というのを能く聞くけど、それは自分で自分に敬語を使っているわけで、言ってみれば「オレ様」と一緒です。「私たち」という言い方こそが間違いということです。「私たち」ではなく、「私共」、或いは「我々」というのが妥当でしょう。
あ、脱線した。
「八百万の神々」、でした。「神々」、って「神、神、神・・・・・・」ということだから、どこまで行っても尊敬語はない。
対して、「神たち」だったら、「達」が尊敬語ですからね。
・・・・・まあ、「神」、というだけで、敬語なんて吹っ飛んでしまってますけどね。