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ただの日記

違和感 「天皇制」もう少し

2020年10月27日 | 重箱の隅
 「皇国」、「皇室」。そして「天皇」。
 「皇」という言葉の示す意味を、我々日本人は、漢字を作った国であるシナとは違った意味で把握してきたと思います。
 「皇」の訓読みは「すめらぎ」或いは「すめら」、です。「すめらぎ」も「すめら」も「すめる」「すめらぐ」という動詞の連用形、つまり名詞です。
 そして「すめる」はおそらく本来は「すべる(統べる)」。「すめらぐ」もほぼ同等の意味でしょう。

 「日本は皇国である」というのは、「日本は天皇の知らす国(統べる国)」ということで、直接、間接を問わず「天皇が中心となって成り立つ(決して纏め上げる、ではない)国」という意味です。
 「皇室」は「天皇のおわす室(場所)」という意味であって、「家」という意味ではありません。「家」なら、「一家」ということになり、「姓」が付きます。天皇には姓がない。だから「家」は成り立たない。天皇がそのまま国体なのですから、その住まいは「室」というしかない。天皇の室。「皇室」、です。子孫は宮「家」となり、やがて「宮」がとれて一般の「家」になる。
 だから皇帝を倒して新たに皇帝が、という「易姓革命(姓が変わる=一家が変わる)」は日本ではできる筈もない。皇室を一旦廃絶させれば、それでおしまいです。一度、姓を持った者が、皇室復興のために姓を捨てる、というのはできぬ相談。

 (西欧の)「君主」は「人民」を支配し、搾取を行うことで、人民と対峙している、とする形を「君主制」と言います。
 社会主義者は、
「人民がその君主を打倒することで、理想社会が建設される」
 、と説きます。
 「支配者を敵と捉え、打倒する。それによって理想が現実のものとなる」。
 この考えを日本に当てはめようとして、天皇を「支配者」と捉え、打倒すべきもの、ということで作られたのが「天皇制」、という言葉です。出自からして、そういう考えを含んだものなんだということです。
 「成り立ちなんかどうだっていいんだよ。今が大事なんだろ!」
 という人が主流になってきて、
 「言葉は生きているのだから~」
 なんて詩的に説明しようとする人がいますけど、もっと大事なのは「思い(意)」、ですからね。その言葉の成り立ち、出自をしっかり見ることをせず、安易にjk用語やネットの流行語のように使い始めると思わぬ方角に徒花が咲き誇ることになります。
 「情に棹差せば流される」。その時々の「情」に沿えば、取り返しのつかないことになってしまう。
コメント (2)
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